激突編・22『復讐という名の口実』
24階層には、地獄絵図としか言いようのない光景が広がっていた。
砂中のダンジョン攻略、5日目。
いつ後ろから敵がやってくるかもわからない迷宮内。普通ならストレスでハゲそうになるような状況かもしれないけど、俺たちは偶然手に入れた地図と、アイテムボックスに保存していた大量の食料と水のおかげで、それなりに快適なダンジョンライフを送れていた。
ダンジョンは階層が進むほどにAランク魔物ばかり闊歩している魔境になっていた。
ここまでひやりとさせられる場面もあったけど、大した怪我もなく攻略してくることができた。
これもひとえに超強化セオリーと、プニスケアーマーのおかげだ。
「さて、次が最後だな」
危なげなく倒したバジリスクの素材を回収しつつ、扉の向こうに現れた階段を見つめる。
サトゥルヌの刺客がやってくることはなかった。
神秘術を失った神秘術士と、ダンジョン内では相性の悪い竜種だと思われているはずだ。俺たちをナメて油断してくれてと思ったけど、そんな期待もここまでだ。
「あ、あるじ……なんか怖いよぅ」
「ああ。血の臭いがするな」
階段から上階――24階層を見上げてセオリーが震えていた。
ここからでもわかる噎せかえるような血の臭い。
明らかにいままでの階層とは様子が違う。死の気配が濃密に漂っていた。
いつでも戦闘を始められるようにプニスケを纏い、セオリーを超強化待機させておく。ゆっくりと階段をあがり、そっと扉を開けて中の様子をうかがった。
……有り体にいえば、地獄絵図だった。
24階層は30階層と同じく、広大なボス部屋ひとつだけだった。普段はここにどんな魔物がいるのかは知らないが、いまは魔物は一匹もいない。
そこにいたのは数十人の魔族……の、成れの果てだった。
床に、壁に、天井に、血や肉片がぶちまけれらたようになっていた。
切り刻まれた死体がそこら中に転がっており、原型が残っている者はほとんどなかった。誰だったかわかるのは部屋の中央に重なっている死体3つのみ。
確かサトゥルヌの四天王っぽかった男たちだ。
その男たちの死体の横に立っていたのは、抜刀したナギだった。
瞳は暗く澱み、虚ろげに彷徨っている。
刀だけでなく顔や手にこびりついた血が、この惨状の犯人が誰だかを否応なく物語っていた。
「……ようやく来たです」
俺たちが部屋に入って来たのに気づいて、ナギはゆっくりと死体から降りた。相変わらず、何を考えているのかよくわからない表情だ。
とりあえず挨拶しておく。
「ようナギ、久しぶり。随分とハッチャケてたみたいだな」
「ルルクこそ、あの傷でよく死に損なったです。悪運だけは強いです」
軽口に毒舌を返された。
俺は肩をすくめた。
「神様がなかなか死なせてくれないんだよ。お陰で可愛いナギにまた会えたんだから、感謝はしてるけどな」
「その軽薄な口を縫って閉じたいです。できれば一生」
「そんなことしたら軽快なトークができなくなるだろ」
「不快の間違いでは?」
距離を保ったまま睨み合う俺とナギ。向こうから詰めてくる様子はなさそうだ。
話ができるならそれに越したことはない。俺はべつに、ナギと戦いたいわけじゃないからな。
もう一度だけ死屍累々の光景をぐるりと眺めて問いかける。
「この状況は?」
「サトゥルヌを騙したです。ルルクを殺すための伏兵のひとりとして部屋に潜り込み――さきほど全員斬り殺したです」
ユラリ、とナギの瞳に黒い炎が揺れる。
サトゥルヌの関係者は全員復讐対象って言ってたからな。サトゥルヌも魔術が使えない下位魔族がこの人数相手に無茶をするなんて思わなかっただろう。
とはいえ、四天王の3人も混ざってたんだ。多勢に無勢だったと思うけど。
「よく無傷で勝てたな」
「一度ずつ、左腕と右足が吹き飛んだです。兄様のおかげで再生しただけです」
「再生か。エリクサーでも持ってたのか?」
「えりくさーが何かは知らないですが……賢者の秘薬です」
ナギはそう言って、首から提げていた宝石のようなものを取り出した。宝石の中には液体のようなものが閉じ込められており、それが薄い赤色に光っている。
ずっとネックレスみたいなものを首にかけてるとは知ってたけど、どうやらエリクサーみたいなトンデモアイテムを隠していたらしい。そういえばアクセサリは装備できるんだったな。
武器といいアクセサリといい、レアリティの高い装備を持ってるんだな。呪いの武器はともかく、本当に兄に愛されていたらしい。
「でもいいのか? 俺にそんなこと教えて。それ、俺が奪い取るかもしれないぞ」
「神秘術も使えないのにです? ついにバカもそこまできたですか」
「まあ紙一重って言うからな。そう勘違いされても仕方ないか」
「バカだから紙の厚さもわからないです」
