竜姫編・25『セオリー=バルギリア』
俺がセオリーの様子がおかしいと気づいたのは、幼女たちがいつもの喧嘩をしている時だった。
「あーっ! また私の皿から肉団子とったでしょ」
「ん。きのせい」
「見たもん! じゃんけん私が勝ったんだから、1個多くもらうのは私のはずでしょ」
「まけてない。てがすべった」
「それを負けって言うのよ。負けず嫌いも限度を知りなさいよ」
「ん、わたしまけない。とってない」
「とった!」
「とってない。もともとわたしの」
「あーほら自白した! ねえルルク~この悪女、今日という今日はちゃんと叱ってよ~」
たかだか小さな肉団子ひとつで大喧嘩する幼女たちの食欲に呆れつつ、俺も自分の食事をすすめていた。
宿の食堂は混雑しており、周囲の客たちも鬱陶しそうにしているので静かにして欲しいものだ。
俺はルルク。電車やエレベーターで話しかけられてもボソボソとしか答えられない小心者。
「ねえルルク~。私ばっかり被害者なの~」
「ん、いぎあり。きのう、わたしのプリンたべた」
「そ、それはルルクが食べて良いって言うから……」
「たべたはたべた」
まあ、どっちもどっちだから俺も口を挟むことはないのだ。
『ご主人様! ボクちょっとたりないの~』
「おおそうか。じゃあ俺の肉団子やるよ」
『わーい! ありがとうなの~!』
「「ずるい!」」
俺が自分の皿をプニスケに差し出すと、すぐに反応する幼女たちだった。
そんな風に賑やかな朝食を取っているときだった。
視界の左下――ステータス通知に気づいた。
もともと、この世界では自分の基礎ステータスとコモンスキルは自分で確認できる。それと自動型スキルの発動通知なんかもステータス情報に通知される。
どういう仕組みかわからないしゲームほど便利ってわけじゃないけど、視覚的に変化がわかりやすいのはありがたい。
兎に角、眷属情報――セオリーの精神状態に変化があったのだ。
「これは……怯えてる?」
それに、ゆっくりと西に向かって移動していた。
具体的な現在地まではわからないが、互いの距離と方角はしっかり把握できる。羊人形とまったく同じ性能だ。
この機能、プニスケにも欲しいんだけど。
「セオリーに何かあったの?」
「ああ。めちゃくちゃビビりながら西に向かって動いてる。屋敷から出てるみたいだし何かあったな……飯食べたら向かうか」
「私、先に部屋で荷物の準備してくる!」
サーヤは肉団子の皿をエルニに押し付けて、一人だけ部屋にあがって行った。かなり慌てていた。
セオリーは友達だから焦る気持ちもわかるけど、身体的状態は恐怖で心臓が高鳴っているくらいでその他は正常だ。すぐに命の危機ってわけでもないだろう。
「もうけた。もぐもぐ」
「俺が言うのもなんだけど、エルニはほんとマイペースだなあ」
サーヤの肉団子をもらったエルニは嬉しそうに頬張っているのだった。
とはいえ俺も心配してないわけじゃない。
いまごろサーヤが散らかした荷物を急いでアイテムボックスに収納しているだろうけど、じつは俺も『装備召喚』スキルで全ての荷物をアイテムボックスに直接収納するという離れ業を実行中だ。
見た目は優雅に食後の紅茶を飲んでいるだけだけどな。
ちょうどエルニが最後の肉団子を口に入れたとき、ドタドタとサーヤが戻ってきた。
「エルニネールなにしてるの! 荷物、勝手に入れてきたわよ」
「ん。たすかる」
「助かるじゃない! じゃあルルク、はやく行くわよ」
「うい。オバチャン、一晩ありがとう。料理も美味しかったです」
「冒険者様は慌ただしいね! またおいで!」
宿屋のオバチャンに挨拶をして、すぐに宿から出た。
俺たちは人目につかない場所に移動して、全員まとめて『空間転移』で竜都まで一気に移動した。
戻ったきたのは竜都の宿屋の屋根上だ。
目につかない場所と言えば屋根の上だよね。ここ竜都はほぼすべての建物が二階建てだから、窓から見えることはないし。
「さて、と。セオリーはここから……ん?」
朝なのに、辺りがやけに静かだ。道を見下ろしてみてもいつも以上にひと気がない。
ちなみにこの世界、祝日なんて概念はない。基本はみんな週に一度個人的に休むだけで、週休二日制なんてクソ食らえなブラック企業体質だ。まあその代わり、みんな仕事に対してゆるいから労働時間もわりと短いんだけど。
