竜姫編・26『驕りと仲間』
俺の手のぬくもりに縋りつくように泣いているセオリー。
良かった。もう死を選ぼうなんて気はなさそうだ。
俺はひと息つくと、セオリーから手を離して頭を撫でた。
「ちょっと待っててくれるか。あの竜と話してくるから」
「あっ」
めちゃくちゃ寂しそうな顔をされた。
つい数分前までは俺の顔を見たら怯えていたのに、今度は俺から離れることに怯えるようになってしまった。
「セオリーも一緒に話すか? 何を言われても守ってやるし、恨みをぶつけるチャンスだぞ」
「ううん。いいもん」
「そうか」
セオリーはすでに自分を裏切ったリセットのことなんか興味もなさそうだった。その視線はずっと俺に固定されたまま。かなり熱の籠った視線だ。
……ちょっとやり過ぎたかもしれない。
そんな予感を憶えつつ、セオリーをいったん放置して地面に縫い留められている竜のもとへ戻った。
リセットは恨めしい目で俺を睨んでいた。巨大な爬虫類の瞳孔を見る機会なんてないので、なかなかの迫力を味わっておく。
「そんな睨むなって。別にいますぐに殺したりはしないよ」
『グ、グヌ……』
「でも、知っていることを話してもらえなければ躊躇なく殺すから。俺は敵対した相手には自重しないって決めたからな。命が惜しかったら俺が許可するまで黙れ。死んでも俺に逆らいたいなら、自由に唸っててくれていいぞ」
『……。』
さすがに死にたくないようで、息を殺すように大人しくなったリセットだった。
「よし、ならいまから口の拘束だけ解く。攻撃しようとしたら即座に首を刎ねる。質問には大人しく答えるように。わかったら目を閉じろ」
『……。』
「じゃあちょっと痛むけど我慢しろよ――『錬成』」
『ン゛ンッ』
アゴを貫いている土の杭を引っ込めた。
さすがにそのままだと失血死するので、傷口にポーションをかけてやる。すぐに血は止まったけど、ただのポーションに貫通痕が塞がるほどの効果はない。あくまで止血のみだ。
「喋れるな? 喋れるなら一言何か言え。それが遺言にならないように注意しろよ」
『……何者だ、貴様』
まさか確認の言葉で質問されるとは思わなかった。
腐っても最強種だな、想像していたより強靭な意思だ。
「俺は冒険者だよ。それ以上でもそれ以下でもない」
『ただの冒険者に私がこうも圧倒されるとは思えん。何か隠しているに違いない』
「随分な自信だな。おまえって、竜種の中でも相当強い部類なのか?」
『竜王様を除けば3番手だ。飛行速度は最速を誇る』
おお、予想よりも上位個体だった。さすがにただの冒険者ムーブをするのは説得力がなさそうだな。
まあ言い訳はしておこう。
「戦いには相性ってものがあるからな。そんなことより俺の質問に答える気になったんだな? なら聞いておくけど、エルフの里からあの子を運んだのはおまえだな?」
これは確信があった。
エルフの里から竜都までの距離を2日以内に運んでくるなんて、相当速い移動手段がなければ不可能だろう。それこそ空を飛べる竜種とかな。
『左様だ。私が運んだ』
「あの子ひとりか? 他の子は?」
『我が知っているのはあの幼体のみだ』
それは意外だった。
てっきり連れ去られた子どもたちは、全員まとめられているとばかり思っていた。そう思い込んでいた。
ならもしかして、全員個別に運ばれたのか?
