激突編・1『ああ麗しのお姉さん』
突然だけど、俺はお姉さんが好きだ。
……あっ、ちょっとまって!
ドン引きして帰らないで!
戻るボタン押さないで!
頼むから、理由くらいは聞いて下さい。
俺は前世でひとりっ子だった。両親はずっと仕事で海外を飛び回っていて、小さい頃は新聞記者の爺ちゃんが面倒を見てくれていた。
そんな家庭環境だったから一人遊びは得意だったけど、他の家族を見るたびに兄弟姉妹への憧れが胸をくすぶっていた。優しい兄や姉、可愛い弟や妹がずっと欲しかったんだ。
この異世界に転生したいま、可愛い妹という夢は叶ってしまった。
リリスは俺には勿体ないくらいの天使だった。もう4年半近くも離れ離れになっているのが残念だ。いまも女学院で元気にやっているだろうか。
弟はいないけど兄もできた。クソガキ義兄はどうでもいいとして、ほんの一日顔を合わせただけの実兄はおそらく最高の兄だった。できれば幼少期から一緒に育ちたかった。もう一度会いたいぜ。
というわけで、俺がいま欲しいのは姉だ。姉欲マシマシなのだ。
昔から美人のお姉さんには憧れていた。弟や妹はこれから先も生まれるかもしれないけど、兄や姉の有無は生まれたときにはもう決まっているんだぞ。
永遠に手に入らない幻想郷……それが麗しのお姉さんなのである。
時に甘やかし、時に厳しく、時に一緒に騒いで仲良く過ごしてくれる。美人でスタイルが良くて、友達に自慢できるそんな姉が欲しかった。
まあ姉どころか、自慢する友達もいないんですけどね(血反吐)。
兎に角、お姉さんとは夢そのものなのだ。宇宙の真理なのだ。無限の可能性なのだ。
なんでいきなりそんなことを語りだしたのかって?
ピロン! 正解は……現実逃避!
「へ、ヘプタン様! お気を確かに!」
俺の目の前では、目元を隠した仮面姿の気品高く清楚なお姉さん――ルニー商会の幹部ヘプタンが、鼻血を出して恍惚とした表情で失神していた。
同じく仮面をつけた周囲の女性たちが、慌ててヘプタンを介護している。
なんでこんなことに?
さあ、俺にもわからん。
商談していたはずだったんだけど、いきなりこうなったんだよね。
彼女の地雷を踏んでしまったみたいだけど、俺のせいではないと声を大にして言っておこう。
なんにせよ醜態をさらしている淑女を眺めるような振舞は紳士とはいえないので、窓から外を眺めて妄想に励んでいるのである。俺えらい、超紳士。
そもそもなんでルニー商会に来てるのかって?
それは少し前にさかのぼる。
ぽわぽわぽわ~ん……
□ □ □ □ □
模擬戦のあとの話し合いはすぐに終わった。
合同クエストが決まり魔族領へ出向くことは確定したけど、日時と移動手段がまだ決められていなかったのだ。
ルネーラ大森林までは普通の馬車で一ヶ月かかる。そんな悠長に行動していたらエルフの子たちがどうなるかわからないので、できるだけ早い移動が必須。
正直、俺たちのパーティだけで転移すれば一瞬なのだが、別行動にするにしても移動時間から転移ができることはバレてしまう。できる限りエルフの子たちは早く助けてやりたいけど、どこまで協力するかは悩みどころだった。
ギルドマスターのアフロもといカムロックが、今日中に公爵と話し合って決めると言っていたので、俺たちはひとまず夜まで宿で待機することになったのだ。
それはそうと、腑に落ちない点がいくつもあったから俺はそのままギルドのすぐ裏にあるルニー商会へ足を運んでいたのだ。
ぞろぞろと全員で行くわけにもいかないので、みんなは宿に戻ってもらっている。
「にしてもデカいな、デパートかよ」
この街の建物はすべて2階建てだ。
世界的組織の冒険者ギルドや商人ギルドも例外じゃないため、それらの建築は横に引き延ばしたように広い。ふたつとも学校の校舎並みに横幅があるんだけど、その裏にあるルニー商会も似たようなものだった。
世界的ギルドと遜色ない大きさの単一商店ってなに? パワーバランス間違えてない?
