薄氷を支える者
英雄とは己が命をベットしてでも他者を助ける為奔走し、さらに賭けに勝ち生還するものである。
日常とは湖に浮かぶ薄氷でしかない。
「化け物の……噂は、本当だったの、か……!」
いつか突然割れ、冷たい悲劇に飲み込まれる。そんなもろく丈夫な氷でしかない。
人間は心の奥底でそれを自覚していたとしても、その事実から目をそらして生きている。
そうしなければ生きていけないから、そうしなければ今日の一歩すら踏み出せないから。
人間は健やかな人生のために明日が来るのかどうかを考えない。
「やめろ……! ば、化け物、来るな……来るんじゃないッ」
けれどどれだけ目をそらそうと、足元の氷はいつ割れるともわからぬ薄い氷でしかない。
残酷なことに何のことのない日常を過ごしていた何の罪もない一般人は割れたことに気付くことすらできずに冷たい水に飲みこまれる。
悲しいことに目をそらしていた彼らには足掻く事すら出来ない。
「かはっごほっ、はぁ……はぁ……た、だずげ……て」
だからこそそれを許さない人間が必要なのだ。
どれだけ恐ろしくともそれを認識し、どれだけ自らの人生が壊れようとその残酷な事実を許さず立ち向かうことのできる人間が。
目の前の顔も知らなかったその命を救うために、水に飲まれながら薄氷を支え少しずつ空気をなくして最後にはその肺を水で満たす運命だとしても止まることの出来ない愛すべき愚者が。
「その人を放せ、妖怪野郎ッ」
その狂気ともいえる愚かしさが人を凡人から英雄へと変えてしまう。
そして残酷にもその変化は不可逆なものだ。
彼らはその運命から逃げることはかなわず、逃げるなどという言葉すら浮かぶこともなく走り続ける。
「だ、大丈夫ですか」
「あ、ああ。君は……?」
「えっと後輩っす。この前は言ってきた新一年生の原って言います」
「……こんな夜中に何をしていたなんかはもはや聞かない。恩人、だからな。グッ……! すまない。足が折れているみたいだ。俺のことはいい、早く帰れ」
そう言う三年生の男の足は骨が飛び出、制服を血で濡らしている。
後輩は帰れと言われたがうなずかない。
「先輩置いていけませんって。大丈夫、あんな化け物ちょっと殴ればすぐ気絶しますって」
「まてっ……危険だ! あいつはきっと行方不明事件の犯人だ。生徒会長として生徒を危険にさらせ……グゥッ!」
三か月の間に五人もの生徒が姿を消した行方不明事件、生徒会長である彼は見回りで深夜の学校に居た。
だが自分が失踪するという危険性から目をそらした結果足を折られ化け物から逃げることすらできずに蹲っていた。
生徒会長としての責任、自分が生来持つ正義感、そして彼が気付かないようにしていた死という恐怖のが彼の心をきしませ、涙のままに握りこぶしを床にたたきつけた。
愚かにも化け物を探して走る原はただどうすれば先輩である生徒会長を救えるのか考えていた。
彼の手前楽勝だといったはいいものの彼に化け物を倒す手段は無かった。
「とりあえず生徒会長のほうに行かないようにあの化け物見つけてひきつけねぇと」
そう言うと彼は止まった。
それは考え至ったある危惧からであった。
「お、俺、し、死んじゃわないか……?」
人間として当然の恐怖である。
彼は化け物の表皮に触りそれが大木を思わせるように硬かったのを知っている。
身をよじるような動きで左手の指をぐちゃぐちゃにしたため、あの化け物の強大な力を知っている。
彼の生物としての本能が化け物を引き付けるという選択に最後の警告を発したのだ。
けれど彼は神社にでも祈りを届けるかのようにその両の手で乾いた音を鳴らした。
だがそれは手と手を合わせて鳴らされたのではなく彼の両頬と両手によって鳴らされていた。
「……今日死んだとしても、俺の体がぐちゃぐちゃになろうとも、俺が止まる理由になりはしねぇ!! ……お前もそう思うだろ? ご丁寧に俺のところに来てんだからなぁ」
体を震わしながらも、心が震え恐怖という危険信号が大量に発せられているが彼は背を向けることなく彼は真っすぐに化け物を見た。
握りこぶしを強く、強く握りこんできしむ骨の痛みを飲み干して彼は顔の引き攣りを隠すように獰猛に笑った。
彼の目の前にいる化け物は顔を手で覆っているため視線はわからない。
だが彼は間違いなく己を見たと確信した。
「なんだそれ? マネキンの腕でも刺さってんのかと思ったら切れてるのか」
化け物を化け物足らしめている人との決定的な差異、それは隙間すらないまでに化け物の体から飛び出るマネキンというにはあまりに温かく、グロテスクな肉の棒だった。
よく見るとそれは子供の癇癪のように不揃いに切られた腕であることがわかる。
かすかに切られている先から血を流し何に使うこともなくただ振り回している。
「は、先輩さえいなけりゃ鈍足なお前に捕まるかよ」
