激突編・28『サトゥルヌの愛』
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私が〝先生〟に出会ったのは、まだ幼い頃だった。
名もない集落で生まれた私は、多少土魔術が得意なだけの平凡な下位魔族だった。
高位の魔族に目をつけられないようひっそりと存在する下位魔族の集落の中でも、特に目立つこともなく幼少期を過ごしていた。
森で魔物を狩り、薬草を育て、慎ましい生活を送る。
そんな穏やかな日常は、森に迷い込んだ大型魔物の襲撃であっさりと壊れてしまった。
蹂躙される集落、喰われていく家族や友人たち。
親に食糧庫に押し込まれて震えるしかなかった私を救ったのは、ひとりの人族だった。
村を食い尽くして暴れた魔物を、指先ひとつ弾くだけで倒してしまった圧倒的な強者。
それが先生との出会いだった。
先生が駆けつけたとき、生き残っていたのはわずか数名のみ。
私以外の者はみな先生に礼を言って、近くにある別の集落へと移っていった。
「君は行かないの?」
「僕を……いえ、私を弟子にしてください!」
そう言った先生に、私は連れて行って欲しいと懇願した。下位魔族では手も足も出ない魔物を瞬殺したその強さ、立ち振る舞い、神秘的な雰囲気。
種族なんて関係なく、彼女を美しいと思ったのだ。
先生は私をじっと見つめてから、頷いた。
「あなた、真名はある?」
「ありません」
その時、私はまだ真名を受けていなかった。
魔族が他者へ名を授けられるのは、常に上位の立場からだけだ。親や兄弟だとしても、下位魔族が下位魔族へ真名を定めることはできない決まりだ。私の集落には中位魔族はいなかったので、名無ししかいなかったのだ。
他の仲間より少し耳が丸く〝ラウ〟という呼び名はあったので、それを伝えておいた。
先生はひとまず私のことをラウと呼び、ピアスをひとつ渡してくれた。
それは褐色の肌や尖った耳、鋭い爪や歯を人族と同じ姿にする『変身』のアクセサリーだった。
「一緒に来たいならこれを着けて頂戴。人族の街でしばらく鍛えてあげる」
私は先生に連れられて、魔族領から出ることになった。
こうして私の人生は、ここから大きく変わったのだった。
私たちは色々な国や街を旅した。
魔族の原始的な生活とは違い、人族の街は文明が進んでいた。街には人々が集まり、貨幣で数々の物資を取引している。
私は人族に混ざりながら先生の教えを受け、学び、育っていった。
先生は私以外にも旅の途中で弟子をとった。ほとんどは人族だったが、獣人やエルフなども迎え入れることがあった。
種族が違えど、私たちはみな兄弟だった。
長い間先生のもとで学んだ私は、魔術の腕も上がっていった。種族スキルが目覚めて中位魔族として進化した私には、土魔術だけなら魔族のなかでも抜きんでた才能があった。
そして何よりレベルが最大値へ到達したときに手に入れた『簒奪』というスキルは強力だった。
このスキルを手にした私は、より先生のために役に立てると息巻いていたが、先生は私に向かって言ったのだ。
「あなたの力はあなたのためのものよ。これ以上、私のために人生を使うようなことはしなくていいの」
「何をおっしゃいますか! 私たち弟子はみな、先生がこの世界の均衡を保つために旅をしていることは知ってます。その旅が孤独な道だということも理解してます。でも、寿命の長い私であればもっと先生のお役に立てるはずです!」
「そうね……でも、ソレは本来の目的じゃないの。実を言うと、もののついでなの」
「では本来の目的はなんですか? 先生が弟子を集め、世界を導き、何千年ものあいだ旅をし続けている理由は……」
「死ぬためよ」
先生がその時言った冷たい言葉は、いまもハッキリと思い出せる。
「私は死なないんじゃなくて、死ねないのよ。これも本当は死ぬ方法を探す旅なのよ。そんな不毛な目的のために、あなたを最後まで付き合わせるわけにはいかないわ」
悲しそうに言う先生に、私は言い返すことができなかった。
それからほどなく、私は先生と別れて魔族領へ戻ることになった。故郷の地域を支配していた上位魔族の傘下に入り、真名を授かり、魔族領の情報を集め続けた。
先生はずっと自分を殺せる存在を探していた。人族の国や街では、数千年ものあいだその答えを見つけることはできなかったらしい。
なら魔族領はどうだ?