念のため『虚構之瞳』で周囲を見回してみるが、家の中にもほとんど人がいなかった。あとメレスーロスの部屋は見ないようにした。俺の理性、超偉い。
「なんだこの人のいなさ」
「ねえルルク、セオリーはどっち?」
服を引っ張ってくるサーヤに答えそうになるが、少々イヤな予感がした。
とりあえず周囲から人がまとめていなくなっている理由を聞こう。
「ちょい待て。テッサさんと話そう」
俺たちは街道に飛び降りてから、宿屋の正面玄関からロビーに入った。
テッサはいつも通り受付にいた。
「おはようございますテッサさん。クエストから戻りました」
「あら、おかえりルルクちゃん。他の子たちもお帰り」
「「『ただいま(なの!)』」」
「あの、テッサさん。なぜか街の皆さんが見当たらないんですが、何か知ってますか?」
「知らなかったのかい? 昨晩遅くに伝令が走って、竜姫様が西門まで馬車で行進するから、該当区画の住民は参道へ見送りに来るよう命令が下ってね」
「……命令ですか?」
命令?
街の人たちにそんな義務が?
「この国は竜王様が守ってるからね。真祖の一族の命令には必ず従わないといけないんだよ。ギルドや宿なんかの公共施設なんかの従業員以外は、だけどね」
「なるほど。それで、ですか」
そりゃごっそり人が消えるわけだ。
ってことはセオリーは馬車で移動中か。怯えてる理由は直接行って確かめてみるけど……なんとなく、予想はつくんだよなぁ。
俺はひとまず礼を言って、鍵を受け取る。
「じゃあ俺たちは部屋で休みます。あ、それとコレお土産です」
「あら、またありがとね。これなんだい?」
「助けた商人から譲ってもらった聖水とハイポーションです。物騒な世の中なので、備えにでもしてください」
「あら、助かるよ。こういうもんはあって困らないからねぇ」
テッサと別れて部屋へ戻った。
ずっとサーヤがソワソワしていたので、部屋に入って鍵を閉めたらすぐに言う。
「サーヤ、ひとまず俺ひとりで様子見てくる」
「え? 何かあるの?」
「いままでの流れを考えたら、ちょいと展開を見守らないといけなさそうだと思うんだ。特にセオリーの敵と味方が誰なのかまったく把握してないし、それも探らないとだからな。心配するのはわかるけど、ここは任せて欲しい」
「……なるほど、隠密性が必要なのね。じゃあセオリーをお願い」
相変わらず物わかりの良いやつだ。
ゴネられても面倒だから、ここはサーヤの聡明さに感謝しておこう。
俺はすぐに窓から出て『相対転移』を繰り返してセオリーの元へ向かった。そこで見たものは、ハッキリ言って胸糞悪い光景だった。
西街を進む馬車。
セオリーに罵声を浴びせかける民衆。
恐怖に震えて、悪夢が終わることを祈っているセオリー。
アルミラージの角に続いて月下草収集のムチャブリを命じられた市民たちには同情するけど、だからといってこれはひどすぎた。半日かけて練り歩く馬車は、その間ずっと非難と悪意に晒され続けていたのだ。
途中でセオリーが気絶しなければ、俺が勝手に連れ去っていたかもしれない。
そして昼過ぎに馬車は竜都を出て、御者をしていた竜種の男がセオリーを背中に乗せて森へ飛んでいった。俺もすぐに追いかけたが、そこで疑いが確信に変わった。
痛めつけられて、逃げないように拘束された一人のエルフの幼子。
そしてそれをセオリーに殺すよう命令する竜種の男。
セオリーとその男の会話をじっと聞いていたが、なるほどセオリーは騙されていたわけだ。この分だとアルミラージの角も月下草も、セオリーの要求じゃないだろうな。
あれだけピュアなお姫様だ。周囲を疑うことを知らなかったんだろうよ。
ただひとつ感心したのは、脅されたセオリーが決してエルフの子に手を出そうとしなかったことだ。恐怖と絶望に心を支配されてなお、逃げるために他人に手をかけようとはしなかった。
そのセオリーの選択が俺の背中を強く押したのだ。
「『相対転移』」
焦れた男がセオリーを直接手にかけようとしたので、状況把握はここまでだ。
粗方、いろいろ情報は掴めたしな。
男の背後に転移した俺は、そのまま男を殴り飛ばした。
「ほいっと」
「ゥグパァ!?」
思ったより硬かった。