まあ俺はただの客なので無駄なことに首を突っ込んだりはしない。マタイサ王都の本店がどれほどの大きさなのかは気になるので、いずれ行ってみようと思う。
大きな扉にはドアガールがいて、彼女たちもみな仮面をつけていた。
というかルニー商会に男はいないのかな? みんな綺麗なお姉さんばっかりだ。お姉さん好きの思春期男子なので素直に嬉しいけど、万が一路頭に迷ったら転職先に困るよなぁ。
そんなくだらないことを考えながら他の客に混ざって店内へ入る。
まず驚いたのは天井が高かったことだ。正面玄関から入った場所は天井ぶち抜きで豪華なシャンデリアが吊るされており、その下にはガラス細工の巨大なオブジェが。床は大理石でピカピカに磨き上げられており、ピアノまで飾ってある。ピアノなんてこの世界で初めて見たよ。
……ここ、異世界だよな?
高〇屋とか伊勢〇を彷彿とさせる絢爛としたロビー。
俺と同じように口をあんぐりと開けている観光客が大勢いた。いままでの商店とはレベルが違いすぎて、もはや文化ハザードだよなコレ。
まず間違いなく同郷の者の仕業だったけど、呆気にとられている場合じゃないよな。
もし転生者がいて、商人として生きてきたとしても、この次元の店をデザインするには並々ならない準備と膨大な資金や技術がいるはずだ。
ここは、それを可能にする規模の商会なのだ。
『冷静沈着』先輩にお世話になる前に、自ら気を引き締めておく。
俺が冒険者としてどれだけ強くなろうとも、経済や政治の駆け引きに関してはズブのド素人なのだ。もし何かがあってルニー商会と敵対したとき、そういう手段で排除しようとされたら抗う術はない。もちろん敵になるつもりはないけど、決して味方というワケでもないのだ。
その場合、同郷のよしみで見逃してくれるとは限らない。
「……よし」
俺は気合を入れて、襟を正して一歩を踏み出した。
店内は玄関ロビーから左右に分かれて順路があり、左は食品類、右は雑貨類や家具のコーナーのようだった。よく見れば天井ぶち抜きはロビーだけで、左右それぞれに階段があって二階もある。本や魔術器、武器や防具、医薬類などは二階にあるみたいだな。本当になんでもあるみたいだ。
ただし俺はそのどこへも行かず、ロビーの奥にあるカウンターへと進んだ。
仮面の受付嬢にヘプタンからもらった名刺を見せる。
「こんにちは。冒険者のルルクと申しますが、御商会のヘプタンさんにこちらに来たら名刺を見せるようにと伺ったので、確認をお願いできますでしょうか?」
「ルルク様ですね。こちらへどうぞ」
え、即答?
さすがに面食らう俺だった。
「……あの、身分確認とかは?」
「ルルク様のことは従業員一同存じ上げておりますので、確認は不要です。すぐにエリアマネージャーを呼んでまいりますので、こちらへ」
何この有能すぎる受付嬢!
もしかして、頭の中にバルギア在住の全住人の顔と名前が入ってるとか? 日本の一流企業だったらこれくらい普通なの? 一流ビジネスのクオリティってこれが平均??
混乱する俺だったけど、さすがに呆けているワケにもいかないので、受付嬢についていく。
案内されたのは店の奥――かなり広めの応接室。
ムーテル家の賓客用応接室レベルの豪華な造りだった。
ソファに腰かけるとほぼ同時に、テーブルに紅茶が置かれた。この紅茶もおそらくかなりの高級品だろう。香りがよく上品な味わい、温度も最適……というか俺が入店したと同時に淹れないとこのタイミングで適温で出すの不可能じゃね?