化け物の歩みは遅く原を捕まえることが出来ていない。
彼はそれでも警戒を解くことはなく用心深く化け物の動きを見ていた。
彼は化け物に捕まることはない、そう思えたがその推定は簡単に崩された。
化け物が顔を覆っていた手を外した。
彼はその解放された顔を見てしまう。
その顔は人間のようで人間ではない。
目は暗黒につながっているのではないかと思うほどに何にもない。
その空間は暗かった。人間の光を受ける器官は暗黒の同義語になっていた。
そして異常なまでに大きい口がありそれ以外の人間の顔にあるものは存在していなかった。
眼球の存在せず暗い闇をやどす眼窩、大きく唇の存在しない大きな口、それを見た彼は怯えてしまった。
思考が吹っ飛び、警戒できずに体が硬直する。
そうして空気も吸わずに化け物が口を開いた。
「何で出来ないんだ」
「才能のある奴らはいいよなぁ!?」
「んなことわかってんだよッ俺じゃない……それでできるお前らがおかしいんだ」
「うるさいうるさいうるさい、うるっせぇんだよ」
「最初からわかってんだよ俺にゃ無理なことくらい」
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
「俺は何のために生きてるんだ?」
その全ての言葉が一気に発せられた。
やかましく、情報量が人知を超えたその声は人の精神を簡単に破壊するものだった。
この声に込められた情報は全て負の感情が乗ったものである。
もはや負の感情を音声にしたものとすら言える。
人は陰陽バランスをとっている。
負が強くなることもあれば、正が強くなることもある。
けれど最後にはバランスよく調整する。
だがこの声はそれを破壊する。
大きすぎる負の感情は弱き心の器を破壊する。
強き心の器は壊れることはないが、その大きすぎる負の感情に心を塗りつぶされる。
負の感情に塗りつぶされた心は灰色にすら思える世界で明るくなることのない心でただ己と世界の滅亡を望み続けることになる。
悪くて廃人、良くて救われることのない人生を送ることになる。
そんな声を聴いた彼は耳をふさいで蹲っていた。
「頭に……流れこんでくる……頭が割れ……は、発狂する!?」
次々と流れ込んでくる理由もわからぬ謎の感情、それに彼はただただ困惑している。
そして彼の体が痙攣しだした。
流れ込んでくる思考に体が誤作動を始めたのだ。
訳も分からず体を不規則に揺らす彼はもはや心にひびが入り負に染まり始めていた。
「あああああああああああ! あああああああっああああ……ああ」
頭が割れそうで激しく叫んでいた彼も負に飲み込まれ始め声が小さくなり、彼が溶けていく。
ぼんやりと闇を見つめて彼の瞳孔が緩んでいく。
彼は、原という愚か者はゆっくりと頭に響く声に身を任せようとしていた。
「おい! ボーっとするんじゃない、前にやつがっ」
「……?」
「クソッ」
ぼんやりと前ですらない何かを見ていた原は頬になにか生暖かいものがついたことを知覚した。
その小さな刺激が彼を負の濁流から引っ張り上げた。
「せ、先輩……?」
彼が呼ぶ先輩は化け物の体から生えてきた手によって体に穴があけられた。
出血がひどく、臓腑がこぼれ落ちている。
もう数分とせずにその命を終えるだろう。
「はっそんな顔をするんじゃない。今日初めて会った仲だろうに」
彼は腹に穴が開いているというのに穏やかな顔で原にそう言った。
彼は子供に言い聞かすかのように彼を見つめている。
「で、でも」
「俺は心が折れた人間だ。きっともう踏ん張れない。だからこそこの命ここでゴホッ」
肺が貫かれたのか、肋骨が刺さったのかはわからないが彼は血の塊を吐いた。
原の服を血に染める。
その濃厚な死ともいえる血の香りに腹の顔が引きつる。
「喋らないで!」
「俺のような若輩者でも、自分の死期ぐらい……わかる。俺は、もうダメだ」
「生徒会長! あきらめないで」
「お前は……俺の……ヒーロー……」
「目を閉じるなっ。待って、息を……息を吸ってくれ……」
無残にも先輩は息を引き取った。
生徒会長である彼は明るい未来に飛び立つ事もなくただ化け物という理不尽に貫かれその生を終えた。
原は原因が己であるにもかかわらずただ彼が永遠に目を閉じるのを見送った。
「……」
彼は何を言うということもなくただ口を開けて自分の心臓の音を聞いていた。
「さぁどうする? 小僧」
先輩を抱きかかえ、彼は何を思うのか。
その答えは何も考えていない、だ。
彼はその死という事実が認識できていなかった。
ゆえに虚無。目の前を埋め尽くす人間の死という現実を見ず、考えず、逃げた。
ただ彼は目の前の人を助けたいだけだったのに、現実は原因にすらなり助けたかった人は目の前で物言わぬ屍となっている。
そして自分はその生き血を浴びて呆然としている。
「ああ、あああ……あ?」