おいおい毒舌が絶好調だな。
ただ妙なのは、ナギは話すばかりで動く様子がなかった。太刀を納めないので警戒しているのは間違いないだろうけど……。
「戦わなくていいのか? 俺を殺すために待ってたんじゃないのか?」
「堪え性のない男はモテないです。子どもは騙せても経験豊富な相手だと特に」
「やめろそれは俺に効く」
急所にあたった。俺に1億のダメージ。
ナギは冷ややかな口調のまま、続けた。
「それにナギは話をしに来たです」
「……話?」
「はい。どうして嘘をついたです?」
じっと、俺の真意を探るように睨むナギ。
「嘘? 俺は生まれて一度も嘘をついたことがない男だぞ」
「……ルルクのそういうところ、キライです」
「わかったわかった。で、嘘ってなんだよ。どれのことだ」
「兄様を殺したと、嘘をついたことです」
ナギはハッキリと言った。
本当は俺がやってなかったことを気づいたのか、あるいは最初から知ってて演技していたのか。いや、知ってたってことはないだろう。あの時、ナギは本気で俺を殺すつもりだった。
俺はもう一度肩をすくめる。
「なんのことだ?」
「惚けてもムダです。ナギは埋葬するまで兄様と最期を過ごしたです。最初はずっとルルクが憎かったです。追いかけてこの手で殺したくて仕方がなかったです。正直、いまも殺したいです……嘘をついてたと知ったいまでも、兄様を隠してたルルクを」
「だから何で俺が嘘をついたって言えるんだよ」
「ナギはルルクみたいなバカじゃないです。傷を見れば、背中側から酸の術式――闇と水の混合魔術で殺したことくらいわかるです。ルルクは魔素欠乏症……絶対に、ルルクだけはありえないです」
そうだったのか。
俺は兄様の死因を気にしたことはなかった。俺がバカかどうかは兎も角、ナギは憎しみのなかでも冷静な判断をできるくらいに賢い少女だ。納得もできる。
「それにナギは知ってるです。兄様はいつも、サトゥルヌから逃れる方法を探してたです。いつ敵対するかもわからなかったですから、ナギにも、サトゥルヌの側近の話を聞かせてくれていたです……最強の側近〝影王〟の能力も、その魔術も、です。兄様はその〝影王〟と共に出て行って……兄様の死因がそうならナギは間違わないです」
「……そうか」
「どうしてですか。ルルクはどうして、ナギに嘘をついたんです。殺されるかもしれないってわかってて、なぜ〝影王〟を――サトゥルヌの部下を庇うようなことを言ったです」
ナギが漏らしていたのは明確な怒りだった。
そりゃわからないだろう。俺がナギの知識や判断力を侮っていたのと同じように、ナギだって俺の考えを見通せるほど、俺たちの付き合いは長くない。
だけど、だからこそだ。
俺は鼻で笑った。
「そりゃ俺は性格が悪いからな。俺を殺そうと躍起になるナギを見たかっただけだ。おちょくってみたかっただけだよ」
「また嘘です。そうやって憎まれようとして、何が目的なんですか」
「どうして嘘ってわかる? ナギは俺の何を知ってる? 俺がクソ野郎だって思ってるんだろ? 軽薄で嘘つきで、ろくでもない男だって言ったのはお前だろ?」
「……それは、そうですが……」
「ハッ。じゃあ素直に認めとけばいいんだよ。お前は俺と違って賢いんだろ。でも俺は賢い女はいらねえんだよ。お前なんて最初はオツムの弱い女だと思って優しくしてただけだよバーカ。コロッと騙されて懐いてくれると思ったから協力してただけだってーの。俺は俺を好きになってくれるやつしか好きじゃないんだよ。わかったら俺の視界から消えろ。俺はサトゥルヌに用があるんだよナギにかまってやる暇なんてないの」
雪崩のように次々に言葉を浴びせかけると、ナギは目を見開いて拳を握った。
怒りに肩を震わせて、絞りだすように唸る。
「……最、低です……!」
「おうよ。俺は最低な男ルルク。今度会うときは俺好みのスタイルの良い女になっててくれ。そしたらまた優しくするから」
「こ、殺――」
ナギが太刀を握る手に力を籠めかけたその時だった。
いままで黙っていたセオリーが、俺とナギの間に立ちふさがった。
「ちがうもん! あるじは最低じゃない! あるじ、本当は心配してただけだもん!」
「え、ちょっとセオ――」
「確かにあるじバカだけど! 優しいんだもん、心配してただけだもん! 復讐終えたあなたが死ぬつもりだって知ってたから、あるじ、わざと自分が憎まれようとしたんだもん! 自分が殺されなかったら、あなたも目標ができて死なないって思って、嘘ついたんだもん!」
「ちょいちょい! まってセオリー! おま、なにいって」
「あるじは黙ってて!」
普段は従順な従魔に、今までで一番強い口調で叱られました。
「何も知らないで! あるじに優しくしてもらって、それなのに、あるじを悪く言わないで!」
