幼少編・9『裏路地の死線』
Q.非力な5歳児が大人3人にケンカで勝つにはどうすればいいですか?
A.警察を呼びましょう。
三人寄れば文殊の知恵というなら、ネットを使えば知恵袋だってお婆ちゃん100人分くらいの叡智を授けてくれる。
先人の知恵はいつだって偉大で高潔だけど、だからこそ頼りにはならないこともある。最短距離の解決法を選べない状況っていうのはよくあることだ。
「やる気かガキ」
三人のうち、一番若そうな男がひとり前に出てきた。
これ見よがしにナイフをちらつかせ、薄ら笑いを浮かべている。後ろの二人は俺に興味もなさそうで、リリスをどこに隠すか話し合っている。
正直、俺に勝機があるとしたらコレしかない。
針の穴のような、そんな小さな可能性だ。
「う、うわああああっ」
俺は大きな声をあげ、両手で木剣を引きずりながらドタドタと走った。
客観的に見て、男が警戒するのは木剣だけだろう。子どもの腕力じゃ殴っても大したダメージにはならない。スピードもパワーも圧倒的な差がある相手に、一対一で勝ちを捻じ込むなら一つしか方法はない。
油断という名の隙だ。
「わああっ!」
俺は間合いの数歩先で、木剣を大きく振り上げた。
小さな手からすっぽ抜ける木剣。ほぼ真上に飛んでいくその木剣を、男はつい見上げた。
その瞬間、俺は姿勢を低くして全力で男の足元めがけて駆けた。木剣が放物線の頂点に達する前に男の足元に飛び込む。
落ちてくる木剣が自分に当たらないことを確認した男は、ようやく視線を地面に戻した。もちろんそこに俺はいない。
「あれ? あのガキどこに――」
「必殺! ゴールデンバスター!」
パワー? スピード? 身長や体重?
そんなものは正々堂々戦った場合のステータスだ。
子どもの身長はむしろこの場合、目線に男の急所がくるという絶好のポジションとなる。狙いを定めやすくて助かるぜ。
俺はハンマーを模して組んだ両手を思い切り振り上げた。
「ハゥァッ!?」
衝撃に腰が浮く男。
悪いな。同じ男だから同情はする。でも後悔はしていないし、そもそもこれで許すわけがないだろ。なにうちの妹泣かせてるんだコラァ!
「う、あ、おおぅ……」
顔面蒼白にして前のめりの姿勢で痛みを堪えている男。その垂れた頭を、俺は木剣を拾い両手で思い切り振り上げて――
「せいっ!」
ヴェルガナブートキャンプの素振りの成果を発揮した。
後頭部を強打されて、男は白目を剥いて地面に倒れ伏す。うう、さすがに手が痺れるな……。
でもまあ、これでまずは一人。
「っテメェこのクソガキ!」
話してた男のひとりが、ようやく状況に気づいて慌てて駆けてくる。
さすがに同じ手は通用しないだろう。騙し討ちは油断につけ込まなければ効果はない。ここからが本番だ。
たとえ捨て身でもかなり厳しいけど、リリスが見てるんだ。無様な真似はできない。
フゥ、と息を吐いて剣を構えた。
あと五歩でナイフの間合いだ。木剣のほうが剣身は長いが、手の長さを総合して相手のほうが間合いは広い。ステータスでは大負けだろうけど、『冷静沈着』スキルが俺の背中を押してくれる。
それでも戦術は選ぶほど多くないので、やることは一つ。
間合いで不利ならこっちからも間合いを詰める――男の足元へ、俺は正面から飛び込んだ。
男はナイフを順手で持っている。真下へは刺し辛い。ならば前かがみになって刺すか逆手に持ち替えるしかないだろうが、わざわざ持ち替えるのは面倒だろう。とっさに前かがみになるだろうから、下がった顔を狙えば――
「クソガキこらぁ!」
「うげッ」
蹴られた。
まるでサッカーボールみたいに腹を蹴り飛ばされた俺は、民家の壁に背中からぶつかって地面に落ちる。ヤバい、呼吸ができない。手足が痺れる。木剣も落としてしまった。
背中と腹がくっそ痛い……でも立て、立たないと武器もないのに――
「調子にノンなよガキ」
落とした木剣を踏まれる。ミシミシと音を立てて軋む武器。とっさに手を伸ばすが、届くはずもない。
男は俺の様子を見て鼻で笑うと、そのまま木剣を後ろに蹴り飛ばした。
俺の武器が離れていったことを確認した男が、余裕の笑みで振り返り――
「なっ、てめぇ!?」
「一輪挿し!」
隙ありだ!
