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神秘の子 ~数秘術からはじまる冒険奇譚~【書籍発売中!】  作者: 裏山おもて
第Ⅱ幕 【虚像の英雄】

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竜姫編・24『竜姫の人生最悪な日』

■ ■ ■ ■ ■



「おはようございます、姫様」


 日が昇ってすぐに、リセットが迎えに来た。

 昨晩約束した狩りの件だということはわかっているけど、もう少し寝かせてくれてもいいのに。

 セオリーはそう思いながら、目を擦ってたどたどしく言い放った。


「わがけんぞくよ……いかに我のかつやくをせんぼうしているとはいえ、われはまだ、贄のほきゅうをしておらんぞ……ふわぁ」

「ええ。ですから朝食のお迎えに参りました。食事が済み次第、すぐに出発しますゆえ」

「……しばしまたれよ」


 眠いけど我慢して、扉を閉めて着替える。

 狩りに行くから動きやすい服にする……なんてことはない。そもそもいつでも竜の姿に戻れるように、スッポリと着たり脱いだりできるゴスロリ風ワンピースなのだ。

 当然、手間がかかる下着は履いていない。


 竜都に来てから一度も竜の姿に戻っていなかったとはいえ、万が一に備えて準備はしているのだ。誰か褒めて欲しいものである。


 邪神を封印するための眼帯をつけて、右腕に包帯を巻いて準備は完了。

 ついでに鏡の前でキメポーズ。


「我はシャドウ=ダークネス……闇より生まれし混沌の化身。ククク、我カッコイイ……」

「姫様、聞こえてますよ」

「す、すぐいくもん!」


 廊下のリセットに呼ばれて、セオリーは朝食に向かった。


 いつものように食事を取っていたら、いつの間にかリセットも狩衣に着替えていた。もちろんリセットもいつでも竜になれるよう、変化したら自動的に外れる構造のゆったりとした白い狩衣だ。


 このタイプの服は便利で竜種のあいだで重宝されているが、まったく可愛くもカッコよくもないから、頼まれても絶対に着ないと決めている。


「リセット殿に伺いましたぞ。西の森に狩りに行くのですな」

「さよう。眷属よ、我が成果を楽しみに待つがよい」

「ええ。お気をつけていってらっしゃいませ」


 屋敷の主であるベーランダーが、途中でダイニングに顔を出して挨拶だけして出ていった。

 いつも忙しそうなニンゲンだ。

 すぐに食事を終えると、フォークを置いた瞬間にリセットが近づいてきた。


「では出発を」

「う、うん……コホン! してリセットよ、魔窟へは如何様にして向かうのだ。そなたの背中を借りるか?」

「いえいえ、今回は馬車を用意しております」

「……馬車?」


 キョトンとしたセオリー。


 リセットは上位個体の重属性タイプ【竜種・火風竜】だ。飛ぶ速度は竜種のなかでもトップクラス。西の森まであっという間に着けるだろう。

 それなのに、わざわざ馬車?


「確かに、私が姫様を乗せて飛ぶのが最速です。しかしせっかくですから、姫様の威厳を街の人間共に知らしめながら出立するのが良いかと思いまして。馬車を手配し、人間共が姫様を見送ることができるよう、お触れを出しています。すでに街道沿いには人間共が並んでおり、姫様の凛々しいお姿を今か今かとお待ちしております」

「そ、そうか……大儀である」


 ただ狩りに行くだけじゃなくて、パレードみたいにしないといけないのか。

 思わず背筋が伸びるセオリーだった。


 ただまあ、リセットの言うことは理解できる。この国は竜王が支配しているのだ。その威光を知らしめるためにも、その娘のセオリーもたまにはニンゲンたちに姿を見せなければ。


「では姫様。こちらへ」

「うむ」


 先導するリセットの後ろを、セオリーは慌てて追いかける。部屋を出る前に、口の端についていたパンクズを使用人がさっと拭き取っていた。危うく情けない顔を民衆に晒すところのセオリーだった。


