幼少編・8『冷静沈着が発動しました』
リリスがいない。
母親のリーナが気づいてから兵士やメイドたちまで必死に探しているが、周囲にいる様子はない。
もちろん建物には勝手に入ることはできないから、馬車の周囲にいないとなると来た道を戻っていったとしか考えられない。
「ああっ、リリスどこなの!? でてきてお願い!」
「奥様! お召し物が破れてしまいます!」
顔を青くしながら周囲の植え込みをかき分けるリーナを、メイドの一人が止める。兵士たちはすぐに門番のところへ踵を返す。
「そこのキミ、こっちからお嬢様が通らなかったか?」
「え? すみません、手続きで対応しており後ろは見ておりませんでしたが……」
そりゃそうだ。馬車対応する門番は常に上を見上げている。小さな女の子が後ろを通っても視界に入らないだろう。
商人ギルドの敷地内にいないってことは、まず間違いなく街へ出たってことだろうけど……。
ガヤガヤと喧騒に溢れている街中は、女の子ひとり探すにはいささか騒がしすぎる。
うーん、こりゃ教会どころじゃないな。
俺は心の中でヴェルガナに謝りつつ荷馬車へと戻った。迷わず木箱の蓋を開けて、膝を抱えてブツブツつぶやいているポンコツ義兄に声をかける。
「ガウイ、リリスがいなくなった」
「なんだと!」
即座に立ち上がる単細胞シスコン。
「どういうことだモヤシ!」
「ちょっと目を離した隙にいなくなったみたいだ。こっそりお出かけ作戦は終わりにしよう」
「当然だ! 俺はリリスを探しに――うぇっ」
ガウイが箱の中から訓練用の木剣を取り出して、あてもなく走り出そうとしたのでその脇腹を掴む。ぜい肉だるんだるんだな、もうちょっとシェイプアップしたほうがいいと思うぞ。
「なんだよモヤシ!」
「いま兵士たちが対応を決めてる。ガウイも助けになりたいんでしょ? 街に行った可能性が高いし人手が必要だろうから、みんなで協力して探したほうが効率がいい」
「お、おう」
俺はガウイを連れて、堂々とリーナたちのほうへと歩いていく。
周囲にはいないと結論付けた兵士たちが、捜索の役割分担を話し合っている。メイドとリーナは軽い口論をしているみたいだが、いまは冷静に対応しなければ。
「リリスの捜索、俺たちも手伝います」
「えっ! ガウイ様に……ル、ルルク様!?」
外出禁止のはずの息子が平気な顔で話しかけてきたのに驚く兵士には悪いが、俺のことを問答している場合じゃない。帰ったらいくらでも怒られてやるから、いまはリリスだ。
兵士の手にある地図をちらりと見て、俺は尋ねる。
「捜索範囲は?」
「げ、現状は治安の悪い東街を優先して一人、中央へ一人、屋敷方面の西街へ一人と考えておりますが……」
「メイドさんたちは?」
「もし人攫いなどと遭遇した場合、被害を拡大しかねません。彼女たちは連絡役として中央広場にひとり、二人はここで奥様を見てていただこうかと」
「わ、私も行くわよ!」
リーナが声を荒げる。
兵士は困った顔をして首を振った。
「いえ……失礼ながら、奥様のお召し物では走れませんし、それに公爵家令嬢が行方不明だと知られれば、住民たちに不安を与えかねません」
「公爵家がなによ! そんな見栄のためにリリスが危ない目にあったらどうするのよ! ヒールなんて脱げばいいんでしょ!」
「奥様、いい加減にしてください! 家名に傷をつける気ですか!?」
暴れようとするリーナをたしなめるメイドたち。
娘を心配する気持ちはわかるし、俺以外のことで貴族社会の不自由さを直面したのは初めてだったので少し面食らったけど……うん、いまは言い争いしてる場合じゃないな。
「じゃあこうしてください。俺とガウイが屋敷方面の西側を。兵士の皆さんで中央と東街をお願いします。リーナさんはここで待機を」
「どうしてあなたが決めるのよ!」
「リーナ様! ルルク様は第一夫人のお子様ですよ!」
「継承位がなによ! あんな子どもに何がわかるっていうの!」
荒れてるなぁ。
まあそりゃそうだ。生意気な子どもだと思われてるだろう。
確かに俺には前世含めて子どもはいなかった。でもなリーナさん、リリスのことが心配だっていうのは痛いほどわかるんだよ。
親じゃないから共感できるはずない? そんな押し付けた偏見なんて知るか。あの子はこの世界で俺のことを色眼鏡で見ない、純粋に傍にいてくれる、たった一人の人間だ。
彼女を心配する気持ちに上も下もあるもんかよ。
「リーナさん」
「なによ!」
「リリスは俺たちが責任をもって探してきます。ですから、ここで待っていてください」
「私に大人しく待ってろっていうの!? 私はあの子の母親よ!」
「母親だから、ですよ」
もし迷子になった子どもが泣きながら帰ってきて、そこに誰もいなかったらどう思う?