彼の心が負に染まっていく。
正と負のバランスが崩れ、人間とも呼べないような周りに不幸をまき散らすだけの生物になってしまう。
彼の中の大事なものが侵されていく。
そうしてゆっくりと彼の中の理性という縄を彼が手放そうとした瞬間それは起こった。
「何をしている。お前は、俺のヒーローは、こんなところで闇に落ちるのか」
「せん……ぱい……?」
「ああ、今日初めて会ったお前の先輩だ。どうした、俺を救ってくれたお前はどこに行ったんだ?」
「俺は……救えてなんか」
「いいや救ってくれたさ。あの時何もできずに死ぬはずだった俺はこうしてお前を救って、何かをやり遂げて逝くんだ。お前は俺を、救ったんだ」
「いや、俺は」
先輩は彼の肩をつかんだ。そして彼の眼を見ていった。
「がんばれ俺のヒーロー。負けるな、死ぬな」
それは負けかけていた彼の心を晴らす一筋の光となった。
負に染まろうとしていた彼の心が光に染まっていく、そしてその大きい光、つまり正の感情が彼に与えられていた大いなる負の感情とつり合った。
彼は感情の濁流によって大きくなった心にふさわしいだけの正と負の感情を手にしたのだ。
「ほう……! 愚か者が化けやがった。これなら……おい小僧」
「逃げないと……! ここから、この化け物から!」
「おーい、聞こえとるかー」
彼が化け物を見ると不思議なことに化け物は原を見ることもせずに、先ほど生徒会長を貫いた生えた手をどこから取り出したのかもわからぬ鉈で切り刻んでいた。
痛みなのか何なのかもわからぬ叫びをあげながら化け物は自らの手を切り刻んでいた。
「しめた、おい小僧今のうちに逃げるぞ。……ちぃ聞こえちゃいねぇか。まぁいい、無理やり連れて行くとしよう」
「な、か、体が引っ張られる!?」
彼は何者かに引っ張られるかのようにその体を動かした。
そうして彼の思考の存在しないままに彼は化け物のいる空間から退避することに成功した。
その見えぬ意識に導かれるままに彼は危険のないところまでやってきていた。
すると彼はようやく正気に戻りその手を引く不可視の手を振り切った。
「だれなんだよ、お前は。いいかげん姿を現せよ、妖怪」
「わかってるじゃねぇの、小僧。だが姿を現せだぁ? てめぇが見えてねぇのを相手のせいにすんなよ? つーか感謝してほしいくらいだがな。お前があのまま死ぬつもりだったってんならこぶしくらい受けてやってもいいが」
その不可視の物体が言うと彼にもじんわりと見えてきた。
それは今どき珍しい着物を着ていて木の幹のような色の着物を見事に着こなす異形のもの、まさしく妖怪であった。
絵のように頭が横に長いのではなく縦に少し長く、鯰のような好好爺のような顔ではなく歴戦の戦士が長い年を経てなる優しい鬼のような顔だ。
「その顔を見るに見えてきたようだな。よう、人間。今の時代珍しい妖怪サマだぜ」
彼はそれが見えていなかったのが不思議なほど奇怪で特異なコレは片手に持つ煙管の煙をくゆらせながら彼を見つめ怪しく笑っていた。
彼こそが現代最後に残った妖怪であり、数少なくなってしまった神秘の一つだ。
「っ……でもあそこには先輩が」
「それはどれのこといってんだ? ご丁寧にお前の眼を覚まして上ってったアイツの魂か? あそこに無様に転がってるあいつの死体かぁ?」
「た、魂?」
「なんでい、気付いちゃいなかったのか。てめぇの肩をつかんだのは正真正銘あいつの魂だ。魂まで見えてる妖怪である俺が言うんだから間違いねぇ」
「先輩の魂……」
原は先輩に激励されたあの時を思い出す。
彼は負に飲まれていて記憶も定かではないが確かに言えることは彼の肩をつかんだのは確かに先輩であったということ。
「感謝することだな。久しぶりに見たぜ? 魂になってまでだれかを救おうとする奴なんてな」
「先輩は……先輩の魂は、どうなったんですか」
「あん? 俺ぁたしかに魂が見える。だがそれがそうなるかなんざわからねぇ。未練がない魂は空へと昇り……あとは知らねぇな。一反木綿のやつに頼んで追ったこともあるが、富士山超えたとこらへんであいつのスタミナがつきやがった。ま、言えることは神さんは俺ら妖怪にもあの世があるかどうか知らせたくないらしい」
「……そうか」
彼はあきらめるように天を仰いだ。
そして自分のほうをたたくと活力の満ちた目で妖怪を見つめた。
「おい妖怪、アイツどうすれば倒せる」
「おいおい、ああいう怪ってのは人知が及ばないから怪足らしめるんだぜ」
「お前は人じゃない」
「……ご明察。でも俺に利点がない」
妖怪は試すような視線で原を貫く。
だが原は少しも怖気づかない。
「何がそこまでの利点足らしめる。教えてくれ」
彼の答えは言い値だった。
妖怪はその答えに驚き、そして面白そうに笑みを深めた。
妖怪は寿命が長い、それも果てしないほどに。
