58. それでいい
「ねえ」
その声はいった。
はじめは萌かと思った。可愛らしい女の子の声だ。その声がじれったそうに言う。
「どいてよ」
「?」
不思議に思って、萌の方を向こうと思うのに、なぜか体が動かない。
全身がこわばったように、身動きが出来ない。じわりと汗が湧いてくる。
金縛り? いや、でも、こんな急に?
左側に寝転んでいる里見の方に向こうとしてみたが、同じだ。
かろうじて、瞬きは出来るものの、首も指先一つも、動かすことが出来ない。
声が繰り返す。
「そこをどいて」
「?」
「どいてちょうだい」
「?」
「今度は私の番。ずっと一人占めしてたんだから。もういいでしょう?」
「だめや」
誰が答えたのか? かたい声。
僕自身の声のようにも、もちまるのおっさんモードのときの声のようにも思える。
どちらの声も、外から耳に聞こえる、というより、僕の頭の中、いや、体の中に響いている気がする。
「なんで~。いじわる~」
声がイライラした様子で言う。
「どうせもういなくなるんでしょう。なら、そこをどいてよ」
「いやだ。こいつは、もう解放してやるんや」
「どうして~? 交代しましょうよ。ねえ、どいてよ。どいてったら」
「あかん!」
「なんでよお。どいて~どいて~どいて~どいて~……」
イラだった女の子の声が繰り返し響く。
はじめ、一瞬でも可愛らしいと思ったのは錯覚だったのか。声が次第にヒステリックに僕の体の中全体に響く。気持ち悪い……。次第に、胸の中に恐怖感がせり上がってくる。
怖い。
「どいて~」という単純な言葉の繰り返し、それが、こんなに怖いなんて思わなかった。
しばらく、「どいて~」を繰り返していた声が、ふと止んだかと思うと、次の瞬間、猫なで声というのはまさにこれか? と思うような調子に変わった。
「どかなくていいから。一緒に、というのはどう?」
「あかん」
「なんでよ。みんなでこのコ乗っ取ってしまえば、いいじゃない。居心地良さそうだし。妙に力のあるコだから、私たちもあんたみたいにパワーアップできるでしょう」
「ぜったいにだめや!」
みんなで乗っ取る? このコ? このコって、僕のことか?
「ねええ。あんたが嫌なら、私が交代してあげる。だから、どいて~。どいて~。どいて~」
またさっきの調子に戻ってしまった。
そこへ、別の声が響く。少し、若い男の声のようだ。
「おまえはなぁ、しつこいんだよ。そんなに何遍もいうな。いいか。そこをどけ! おまえが去るんなら、オレがかわってやる」
「あかん!」
「なにをえらそうに。おまえな、こいつにこれまで寄ってたかってきた奴を、オレがかなりの数追い払ってやったんだぞ。交代するならオレとだ。オレのおかげだぞ」
「違う。おまえは、一瞬蹴散らかすだけで、追い払ってなんかない」
「じゃあ、おまえの力だというのか?」
「オレとこの子の力や。2人の力やから、追い払えた」
「いいねえ。そんなに力のある奴なら、なおのこと、オレが」
言いかけた声に、女の子の声が被さる。
「どいて~どいて~どいて~どいて~。あんたどうせ、このコから離れたら、土になるだけでしょ。取り憑いたままでいれば、そのうち、このコと入れ替われるのに。なんで? あんたがいやなら、私が代わってあげるって言ってるのに~」
「代わるんならオレや」
「うるさいっ。どっか行け。あんたえらそうにわりこまないでよ。私が目をつけてんのよ~。こんなお人好しのくせに、パワーのある奴なんてめったにいないもん」
「黙れ黙れ!」
2つの声が言い争い、 全身に響き渡る。
怖くて逃げ出したいのに、声が僕自身の中で渦巻くように反響して、息苦しい。
そして、女の声が僕に話しかけてくる。
「ねえ~。このお人好し~。あんたね~、こいつに乗っ取られかけてんのよ。あの世かどっか行くなんて言っときながら、これまで十分にあんたの力を利用して、自分が力をつけたから、あんたの魂と取って代わって、自分がその体を奪おうとしてるのに、なあんにも気づかないで。ほんとのんきね~ふふふ」
(ちがう!)
「おひとよし~。のっとられるよ~おひとよし~」
(ちがう! ちがう!)