ま、そりゃそうだ。いくら心根が腐っても竜種――しかも重属性個体なんていう明らかなボスクラスの性能だからな。
ちなみに、詳細ステータスはこんな感じ。
――――――――――
【名前】リセット
【種族】竜種・火風竜
【レベル】99
【体力】1680(+4890)
【魔力】2210(+3150)
【筋力】1400(+1840)
【耐久】2070(+2840)
【敏捷】2670(+3360)
【知力】1890(+2110)
【幸運】54
【理術練度】80
【魔術練度】2600
【神秘術練度】10
【所持スキル】
≪自動型≫
『火魔術適性』
『風魔術』
『超高速飛翔』(竜状態)
『重力軽減』(竜状態)
『鱗軽量化』(竜状態)
『幸運上昇(小)』(人状態)
≪発動型≫
『変化』
『ブレス(火)』(竜状態)
『ブレス(風)』(竜状態)
――――――――――
とまあ、見ての通りさすが竜種。基礎ステータス――素の肉体強度がバカみたいに高い。
レベルは99でカンストするのか。たしかに長命種ほどレベルはあがるだろうから、カンストしなければここまで人族の国が多いのは不自然だろうな。
そのリセットは一度地面に転がったものの、さほどのダメージは入ってなさそうで、すぐに起き上がって俺を睨んできた。
「……貴方は何者ですか」
「ただの通りすがりの冒険者だ」
殴り飛ばしている時点で、ただの冒険者を名乗るのは無理があるのは自覚してる。
リセットも俺の言葉を額面通りに受け取ることはなかった。
「なるほど。ベーランダーが言っていた、ダンジョンで姫様を助けたという冒険者は貴方でしたか」
「俺のこと知ってるのか?」
「ええ。ベーランダーが感謝していましたよ? 時期を間違って姫様を殺しそうになってしまったところを救って頂いた、と」
「嬉しくない感謝だな」
というか、やっぱりあの貴族が仕組んでたことだったのか。
チラリとセオリーを振り返ると、やはり信じていたベーランダーに裏切られたことがショックだったのか唇を青くしていた。
近しい人たち全員に軒並み裏切られるとか、前世でどんな罪を犯したんだセオリー。
ま、軽口はこれくらいにしよう。
俺にとっては成り行きで眷属になっただけの中二病少女だが、仲間にとっては大事な友人だ。
「そういうわけで縁があるからな。守らせてもらう」
「調子に乗るなよ、人間風情が」
敬語キャラを捨てたリセットの姿が、みるみるうちに巨大化していく。
な、なんということだ。優男みたいな瘦身が竜になっていくではないかー(棒読み)。
『フフフ、驚いたか人間。私はリセット……この国を支配する竜種の強者なり』
「いや支配してるの竜王だろ。種族にすり替えてドヤ顔は恥ずかしいぞ?」
『き、貴様も私を愚弄するか――ッ!』
図星を突いたからか、キレるリセット。
とはいえ、キレ方は尋常じゃない。巨大な尻尾を凄まじい速度で振り抜いてきた。
俺はとっさにセオリーとエルフの子を掴んで『相対転移』でリセットの後方に移動。さすがにそのまま戦ったら巻き添えにしてしまう。
『ぬ? どこに消えた』
「ここだよ」
またもや『相対転移』でリセットのすぐ足元へ戻って来た俺は、そのまま拳を振り上げる。
当然、そのままじゃ巨体の竜には届かないが、
「『拳転』!」
『ウゴッ!』
アゴをアッパースイングで振り抜いた。
【竜の顎】といえば、ハーレム冒険者のアギトさんは元気かな。あそこのフィールドダンジョンは無事に攻略できただろうか……おっと集中集中。
『小癪な! オォオオ』
「ひょいっと」
咆哮とともに畳んだ翼を叩きつけてきたので、見切って避ける。
総合ステータスはほぼ互角だ。てっきり体躯の大きさで俺が不利かとも思ったけど、体が大きいと動作がデカいから攻撃の軌道が読みやすかった。
つまり、当たると痛いが避けやすい。
二人パーティ時代から回避タンクとして前衛をこなしてきた俺からすれば、悪くない相手だな。
叩きつけ、横薙ぎ、噛みつき、火魔術、風魔術。
リセットが繰り出す攻撃をことごとく避けていると、業を煮やしたのか大きく息を吸って、
『喰らえ――ギャオオオオ!』
リセットの竜スキル『ブレス(火)』が放たれた。
超巨大な火炎放射器を思わせるような、広範囲かつ大火力のブレスだった。そのまま直撃したら骨すら溶けそうな高温だ。俺の後ろにある森が焼けるどころか炭化していく。