故に面白い人間、英雄に及び得る人間の送る人生の面白さは理解していた。
「いいだろう人間。契約しようじゃないか。まずは自己紹介を始めようか?」
「真名ってやつ?」
「いんや、違う。ただの礼儀ってやつだ。俺はぬらりひょん。聞いたことは?」
「ある。妖怪の総大将なんて言われてるのを聞いたことある」
「へぇ俺も出世したもんだ。ま、実際は違うけどな。んで、お前は」
「原、原あきら。原っぱの原に明るいの明で原明だ。よろしくぬらりひょん」
「おお、よろしく明」
老木のようなぬらりひょんの手が差し伸べられる。
それを原は躊躇なくそれをつかみ取った。
握手をした二人は本題について話し始めた。
「さて明よ。ぶっちゃけあいつ倒せると思うか」
「……無理だろう」
「正解。ま、だから俺に助けを求めてるんだろうが。ほれ、こいつを使え」
ぬらりひょんは原にある道具を渡した。
それは今渡すにはあまりにも不釣り合いなものだった。
「なんだこれ」
「む? そうか、もう使われなくなったのか」
「ちげぇよ。こんなもん渡してどうしろってんだよ」
そう原が言うとぬらりひょんはにやりと笑って小馬鹿にするように言った。
「言ったろ? 人知の及ばないものを怪と呼ぶと。人知の及ばないものには人知の及ばないものを使うしかないんだよ」
「って言われてもなぁ。これメガホンにしか見えないんだよなぁ」
「そりゃそうだろ。だってメガホンなんだから」
渡されたメガホンを持って釈然としない顔をする原を見てぬらりひょんは豪快に笑った。
思わず原は地面にそのメガホンを投げ捨てたくなったがメガホンについている装飾やお札を見るにおもちゃではないことは明白であり彼は堪えた。
そのメガホンは何の金属かはわからないが金属製であり、それでいて重くなく神道を思わせる装飾や陰陽道を思わせるお札がついていて素人目からしてもおもちゃにしてはよく出来すぎているものだった。
「失敗したら化けて出てやるからな。ぬらりひょん」
「はっ、そしたら妖怪の世界に送ってやらぁ」
原は渡されたメガホンを手にあの化け物と相見えようとしていた。
一度心を壊されそうになった記憶からか、原の顔には冷や汗が隠せない。
原の意識が離れたからかまた声しか認識できなくなったぬらりひょんに恨み言を言いながら彼は化け物を睨みつける。
「来い……化け物」
「力を抜け、明。教えたろ、あいつは負の感情の塊だ。アイツと戦いたいなら負の感情に飲まれることだけは避けろ。それさえ気ぃ付ければ怖いもんじゃない」
「……あぁ。わかってる」
「ならいい。ま、頑張れや」
「おう」
原は来る途中に聞いたぬらりひょんの説明を思い出していた。
この化け物は人間の負の感情の塊である事、その負の感情に染められると魂がその負の感情に囚われ、成仏もできないまま破壊と悲しみをばらまく悲しい生き物になること。
こいつを倒すには負の感情の正反対になる正の感情を使うしかないこと、それはバランスを保っている生きている人間、つまりは原本人のものは使えないこと。
「聞こえるか、化け物の本体!!!!!」
それは化け物を作り出した本人の器に残る正の感情を使うしかないこと。
そのメガホンで化け物に向かって叫び、励まし続けるというあまりにもリスキーな方法をとらなければいけないことを彼は聞いた。
原は思わずぬらりひょんに聞き返したが、ただ面白がって笑われるだけだった。
彼はぶん殴ってやろうかこの爺と思ったがそれも終わったこと、その怒りを飲み込んで彼はここに立っていた。
「てめぇが何があったかなんざもう聞かねぇ。だが、お前はそのまま歩んできた人生をその化け物のために終わらせるのか。お前の、頑張った時間は、人生はそんな化け物を育てるためのものだったのか」
「ほう、天性のものか。確かにアイツの姿を見るに折れたタイプだ。それも頑張った後に、な」
ぬらりひょんは誰に聞かせるものでもなく独り言を漏らす。
彼が見てきた化け物から察せられるこの化け物の負の感情の種類を推理し、そして原の言動を褒めていた。
「だが、言葉というのはどう転ぶかわからねぇものよ。どうなるか、ねぇ」
そいうぬらりひょんの言葉通りその化け物は苦しむようにその体をよじり、その手首のない腕で顔のある部分を手で覆うように動かし始めた。
叫んだあの時とは違いすでに顔を覆っているため表情はうかがい知れない。
けれどわかるのは原を害することもせず、ただ顔を隠すように動くことから何かしらの精神の動きがあることがわかる。
「あきらめたとしても、捨てるにゃもったいない人生じゃないのかよ!」
「が……あ……」
固く閉ざされた手の奥から少し声が漏れてきた。
それは正の感情が刺激されたことによる苦しみか、それとも。
「うるさい」
「は?」
「うるっせえんだよ英雄さんよお!!」
「ククク……そう転んだか」