僕の体の中で、僕の声が反響する。
「違わない。こいつは、おまえを乗っ取るつもりで近づいて、まんまとそばに居座ってただけだ。この世に長くさまよい続けてきたから、おまえのそばを離れても、もうあの世に成仏する道なんてないんだよ。俺たちと同じさ。居心地のいい奴見つけて、そいつを乗っ取るのが一番なんだよ。それが狙いで、おまえに近づいたんだ」
男の声が言う。
(ちがう。ちがう。もちまるは、そんな奴じゃない……)
苦しい。苦しい。息が詰まる。
僕の体が、ただの器に思えてくる。空っぽで、冷たい空間。
その器を取り合う、霊魂たち。
このまま僕は、どうなってしまうんやろう。
……もちまる? もちまるはどうしたんやろう?
そう言えば、もちまるの声が聞こえない。
こんな奴らに何の反論もしないで黙ってるって、もしかして、こいつらの言ってることが図星なんか?
なんでや? なんで何も言わへんねん。
もちまる?
苦しくて早く解放されたくて、僕は、叫ぶ。
(ちがう! ちがう! ちがう……)
何がちがう?
ちがわないかもしれない。
はじめっから、僕を乗っ取るために、近づいた。そうかもしれない。
僕に取り憑いて。僕をいいように操って。僕を支配する……そのために。
そうか? そうなのか?
何とか応えてよ。もちまる……
僕の中で嵐が吹き荒れる。
その嵐の中でも、言い争う2つの声がずっと響き続ける。
息苦しさにもがきながら、僕は夢中で叫び続ける。
(ちがうちがうちがう……)
そのとき、僕は、叶先生の言葉をふいに思い出した。
『互いを信じていること。疑わないこと。迷わないこと』
僕を真っ直ぐに見て、真剣な顔で言った先生の顔を思い出した。
「疑いや迷いがあると、つけこまれやすいからね。気をつけて」
そうや。
思い出せ。
これまで僕らが過ごしてきた時間を。
もちまるが、僕に取り憑いて、僕をいいように操って、僕を支配しようとしたか?
否!
いつだって、僕を助けてくれた。初めての出会いこそ、怪しい奴だと警戒したけど、いつだって、彼は、僕を支えてくれてた。
思い出せ。
僕らが一緒に過ごしてきた時間。交わしてきた言葉を。
思い出せ。
大丈夫。
僕は、もちまるを信じている。
そう思える時間を一緒に過ごしてきた。
大丈夫。
僕は、信じている。
そう思って次の瞬間、僕は、あることに気づいた。
さっき2つの声が言っていた。
『どうせ、このコから離れたら、土になるだけ』
『長くさまよい続けてきたから、もうあの世に成仏する道なんてない』
ほんとなのか?
だとしたら、もう、生まれ変わって幸せになれる道はないってことか?
そうなら、ずっと僕のそばにいた方がいいってことか?
僕に取り憑いて? 僕を乗っ取って? 僕を操って?
それが、もちまるにとって幸せな道なのか?
ちがう!
ちがう!
絶対、彼は生まれ変われる!
もちまるは、きっと幸せになる。
僕らがこれほど願っている。信じている。
だからきっと。
「おひとよし~おひとよし~。だまされてるのに気がつかないなんてねえ」
「オレが代わりに、支配してやるから、大丈夫。ほら、おまえがさっさとここを明け渡せばいいだけだ~」
2つの声は僕をあざ笑うように、僕の体の中を駆け巡る。
耐えられなくなって、僕は、必死で声を絞り出した。
「……もち、まる」
「大吾! 大丈夫か? 聞こえるか? すまん。他にもまだ残ってる奴らがいて、そちらの相手をしてた。ごめんな。苦しかったやろ」
「だい、じょうぶ」
声を絞り出したおかげで、金縛りにあってかたまっていた体が、わずかだが、動かせるようになった。
すると、一瞬、体中に響いていた声が、はっとしたように止まった。
「大吾! オレと一緒に声を出してくれ! 『立ち去れ! 僕は僕のもんや! 誰にもやらん!』 そう言えばいい」
もちまるの声が頭の中に大きく響いた。
「わかった!」
再び、2人の男女の声が始まりかけたところで、もちまるが叫んだ。
「今や!」
「立ち去れ!!」「立ち去れ!!」
僕ともちまるの声が重なる。
「僕は僕のもんや!! 誰にもやらん!!」
最後の言葉は、僕ひとりの声だった。
次の瞬間、僕の頭の中で、大きな風が巻き起こった。そして、ずっと聞こえていた、僕を乗っ取りたがっている2つの声は一気に消え、静寂が戻った。
「……そう。それでいい」
もちまるの小さな声が聞こえた。