いくら先生も魔族領のことは詳しくなかった。人族の国と違って、情報が各地で閉塞している隔離社会だ。ならば私が、その答えを探すべきではないか。
そう考えて、私は魔族領で情報を集め続けた。
それから300年近く経った、いまから千年前のことだ。
すでに上位魔族として覚醒していた私だったが、力を隠してひっそりと暮らしていた。そんな私のもとへ先生がふらりと訪ねてきた。
「久しぶりねラウ。いまはサトゥルヌと呼ばれているのね」
「はい先生。真名を授かり、さらなる力を蓄えて過ごしておりました。先生はこの300年、いかがお過ごしでしたか?」
私がそう聞くと、先生は疲れた表情を見せた。
相変わらず美しい少女の姿。しかし、その雰囲気は摩耗して擦り切れてしまいそうなものだった。
いままで一度も見たことのない、弱った顔つきだった。
「……ダメね。ここ最近はどこも戦争ばかりよ。私がどれだけ間を取り持っても、人が人を憎むのは止められないわ。ヒトの本質はこんなにも醜かったんだって、思い知らされた気分」
「そうでしたか。もしよろしければここで養生してはいかがでしょう? 俗世から離れれば、心も休まるでしょうし……それに、私もずっと先生に焦がれておりました。共に過ごせる時の、なんと幸福なことか」
「ふふ。あなたは本当に私のことが好きなのね」
疲れ切った表情で、薄く笑う先生だった。
愛慕。恋情。親愛。友愛。尊敬。畏怖。
私は昔から先生への感情に、多くの想いが混ざり合っていることを自覚していた。師と弟子の関係性であるゆえに、その感情に名前を付けなくても良いことも都合が良かった。
もちろん先生もそれをわかっていただろう。
だが、それを受け入れてくれることはなかった。
先生の孤独は、私ひとりで埋められるようなものじゃなかったのだ。
「ねえサトゥルヌ。あなたのスキル、まだ私に使ってなかったわよね?」
「……はい」
『簒奪』は対象に対して、一度きりしか発動できない。魔術練度が高い相手だと失敗する恐れもあるうえ、奪ったものは私が死を感じるまで決して元には戻らない。
いままで親しい相手にその指先を向けることはできなかった。
先生は言った。
「この数百年、考えてたのよ。できれば私を殺すのは、知らない誰かであって欲しかった。でももう限界……ここに来たのも、魔術練度が高くなったあなたにそのスキルを使ってもらうためなの……ねえ、私の『森羅万象』を奪ってくれないかしら」
「っ!」
私は戦慄した。
先生の不死性を体現している神のようなスキル。ソレを奪えば先生は死ぬかもしれない。私も考えていたことではあった。
でも自らの手で先生を殺すなんて、想像しただけで吐き気がした。
「お願いサトゥルヌ……私はもう生きていたくないの。死ぬことも許されないなんて、こんな酷い話はないでしょう? 私、この世界の歴史をずっと眺めて生きてきたわ。争いの消えない、醜い人の歴史を……その何千年もの記憶がずっと私を苦しめているの。もうこれ以上、人々に絶望したくないの」
「で、ですが先生……私は……」
「お願い。私の気が狂って世界の敵になる前に、私をこの世界から奪って頂戴。弟子にこんなことをさせるなんて師匠失格だけど……もう、耐えられそうにないから」
先生は私に身を委ねてきた。
どんな姿にも、どんな状態にもなれる神のような人だ。その彼女がここまで苦しんでいたとは知る由もなかった。
私は彼女を救いたかった。情報を集めていたのも、殺すためではなく救うためだった。
なのに、私に殺してくれと頼んでくる。
こんなに苦しい想いをしたのは初めてだった。
だけど本心では嬉しかった。いままで頼られることはなかったから。私にできることはすべて先生にもできたから。
私は、先生の額に手を当てる。
先生はじっと目を閉じた。
「ごめんなさいサトゥルヌ。頼んだわ」
「すみません、先生……『簒奪』」
スキルを発動した。
奪ったのは『森羅万象』――ではなく、先生の記憶だった。
私に先生を殺すことはできなかった。
先生の苦しみは長い記憶があるからだというなら、その記憶を奪ってしまえば孤独や苦痛を取り払えるのではないか。
そう思った。
「……あれ、ここは……?」
まるで無垢な少女のような表情で、キョトンとしている先生。
成功だ。
私は笑みを浮かべる。
いまは右も左もわからないだろう。だが、これからゆっくりと教えていけばいい。人間たちに絶望したというのなら、ずっとここで暮らせばいいのだ。私には寿命を奪う力があるから不老の存在だ。
ふたりなら、孤独にはならない。
「先生、私が――」
「近づかないで!」
先生は警戒していた。
「あなたダークエルフね、私に何をしたの? ここはどこ? 研究所の外よね? あなたも実験体かしら。それにしても耳が丸いわね……もしかして原住民? でもダークエルフは外には残ってないって聞いたけど」
「先生は何を? 記憶は消えたはずでは……?」
「記憶が消えるって何を……え、うそ。まって思い出せない! 私、ここでなにを……研究所って何? ダークエルフって……私って誰……いや、イヤイヤイヤイヤ! 消えないで! やめて! 私を消さないで!」
頭を抱えて叫ぶ先生。
何が起こったのか分からなかった。
実験体?