手の外された異形の顔、その大きな口から叫ぶ顔が出てくる。
それは全く持って正常な人間の顔であり涙を流しながら叫んでいることを除けばその顔だけを見れば普通の人間である。
その普通の人間の顔は首から下を化け物の中になまれているにもかかわらず原に向けて怨嗟にも近い叫びを向けている。
「ほれ、明。本体が出てきたぞ。本番はここからだ、お前は今からコイツの心を明るくし、引きずり出さなきゃならない。できんのか?」
「やれなきゃ死ぬんだろ」
「違いねぇ。気ぃ付けろ、こいつみたいなタイプはお前みたいな芯の折れてないやつを厭う。刺激してこいつが真に吞まれたら本当にやりようがなくなるからな」
「おう」
姿の見えないぬらりひょんは現時点での自ら推理した情報を原に教えた
そしてそれを聞いた原は先ほどの自分の発言が負の感情をあおるだけに終わったことを悟った。
「なぁ」
「あーあ、こいつみたいに生きれたらな」
「おい」
「何でこうなったかな」
「聞こえてない……?」
原が化け物の本体に話しかけるが、顔は反応することもなくただ誰に聞かせることもない言葉をつぶやいているだけだ。
暖簾に腕押しではないが暖簾に話しかけているような感覚になり、困惑の表情を浮かべる。
「阿呆、正気じゃないことぐらいわかれ。アイツはお前の言葉に傷ついて出てきたにすぎん。アイツの心は負に吞まれたままだ」
「じゃあどうしろってんだよ」
「決まってんだろ、今さっきみてぇにインパクトのある言葉をぶつけてやんだよ」
「……わかった」
そう返事した原は何を言うべきかと思考を巡らせる。
それを受けてぬらりひょんは笑う。
心の折れた人間をまた立ち直らせるのは難しい。
それほど人間というのは難しい生き物だ。
ましてや負に心が飲まれた人間を、というとそれは並大抵のものではないことは原にもわかっていた。
人間は負の感情に心が呑まれると、その負の感情が心から這い出てきて体を包む。そうしてその化け物の中に囚われる。
そしてその囚われた人間は負によって塗りつぶされ反転した感情を心に抱え、ただ己の感情を口に出す脳死に近い状態になるのだ。
生きながら死んでいて、周りを傷つける迷惑な存在、それがこの化け物に姿を変えた人間の末路だ。つまりは一般的に言うと手遅れということだ。
だからこそそれをわかっていながらもそれへ挑む彼をぬらりひょんは称えるし、期待しているし、面白いと評価しているのだ。
「いいよなぁお前は。生きててよ」
「君だって生きてるじゃないか」
虚空を見つめていたそのうつろな目がぎょろりと動いて原を貫く。
原の生きているという発言が本体の心を動かしたようだ。
「おいおい……明お前才能あるよ。人を煽る才能だがな」
またしても本体の心の負の部分を刺激した原をからかうようにぬらりひょんは姿も見せずに笑っている。
原の発言が負の感情を刺激したからかはわからないが化け物に生える不揃いな腕とすらもいえぬ肉の棒になってしまった手の残骸がぼこぼことうごめきだした。
そうしてその腕は皮膚からサンゴ礁のように小さな腕が生えだした。
するとその腕は小さく完璧な状態で生えているのに、化け物はその顔を覆っていた唯一無残にもちぎられていなかった腕を使い、その菌類のようにポコポコ生えていた小さな腕をかきむしり始めたのだ。
幻覚で虫が見えているかのように激しくその不完全な腕をかきむしり、小さな腕が激しく血を流しながら粗く、短く、無残になっていく。
「な、なにをしているんだこれは」
「うろたえんな。どうせその体は感情の塊に近い、どれだけ傷つこうと本体には影響しねぇ」
その化け物の自傷行為という異常な光景を見て原が動揺する。
化け物が自分の体を傷つける中その中にいる本体が口を開いた。
「そういうことじゃねぇ。俺は、死んだ。ただ動いているだけの……死体なんだよ」
絞り出すような声。
本体は己の心ごと本心を絞り出すように答えた。
「俺の気持ちなんぞわからねぇだろう、理解不能だろう。当たり前だ、人間の種類が違うんだから。俺のような人間とあんたみたいな人間はなぁ」
「でも、同じ人間だろう」
「人体の構造ならまだ分かり合えるさ。心の構造が違うのに、分かり合えると思うか」
彼は笑うようにそう言った。
何が面白いというわけでも、何を笑うというわけでもなく、乾いた笑いが止まらないのだ。
「そんなに違うのか、俺とあなたは」
「あぁ、違うさ。俺はお前になれねぇ」
目から黒い涙を流して、黒々としている黒目を原へと向ける。
光の全くない目が光に群がる羽虫のように原を見ている。
原はその目が地獄につながっているのではないかとすら思えた。
「……」
「…………呑まれる、か?」
「お前! あきらめたんだろ」
「明、お前何してる」
「ぬらりひょんは黙ってろ。どうなんだ」