 足がスラリと長いリセットがどんどん歩いていくのを、早歩きで必死に追いかけるセオリー。しばらく運動不足だったせいかすぐに息が上がってしまう。食って遊んで寝てを一年間繰り返していた堕落竜姫にとっては、早歩きだけでも立派な運動なのであった。


 完全にバテる前には玄関に着いて、ひと安心。

 リセットに促されるがまま派な馬車に乗り込むと、すぐに扉が閉められた。


「リセットは?」

「私は御者として同行します。我々の狩りに人間は連れていけませんのでね。何か用があれば、御者台付近の窓を叩いてください」

「わ、わかった……」


 リセットが馬を操れるのは初耳だった。まあ、竜種がわざわざ馬を駆る必要なんてないから気にしたこともなかったのが当然なんだけれど。

 そして馬車は出発し、ひと気のない第一中央区、第二中央区を抜ける。


 まっすぐ西に進んで第六中央区に入る門をくぐったら、リセットのいうとおり街道沿いにたくさんの人の姿があった。

 緊張で顔がこわばるセオリー。このまえダンジョンに行ったときは、貴族令嬢のフリをしていたから誰にも気づかれなかったけど、今日は違う。正式に竜姫として顔を見せるのだ。


「だ、大丈夫……」


 注目を浴びるのは初めてだ。震える息を整え、自分に言い聞かせておいた。

 馬車は速度を変えることなく街道を進む。チラリと窓からのぞくと、たくさんの視線が馬車を向いていた。

 胃が痛くなってきた気がする。

 セオリーが膝に置いた握り拳をじっと見つめていると、御者台側の小窓からリセットが顔を覗かせた。


「姫様、威光ですよ」

「……う、うん」


 そうだ、竜種は最強種。自分はそのなかでも最上位個体の真祖竜なのだ。

 もしここにいるのが同じ真祖の父親なら、絶対に委縮したりなんかしない。

 堂々としなければ。

 

 セオリーは奥歯を噛んで、気丈な笑みを浮かべる。

 余裕をもって手を振っておけば、ニンゲンたちに気品と威厳を伝えられるだろう。


 そう思って、窓の外に視線を向けて近くにいた子どもと目が合った。

 その時だ。


「ふざけんな!」


 思ってもみない言葉が、車上のセオリーに浴びせられた。

 一瞬聞き間違いと思ったが、セオリーはそこでようやく気付く。少年がセオリーに向けている視線は、恨みすら籠っている刺々しいものだったのだ。


 ……え?


 思考に、空白が生まれた。

 馬車を囲むように並んでいるニンゲンたちは、みんな少年と同じような目をしていた。

 呆然とするセオリーに向かって、少年の言葉をきっかけにして次々と罵声が浴びせられ始めた。


「この竜種の恥さらし!」

「竜都から出ていけワガママ娘!」

「あんたのせいで森に行った息子が死んだのよ! あの子を返して!」

「それでも竜王様の娘か! この厄介者が!」


 え? え?

 わけがわからなかった。

 何が起こっているのか、なぜニンゲンたちは怒っているのか。

 少しも理解できなかったけど、セオリーがその膨大な量の悪意を実感するのに時間はかからなかった。


 ガンッ


 誰かの投げた大きな石が、馬車の扉に当たって地面に落ちた。

 セオリーに直撃していたら、怪我じゃ済まないほどの石だ。

 ゾッとした。


「ひっ」


 ニンゲンは優しいんじゃなかったの?

 ニンゲンは暖かいんじゃなかったの?