「リーナさんには一番大事な役割があるじゃないですか。娘を迎える母親の『おかえり』ほど、安心するものはないでしょう?」
「っ! そ、それは……そうだけど」
「俺たちはリリスを探せます。でも、リリスが心から帰りたい場所はリーナさんだけなんです。だからお願いします。リリスのためにもここで待っていてください」
「……そうね。わかったわ。いえ、わかりましたルルク様。数々のご無礼をお許しください」
居住まいを正して頭を下げるリーナ。切り替えた後の変わり身は、さすが公爵夫人ってところか。
ひとまず憂いは取り除いた。メイドたちの視線に少し熱いものを感じるが、とりあえず無視して兵士に話しかける。
「では皆さん行きましょう。あっと、その前に注意点があれば教えてください」
「ではルルク様ガウイ様、西街は比較的治安は良いですが人攫いには注意してください。いまのルルク様とガウイ様のお召し物であれば狙われることはないと思いますが、二次被害を防ぐためにもくれぐれも公爵家の一員と知られることだけは避けて下さい。もしリリス様を見つけたら屋敷に戻るか、中央広場まで近いほうでお願いします」
「わかりました。じゃ、いくよガウイ」
「おう!」
俺とガウイ、兵士たちは門から飛び出して街を駆けていく。
初めての異世界の街だけど、じっくり観察するヒマも感慨にふける余裕もなかった。
人探しは素人も当然だけど、ひとつだけ思い当たる場所はある。まずはそっちからだな。
「リリスーっ!」
「リーリースーっ!」
俺とガウイは声をあげながら西街を歩く。
もちろんリリスを探すためだけど、それに加えて混んだ道を歩くときに大人たちに蹴飛ばされないようにするためでもある。小さな体って不便だよホント。
俺たちが目指したのは露店街だ。
馬車での移動中にリリスが食べたいとごねていたからな。まだ4歳だけどされど4歳。道を憶えてひとりで買いに行く、くらいの行動力はあるかもしれない。
「どうしたボウズたち。迷子か?」
「あ、はい。妹が迷子なので捜してるんです。俺たちと同じ茶髪の子なんですけど、商人ギルドから抜け出してしまったんです」
「ん~このあたりでは見てないな。見かけたらギルドまで連れてってやるよ」
「ありがとうございます」
薬草がたっぷり入ったカゴを背負った商人風の男に声をかけられたので、無難に応答しておく。
他にも何人か、親切な住民たちが声をかけてくれた。俺たちは質素な恰好だから公爵家パワーは使ってない。人攫いが当たり前にいるような異世界の街にも、善意の人間もけっこういるもんなんだな。
「どうするモヤシ。この辺じゃ誰も見かけてないみたいだぞ」
「うーん、当てが外れたか……よしガウイ、リリスのニオイを追ってくれ!」
「任せろ! って無理に決まってるだろ!」
ちっ、大事なときに使えないストーカーめ。
そんなんじゃシスコンの名折れだぞ。小学校の卒業文書に『将来の夢は一流のシスコンになることです』って書いてたんじゃないのかよ。ないんだろうな。
「――っ! リリスの声だ!」
「え、うそ? どっち?」
「こっち!」
いきなり俺の手を取って走り出すガウイ。
ついに幻聴が聞こえてきたのかと思ったけど、手がかりのない現状ガウイの妄言に従うしかない。
ガウイは大通りから脇道にそれて路地裏に入る。大通りはそれなりに小綺麗だったけど、生活道路にはいればけっこう汚かった。汚水のニオイもするしゴミは散らかってる……まあ、海外旅行とかしたらわかるけど、観光地以外はどこもそんなものか。日本の路地裏が綺麗すぎるんだよな。
おっとそんなこと思い出してる場合じゃない――あ痛っ!