「そうさ、俺は諦めた。頑張ったものを、やりたいことを、やらなければならないものを、生きることを」
その黒い涙が体に混ざるようにゆっくりと肌色だった肌が黒くなっていく。
死んでカラスについばまれている魚の腹のような濁った白色の白目がどす黒い黒目と混ざっていく。
本体である彼が自覚していた彼自身の負、自覚していたものだったが原はそれを口に出させた。
口に出すという行為は精神に強く影響する。
それがたとえ本当のことだろうと、自覚していようと、強く心に刻まれていたとしても。
だからこそぬらりひょんは焦った。
この発言はこの本体の男が完全に帰ってこれなくなる言葉だ。
完全に負の感情と一体化し、かかわるものすべてを不幸にし、通過するのをただ待つしか対策がない祟り神にすら及ぶ一種の災害になる。
「なら……なら、最後に俺の手をつかめ! 俺なら失敗しない、俺ならお前に成功を与えられる。俺はお前の手を離さない。最期に俺だけ信じろッ」
「おまえ…………」
光が強くなると、闇も強くなる。
なんの疑いも、なんの不安もなく真剣な目でそう言う彼という光に嫉妬という負の炎が本体に燃え盛る。
けれど、闇を照らすのも光である。
本体の心が染められるのではなく負に置き換わっていくさなか、その光はその心を照らした。
彼の心に残っていた置き換わっていない塗りつぶされただけの正の感情、それに這うようにまとわりつく闇を。
その正の感情が、その糸一本にも等しいそれが、闇に沈みゆく彼の精神に待ったをかけた。
このまま落ちてしまってもよいのか、このまま化け物に身を落としてもよいのか、その言葉が本体の心を走った。
もともと彼は頑張る男であった。
それに結果がついてこず、膝を少しずつ折っていっただけで。
彼は諦めは早かったかもしれないが、挑戦も早かった。
この無数の腕のなりそこないは彼の諦めという罪の証拠であり、彼の強さでもあった。
「しんじても……頼ってもいいのか」
震えるような、か細く頼りない声。
「おう。任せとけ!」
まさに英雄。
自分の死が目の前にあろうとも、その先に破滅が転がっていようとも、笑って信じろと言いながら命のために走る。
恐怖もなく、思考もなくただ無にも近い頭で救う、一番最初に人を救うために動けるのはこういう人間であり、恐怖に囚われずに手を伸ばせるのはこういう人間だ。
「しめた、引っ張り上げろ! 明!」
「俺の手を掴め!」
原が走る。少しでも手が届くように。
化け物の口に顔を出す本体の顔が足掻くように動き出す。
そして化け物の腹から手が飛び出た。
それは全く人間の腕だ。血色の良い肌色で小さくもなくちぎれてもいない。
本体自身の腕だ。
「つかめ、明!」
「信じられたなら、応えるしかねぇだろうがよっ!」
そして原の手が届いた。
本体の心に光が差し始める。
「死んでも、引きずり出す!」
少しずつ、化け物の体から本体の体が離れていく。
負が彼の心から祓われていく。
「……な? 俺は裏切らないって」
化け物と本体の男が分離した。
引きずり出された男は初めて味わうその成功の感触に浸る。
そしてじわりと涙がにじんだ。
「ありがとう……ありがとう」
「よぅやった。最後に仕上げだ。そのメガホンでこいつの心をもっと照らせ」
「……君は、間違ってない」
その言葉が本体の男の心に届く。
そうして彼の心に残っている正の感情が刺激された。
刺激された正の感情はそのバランスをとるために減らそうとする。
そしてそのメガホンが増加した感情の流れ先になる。
「お、おいなんか出てるぞ」
「その光ってるのが正の感情だ。心はバランスをとるために減らそうとする。負もないしな。んで、お前のもってるそいつが受け取るんだよ。ま、細かい仕組みは知らん。作ったの俺じゃねーもん」
「英雄君……頑張って」
そう言い残すと本体の彼は気絶してしまった。
今彼は負のない状態、さらに感情を道具の効果とは言え排出したのだ。
精神にかかる負担は大きい。
その負担に耐え切れず彼は気絶したのだ。
「これは……!」
そしてその光る正の感情を吸ったメガホンが光り、形を変える。
「……なんで」
「おん?」
「なんでメリケンサックなんだよ!」
「はっはっは、つかんで離さないんだろ? ぴったりじゃねぇか」
光ったメガホンが姿を変えたのはナックルダスター、またはメリケンサックなどの名前で呼ばれる武器だった。
本体の彼のイメージと彼の手を掴めという言葉から形成された武器と考えられる。
それが原には不可解であったようで叫んでぬらりひょんに抗議していた。
その反応がとても面白いようでぬらりひょんは大きな声で大笑いしていた。
「あー面白れぇ。さ、明。こっからは単純な話だぜ。そのメリケンでそこの化け物をぼこぼこにするだけだ」
「……あぁ」
「さぁてやっちまえヒーロー! こぶしでぶん殴るっつー泥臭いもんだがな。……くくく……くはは……あーっはっは、メリケンって」