ただまあ、
「だから当たらないっての」
タメが大きい攻撃なら、俺が転移スキルを発動する余裕があるからな。
ブレスを放った直後のリセットの後ろ側に転移し、そのまま思い切り蹴り飛ばした。
『グオオオッ!』
「今度はこっちのターン――」
『舐めるなァ!』
追撃しようとすると、リセットは翼を広げて一瞬で空に飛びあがった。
そのまま滞空してくれるなら『裂弾』で撃ち落とそうかと思ったが、翼を畳んで急加速した。
「おいおい、戦闘機かよ」
そのまま空気抵抗を最小限に落とした体勢で、自在に空を旋回しはじめたリセット。
というか竜種は風に乗って飛ぶんじゃないんだな。翼に纏わせた魔力で飛んでるっぽい。
「ちっ。速すぎて座標計算が間に合わん」
叩き落そうにも、俺の遠距離術式はすべて座標攻撃だ。計算から発動までのタイムラグは一瞬だが、そのわずかな隙で射程外に動いている。超高速飛翔は伊達じゃないようだ。
「偏差撃ち、苦手なんだよな……」
前世でもFPSゲームなんかはたまにやっていたけど、相手の動きの先を読んで照準を置いて撃つのは本当に苦手だった。スナイパーとか絶対できなかったので、ずっと近距離武器ばっかり使ってたっけな。
そう考えたら今世でも変わらない戦い方だな。
『人間如きには手は出せまい!』
俺に上空への攻撃手段がないとわかったのか、リセットは嘲笑った。
更に旋回しているまま、ブレスを放ってきた。
火、風、火、風。
上空から交互に放たれる高火力。
いわゆる絨毯爆撃である。
「うわっ! マジで戦闘機じゃねぇか!」
ファンタジーの世界で現代武力並みとか卑怯だろ。
確かにこんなインチキじみた戦い方ができるから、竜種はこの世界で圧倒的な強さを誇るんだろうけどさ。
空を制する者は世界を制するってことか。
さすがに上空からの無差別範囲攻撃なので、セオリーたちを巻き込まないように移動しつつ反撃できるか試してみる。
「『刃転』! ……ダメだな。速いし遠すぎる。こりゃ奥の手使うか?」
リセットからの攻撃は何度かカスっているけど、ダメージは『領域調停』で完全に無効化できている。
どっちにしても互いに攻撃が届かないってなると、長期戦しかない。
せっかく最強種との初戦闘だ。このまま相手の魔力切れで勝ちました、なんて冗談みたいな結末はカッコ悪すぎるので遠慮したいところだな。
……それに。
「竜種だからか知らないけど、戦い方が雑なんだよな」
ステータスが高く、空を飛べて一方的に高火力の攻撃を叩き込める。
そんな種族だからか、セオリーもリセットも所持しているスキルは少ない。リセットはさらに戦い方に工夫がなかった。
いままでは圧倒的な力量差で敵を排除できたから必要なかったんだろうが、裏を返せば格上との戦いを経験したことがないってことだ。
正直言って、あまり脅威を感じない。
「聞く限り竜王様は別格だろうけどな……他はこんなもんか」
そう考えたら、ただ雑な攻撃を受けているのが癪になってきた。
あまり時間をかけてると、サーヤが心配するだろうしな。
『どうだ人間! もう逃げ場もないぞ!』
いつのまにか元の場所に戻りつつあった。周囲の森は焼けており、たしかに普通ならこのまま足を止めてなすがままになってしまうだろう。
ならば、状況を変えるまでだ。
「おい竜種。そろそろ飽きてきたから決着つけるぞ。いいな?」
『何を偉そうに――』
「〝落ちろ〟」
『ぬおっ!』
たった一言。
俺が日本語に乗せて放った術式は、リセットのバランスを大きく崩した。さすがにレベルがカンストしている相手には効果半減してしまったが、ま、動きは止まった。
ミスリルの短剣を振りかぶる。
「『刃転・複式』」
『グ、オオオオオ!』
発動させたのはお馴染みの『刃転』を改良したものだ。座標攻撃として転写したミスリルの刃を、さらに術式ごと転写して複数個所に攻撃を叩き込む、いわば同時座標攻撃。
両手、両足、両翼を同時に切り裂かれたリセットは、さすがに飛行状態を維持できずに落ちてきた。
轟音と地鳴りをたてて激しく地面とぶつかった。
『ぐっ、き、貴様一体なにを――』
「『錬成』」
『ン゛ン゛ン゛』
地面を『錬成』して五本の杭を生み出してリセットの両手、両足とアゴを貫いた。地面に直接拘束したわけだ。