やい人攫い二号、いつその木剣が俺の武器だと言った? まあさっき言った気がしなくもないけど、俺が使える得物がそれだけだって誰が決めたんだ。そもそもその木剣はガウイのだし、おまえの足元に寝転がってる人攫い一号が持っていたナイフがどこに行ったか確認したか? してないだろうな。それはいま、おまえの足に刺さってるぜ!
「いっでぇええ!」
足の甲を貫いて、地面に縫い付けてやった。骨を避ければ幼児の体重でもそれくらいはできる。
男はとっさに足に刺さったナイフを抜こうとして――
「ふんっ!」
前かがみになったらお尻側は誰が守るんでしょうか。
答えは隙だらけでした!
俺の必殺技が股間に炸裂する。
「っっっ、ぁぅ」
ぷるぷる震えてしゃがみ込む二号。足を動かせないまま、その場で丸まって気絶した。
そのまま不能になったらゴメンナサイ……とでも言うと思ったか。リリスを無事に返してもらうまで許すわけないだろうがバーカ!
「ふう、あと一人」
「……てめぇ、ただのガキじゃねぇな」
さっき兄貴と呼ばれてた人攫い三号が、その手からリリスを地面に放り捨てて俺を見据えた。おいこの野郎、リリスを乱暴に扱いやがって。
怒りで突撃しそうになった心を、『冷静沈着』スキルが鎮めてくれた。
もはや武器はない。隠してもいない。正真正銘、無手でやり合わなければならないけど、人攫い三号は油断も隙もありゃしない。
もはや俺の有効打は金的だけだ。標的はアソコ……じっと睨みつける。
「クソガキ。一応聞くが、てめぇ俺の部下になる気はないか? 大人相手にそこまで立ち回れるガキなんてそうそういねぇ。コイツらが油断したのもあるが、てめぇの状況判断力がコイツらを上回ってたからこその結果だろう。今まで色んなやつをみてきたが、正直言っててめぇは逸材だ。こんな裏路地で騎士ゴッコしてるよりもよっぽど刺激的な日常を過ごせるぜ。もちろん金だって手に入る。どうだ、悪い話じゃねぇだろ?」
「寝言は寝て言え」
「そうか、交渉決裂ってこったな。残念……だっ!」
「速っ!?」
さっきの一号二号と明らかに速度が違った。
一瞬で間合いを詰められた俺は、なすすべもなく横に蹴り飛ばされる。脇腹から鳴っちゃいけない音が鳴ったと思ったら、そのまま民家の壁に激突。さっきからごめん民家の人、わざとじゃないんだよ。
右半身を強烈に打ち付けてずるずると地面に落ちた俺に、痺れた感覚が戻ってくる。
激痛。いや、それどころじゃない。内臓に骨が刺さったのか、吐き気を我慢できずに血と胃液を嘔吐してしまう。
「致命傷だ。てめぇはもう助からねぇ。大人を舐めすぎたな」
うお、痛い痛い痛い! それに壁にぶつかった右半身が熱い。耳も右側が聞こえなくなってる……いやそれどころか、右側の感覚が消えていく。
俺の右半身、いまどうなってるんだ。たぶんトラックに轢かれたみたいに潰れてる気がする。
死ぬのか俺は……ああ、そうか。死ぬのか。
俺の血で地面がびちゃびちゃだ。
……でもせめて一矢。
一矢報いたい。
「ぐ、ぞ……う゛こ゛け゛……」
「ふん。こっちも二人再起不能で文句も言いたいが……まあいい。コイツはもらってく」
「ん~!」
また男に抱えられたリリスが、俺に向かって手を伸ばす。
こんなあっけなく終わるのか。
……終わるのか。
大切な相手を守れなかった。
その痛みを、また繰り返すのか。
そんなことは許さない。許さないぞ七色楽。
ここで全身が千切れてもいい。やがて訪れる死を待たなくていい。
動け。
あの男が油断しているのはいまだ。
ここで動かずいつ動くんだよ。これが作戦通りなんだろ。
なあ、そうだろ『冷静沈着』センパイ!
―――――――――――
>『数秘術7:自律調整』が発動しました。
>>肉体機能が復元されます。
―――――――――――
「……え?」
視界に浮かんだのは、そんなスキル発動の通知。
身に覚えのないスキル――これは隠しスキルか。数秘術7? どういうことだ。
そう訝しむ間もなく、俺は自分の体が修復されていくのを実感した。
妙な感覚だった。痛みも違和感もなく、壊れた部分が逆再生するようにもとに戻っていく。これが治癒スキルってやつか? これがルルクの体を蘇生させた秘密ってやつか……え、うそだろ。
もう完治してる?