「ぬらりひょんは黙ってろ! せっかくの仇だ、ぼっこぼこにしてやらぁ」
本体を引き抜かれた化け物は体の表面を霧のような何かに変えながらも、いまだその体は現実にあり闇にうごめいている。
原はいまだぼんやりとしているかのように立ち尽くす化け物に殴り掛かった。
「……! 効いてる!」
「当たり前だろ。それ用に作った武器なんだ。逆に効かないほうがびっくりってもんだよ」
「俺は初見だからな。確認するがこれぼこぼこにするだけでいいんだな?」
「あぁ、本体もないこいつは実体すら危ういものになる。あとは感情を対消滅させるだけだ」
「よくわからんが、とりあえずぶん殴ればよさそうで安心した!」
原が殴ると化け物の表皮は砕けるように霧散する。
醜く冒涜的な腕のなりそこないがただの黒い霧となる。
一目で有効打とわかるほどの効果だった。
改めて目標を確認した原は化け物にまた殴り掛かったが化け物によけられてしまった。
先ほどまでの本体が入っていたころの鈍足な動きとは違い俊敏な動きで化け物は原のこぶしを避けた。
「おい、こいつ意思があるのか」
「そらあるに決まってんだろ。力は弱くはなってるが人間にはちときついと思うぞ」
「人間にきついならそこの妖怪様は手伝ってくれないんですかね」
「馬鹿、俺らはもともと負の感情側だ。俺らはそのメリケンに触れねぇし、そいつを殴ったところでダメージはない。全くの無駄、というやつだ」
「そりゃ、そうか」
「っ明! 前見ろ」
「んわっ! あっぶね。早く言え爺!」
「責任押し付けんなタコ助が」
妖怪とはこの化け物のような人間が入っていなければ存在があやふやになる不完全なものではなくただその個として存在している負の感情である。
この場にいるぬらりひょんのもともとの逸話であるものは冠婚葬祭などの人が集まる状況にて、いつの間にかいてふるまわれている食事を食べるというものである。
それが諸事情にて変えられた妖怪である。
妖怪は人間たちの負の感情、ぬらりひょんでいう誰だったのであろうといった疑問、不安、猜疑心が集まり形となったものだ。
ぬらりひょんと話し込んでいた原が前を向くと先のない腕が迫ってきていた。
化け物は原の息の根を止めるためにその不完全な腕を伸ばし、原の頭をザクロのようにしようとしていた。
ギリギリのところで気付いた原は転がることでその攻撃から逃れた。
触手のようにちぎれた腕を揺らめかせ、戦闘態勢をとっている。
「おいおい、アイツはビッグマウスじゃないのかよ」
「挑戦するタイプのビッグマウスだろ。目標に手を伸ばすんだよ。掴む手がないか、諦めて手を自分でちぎるんだろうが」
「なるほどねぇ。どうせなら飛び道具がほしかったよ」
自分の武器を嘆きながら原は伸びてくる腕を避けたり殴りつけて軌道を変えたりしながら、化け物に肉薄しようとする。
だが近づけば近づくほどに腕の密度は高くなる。
いくら死の気配がする空間に飛び込んでいける原であっても確実な死が見える空間には飛び込まない。
「おい、これ無理だろ」
「……しかたねぇ。おい明、これ使え」
虚空からお札が出現し、物理法則に逆らい直線を描き原へと飛んでいく。
原は激しい化け物の攻撃をしのぎながらもそのお札をつかんだ。
「なん、だこ……あっぶね。これ!」
「その武器の効果を上げる効果がある。貼れば使える。だが使いすぎると正の感情が枯れる。それだと……十発で仕留めろ」
「リミッター解除か。十もあるなら十分すぎる」
そう言いながら原はこぶしにはまっているナックルダスターに御札を貼った。
するとナックルダスターが光り、光が収まると無骨だったナックルダスターが装飾と棘が生えていて威力が上がっていると原は確信した。
そして構える原の顔には笑みが浮かんでいて、瞳には覚悟、そして闘争に惹かれている歓喜にも近い感情それが宿っている。
それはまさしく現代では珍しくなってしまった戦士の顔つきであり、他人のために命を危険にさらし振るわれる死という概念にも恐れることなく向かっていける英雄の姿であった。
「よし、やるぞ!」
原は変わらず伸ばされ続けている腕を避け、彼はそのまますれ違いざまにそのこぶしをたたきつけた。
すると殴られた化け物の腕は根元から黒い霧となった。
その大戦果ともいえる結果を見て彼は驚いた顔で感心したようにつぶやいた。
「根元からいくとはな」
「棘がついてっから中に響いたんじゃねぇの。だが全部つぶすほど感情はねぇぞ。気ぃ付けろ」
「言われなくとも、わかってるって」
彼は走りながら消さなければならない腕と、よけることができる腕を取捨選択し、化け物との距離を詰めていく。
彼の天性のセンスか、それとも彼の英雄としての能力か無事に二発分残したまま彼は化け物の目の前にたどり着けた。
「これで、終わりだぁぁぁぁぁ!」