なんだココ、恐ろしすぎるだろ。
いままで監視されてたのかっていうくらいの接客対応。これがデフォルトだとは思いたくないけど、俺が特別扱いされる理由もないので、ルニー商会ではこれが普通なんだろうな。
こんな接待されて安い買い物はできないよなぁ。
そんな風に考えていると、紅茶をふた口飲んだところで扉が開いた。
「ルルク様、お待たせしました」
凛とした雰囲気の、長い金髪の仮面淑女が入って来た。
前と変わらず立ち姿に隙が無い。武人並みに強そうなヘプタンだった。
「こちらこそ突然訪問してすみません」
「とんでもございません。ご来店いただき誠にありがとうございます。お待ちの間に出させて頂いた紅茶はいかがでしょう? 我が商会の新製品でして、お口に合いますでしょうか」
ヘプタンは正面に腰かけ、ふんわりと笑みを浮かべた。
やっぱりこれも商品か。
「とても美味しいです。苦みもなく奥深い味わいに、程よい酸味ですね。ブレンドした茶葉ですか?」
「はい。3か所の産地で採れた別の茶葉を使用しております。よろしければサンプル品をどうぞ。店内でも配っておりますので、遠慮なくお持ち帰りください」
「そうですか。では、ありがたく」
茶葉が包まれた袋が差し出されたので、手元に寄せておく。
「してルルク様、本日は我が商会にどのようなご用件でしょうか」
「おもに情報を買いに来ました」
ギルドで話を聞いた俺が懸念したのは当然、エルフの子たちの件だ。
情報源に関してはもちろん聞くつもりはない。むこうも教えるつもりはないだろう。
それより気になったのは、情報の伝達速度である。
「単刀直入にお聞きします。こちらの商会では遠距離連絡ができる道具をお持ちですか? もし売っているなら、俺も買いたいんですけど」
今朝がたにエルフの里とこの竜都に同時に情報を公開したとして、なぜそれを今朝の時点で相互把握ができているのか、そこが疑問だった。
どれだけ速い鳥を使った伝書でも、馬車で一ヶ月の距離なら数日かかるだろう。リアルタイムで通信できる複写器は冒険者ギルドの各国本部にしかないはず。
そんな俺の疑問に、ヘプタンはにっこりと笑って頷いた。
「はい。できれば内密にして頂きたいのですが、当商会は遠距離通話が可能な魔術器を所持しております。導話石という魔石型魔術器です」
「……そうでしたか」
やはり。
すんなり教えてくれたのは意外だったけど、ヘプタンの笑みには余裕がある。かなり貴重な魔術器なのは間違いなのだろうが、ソレがこの商会の生命線ってわけでもなさそうだな。
「その魔術器は売り物ですか?」
「申し訳ございませんが、販売は致しておりません」
「まあ、そうですよね」
「ですが」
ヘプタンは懐から、ジュエリーケースのような小さな箱を取り出した。
「当商会はすでにマタイサ国王、ストアニア国王、ヴァスキー=バルギリア竜王、レスタミア国王、マグー帝国王にこちらの品物を献上しております。売り物ではございませんが、決して他者へ手渡さないというものでもございません。ルルク様もよろしければお納めください」
「えっ」
ヘプタンが箱を開くと、そこにあったのは深緑の輝石がふたつ。
すぐに『虚構之瞳』を発動して鑑定。
【 『導話石』 : 同じ質の魔力を込めることによって、遠距離での対話が可能な魔術器。距離によって魔力の消費量が変わる。地下深くでは声が聞き取りづらい。 】
携帯電話かよ。
魔力さえ込めておけばどれだけ離れても話せるのか。たしかにこれは国に献上するレベルの貴重品だろうな。
「……これを、俺に?」
「はい。ルルク様には、これが魔族領で使用できるかを確認して頂きたいのです。もちろんクエストが終わればそのままお持ちいただいても結構ですので、できれば使用感などを報告して頂きたいのですが、お願いできますでしょうか?」
「ああ、なるほど」
テスター契約ってやつか。
俺たちが魔族領へ行くことを知ってるのは、もう驚かないよ。さっき決めたことなのにどんな耳の早さだよ、とツッコんでやりたい気持ちはあるけどね。
なんにせよ、こんな有用なものを貰っていいなら有難く頂戴しよう。
「では魔族領で試してきます。何か気を付けたほうがいい点はありますか?」
「同質の魔力を込めないと対話ができませんので、同じ人物が魔力を込めて下さい。それと魔族領は空気中の魔素量が多いので、魔力の消費も多くなると見込まれます。なるべく多くの魔力を込めておくとよろしいかと。差し出がましいかもしれませんが、お仲間のエルニネール様が適任かと思われます」
「そうですね、頼んでおきます。魔力残量ははわかりますか?」
「はい。魔力残量は目視可能です。魔力を込めればすぐにわかります」
「承知しました。では頂戴します」
さすがに貴重品なので、すぐにアイテムボックスへと収納しておいた。ついでに紅茶も一緒に。
これで情報伝達の謎は解けたけど、気になる点はまだある。
「それとヘプタンさん、これも教えて頂けるかわかりませんが、もしかしてエルフにもルニー商会の方がいらっしゃいますか?」
「……どうしてそう思いましたか?」
