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東日本大震災

 3月11日で11年を迎える震災である。あの日は、職場にいて気持ち悪いぐらい激しく揺れる地震に恐怖を覚え、続く余震に不安を覚えていた。災害ボランティア本部がおかれるところで勤務していたので、帰宅要請が出るわけでもなく定時までは情報収集と仕事であり、定時少し過ぎて岐路に。

 当時車で30分くらいかけて通勤しており、地震で電車等も動かない状況で道路も動かない状況に。何時間もかけて帰宅し、保育園に迎えにいったときは、長男ともう一人と先生一人だけが保育園に残っている状況であった。当時2歳であった長男。地震の時はお昼寝中であり、一番ひどい状況は体感していないだろうなあであったが、余震におびながら眠りにつき、余震に時折起こされながらもしっかり寝ていた長男。

 住んでいた所は震度5弱とか5強でありながら、ほとんど地震の被害はなくて、洗濯洗剤の蓋の閉め方が悪くて倒れて漏れた以外は大丈夫なのであった。

 都内勤務だった旦那は帰れないということで居酒屋で酒盛りだったり、翌日途中まで電車、自転車買って乗って帰宅なんてこともありつつ。

 震災後、スーパーは大混雑、米やカップ麺やトイレットペーパー紙類が店頭からなくなったり、ガソリンも不足して、保育園はお弁当になったりであった。計画停電もあったり。幸い病院の近いエリアだったのか一度も停電にはならなかったのであるが。

 仕事は、液状化の被害がある被災地であったので、災害ボランティアの受付だったり、東北の被災地へお物資受付、義援金対応だったりで交代で週末勤務もあったりで年度末の忙しさに加えてとあわただしく過ぎて言った感じであった。

 ちょうどホットスポットにあたってしまい、濃度の心配やらあれこれもあったものの日々を過ごしていたのであるが、保育園終了まじかのお迎えの際に放射線についての専門の先生が来ているのでぜひ質問をということで呼び止められてしまって、早く帰ってご飯支度したりしたいというほうが今大事なんだと強く思った覚えがある。

 ちょうど家を建てようと計画をしていた時期であり、3月後半、4月頃に解体、その後の建設と何とか大きな影響も受けずであったが、義母の仮住まいのおうちが震災で住めなくなってしまったという事態が発生した。

 次男の同級生は震災後の4月から生まれた世代であり、震災後の混乱であったり不安の中で生まれたという人も多い。次男は早生まれであり、そこまで妊娠、出産に影響はなかったが、地震等の非常時の出産についてといった話は前もって聞かされていた覚えはある。

 11年たった今は、各地で相次ぐ地震であったり、台風や豪雨災害であったりあれこれ災害について考える機会も多いわけである。そして2年前からコロナ禍である。震災後の育児に不安があったように、コロナ禍での育児や妊娠、出産の大変さは違う面もあるが、同じように感じる部分は、あるんだろうなあと感じてはいるのであった。

 

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