「出ていけ!」

「出ていけ!」

「出ていけ!」


 声を揃えて怒号をあげるニンゲンたち。

 セオリーは心臓を掴まれたような苦しさを感じ、馬車の中でうずくまって耳を塞いだ。


「わ、わたし、何もしてない……何もしてないのに……」


 耳を塞いでいても、民衆の汚泥のような感情がくぐもった音となって伝わってくる。

 どうして。

 何が悪いの。


 セオリーの疑問に答えてくれる人は誰もいなかった。

 彼女はただ、この嵐のような悪意が過ぎ去ってくれるのを、体を縮めて震えて待っていることしかできなかった。


 そんななか、馬車は速度を変えることなく半日をかけて西門まで進むのだった。







「――さま。姫様。気をしっかり」


 セオリーが体をゆすられて意識を取り戻したのは、閑静な林道だった。

 あまりの恐怖にいつの間にか気を失っていたらしい。


「……ここは?」

「安心してください。竜都はすでに出まして、森の入り口でございます」


 もうニンゲンたちの声は聞こえなかった。

 ホッとした直後、思い出して体が震えた。暖かい陽気なのにセオリーの顔は青ざめていた。


「リ、リセット……わたし、なにかしたの?」

「わかりません。姫様にあのような態度をとるなど愚かなことはしない種族だと思っていたのですが……しかし安心してください。いくら人間共に恨まれたとしても、私は姫様の味方ですよ」

「う、うん……ありがとう」


 いつものように温かい視線を送ってくれるリセット。

 さっきまでの寒気が少し和らいだ気がした。


「では姫様、少々トラブルはありましたが予定通り狩りを致しましょう。狩場に目途はつけておきましたので、飛んでゆきますよ」


 リセットはそう言って、馬車から距離を取った。

 直後、リセットの体はみるみる形を変えてゆき大きな竜に変身した。翡翠色の鱗に炎のような赤い瞳の巨竜だった。


『さて、姫様もはやく変化を』

「う、うん……」


 まだ動揺していたものの、急かされるままにうなずいた。


 セオリーはしゃがんで頭をワンピースの下にすっぽりと隠す。

 さすがに乙女なので、いくら兄のようなリセットだからといって人型の裸を見せる気はなかった。それに、胸には隷属紋がくっきりと刻まれている。見られたら父に報告されるだろう。竜に戻れば隷属紋は小さくて見えないだろうから、バレないとは思う。


 それと預かっているアイテムボックスもこっそり口の中に隠しておく。壊したら借金生活だってことはさすがに憶えているから。

 準備を整えたので、久々に竜の姿に変化して…………


「あれ?」


 できなかった。


「んんっ! えいっ! ふんっ!」


『変化』スキルの感覚を忘れたワケじゃなかった。

 なのに、なぜかできない。


「……なんで? 竜に、戻れない……?」


 戸惑うセオリー。

 何度やっても失敗する。


 竜の姿に戻れないなんて考えたこともなかった。竜として生まれ、竜として育ったはずだ。なのになんで、一時的だったはずの人の姿から元に戻れない?

 服から顔を出して目を泳がせる。


「ど、どうしよう……リセット、わたし、どうしたら……?」

「まさか、ここまで脆弱だとは」


 ボソッとつぶやいたリセット。

 その声は小さく、セオリーには聞こえなかった。


「……わかりました。さきほどのショックで一時的に戻れなくなったんでしょう。仕方ありませんが、狩りは人型のままでやってもらいます」

「え? 狩り、するの?」

「ええ。移動しますので、私の背中にお乗りください」


 そう言って身をかがめるリセット。背中に登れるよう、尻尾をこちらへ回してくる。

 セオリーは動揺を隠せなかった。


「ひ、ひと型で魔物を狩るの……? そんなの、むりだもん……」

「できますよ。今回の魔物はとても弱い(・・・・・)ですから。なのでさあ、乗ってください」


 有無を言わさない強い口調になったリセット。

 その視線が、微かに失望の色を帯びていることに気づいた。

 たったひとりの味方のリセットにそんな目を向けられたら、うなずくしかなかった。


「う、うん……」


 躊躇いながらも、リセットの背中に乗った。落ちないようにしっかりと鱗を掴む。

 リセットはすぐに空に舞い上がり、ギュンと加速した。


 竜種の飛行は風の影響を受けない、という特性があるのでセオリーが落ちる心配はほとんどない。しかし自分が竜に戻れないと知ったセオリーは、空の上にいることだけでも恐怖に足が竦んだ。