小さな頃には色々ケガしていたけど、こんな圧倒的な速度でケガが治っていくなんてのは、もちろん初体験だ。あまりの変化に激しく動揺していたが……それどころじゃない。『冷静沈着』の世話になるまでもなく、俺の脳は澄んでいた。
……油断。
それは仕方ないと思う。
まさか半身潰れた子どもが、数十秒後にはその傷を完治してるとは思うまい。俺自身そう思わなかったからこそ、三号は油断したんだろう。泡を吹いてピクピクしている一号と二号のことを、足先で蹴って起こそうとしていた。
その背後に俺は近づく。
気配を殺し、足音を忍ばせる技術は屋敷で培っている。
ガウイのイタズラに付き合ってヴェルガナの不意を突こうと必死だった。盲目メイドは音に敏感で、空気の揺れやわずかな異変ですら察知する。まだ一度も成功してないけど、悪ガキの根性が続く限りは挑み続けるだろう。
三号の背後に音もなく立った俺は、両手を組んで勢いよく急所めがけて振り上げて――
「っ!?」
気づきやがった!
俺の腕は空振り、三号はまたもやリリスを捨てて今度は後ろに飛びのいた。一歩で二メートルほどの後退。すさまじい膂力だ。
「クソガキ! てめぇ一体どうやって」
「俺は不死身だぁ!」
考えさせている時間はない。
どれだけ正面突破が難しかろうが、相手が動揺しているいましかチャンスはない。冷静になられた時点で勝つのは不可能になる。奇襲すら対応されるのなら、面と向かって急所を潰す!
「気味悪いガキが、上等だ!」
「うおおおおお!」
俺は突っ込む。蹴られようが、ナイフで刺されようが、どうされようが俺は急所を狙ってやる。相討ち前提のカウンターしか狙わない! ちょっとでも手が届けば握りつぶしてやる!
「衛兵さんこっちです! こっちに人攫いが!」
「くそっ!?」
ガウイの叫び声が響いた。
焦る三号。背後から衛兵を呼ぶガウイを振り返り、突っ込んでくる俺をちらりと一瞥し、地面に投げたリリスを視線で追い――その迷いが決定的な隙となった。
俺はずっと三号の急所を狙っていた。最初から最後まで、ソコしか狙ってない。いままでの人生でオッサンの急所をこれだけじっと見つめることはあっただろうか。いや、なかったはずだ。きっとこの先もないはず……ないことを祈る。
兎に角それだけじっと見ていたら、三号も俺が急所しか狙わないことを悟るだろう。守るべきは急所。子どもの力でそれ以外をどうにかできるはずがないから。
だから、この展開は読めなかっただろう。
「跳んで下がったそこに、コレがあるってのはな」
無手の俺の間合いを警戒していた男は、視線を迷わせたことで見逃したのだ。
俺が木剣を拾った瞬間を。
あとはわかるな。木剣の間合いは、男の蹴りよりも広い。
「うらああっ!」
かつて平安時代に名を馳せた屈強な僧兵も、ココは弱点だった。いやまあ相当鍛えてない限りは、全人類弱点だろうさ。なんせ守る肉がほとんどないんだから。
俺のフルスイングした木剣は、三号の脛を直撃した。
「んぐあっ!」
顔をしかめて後ろに下がった三号。痛そうな片足を抑えながら、俺を睨みつけてナイフの切っ先を向けてくる。さすがにコレだけで決定打にはなりはしないか。
「こんのぉ、クソガキが……許さねぇぞ。ああ許さねぇ。今度こそぶっ殺してや――」
「必殺バックゲートブレイク!」
「ハゥア!?」
油断、そう油断だ。
さすがに痛みで余裕がなかったんだろう。こっそり後ろから近づいてくるガウイのことなんて、気配すら感じてなかった。
俺も隠密の練習をしているが、もちろんガウイだって同じだ。盲目マッスル老婆を倒すためには、ポンコツ義兄だってやるときゃやるのさ。
俺が授けた最強の技を使って、今度こそ三号を瀕死に追い込んだガウイ。
さっきはブルってただけだったけど、ちょっと見直したぜ。
「ど、どうだこの人攫い! リリスを返しやがれ!」
「て、てんめぇ……それはナシだろぉ」
「――必殺」
「ひっ」
ケツを押さえ前かがみでガウイを睨みつける三号。その背後で、俺は腕を振り抜いた。
「ゴールデンバスターッ!」
「ぴぎゃぁ」
卑怯かもしれない。男として一番やってはいけない攻撃しか使わなかったのかもしれない。正々堂々という騎士の理念からすれば、決して誉められたものじゃないんだろう。
でも、全てはどうでもいいことだ。
リリスを助ける。
俺たちはそのためだけに戦ったのだから。