痛みに呻こうとするリセットだったが、下顎から杭で貫かれており満足にしゃべることはできない。
わりと酷な拘束方法だって自覚しているけど、ブレスという超強力な攻撃を持っている竜種相手にはこうしないと反撃の隙を与えてしまう。痛いだろうけど我慢してて欲しい。
「ちょっと待っててくれ。セオリーと話してくるから」
喋れなければブレスも魔術もない。無理やり手足を引き抜くことはできるけど、そんなことしたら使い物にならなくなるだろうからやらないだろう。
さて、と。
ひとまずリセットは放置しておく。
逃げ回っている間に、かなり近くまで戻ってきていたらしい。あやうく巻き込むところだったけど、被害はないからセーフだな。周りの森は燃えてるけど。
「セオリー。無事か」
「ひっ」
セオリーは俺を見て悲鳴を上げる。
まあ、そうだろうな。
助けに来たとはいえ、元々俺のことを怖がっていたやつだ。しかも兄のように慕っていたというリセットをボコボコにしている。
これで怯えるなっていうほうが無茶か。
「まあビビるのは構わないけど、質問には答えて欲しい。どうだ? 怪我はしてないか?」
「う、うん……」
「そっちのエルフの子は……さすがに気を失ったか」
怪獣大戦争みたいなスケールの攻撃だったからな。まだ小さい子にとっては刺激が強すぎたんだろう。リセットめ、環境破壊しやがって。
「なあ、セオリーはこれからどうするつもりなんだ? リセットもベーランダーも、お前を殺そうとしていたみたいだけど」
「……。」
「聖地に戻るか? それとも別の貴族に面倒を見てもらうか? どっちにしてもサーヤが心配してるから、安全なとこまで連れてくつもりだから安心してくれ」
「……。」
「ま、すぐに決められないよな。まだちょっとリセットに聞きたいこともあるから、そのあいだ考えててもらってもいいか? エルフと竜種を憎しみ合わせてどうしたかったのかとか、ベーランダーとリセットのふたりだけで仕組んだことなのか、とかも確認したいし」
「……。」
「とにかくリセットの話を聞いたら、あいつをどうするかもセオリーが決めていいからな。命だけは助けてやるのも、そのまま森と一緒に焼けてもらうのも心のままにしていいぞ。それくらいの権利はおまえにもあるとは思うし」
「……。」
俯いたまま答えないセオリー。
俺の言葉を聞いていないわけじゃなかった。ただ、気づいたら彼女の瞳から光が消えてしまっていた。邪神を封印しているはずの眼帯もいつのまにか落ちていて、サーヤと楽しそうに話していた表情の名残なんてどこにも残っていなかった。
「大丈夫か? 辛いのはわかるけど、ひとまず森を出るぞ。このままだと焼け死んでしまう」
「……いい」
セオリーは擦れた声でつぶやいた。
焦点の定まらない瞳で、地面を見つめながら。
「もう、いいもん……置いてって」
「何言ってるんだ。焼け死ぬぞ」
「死んでもいい……もう、わたしには、なにもない……」
「いや、でもそれは――」
俺は何かを言おうとして、気づく。
どう声をかけていいかまったくわからなかった。
ずっと慕っていたリセットに騙され、頼っていたベーランダーに騙され、どちらにも殺されかけた。
しかも国民たちから罵声を浴び、石を投げられ、竜都から出ていけと批判されていた。気を失うくらいのショックを和らげるために味方してくれたのはリセットだったが、それも嘘だと知った。
さらに、命を助けたのは元から嫌っていた俺だ。
「……さすがに、気づくのが遅すぎたのか……」
バルギアの情勢も、竜種と人間たちの関係も、俺には一切関係ないと思っていた。だから前もって調べようともしなかったし、セオリーのことだって成り行きで眷属になっただけだと思って、サーヤに頼まれない限りはあまり関わろうとはしなかった。
「……不甲斐ない」
最初からセオリーのことを想って行動していたら、情報を知るために傍観していなかったら、セオリーはここまで絶望していなかったかもしれない。
周囲の森には火がみるみる広がり、黒煙が空に登っていく。
ここにあまり長時間いるべきじゃない。でも、いまのセオリーを無理やり連れて行こうなんて思えなかった。
自ら死を選ぼうとする少女を力づくで立たせて、俺は責任を持てるのか?
