08『けっこうイイものをお持ちです!』
――夜が明けた。
今日は三月二十一日。
島津軍がここ島原に到着するのが二十二日。
龍造寺軍の到着は二十三日。
そして沖田畷の決戦は二十四日に起こる。
だから今日一日が――この決戦場を自由に探索できる『最後の一日』となる。
その大切な一日を私は、偶然遭遇した敵軍の総大将、島津家久と共に過ごす事を選んだ。
敗北必至の龍造寺軍のために、敵の内情を探れるのではという打算もあった。
でもそれよりも昨夜、島津四姉妹の中で、自分の立ち位置に苦しむ家久ちゃんの事情を知った私は、なぜか『このままじゃいけない』と思ったのだ。
「いやー、いい朝だねー」
「はい、とても!」
家久ちゃんが、私の呼びかけに元気ハツラツに答えてくれる。
引き締まった若々しい日焼けの肌が、朝日を弾く様に輝いている。
うん、素晴らしい健康美ね。眼福、眼福!
対して……、
「お、おばよーございまずー」
直茂ちゃんの方は、声からして澱みきっている。
眼鏡もズレズレだし、なんか目の下のクマも、いつもよりひどくなっている気がするわ。
も、もしかして、ちゃんと眠れなかった?
うわー、こっちの身分はバレてないとはいえ、敵の総大将と行動を共にするのに、直茂ちゃん反対してたからなー。
マブダチよ、気苦労をかけてしまい、すまん。
でもこれは必要な事なのよ。
で、それから私たちは三人で、沖田畷の戦場を探索した。
まずは東岸の有明海がとても綺麗だった。
そのおかげで、この辺りは一面の湿地帯であり、居住空間には適していなかったが、その分、田畑を築くのには、まさにうってつけの土地だった。
「うっわー、直次郎ちゃん。ここなら田んぼでも畑でも作り放題だね!」
湿地帯のど真ん中を貫通する畦道――沖田畷を歩きながら、農民に化けている私はひときわ明るい声を上げる。
だが、その心中では両側に広がる、泥にまみれた大地に閉口していた。
ここを武装した兵が、駆け抜ける事は不可能だ。
もしここに大軍が進攻してしまえば――もはや退却は不可能になる!
そうは言っても、展開領域が狭ければ大軍は意味がない。
でも、今からここを舗装するなんて、とても無理だ。
結論から言って、ここ沖田畷に進んだ時点で負けだ。
分かってはいたが、やはりキツイ。
それなら迂回路を取るか?
となると、有馬軍の森岳城と丸尾城の探索が必要になる。
有馬島津連合軍の防衛ラインは、東の森岳城、西の丸尾城の間に形成されるはず。
その中央が沖田畷だ。
そこを避けるのなら、どちらからか回り込まなければならない。
本命はもちろん、有馬晴信のいる森岳城だ。
だがその分、守りも堅い。
海岸線が近い分、水軍からの砲撃も予想される。
実際、史実では左翼の別働隊はそれに粉砕され、龍造寺隆信が討ち取られたのも、浜手側での事だ。
私たち右翼別働隊は、山手側の丸尾城攻撃が担当だ。
そこは結果的に主戦場からは遠かった。
それが鍋島直茂と木下昌直が生き残った理由でもあるので、それなら本隊を右翼に回してしまうのが安全策か?
いやいや、でも二万という大軍を頼みにしている隆信ちゃんが、五千の相手を前に力押しを断念する訳がない。
うーん、話が根本に戻ってしまったぞ。
私が腹の中でそんな事を考えている間も、家久ちゃんは周囲の地形を注意深く観察している。
その顔付きからは聡明さが溢れ出ている。
この子は知将というタイプではなさそうだが、なんというか臨機応変の勘が鋭い――いわゆる賢い子なのだろう。
きっと今も頭の中で、様々な戦局へのシミュレーションを重ねているに違いない。
それに対して――直次郎さん役をやらせてしまった直茂ちゃんは、私たちの後ろを澱んだ顔付きのまま付いてきている。
あのー、一応、あなたこそ知将なんですよね?
その動きは、もはや挙動不審者だ。
なんかずっと落ち着かない顔してるけど、ほんと大丈夫かしら?
「うん――。決まりました」
前を歩く家久ちゃんが、突然声を上げる。
「えっ、どうしたの?」
私が問い返す。
でも、そんなの分かりきっている。
家久ちゃんは――ここ沖田畷に龍造寺軍を釣り込んで、伏兵によって包囲殲滅する策に思い至ったのに違いない。
「ああ、すみません突然。いやこれから始まる戦にどう臨むべきか、考えがまとまりましたので――」
それはどういう策?