笑みをかすかに薄れさせ、俺を試すように見るヘプタン。
そう考えた理由は単純だ。
「ルニー商会さんがエルフの里にも情報を公開して、今回の3大公爵の決定を助けたんですよね。なら公爵家とのパイプとは別に、エルフの里にもコネクションがあったほうが話はスムーズですよね? 今回のクエストに同行する〝狩人〟がメレスーロスさんにすでに決まっていたこともそうですし、それなりに内情に詳しいエルフでもいるのかな、と思いまして」
「……さすが、ご慧眼ですね」
ヘプタンは少し嬉しそうだった。
「お察しの通り、我が商会員にはエルフの〝狩人〟が数名おります。ルルク様は〝狩人〟がどのような役職かご存じですか?」
「ええと、確か森の外で活動するエルフの遊撃隊? みたいな人たちでしたっけ」
「正確には、森の外で自由行動を認められた特殊守護部隊員です。自由活動をしながらも、有事の際にはエルフの里を外から守る役割を持ちます。我々の同胞やメレスーロス様も所属はいまも守護部隊です。もちろん任期があり、勝手に〝狩人〟になるのは通常は認められておりません」
任期があったのか。ああ、4年前にメレスーロスが帰った理由はそれかもな。
で、親と喧嘩して今度は勝手に飛び出してきた。だからカルマーリキが「裏切者」って呼んだのか。そりゃ任務を放って家出すれば、他の隊員から反感も買うだろう。
「エルフの里にいるメレスーロス様にも我々の同胞から話を通しております。さきほどルルク様が指名依頼を受けたことを伝えたら、大変喜んでおりましたよ」
「わざわざ言ってくれたんですか。ありがとうございます」
リップサービスだとしても嬉しいね。
「でもいいんですか? エルフとバルギアの問題に、そこまで手伝ってもらってて」
「もちろん公爵家と契約をしておりますので。これも商売ですから」
「あっそうでしたか」
そりゃそうか。
なら今回のクエストは正式にルニー商会がバックアップしてくれてるってことか。それならかなり頼りになるな、おもに情報面で。
「なので今回の件でルルク様に情報提供をするのも、公爵家との契約のうちです。情報料はすでに公爵家から頂いておりますので不要です」
「そうでしたか。どおりで話がスムーズだと」
「ルルク様から来ていただかなければ、こちらから宿へ伺う予定でした。ご足労頂き、ありがとうございます」
ペコリと頭を下げるヘプタンだった。
「ちなみに【白金虎】の面々への情報共有はどこまでが可能ですか?」
「お任せします。ですが、できれば導話石のことは内密にお願いしたいです。通信音声は装備者しか聞き取れませんが、話すときは注意して頂ければと」
「わかりました」
「他にお聞きになりたいことはございますか? クエストの準備などのお手伝いも可能ですが」
「そうですね……それでは用意して頂きたい物がいくつか」
俺は大量に消費したポーション類を買い足しておく。それと今回の魔族領で使うかもしれない装備品や雑貨も色々。
【白金虎】の面子が一緒なので、色々と隠しておきたいものもある。転移を極力使わない以上、野営を続けることになるだろうからな。
ヘプタンは俺が頼んだものをすぐに手配してくれた。紅茶のおかわりを飲み終わる前には、すべて準備を整えてくれた。
俺は礼を言いつつ代金を支払った。金貨も何枚か上乗せしておく。
「ルルク様、お支払いが多いようですが」
「便宜を図ってもらってますからね。心づけです」
「そうでしたか。ではありがたく」
美人なお姉さんにチップを払うのって興奮するよね。え、しない?
「それにしてもヘプタンさんはお綺麗ですよね。肌も整ってるし髪もサラサラだし、ルニー商会では美容品や化粧品も販売しているんですか?」
「っ!?」
ガタ、とヘプタンが椅子を蹴って立ち上がった。
なんだなんだ。地雷でも踏んだ?
「る、ルルク様……いまなんと?」
「美容品や化粧品を販売してますか?」
「その前です!」
圧が凄かった。
「えっと……ヘプタンさんはお綺麗ですよね、ですか?」
特にいつもの貴族スキルではなく、普通に美人なお姉さんだから褒めると言うより事実を言っただけだった。
しかしヘプタンは褒められ慣れていないのか、またもや膝をついて首を垂れた。
「……ルルク様、恥を忍んで頼んでもよろしいでしょうか」
「は、はいなんですか」
「いまの言葉を、敬語を省いてお願いします」
なんだろう。
拒否したいけど、拒否しちゃいけない気がする。
まあ、きっとヘプタンも日々の激務に疲れてるんだろう。こんなに優秀な商会の幹部なんだし、精神的にも息抜きは必要だろうな。
それくらい言ってあげよう。
「コホン……ヘプタン、相変わらず綺麗だね」
「ぶぱっ」
鼻血を吹いたヘプタンだった。
「ふ、うふふふ……思い残すことは、ない……がくっ」
「「「ヘプタン様! お気を確かに!」」」
慌てて駆け寄ってくるスタッフさんたち。
……誰にだって欠点はあるもんだよな、うん。
俺は麗しのお姉さんの醜態は見なかったことにして、窓の外を眺めながら紅茶に口をつけるのだった。