「馬鹿!」
未だ二本の手に覆われている化け物の顔にその拳を叩きつけようとしている原にぬらりひょんが叫んだ。
それに彼が反応するよりも早く化け物が動いた。
その二つの手を外し暗黒のような口を開いた。
「あ、やば」
「くぁwせdrftgyふじこlp」
彼が心を侵食されかけた時のようなはっきりとした人間の声ではなく聞き取りが不可能な声が原の至近距離で発せられた。
獣のようで、機械のようで、発狂した人間のような声。
それは人間が処理できるものではなく、不可解音ともいうべきものだ。
原はこぶしを武装しているが他はただの人間でしかない。
「が……あ……!」
上半身をのけぞらせ、体を硬直させる原。
彼の眼が黒く浸食される。
「……負け、か」
ぬらりひょんがその姿をみてあきらめようとしたところ声が響いた。
「があああああああああああああああああああああああああああっ! ……なめんじゃ、ねぇ……」
歯が砕けそうなほど噛みしめて彼は踏みとどまった。
そして彼の心まとわりつく邪魔な負の感情を叫びで吹き飛ばし、彼は覚悟の光る眼で戦場に帰ってきた。
ナックルダスターにこもる一発分の正の感情が地獄に落ちようとしている原に一本の糸を垂らしたのだ。
「帰ってきた! 押し込め明」
「わかってる! 終わりだぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
ぬらりひょんの叫びを受け彼は叫んで、いまだ少し震える腕をもう片方のぐちゃぐちゃになっている手で乱暴につかみ、無理やり化け物へと押し込む。
原の最後の力を振り絞った一撃は化け物の顔に突き刺さり、化け物という負の感情を丸ごと消し去った。
残ったのは荒れ果てた学校の教室と、腕を振り下ろした原だけである。
そうして一撃を打ち終え、化け物を消し去るという偉業を果たした彼は力が抜けるように倒れこんだ。
「お疲れ」
「おう……これで終わりか……?」
「自分の手を見てみろ。メガホンになってっだろ? 役目が終わったってことだよ。ガス欠ってのもあるがな」
原の手の中にあったナックルダスターはその姿をメガホンに変え、彼の手首にぶら下がっていた。
「そうか、終わったのか」
「よくやったよ。ヒーロー」
「っしゃぁぁ!」
原が歓喜の叫びをあげる。
学校の窓から光が差し込み夜明けを原に知らせる。
その光に目を細め手で光を遮る。
彼の長い、長い夜は今やっと明けたのだ。
「……疲れた」
「だろうな。あ、おい! ……寝たのか。ま、いいか。しっかり休めよ、ヒーロー」
それだけ言うとぬらりひょんは原と一緒にその不可視の体ごと、この校舎から姿を消した。
このまま原を放置すると、荒れ果てた教室の真ん中で寝ている不審者になってしまう。
ゆえに原を彼自身の家に運んだのはぬらりひょんの完全なる善意であった。
原の家の特定方法は彼自身の能力であるため考えるだけ、抗議するだけ無駄、というわけで自室が知られてしまった原自身も眠りから覚醒したとき思わずあきらめの表情を浮かべた。
こうして死者一人でこの事件は収束へと向かった。
表向きには不良の侵入、器物損壊となったこの夜の出来事は化け物の本体となっていた男ですらも記憶が定かではなく詳しく知っているのは原、ぬらりひょん、死んでしまった生徒会長のみとなった。
その町を救ったといっても過言ではない偉業を果たした青年、原は後日それをぬらりひょんから聞いた彼は幸せそうに笑った。
化け物の本体になってしまった男の記憶が消えていてよかったと彼は不思議そうに聞いてくるぬらりひょんに言った。
原の体が無事健康体に戻り元気に学校に通いだした頃、彼は日課の学校に行く前のジョギングをしていた。
すると気配のない実体に声をかけられた。
「朝から元気だなぁおい」
「……なんでお前がいるんだ、ぬらりひょん」
「おいおい、これでも優しさなんだぜ?」
「何?」
「朱と交われば赤くなる。俺ら側にかかわったお前はもう常人の人生は送れねぇ。言ってる意味はわかるか?」
「……あぁ、なるほど。合点がいった。道理でお前の体がはっきりと見えるはずだ」
「そういうこと。ま、俺がいなかったら二年くらいは持つかもしれんが……近いうちに四大祟り神って言葉が日本に生まれるだろうな」
「よろしく、貧乏爺」
「おうよろしくヤングヒーロー」
ぬらりひょんと青年はこれからどういった道をたどるのだろうか。
原はおろかぬらりひょんすらもわかっていない。
だがぬらりひょんはこれから数十年は退屈しないだろうと確信していた。
初めまして。私の名に見覚えがある方はまた読んでいただきありがとうございます。
KURAです。
最近短編を書くのが楽しいです。
今回は短めになるように調整致しました。
読んで頂いた方の琴線に触れていましたら幸いでございます。