もしそうだとしたら、かなり面倒なことになるな。俺が知る限り今回見つけた子でまだ1人目だ。あと8人が別々の場所に移送されているってことだからな。
『貴様、エルフを探していたのか』
「質問してるのは俺だ。おまえは答えるだけでいい」
『ぬう……』
「次だ。竜種とエルフを憎しみ合わせることが目的だと言ってたな? それはなぜだ?」
『……不満だったのだ。私の近くには生まれたときから竜王様がおり、絶対強者のもとで育ってきた。私も優秀なはずなのに、あの理不尽がいるせいで正当な評価をされたことはなかった。さらに姫様が生まれ、世話係を命じられた私の一生は道具として使われるものと確定してしまったのだ。真祖の寿命は長い……私は死ぬまで姫様の道具として生きなければならなくなった。ゆえに、いままで平穏だった竜種と、どの種族からも一目置かれるエルフが争えば、何かが変わると思ったのだ。この下らない世界を壊す何かが……』
道具、ね。
確かにそんな生活をしていたら、変わらない退屈な日常に刺激を求めるOLみたいに鬱憤を晴らしたくなるのもわからなくないけどな。
……そんなこと言ったら絶対キレられるから黙っておこう。
「おまえにエルフを連れてくるよう指示したのはベーランダーか?」
『そうだ。やつが仲介役となり様々な指示を出していた。その過程で目的を勘違いし、ダンジョンでうっかり姫様を殺してしまうところだったようだがな』
「……仲介役?」
聞き捨てならなかった。
てっきりベーランダーが黒幕なんだと思っていた。リセットはその協力者なのだと。
俺が訝しむと、リセットは少し黙ってから、意を決したように口を開いた。
『そうだ。ベーランダーはただの傀儡に過ぎない。とはいえ、アルミラージの件や今回の月下草の件で、かなり私腹を肥やしている。それ以前にも姫様の名を利用して己の派閥を広げていた。あやつは私よりよっぽど欲が深い。もともとあやつは貴族でも弱小であり、偶然姫様を拾った運のみで――』
「待て、ベーランダーのことはひとまず置いておく。それより、おまえたちの背後で指示を出していたやつは誰だ? そいつの目的は?」
『それは――ウッ』
従順に答えていたリセットが、いきなり目を見開いて硬直した。
「……どうした?」
『っ! ぐ、アが……グオアアアアアアア!』
突然叫び出し、手足に杭を打ちつけられているにも構わず暴れ出し始めたリセット。ぶちぶちと筋肉が音を立てて切れていく。血が舞い、骨が突き出し、その体が大きく膨らみ始めた。
「おい、何が起こってる!」
『ウガガァァァ! オオオウウウウアアア!』
口や鼻、目からも血を流し始めた。
ただ事じゃないと判断して、やむなく眠らせようと『言霊』を唱えようとした瞬間だった。
ブパッ
リセットの腹が、爆発した。
そこから飛び出してきたのは翡翠と緋色が混じった宝石のようなものだった。とっさに鑑定したら、そこには――
「【火風竜の核】!?」
まさか、竜種の根源か?
そんなものがあるなんて考えたことはなかったが、スライムなど一部の魔物には核があってそれを基に体を構成している。竜種という存在にも核があったのか。知らなかった。
その竜核が抜けたリセットの目は、すでに光を失っていた。
明らかに死んでいる。
なんで体内からいきなり核が飛び出してくる?
わけがわからない俺だったが、そんな俺の思考などおかまいなしに事態は悪転する。
ピシッ――パン!
竜核が音を立ててひび割れたと思ったら、次の瞬間、破裂したのだ。
その瞬間、膨大な魔力が形となって飛び出してきた。
暴風と炎熱だった。
まるで火風竜そのものが暴れているかのような凄まじいエネルギーが、周囲すべてに吹き荒れる。
「うおっ!?」
俺はとっさに手で顔を覆う。先に届いたのは火の衝撃波だった。その炎熱は攻撃と判定されて『領域調停』が無効化してくれたが、そのあとに吹き荒れた風は違った。
直撃してもダメージがなかったせいか攻撃とはみなされず、俺は突風に巻き上げられるようにして空に弾き飛ばされたのだ。
「どうあああああっ!」
例えるならアレだ。富士山近くの遊園地にある360°回転しながら無秩序に走り回るジェットコースターだ。周囲の景色を楽しむなんてレベルじゃない。アレはマゾの乗り物だ。
その竜核の爆発が生み出したのは、炎熱と単なる突風だけじゃなかった。
ぐるぐる回る視界のなか、周囲に何本もの竜巻が発生しているのを確認した。
「あるじーっ!」
運よく、セオリーとエルフの子がいる場所は無事だった。だが強い風に煽られた炎がいつ吹き付けてもおかしくない上に、竜巻が周囲の木々や岩石をまき上げ始めていた。
すかさず彼女たちのもとに転移しようとした俺だった――が、中断を余儀なくされる。
あまりの乱気流に、俺の位置が定まらない。
転移は俺の座標を起点にして計算をする。自分の座標が動くってことは、発動時のズレがそのまま着地点のズレになる。俺が地面や障害物にぶつかるのならまだ大丈夫だが、万が一俺がセオリーやエルフの子の座標に出現したら、間違いなく彼女たちは弾けて死ぬ。
そんなリスクを負ってまで、転移できるはずもなく。
「くそっ! 止まれねえ!」
気流は風の属性物だ。
俺の神秘術で属性物を操れるのは『錬成』の形状操作のみだ。だが、風はそもそも形のないもの。空中移動の術を持たない俺は、どうやってセオリーたちのところに近づけるか必死に頭を巡らせる。
しかし無情にも、竜巻が弾き飛ばした木や岩がセオリーたちに降り注いでいた。
「やべえ! 避けろセオリー!」
何が守ってやる、だ。
何が俺が救ってやる、だ。
強くなったと勘違いしていた。ステータスが上がって、スキルが増えて、竜種だって圧倒できる力を手にして、何でも守れるような全能感に浸って……バカか俺は!
