第31話 松本呪蜘蛛の初めて
今日の夕飯はうなぎの混ぜ寿司だった。
シュクモが出してくる料理はいつも僕が食べたい味付けにドンピシャで不思議に思う。今日はちょっと食後に口寂しくなる味付けではあったが。
バステトにはタレがあまり舌に合わなかったようで、猫の姿になってキャットフードを美味しそうに食べていた。
バステトはリビングのソファの一角を陣取ると、スゥスゥと寝始めてしまった。
シュクモと一緒に入浴を済ませると、僕たちもさっさと寝床に入る。
すると、シュクモは覆いかぶさるように僕の上に乗っかり、至近距離でこちらを見つめてきた。
「あの、シュクモちゃん、どうしたの?」
「ハガネ様は、どうしてバステト様に、私めの呪いのことを聞いてくださったのでしょう?」
どうしてだろう。
僕にとってはスチルが一番で、それ以外は二番目以降に考えるべきことだったはずなのに、なんだか徐々に優先順位がごちゃごちゃになってきている気がする。
「分からない」
「ふふ、分かりませんか」
シュクモは優しげな笑みを浮かべた。
幼い顔立ちの中に、愛する男を眺めるような大人の表情が入り混じり、ひどく魅力的に見える。
僕はなんだか気まずくなって、話題を変えることにした。
「シュクモちゃんが作ってくれる料理はいつも美味しいね」
「ええ、実は私め、ハガネ様が食べたいものが分かってしまうのです。どうしてだと思いますか?」
「えー、なんだろう。やっぱり愛かなあ」
僕は照れくさくなりながら答えた。
一緒に暮らしているうちに、なんだかシュクモとは気持ちが通じ合ってる気がするのだ。
「簡単に言うと、薄い味付けを繰り返すと、次は濃い味付けが欲しくなるのでございます。舌の飽きや慣れを操ることで、次に何が欲しいかを躾けるのです。ハガネ様が口にするものは全て私めが作っているので、そうやって嗜好をコントロール致しました」
「ちょっと待って」
なんだか想像していたより怖い回答が返ってきたぞ。
「待ちません。ハガネ様、今は少し口寂しいのではないですか?」
そう言うと、シュクモは少しずつ顔を近づけてきた。
冷房が効いて肌寒い温度の部屋で、シュクモの体温がひどく心地よい。思えば、この部屋の冷房を設定しているのは、いつもシュクモではなかったか。
ゆっくりと、ゆっくりと近づいてくるシュクモを、僕は何故か押しのけることが出来ない。
なんだかひどく口寂しい。
そうして、唇と唇が触れ合いそうな距離まできて、
シュクモの唇が、そっと僕の頬に触れた。
「え?」
てっきり唇にキスをされると思っていたので、思わず残念そうな声を出してしまった。
離れていくシュクモの唇から目を離せない。
「キスをされると思いましたか? ハガネ様からしていただけるなら、私めは拒みませんよ」
シュクモは蠱惑的に微笑む。
ああ、これは先ほどの嗜好のコントロールと同じ話なのだ。キスを与えないことで、シュクモは僕の感情を動かそうとしている。
シュクモは僕の耳元に口を近づけると、そっと囁く。
「ハガネ様は私めを過保護に扱うのがお好きなようですが、私めを一人前として見るように変えて差し上げます」
「ハガネ様は命を投げ打つのがお好きなようですが、命が惜しくなるように変えて差し上げます」
「ハガネ様は大人の女性を抱くのがお好きなようですが、子供を抱くのが好きなように変えて差し上げます」
シュクモの囁きを聞きながら、僕は彼女の名前を思い出していた。
呪蜘蛛。そう、彼女は蜘蛛なのだ。
糸を使って網を張り、獲物を捕食する生粋のハンター。僕は今まさに、シュクモの巣に絡め取られようとしていた。
「ハガネ様。私め、初めてこんな気持ちを知りました」
なおもシュクモが迫ってくるが――しかしまあ、今日のところは。
「シュクモちゃん」
「はい、なんでございましょう、ハガネ様」
「今日から一緒にお風呂入るのと一緒に寝るの禁止ね」
「ええええ~! それは殺生でございます! ハガネ様!」
慌てるシュクモを見て一矢報いたことに満足すると、今日のところは彼女の幸せを願いながら寝ることにした。
近い未来に呪いから解き放たれ、自由になったシュクモの姿を思い浮かべて。
◇◇◇
呪いが身体を蝕み、終わりを迎えようという時に、ちょっとした憧れを父に吐露した。
「はい、お父様。私めは恋をしてみたいと存じます」
父がそれを叶えてくれる気になったのが、同情によるものなのか、それとも何か別の感情なのか、シュクモには分からない。
でも、おかげでハガネに出会うことができた。
――ふふ、もしかしたら、私めの願いは叶ったかもしれません、お父様。
呪いが確実に治ったとはいえない。人間の形を保ちながらア■■■ク=ナ■■を目指した代償は今もこの身体を蝕んでいる。
シュクモは寝入ったハガネの頬をつんつんとつつきながら、それでも今は幸せを甘受することにした。
――ハガネ様。最期の時まで、一緒にいてくださいましね。
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