目の前でガウイが急停止したので、背中に鼻をぶつけた。
「いきなりどうしたんだよ」
「しっ!」
ガウイが角から路地を覗き込む。俺も下から覗く。
「やー! やーあーっ!」
「暴れんな! おい、口に布つめとけ!」
「へ、へい兄貴」
リリスだ。
手足を縄で縛られたリリスが、男に汚い布切れで口を塞がれていた。攫ったばかりなのか少し慌ただしい。
……人攫いか。
男の数は三人。全員小汚い恰好をしているけどそれなりに筋肉はついている。
こちとら子どもがふたりだけだ。力づくでリリスを救出ってのはさすがに難しそうだけど、ここから応援を呼びに行って間に合うか? いや、しかし……。
「ふぅ……やれる。俺ならやれる……」
「おいガウイ!?」
「お、おいてめぇら! その子を放せ!」
自分に言い聞かせるように奮い立ったガウイが、木剣を強く握りしめて曲がり角から躍り出た。
俺もしかたなく姿を出す。
「あん? なんだあのガキ」
「ん~っ!」
ガウイの勇ましい姿は称賛に値するけど……男たちは動じることなく片眉を動かしただけだった。
口を塞がれたリリスが、俺たちを見て涙目で暴れる。
「その子を放せって言ってるんだ!」
「……はあ、おいガキども騎士ゴッコは余所でやれよ。俺たちゃ忙しいから子どもの遊びに構ってられねぇのよ」
「うるせぇ! てめぇらなんかコテンパンにしてやる!」
「その玩具でか?」
「お、オモチャじゃねぇよ! 剣は剣だ!」
ガウイの虚勢を、人攫いたちは鼻で笑った。
「そうかそうか。立派な騎士なんだなガキ……でもわかってるか。武器を出してくるってことは、俺たちが武器を出しても文句は言えねえってことだよなぁ」
そう言って男が取り出したのは、小ぶりのナイフ。
小ぶりとは言っても、果物を切るようなチャチなものじゃない。小型の獣なら一発で殺せるくらいの大きさと鋭さはある。獲物を解体するために狩人が持ち運んでいるような、そんなナイフだ。
ガウイは騎士として訓練を受けている。武器は剣や槍しか教わってこなかったから、帯剣していない男たちを見て有利だと判断したのだろう。しかし相手は騎士ではなく犯罪者。武器は隠して持つものだ。
「ひっ」
刃物を見せつけられて、腰が引けたガウイ。
それは俺も同じだった。剥き出しの刃を見て、内臓がせりあがるような恐怖を憶えた。治安の悪さも路地裏の危険度も、ほんの半日前までは考えもしなかったことだった。
忌み子と避けられて疎まれていても、公爵家という後ろ盾のなかで生活していてはまったく気づけなかった現実。それが他人の悪意となって、突然目の前に振りかざされた。
日本じゃ、おおよそ出会うことのない純然たる恐怖。命そのものの危機。
ガウイのことを笑うことなんてできなかった。抑えようにも勝手に震える両足。いくら鍛えてると言っても、俺たちのステータスじゃ大人には敵わない。
やっぱり応援を呼ぶべき――
「んーっ!」
その時、リリスと目が合った。
涙をボロボロと流して男の腕の中で暴れるリリス。その喉にナイフを添えられて「黙れガキ」と脅されて、息を止め顔を恐怖の色に染めて……
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>『冷静沈着』が発動しました。
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視界に浮かんだのはそんな文字だった。
それと同時にぐるぐると非効率に回っていた思考も、足の震えも、背中に浮かんだ冷や汗も、すべてがすぅっと消えていく。
その代わりに浮かんできたのは、かすかな怒り。
「……おい、人攫い」
自分でも経験したことのない、熱の籠った感情だった。
俺は腰の砕けたガウイの手から、木剣をかすめ取る。俺の使っているものより少し大きいけど、振れないことはない。
冴えた頭が状況を分析する。
男たちの身長、体型、利き手、ナイフの刃渡り、厚さ、形状……分析して把握しろ。圧倒的なステータス差がある大人を三人相手して、リリスを奪うためにはどうすればいいか考えろ。
そうだ。応援を呼ぶなんて判断は悪手も悪手。逃げられるだけだ。
他人に縋るな。自分でどうにかしろ。
俺の中の熱い何かが、そう語り掛けてくる。
……俺は一度死んだ人間だ。
二度目の人生だから安全に過ごす? やりたいことだけやって楽しく生きてやる?
違うだろ。
二度目だからこそ欲張れよ。
なあ。おまえもそう思うよな、ルルクよ。
どうにもならなかった人生、ただ死ぬのを待つだけだった人生。そんなクソみたいな未来を、妹にまで味わわせていいのか?
答えは否。そんなこと初めからわかりきっていた。
だから俺は剣を構える。
「その子は返してもらう」
指切りげんまん……約束したもんな、リリス。