あの無敵の師匠ですら、守れないモノはたくさんあった。
間違えるときだってたくさんあったんだ。
その半分の力もない俺が、そんな余裕ぶるなんて愚かだろうが。そんなもの余裕じゃなくて、ただの驕りだった。
俺は気づくのが遅かった。
守ると誓った少女すら、たった数分後に手が届かなくなるなんて、本当に俺は愚かでバカだ。
そんな俺を嘲笑うかのように、風が、炎が、倒木が、岩が無情にもセオリーへ迫り――
「『確率操作』っ!」
瞬間、結界のように数式が展開した。
それはあらゆる乱数を絶対数に置き換えるスキル。暴風によりめまぐるしく変わっていく世界の解が、彼女の望むがままに確率の辻褄を合わせていく。
いつのまにか、セオリーを守るようにサーヤが立っていた。すぐそばにエルニとプニスケもいる。
「こっちは任せて! ルルクはそこから脱出して!」
「助かった!」
なぜここに、と考えるのは後回しだ。
それより俺はサーヤがこの無数の嵐のなか的確にセオリーのもとに転移して来れたのか考えて……思い当たった。
「本物のバカだろ、俺!」
竜巻に囲まれたと言っても、この竜巻の外側からの視界がすべて塞がれるわけじゃない。
そんな単純なことにすら思い至れなかった自分を恨みながら、俺は適当に嵐の外側の上空まで大雑把に転移した。
もちろん暴風の影響は消え、安定した自由落下が始まる。
その上空から、森のなかにサーヤたちを視認した。あとは安全に転移するだけだった。直接転移が無理なら、一度外に出ることくらい思いつけよ俺。
サーヤの隣に転移した俺は、その頭をポンと撫でた。こっちに飛んでくる木や岩や土が、すべて偶然の結果逸れていっている。木片のひと欠片すら届いていないというチートな安全圏。
「サーヤ、ありがとな」
「あ、戻ってきたのね。じゃあ頼むわよエルニネール」
「ん――『エアズロック』」
エルニが魔術を発動した。
竜核の爆発?
確かに、アレはものすごい勢いの魔力の拡散だったが、エルニの魔術はその上をゆく。無数の竜巻も、荒れ狂う炎熱も、そのすべてを包み込む膨大な範囲で空気をすべて固定した。
音が、ピタリと凪いだ。炎と風の嵐は消え去り、巻き上げられていた物が空中に固定されていた。まるで時間が止まったみたいな景色だった。
すぐにエルニが魔術を解除すると、それまで吹き荒れていた風は我を取り戻したように自然なそよ風に戻った。空に浮かんだ木々や岩たちは、そのまま真っすぐに落下していく。
俺にはできなかったことを、あっさりと見せてくれたサーヤとエルニ。
本当に頼りになる仲間たちだ。
俺はガラにもなく、ついついふたりを抱きしめていた。
「ありがとう。ほんと、助かった……」
「ちょっルルク!?」
「ん、んんんっ」
顔を真っ赤にする幼女たち。
いまくらいは素直に感謝させてほしい。
「……あるじ……」
視線を感じて顔を向けると、セオリーが泣きそうな顔でこっちを見ていた。
大丈夫、今度は忘れてたわけじゃない。
俺は幼女たちから体を離して「足りない!」「ん、もっと」もう調子に乗ってやがるので無視して、セオリーに近づいて安心させてやる。
「悪い。偉そうなこと言って、不甲斐ない」
「ふへへ。あるじ、心配してくれた……」
あれ?