 これ以上、地面を望んだ瞬間はなかった。


 リセットが降りたのは数分後。

 森にぽっかりとできていた空き地だった。


 背中から降りたセオリーに、人型に戻って狩衣を着たリセットが短剣を手渡してきた。

 よく砥がれた刃が、ジワリと光っていた。


「さて姫様。姫様はあそこにいる魔物を殺してください」

「う、うん……え?」


 セオリーは目を疑った。

 リセットが指さしていたのは、地面の杭に鎖で繋がれた小さな金髪の子どもだったのだ。


 あれは魔物なんかじゃない。

 エルフの幼子だ。


「……リセット?」

「アレはエルフに擬態した魔物ですよ。逃げないように捕まえているだけです。姫様はアレを殺して下さればいいのです」


 淡々と告げるリセット。

 あれが魔物? どう見ても、こっちをみて怯えるエルフにしか見えない。


「で、できないよ。エルフだもん……」

「魔物ですよ。それとも姫様は、私が信じられないのですか?」

「そ、そうじゃない……けど……」

「けど、なんです? 私は姫様の味方です。私のことを信じてくださらないのですか?」

「ち、ちがうもん……そういうことじゃないもん……」


 本能が拒否していた。

 あのエルフを殺すのは、絶対にダメなんだと。


「……そうですか」


 リセットが目を細めた。

 彼がセオリーを見下ろす視線は、これまで見たどんなものよりも冷たく、無機質だった。


「姫様にとって、私はその程度の信頼しか頂けない存在でしたか」

「ち、ちがう! リセットはわたしの大事なひとだもん!」

「ではどうしてです? 私を信頼して下さるのなら、エルフの姿をした魔物くらい刺すのは簡単でしょう?」

「こ、怖い……怖いよ……」


 目の前の男が、自分の知っている優しい兄だとは到底思えなかった。

 リセットは怯えたセオリーの顔を掴んで、無理やり顔をエルフに向けさせる。


「姫様、私がやれと言ったんですからやればいいのです。見て下さいあの弱々しい姿を。目をつぶっていても姫様なら簡単に殺せます。何も考える必要はないのですよ。ただ私の言うとおりにすればいいのです。それとも私が間違ったことを言ってるとでも言うのですか? 赤ん坊の頃から世話を焼いていた私のことを裏切るおつもりですか? そのつもりならいいでしょう、止めはしません。ですがいいのですか? ニンゲンに恨まれた姫様に味方できるのは、同じ竜種の私だけなんです。怖いのも、苦しいのも、すべてはこのひと時だけのことです。さあ、私に失望して欲しくないなら…………やれ」


 リセットは、セオリーの背中を強く押した。

 エルフの前に投げ出されるセオリー。

 ナイフに怯えて、失禁するエルフの幼子。


 殺さなければ、リセットは完全にセオリーを見捨てるだろう。

 それほどに冷めた視線だった。


 優しかったはずのニンゲンに恨まれて、リセットにまで見限られたらと思うと想像しただけで恐ろしかった。ずっと傍で面倒をみてくれていた兄に対して、セオリーができるのは従順になることだけだった。

 ……でも。


「い、いや……」


 セオリーはポロポロと涙を落としながら頭を振った。


「いやだもん……なんで? なんでそんなこと言うの。なんでそんなひどいことするの? もどってよ! 優しいリセットにもどってよ!」

「……はあ。本当に、姫様は弱すぎる」


 リセットは大きく息を吐いた。


「なんでそんなことするか、ですか? そうですね、いいでしょう答えましょう。私は姫様にソレを殺してもらいたいからですよ。優しい私に戻って欲しい、ですか? そもそも私は優しくなんかありませんよ。初めからアナタのことが嫌いでした。竜王様に命じられて、嫌々アナタの面倒を見てきただけですよ。私が優しい風に見えたのなら、それはアナタの勘違いですね。……ほら、質問には答えましたよ。こっちが言うことを聞いたんですから、ほら、次は姫様の番ですよ。ワガママな姫様とはいえ、自分だけ相手の言うことを聞かないような真似をするわけはないでしょう? わかりましたよね? わかったなら、さっさとソレを殺して下さい。さあ、ほら、殺せ。……殺せッ!」