「……ルルク。その話は本当、ですか……」
ナギは目を開いたまま俺を見つめる。
いやちょっと待ってくれよ。何だよこの羞恥プレイ。どんだけ俺が悪役に徹して演技したと思ってるんだよ。いやまあ、ゲスい事言うのも結構楽しかったけどさ。
まあセオリーがピュアすぎて空気を読めないことを忘れてた俺が悪いんです……。
「ルルク……本当にナギのため、です?」
「そうだもん! だって、あるじ、ツンデレだもん!」
「ツンデレです? でも、ルルクは、兄様の死体を隠してて……」
「知らなかっただけだもん! あるじ、いつも口では面倒だっていうけど、本当に面倒だったら敵だった相手の死体をわざわざ持ってくるはずないもん! 通りがかりの魔族たちに見捨てるっていいながらポーション渡さないもん! それから、それから――」
「もうやめてセオリー! それ以上は後生だから! 俺のライフはもうゼロよ!」
まさかの従魔の追い打ちに、俺は恥ずかしさに顔を覆いながら、
「……ナギ、ひと思いに殺してくれ」
「これで殺せるほどナギはバカじゃないです」
ため息をついたナギだった。
「そうならそうと言うです。確かにナギはサトゥルヌを殺したら死ぬつもりですが」
「……それを避けようと、こうして憎まれ役をだな」
「頼んでないです」
ナギはキッパリと言った。
最初からわかっていた。ナギの目的は復讐だけで、それ以外は脇道に過ぎない。復讐を遂げた後のことなんて何も考えていないんだと、言葉でも態度でも生き様でも語っていた。
そうでなければ、これほどまでに無慈悲に殺し続けて狂わないなんて、できることじゃない。
「ナギに同情したです? 女だからです? それとも同じ欠陥品だからです? 復讐という名の口実を与えて生き長らせて、これ以上ナギを苦しめるつもりだったです? そういうのは余計なお節介というです。確かにルルクは、セオリーにとっては優しくていい仲間かもしれないです。でもナギにとってそういうのは……そういう嘘は、真実より残酷です」
「……そうか。そうだよな、すまん」
「謝らないでほしいです。それじゃあナギが、優しさを受けられない自分勝手な女みたいです」
「じゃあ俺は、自己満足を押し付ける自分勝手な男だな」
「まあ、それはそうです」
「いや否定しろよ」
苦笑する。
ナギは少し考えるように沈黙してから、俺に背中を向けた。
誤解というか誤認は解けて俺の命を狙うことはなくなっただろうけど……まあ、予想通りいい結果にはならなかった。
セオリーも良かれとおもって言っただろうし、責める気にはなれない。
そもそもナギを死なせたくないのは、ただの俺のエゴだった。
誰のためでもない。俺のためだから。責められこそすれ何かを言える資格なんてなかった。
ナギはぼそっとつぶやく。
「……どの道、ナギはサトゥルヌを殺せば死ぬです」
その声は小さく、俺たちにはよく聞き取れなかった。
ナギは深く息をついてから振り返ると、殺意を浮かべながら上を向いた。
「ではサトゥルヌを殺しに向かうです。今なら油断しているはず……ルルクは戦えるです?」
「ああ。見ての通りスライムアーマーがあるからな」
「……スライム? 強いです?」
「期待してていいぞ」
とはいえサトゥルヌにどこまで通用するか。
最初に見た記憶では、サトゥルヌは魔術はもちろんスキルも豊富だった。『砂塵掌握』があるから砂漠に出てしまったらかなり討伐が困難になるので、できるだけダンジョン内で速攻片を付けたいところだが……。
「問題は、どう戦うかだよな」
「ナギが相討ちになっても殺すです」
「それは最終手段で。ただでさえレベルがカンストしてる相手だから逃げられたら追いつけないだろうし、ナギはなるべく隠し玉で行きたいんだよ」
「ではどうするです?」
そうだなあ。
俺はナギとセオリーを交互に見つめる。超強化セオリーならサトゥルヌのステータスを超えるだろうけど、攻撃手段が近接ってとこがネックになるだろう。セオリーにはいつでも一撃必殺級のブレスが撃てるようにしてもらいたいし……。
「そういえばナギは伏兵隊に志願したんだよな。俺たちを討伐する部隊編成はどうなってるか聞いたか?」
「あのヒステリックな女以外の側近と第2から第6部隊がこの部屋に集いました。それ以外は通常通りに配置と聞きましたが……何か思いついたです?」
「ちょっとな。ちなみにセオリーが壊したっていうダンジョン上部の外壁、もう直ってたか?」
「まだです。外部から砂が呼び込めてしまうので、不意を打たなければかなり苦戦するかと……」
「そうか。それなら丁度いい」
俺はニヤリと笑った。
怪訝な表情を浮かべるナギに、俺は言った。
「ナギ、セオリー。二人に頼みたいことがある」
「なんです?」
「この城からいっかい逃げ出してくれない?」