俺の力不足に怒るより、心配してくれたのが嬉しかったみたいだった。頬を染めてニマニマしてる。
なんか恥ずかしくなってきたな。
というか冷静に考えたら、どんだけ嘘ついても自分の本心隠せないのって、けっこう罰ゲームな気がしない?
「……なんなのこの空気。ルルク、セオリーに何かしたの」
「ん。うわきのけはい」
うわ、幼女たちに睨まれてる。
とりあえず状況も落ち着いたので、説明しないとな。
「その前に色々と処理しておくか」
情報交換も大事だが、それよりもっと大事なことがある。
気を失ったエルフの子を安全な場所に運ぶのもそうだし、死んだリセットの遺体を供養しなければならないだろう。俺とセオリーにとっては敵だったが、同情できる部分もあったしな。
リセットの体の大部分は暴風や炎熱に晒されてボロボロに炭化しており、原形を留めていなかった。かといって手を加えるのも悪いので、大きな穴をあけてそこに埋めておいた。
一応、墓石も立てておく。
墓をつくり終えて黙とうを捧げていると、エルニが無傷の翡翠色の鱗を見つけて集めていた。遺体と一緒に供えるのかと思いきや、
「ん。そざい」
「いやいやエルニさん、それはさすがに酷じゃないか?」
「ん?」
「そう?」
「?」
『?』
エルニ、サーヤ、セオリー、プニスケが俺の発言に首をかしげていた。
え? 間違ってるの俺?
「だって体の一部だぞ? なんか悪い気がするだろ」
「そざい。まものだってそざい」
「いやでもそれは魔物だし」
「竜種は別系統種だし、倒したら魔物と同じ扱いでいいんじゃないの? 翼竜なんかも竜種だし」
「……そういうもんなのか?」
「あるじ、世間知らず?」
『ボクも魔物なの! しんだらそざいになるの!』
プニスケは素材になんかさせません。
いやでも、そうなのか。そもそも竜種は俺たち人間からしたら完全に別の生き物なのか? 人の姿も取れるのに?
「そうよ。倒したらレベルも上がるでしょ? ちなみに私たちが人族や獣人やエルフを殺してもレベルは上がらないからね。同じヒト種だから」
「レベルって……うわっ!? マジか!」
念のため自分のステータスをチェックしたら滅茶苦茶上がっていたのだ。
レベル59 → レベル71
どうやら俺がリセットを倒した扱いになったらしい。レベルカンストの竜種だったからか、かなりの魔物を倒しても微動だにしなかったレベルが、こうも一気に上がるとは。
最後は自爆みたいなものだったのに、ダメージを与えていたから俺の経験値になったのか。
だから落ちた素材は俺のものってこと……?
うーん、なんか納得しづらい。
けど客観的にみたら、この世界の常識とズレてるのは俺なんだろう。
「ま、ルルクが嫌なら供養に使うわよ。ねえエルニネール」
「ん。しかたなし」
「いや、なんというか……一応、セオリーの兄みたいなやつだったんだろ? そんなやつの遺品を素材として扱ってもいいのかって微妙な悩みがあるんだよな」
チラッとセオリーを見ると、
「あるじが倒したからあるじの素材だもん」
心底どうでもいいように言っていた。
セオリーの興味が、もはや俺にしか向いてない……。
あまりいい傾向とは思えないが、いまのところはトラウマを克服したと思っておくか。現実逃避って言うなよ、自覚している。
「じゃあそれはエルニが持っててくれ。俺が自分で持つ勇気はない」
「ん。わかった」
「というかルルク、あるじあるじって、セオリーがめっちゃ懐いてるんだけど! ちゃんと説明してよね!」
「ん。くわしく」
グイグイ迫ってくる幼女たち。
俺はひとまずエルフの子を休ませてやることを提案して納得させ、全員まとめて宿屋まで転移するのだった。