「ひっ」


 豹変したリセットに、セオリーは悲鳴を上げた。

 いままで見てきた穏やかな表情なんて、そこには微塵も残っていなかった。殺気を隠そうともせずに恫喝してくるその姿を信じられなかった。


 これは何かの間違いじゃないか。

 このリセットは偽物なんかじゃないか。

 すぐにでも本物のリセットが駆けつけてくれて、助けてくれるんじゃないか。


 そんな一縷の望みを胸に、セオリーは必死に首を振った。


「……おかしいですね。姫様なら、ここまで強く言えば怯えて従うはず。そういうふうに育てたつもりだったんですがね。脆弱な精神、不安定な依存心……育て方が間違っていた? いえ、そんなはずはありません。ならば、私の知らない何かがある……私に染まり切らないための、何か心の拠り所が……?」


 リセットはしばしセオリーを睨みつけながら観察していたが、考えても仕方のないことだとすぐに思い直したようだった。


「まあ、いいでしょう。どうしても姫様がやって下さらないのなら最終手段に致しましょう。姫様がエルフを殺して、エルフが姫様を殺す(・・・・・・・・・)ことが最善でしたが、それも叶わぬなら、どちらも私が手を下すまでです。直接的な証拠は望めなくとも、状況だけでも大いに証拠になり得ますしね。それに、」


 リセットはセオリーの手からナイフを奪った。

 殺意を剥き出しにして、セオリーとエルフの子にさらに冷淡な視線を向ける。


「すでにエルフたちもバルギアを恨んでいますからね。衝突はもはや避けられません。ですから、姫様もここで大人しく死んでください。産まれたときから迷惑をかけられ続けてきたんです。最後くらい、私の悲願のために死んでください」

「っ!」


 その決定的な言葉は、セオリーのかすかな望みを打ち砕いた。


 ……どうして。

 どこで間違えたんだろう。

 何も知らなかった。無知なまま殺される?


 最初から恨まれていた?

 リセットは物心ついたときから傍にいた相手だった。


 父よりも、誰よりも信頼できる相手だった。

 そんな兄のような存在から、ずっと恨まれていただなんて。


「そんなの、ひどい……」


 滑稽だった。

 ああ、なんて滑稽な独りよがりだったんだろう。


 ニンゲンから優しくされて、でもそれは嘘で。

 リセットから優しくされて、それも嘘だった。

 周囲の優しさも温もりも、何もかも嘘だった。


 生まれたときから信じていた相手すら、信じるべきじゃなかったなんて。


「……そんなのって、ないよ」

「ああ。姫様、良い絶望ですね。その顔がずっと見たかった」


 笑みを浮かべてナイフを振りかぶったリセット。

 これが夢だとしたら醒めて欲しい。

 目が覚めたら、いつもみたいに優しいリセットが起こしに来て欲しい。


 でも、それこそが遠い夢だ。


「……ごめんなさい……」

「謝るなら、生まれて来ないで欲しかったですよ」


 本物のナイフより先に、深く抉るように言葉の刃が突き立てられた。

 もう涙も枯れてしまって言葉も出なかった。そんな風に思われていたなんて、考えたこともなかった。


 ……ああ、わたしって、本当にバカで世間知らずだったんだな。


 セオリーは小さくつぶやいて、そっと目を閉じた。

 せめて最後に見る光景が、自分を殺す兄の姿になることは避けようとした。


 だから彼女は、リセットの後ろに音もなく立っていた()の姿にすぐ気づかなかった。


「さようなら、姫さ――」

「ほいっと」

「ゥグパァ!?」


 目を開いたセオリーが見たのは、夢から醒めた景色でも優しい兄に戻ったリセットでもなく。

 軽い言葉とともに、リセットを殴り飛ばした主人(ルルク)だった。


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