わからない。
誰かのためにセオリーを無理やり連れていくとしたら、それは心配しているサーヤのためだ。
でもその結果、セオリーがサーヤを傷つけたらどうする。俺はきっとセオリーのことを許せなくなるだろう。
そんな未来を想像してしまう時点で、俺には彼女の未来を選ぶような権利はないんだろう。目の前で絶望している少女ひとり救えない。
セオリーが望むなら見捨てる覚悟だってしなきゃならないかも――
「ごめんなさい」
ぽつり、と言葉を漏らしたセオリー。
その謝罪は、俺に向けられたものじゃなかった。
「生まれてきてごめんなさい。ワガママばかり言ってごめんなさい。迷惑かけてごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
震えていた。
ぽつり、ぽつりと涙を落として膝を抱えていた。
俺はその姿に……その言葉に、静かに衝撃を受けた。
信じていた者たちから手ひどく裏切られ、人間たちからも憎まれることになったセオリー。
たしかにワガママだったかもしれないけど、決して悪意があったわけじゃなかった。セオリーは良くも悪くも純粋なやつだってことくらい、俺にもわかる。
それでも、死を覚悟したこの瞬間まですべて自分のせいだと思えるか?
他人を恨むことなく、自分を責めて謝ることができるか?
俺には、到底できない。
「セオリー、おまえは裏切られたんだ」
俺はつい、声をかけていた。
「……。」
「ダンジョンで俺がベーランダーを疑った時、おまえは怒ったよな。何も知らないのにそんなこと言うなって。その結果がコレだろ。結果論になるけどさ、これだけはお前に言っておく」
項垂れるセオリーに、俺は短くつぶやいた。
「お前は正しくて、間違っていたのは俺だ。ごめん」
「……。」
ぴくり、と肩が動いたセオリー。
俺は自然と言葉を紡いでいた。
「お前は周囲を信じようとして、俺は疑おうとした。その結果がコレだとするなら、正しいのはどう考えてもお前だ、セオリー。なぜかわかるか?」
「……わからない」
「俺も、リセットも、ベーランダーも間違っているからだ。正しかったのは唯一、純粋に周囲を信じようとしていたお前だけだったからだ。疑っていたやつや、嘘をついて裏切ったやつが正しいなんてありえねえんだよ。だからあの時は俺が間違ってた、すまなかった。おまえがどうして俺を信用できなかったのか、ようやくわかった。全部俺のせいだったんだな」
「そんなの、でも……いまさら、だもん」
「ああ。いまさらだ。だからもう一度言うぞセオリー、おまえは裏切られた。ずっと一緒にいたリセットやベーランダーが信じられないなら、もう誰も信用できないかもしれない。俺がおまえにかける言葉も、全部嘘かもしれないって思うだろうからな」
「イヤ。イヤイヤイヤ! 聞きたくない!」
耳を塞いでしまうセオリー。
自分を見舞った事実すら、もう直視できなくなっている。
裏切られた竜姫。
孤独な少女。
……よし、俺は決めた。
俺は不甲斐なくて、肝心なとこでは役に立たない小心者だし、誰かにとって英雄みたいな存在にはきっとなれないけれど。
今回ばかりは、救いたいと、思ってしまった。
「セオリー……セオリー=バルギリア」
俺はそっとセオリーの両手を握り、耳から遠ざける。
震えた彼女の手は驚くほど弱々しかった。自分の身すら、心すら守れないほどに傷ついている。
この感情は、同情だろうか?
