ゾイレ・クヴェックズィルバーの戦い②
ゾイレは、軍曹としてハルキ方面軍第二十六師団第百十三歩兵小隊に配属された。
「本日着任いたしましたゾイレ・クヴェックズィルバー軍曹であります。」
「うむ、ご苦労。私が貴様の所属する小隊の指揮官ハインツ・ラインファルト中尉だ。」
「よろしくお願いします!」
「君には第一分隊を率いてもらう。よろしく頼む。」
ゾイレが赴任した方面軍は、国境線から僅か二十キロメートル程しか離れていない都市ハルキに司令部を置いている。ここは法皇国が共和国に侵攻する際、最初に目標とすべき重要地点であることは誰の目にも明らかだった。事実、侵略戦争が始まってから、ここでは幾度となく大規模な攻撃が繰り返されていた。
ゾイレが赴任してから間も無く、法皇国の新たな進撃が開始された。トーチカの覗き窓から観測していると、敵戦車とそれに随伴する歩兵が津波のように近づいてくるのが見えた。三千メートル・・・二千五百メートル・・・二千メートル!味方の加農砲が火を噴く。敵戦車が炎に包まれる。その燃え盛る戦車の残骸を乗り越えて次の戦車が近づいてくる。砲兵は、先に発射した砲弾の薬莢を薬室から取り出すと、次弾を素早く装填する。再び加農砲が火を噴く。敵戦車は爆発してその動きを止める。と、別の方向から敵戦車の三十七ミリ砲弾が飛んで来て、トーチカの表面をその爆発によって削り飛ばす。三度加農砲が火を噴く。目の前に迫った敵戦車は沈黙した。しかし、戦車の残骸を横目に、敵歩兵群が叫び声を上げながら突撃してきた。ゾイレ達はトーチカの前方に掘られた塹壕に身を潜め、敵兵が有効射程距離まで近づくのを待っていた。砲撃の音、戦車の無限軌道の軋む音、爆発音、近づいて来る敵歩兵の叫び声、これまで平穏な暮らしを送って来たゾイレにとっては、どれも身が竦む恐ろしい音だった。
「嬢ちゃん、怖いかい?」
恐怖で固まっているゾイレに、隣にいる兵士が声を掛けてくれた。三十歳前後かと思われる彼は、このような状況でも落ち着いており、ゾイレに安心感を与えてくれた。
「嬢ちゃん、最初は無理する必要はねぇよ。戦場では慣れってものが必要だ。慣れてくればこの騒音も子守唄になってくるもんさ。今日の所は無理せず、まずは戦場の雰囲気に慣れることさ。」
この言葉に勇気づけられたゾイレは、全身を震わせながらも塹壕から顔を覗かして周りの兵士達のように小銃を構えた。
「まだだ。まだ遠い。小銃の弾は数百メートル先でもなかなか当たるもんじゃあねぇ。十分引き付けてから撃つんだ。」
恐怖に駆られて思わず撃ってしまいそうになるが、そこをぐっと我慢する。敵兵はさらに近づいて来る。未だだ、未だ遠い、そう考えて自分を抑える。鼓動が早まり、額には脂汗が滲む。この緊張が永遠に続くかと思われたその時、隣の兵士が叫んだ。
「嬢ちゃん!今だ!撃て!」
ゾイレは反射的に引き金を引いた。物凄い反動が肩にかかった。と、同時に目の前の敵兵がもんどりうって倒れた。
「嬢ちゃん、見事だ!命中したぜ!」
ゾイレの初弾は見事敵兵に命中した。しかし、喜んでいる暇は無かった。続々と敵兵が近づいて来るのだ。ゾイレはボルトハンドルを曳き次弾を装填する。狙いを定めて再度引き金を引く。今度もまた敵兵がもんどりうった。命中したのだ。その後もゾイレはボルトハンドルを曳いて引き金を引くと言う作業を無心に繰り返した。やがて携帯する弾丸が尽きた頃、敵兵の姿も消えていた。
「嬢ちゃん、初陣にしちゃあ上出来だぜ。」
褒められていたが、夢の中にいるようで、まるで実感が無かった。ゾイレは小銃を構えたまま呆然と佇んでいた。