なーんて聞いたら、いくら農民を装っているとはいえ怪しすぎるので、どうしたものかと考えていると、
「どうやって……戦うんですか?」
おおっ、いきなり直茂ちゃんの直球キター!
いや、それにしても迂闊じゃない?
しかも声震えてるし、なんか直茂ちゃん、やっぱりおかしいわよ⁉︎
「農民のあなたたちには……戦は怖いですよね――」
あっ家久ちゃん、そういう風に受け取ってくれたの?
それはそれで幸い、もしその内容を教えていただけたら助かるんですが……。
「でも安心してください。戦はすぐに終わらせます。私たち島津は――『死兵』となりますので」
「――――!」
家久ちゃんの腹は、まず『釣り野伏せ』で間違いはない。
ここにはその条件が揃いすぎている。
だけど『釣り野伏せ』は『死』の一歩手前で『生』を掴む――文字通り、一歩間違えば全滅の危険もある作戦だ。
今回も龍造寺軍本隊二万を五千で、いや囮部隊はもっと寡兵のはずだ。
その僅かな兵で、敗走を装い、大軍を釣り上げようというのだ。
しかも『釣り野伏せ』は兵の『熱気』を釣り上げる。
そのためには囮部隊にも、真に『死に物狂い』の奮戦が必要になる。
だから家久ちゃん、あなたは『死兵』になるって言ったのね。
でも、あなたの覚悟は……やっぱりどこか悲しすぎるわよ。
「もし私が命を捨てる事で、島津の家の役に立てるなら……私にも生まれてきた意味があります」
そう言って家久ちゃんは、私たちに背を向けたまま中天に昇りつめた太陽の光を、何か吹っ切れた様に浴びている。
その時、直茂ちゃんが無言で私の前に出た。
その体が怯えた様に震えている。
(――――⁉︎)
右手が懐に入っている。
それに気付いた私は、次の瞬間、直茂ちゃんを後ろからはがいじめにすると、胸元に手を入れた。
「ひゃん!」
と、いう直茂ちゃんの嬌声と共に、ポヨンという柔らかい感触が手に伝わる。
おっ、直茂ちゃん、着痩せするタイプなのか、けっこうイイもの持ってるじゃないの。
そんな可愛い声上げちゃって、よいではないか、よいではないか、グヘヘヘヘ…………。
じゃなくて!
直茂ちゃんが忍ばせた右手に手をやると――そこには短刀が握られていた。
やっぱりか! どおりでずっと様子がおかしいと思っていたのよね。
疑われる事なく、敵の総大将に近接できるこの状況は、いわば闇討ちの大チャンスだ。
知性派とはいえ、直茂ちゃんも戦国武将なのだ。
だから、そこを非難する気は毛頭ない。
それに私たちはこの沖田畷に、定められた敗戦を覆すための『楔』を打ち込みに来たんだ。
なら直茂ちゃんの行動は、けっして間違いではない。
でも私は――これが正解でもないと思うんだ。
だから直茂ちゃん、ごめん!
えいっ、えいっ、えいっ!
――ポヨン、ポヨン、ポヨン。
「はっ、はああーん!」
私に胸を揉みしだかれた直茂ちゃんの、甘い声が上がる。
当然、家久ちゃんがそれに振り向いた。
「ま、昌五郎さん、直次郎さん、何を⁉︎」
「い、いやー、最近ご無沙汰だったから、つい……」
私の答えに、家久ちゃんが顔を真っ赤にしている。
いやー、ちょっとティーンには刺激が強すぎたかしら?
「おっ、お二人はそういうご関係でしたか、そっ、それはそれは……」
家久ちゃんは完全に舞い上がってしまっている。
でも、これで直茂ちゃんの行動もウヤムヤにできた。
ごめんね、大人って汚いわよね。
「そこの民草! なに真っ昼間っから、こんな屋外でおっ始めようとしてるのよ!」
そこに突然、突き刺す様な甲高い怒声が投げつけられた。
方角は森岳城の方から。
今さら気付いたが、丘陵地帯に築かれた森岳城が、もう間近に目視できる所まで近付いていた。
声の方角に目をやると――そこには供回りを連れた、花魁の様なセクシー衣装を着た美女が立っていた。
うわー、細くて背ぇ高くて、しかも超美人だ。
し、か、し、この女は超性格悪い。
私のビジネスウーマンとしての勘がそう言っている。
「こ、これは有馬殿。お騒がせいたしました」
家久ちゃんが、そう言って恭しく頭を下げる。
あー、そういう事……。
今度は、いきなり有馬晴信か……。
でも、もう『いきなり』耐性ついたから、ちょっとやそっとの事じゃ驚かないわよ。
これが今回の倒すべき――真の敵!
私はそう思いながら、それでもまだ直茂ちゃんの胸を力強く揉みしだいていた。