先生は自分のことをそう呼んだ。おそらく埋もれていた数千年前の記憶だろう。
私のスキルによって掘り起こされた記憶。だがその記憶も、やがて消えていくようだった。
「落ち着いて下さい先生。まずは説明しますから、話を――」
「イヤあ! 来ないで!」
家から飛び出した先生。
記憶を失ってただの少女のような反応になっていた。しかしそれでも先生は先生だった。追おうとした私から逃げるため、無意識のうちに体を雷に変化させて空へと瞬時に移動していた。
こうして記憶を失った神秘王は、しばらく姿を消した。
それから私は下位魔族を使って、大陸中のあらゆる情報を集めた。先生が見つかったのはそれから10年後。私が奪ったのはあくまで先生個人の記憶だ。溜め込んだ知識は失ってなかったのか、また何事もなく旅を始めていた。
私は自分のしたことを間違いだったとは思っていなかった。一時的に彼女を苦しめてしまっただろうけど、苦痛は取り除くことができた。
そう思っていた。
それからも先生は弟子を育てていた。時々、人間領に潜ませている部下たちと対立することもあった。先生は人族だからそれも仕方がない。部下たちが勝てるとは思えないので好きにさせていた。
きっと先生は、私のことを悪の親玉とでも思ってるだろう。
だがそれでもいい。私と先生の関係は、記憶とともに失ってしまったのだから。
そうして時が経ち、数千年ぶりに魔族に魔王が生まれたこともあった。そのとき先生は破滅因子を勇者になるまで育て、魔王と対立した。
魔王は敗北し、勇者はどこかへ消えてしまい、また先生は旅を再開していた。
私は相変わらずひっそりと身を潜めて過ごしながら、先生の動向を探り続けていた。
そんなある時、私は愕然とした。
先生はまた死にたがっていることを知ったのだ。
記憶を奪ってからまだ千年も経っていない。
それなのに、思い出したかのように先生は自分が死ぬ手段を探していた。
私は間違っていたのか?
そう何度も自問した。あの時殺したほうが良かったのか、と。
だがどの道、私にはもう先生は殺せない。殺す手段も見つけていない。
いまさら昔の弟子だと名乗ることもできなかった。だから私はまた、不死の存在を殺せるものを探すことにした。
そんな折、私は新しい情報を手に入れた。
勇者は竜神の使徒になって、竜種の敵を殺す能力を得た人族のことをいう。勇者スキルは魔族を殺す能力だといままで思っていたが、竜神はそこまで短絡的ではなかったらしい。
竜種を守る人族――それが勇者の本質だ。
ならば先生が竜種と敵対すれば、勇者は先生を殺すこともできるのではないか?
それから私の計画は始まった。
部下を使って勇者の種――破滅因子を探した。それと同時に、各地に潜ませている部下を使って、竜種がヒト種の国々と敵対するように手を回させた。まずはエルフ、次はレスタミア、これからマグー帝国でも計画が遂行されようとしている。
幸い、私も先生も寿命はない。時間だけはたっぷりある。破滅因子を手に入れて洗脳すれば駒になるが、それが難しいようなら一度殺して、次の破滅因子を待つつもりだった。
「今度こそあなたを救って差し上げます。先生」
私は上位魔族サトゥルヌ。
愛を以って、あなたを殺す者なり。