いいやちがう。確かにセオリーは豆腐みたいなメンタルの、ビビりでポンコツな中二病だ。
だけど俺は知った。
他人を恨まないのは、弱さであり強さだ。
俺には真似できない強い心だ。
きっとその心が俺を助ける日が来ると、そう思ったのだ。
「聞いてくれセオリー。おまえはこれから先、死ぬまで誰かの言葉を信じられないかもしれない。笑顔も、優しさも、気遣いも、すべてが黒く見えてしまうかもしれない。どれだけ目が良くても心は見えないし、どれだけ耳が良くても本音は聞こえない。おまえにとって、信じられるものはこの先現れない……そう思うだろ?」
俺の言葉に、ゆっくりとうなずいたセオリー。
「……だから、もう、いい……」
「そうか。なら最後にひとつだけ言っておく。俺の言葉も信じられないだろうし俺の本音は伝わらないと思う。けどセオリー、俺はおまえにひとつだけ決してつけない嘘がある。わかるか?」
「……そんなの、ないもん」
「本当にわからないか?」
「そ、そんなの――」
と言いかけたセオリーは、ハッとした。
俺はセオリーの手を俺の胸に当てていた。
いまのセオリーに必要なのは言葉でも、行動でもない。
この世界のシステムだ。
「主人は眷属の感情を把握できる。そして眷属もまた、主人の感情を感じ取ることができる。それが俺たちの従魔契約だ」
それは隷属紋という鎖に縛られた、俺たちだけの繋がりだった。
「もう一度いうぞ、俺の言葉を信じなくてもいい、俺の表情を見なくてもいい。でもおまえと俺は、お互いの感情に嘘がつけない。そうだろ?」
ぐっと手を握る。
俺の言葉を疑ってもいい。だけど、その言葉に乗せた感情は別だ。
セオリーも気付いていた。俺の感情だけは、絶対に誤魔化すことのできない本物だってことを。
「セオリー、俺の仲間になってくれ」
「……っ!」
彼女の瞳に、涙が溜まっていく。
ああ、俺もたいがいチョロいな。
大事にすると決めたら、どうしてこう、目の前の傷ついた少女に心が揺らぐんだろう。
「……この世界でおまえと繋がっている俺だけは、おまえを裏切れないんだ。だから俺を信じて欲しいし、ここまで言って信じてくれなければ悲しくて、信じてもらえたら嬉しい。正直、こうして手を握ってるだけでもちょっとドキドキしてるのがわかるだろ? 恥ずかしいが、それも本心だ。だからセオリー=バルギリア、俺はおまえを正式な眷属として仲間にしたい。……俺と一緒に、来てくれるか?」
これでもダメなら俺にはどうしようもない。
燃え盛る森のなか、俺たちは無言で見つめ合う。
「……約束」
「ん?」
「約束して。絶対に裏切らないって。……絶対に、わたしを置いていなくならないで」
「約束する。俺は眷属を裏切らない。俺は眷属をひとりにしない……どうだ? 感情、伝わったか?」
そう問いかけると、セオリーはゆっくりと――しかし徐々に強く俺の手を握りしめた。
彼女はゆっくりと、今度は俺の手を自分の胸に押し当てた。隷属紋があるその場所に、まるで強く押しつけるように。
「……我があるじ、信じて、いいの?」
「信じるもなにも、セオリーにはわかるだろ?」
「うん、うん……っ」
またポロポロ泣き出すセオリー。
ほんと涙もろいやつだな。
涙と同時に、彼女から膨大な感情の奔流が溢れ出てくるのを感じた。
「あるじ……あるじぃ……っ」
俺の手をぎゅっと握りしめながら、湧き出す感情に身を任せて嗚咽するセオリー。それはこの世界で、俺とセオリーだけが共有できるたった一つの繋がりだった。
だから、それがどんな感情だったのかは、例え神様相手にも教える気はなかった。




