81《24》聖女と悪魔と子守唄
迷宮の最上階は扉が1つしかなかった。
開けるととても広い部屋だ。
教会のような趣の部屋。小さな窓が立ち並び、全てステンドグラスになっていて、奥の1箇所だけが、とても大きなステンドグラスだ。
外から明るい光が差し込んでいて、ステンドグラスを通してキラキラと虹色に輝いている。
エレンの悪魔のイメージは闇だったから、明るいところは苦手なのだと思っていたけれど、黒い悪魔は、明るいところが好きなようだ。
部屋の奥のほうから、小さな男の子のような、つたないソプラノの歌声が聴こえる。
「ねーむれー、ねーむれ、母の胸ーに」
エレン達が近づくまでの間、おんなじフレーズをずっと繰り返し歌い続けている。
「ねーむれー、ねーむれ、母の胸ーに」
もしかしたら、そのワンフレーズしか知らないのかもしれない。
蔦と苔におおわれた棺は、部屋の中の一番明るい綺麗なところに置かれていた。
そして、棺の上に腰かけて、足をぷらぷらさせながら、小さな黒髪の男の子が子守唄を歌っている。その姿は、とても無邪気で可愛らしく見えた。
でも、エレン達が先ほど相対した時くらいの位置にまで近づくと、歌うのを止めて静かに振り向く。そして、無表情で質問をしてくる。
「オレを倒したら、この人はどうなる?」
その問いにウィリアムが応える。
「この人が元々いた場所に、連れて帰るよ」
「そっか」
小さな男の子はそう言うと口をつぐみ、しばらくうつむいていた。そうして、顔を上げると、棺からぴょこんと飛び降りて棺から充分に離れた。
「わかった、いいぜ」
「……いいって、なにが?」
今度は、ウィリアムが質問した。男の子は不機嫌そうに顔をしかめる。
「オレを倒していい。そうして、この人を元々いた場所に連れて帰れ」
****
ウィリアムが、息を吐くような小さな声で質問する。
「……なぜだ」
「なぜって? オレを倒したらこの人を、元々いた場所に連れて帰るんだろう? だから、オレを倒していい」
小さな男の子のような姿の黒い悪魔は、抵抗する様子もなく魔法に当たりやすくするかのように両手を広げて、こちらを見ている。男の子の左の手のひらは、先ほどの攻防で焼けただれて痛そうだ。
ウィリアムは静かに片腕を悪魔に向けたけれど、その腕がぶるぶると震えていた。攻撃をするのをためらい、でも、火魔法を放とうとしたその瞬間……マーリンがウィリアムの掲げた手を握った。
「ウィリアム様。この子は、話ができますわ」
「……うん」
エレンの場所からは、ウィリアムの表情は見えないけれど、力なく腕を下ろした時に、悪意や殺意といったものも霧散したように思えた。
「この人は、君にとって、どんな人だった?」
ウィリアムが悪魔に問いかける。
「ぼくは、物心ついた時にはもうこの人がいなかったから、どんな人なのか、全然知らないんだ……だから、教えてほしい。この人はどんな人だったの?」
悪魔は応える。
「優しい人だった。オレは初めて優しくされた。
……置いていった赤ん坊のことが、心配だと言っていた。みんなから近づくなと言われていたけれど、抱きしめたくて……護衛の目をかいくぐってお前に会いに行ったから、バチが当たったんだと言っていた」
「うん」
「オレは、お前の姿になってあの人をなぐさめようとした。すると、生まれて初めて胸に抱かれて、子守唄を歌ってもらえた。でも、そのあとであの人は『もうこれからは元の姿でいいよ』と言って、このままのオレを抱きしめてくれたんだ」
「うん……」
悪魔の目から、ぽたぽたと涙がこぼれていた。
ウィリアムは悪魔に近づいてひざまずき、静かに相づちを打っている。
「それから、少しだけ、あの人は生きた」
「うん……よく分かったよ。ありがとう」
そう言うとウィリアムは、泣きじゃくる黒い悪魔を、優しく抱きしめた。
****
悪魔は、王妃をさらった時に赤ん坊のウィリアムが放った火魔法に驚いて、異空間移動の珠を落としたと話した。それで、空間の狭間の迷宮に落ちたらしく、魔界に戻る手段ももうないらしい。
悪魔自身は変身しかできず、変身中はその姿が持つ力を使えるけれど、使う力の強弱によって、変身を持続できる時間が変わると言った。例えばドラゴンなら、飛行くらいなら1時間は持つけれど、炎を吐くと5分で変身が解けるらしい。
ウィリアムは、その言葉を信じた。
そして、『人に危害を加えないなら、ぼく達も君に危害を加えない。だから、これからは城に来て働かないか』と誘った。
「治癒魔法を使うのって逆にダメージかな?」
「知らねえ。治癒魔法なんて、見たことねーもん」
「じゃあ実験してもいい?」
悪魔は本当の名前を言えないらしい。だからウィリアムが、近々ちゃんとした呼び名を考えると言っていたけれど、今は呼び名がない。
エレンはしゃがみこんで、まだ幼児と言っても差し支えないほどの、幼い見た目の悪魔と目線を合わせて話している。
……悪魔と言うより天使のようだ。エレンの弟、ルカの小さい頃を彷彿とさせる。非常にかわゆす。
治癒魔法を使っていいか聞いてみたら、悪魔がうなずいたから、エレンは「もし痛かったらすぐに言ってね」と言って、慎重に治癒魔法を使った。すると焼けただれていた左手はすっかりと治って、悪魔は不思議そうな顔で、左手をグーパーしている。
角もないし、コウモリみたいな翼もないし、スペードみたいな尻尾もない。どう見ても小さな人間の男の子にしか見えないその子が、本当は悪魔だなんて……。16年経ったにしては幼すぎる外見とか、先ほどの変身した姿とかを知らない人には、なかなか信じてもらえないだろう。
エレンは、そのまま悪魔を抱っこすると、まだ見ていなかった棺の中を一緒にのぞき込んだ。
王妃は肖像画そのままの美しい姿で、敷き詰められた花の中で、まるで眠っているかのように、静かに穏やかに横たわっている。
「一緒にりんごを食べたんだ。そしたらそのまま倒れて動かなくなった」
「りんご?」
エレンの隣でマーリンが首をかしげて質問した。
マーリンも小さな子が珍しいのか気になる様子で、小さな手を優しく繋いで、時々悪魔のほっぺたをつんつんしている。
「そう。中庭のりんご」
迷宮の中の植物。自生してるりんご。毒りんご?
もしかしたら、王子様のキスで目覚める感じのやつだったりして……。
エレンはこの想像が、なにげに正解なんじゃないかと思う。でも、ウィリアムにキスしてもらうわけにはいかないし。無事に帰ったら、王様に是非とも試してもらおう。
それはそれとして、エレンは目をつぶると王妃に光の魔力を流し入れて、体の中を確認した。
魔力を使って確認してみると、やっぱり、王妃は生きているような気がする。
りんご……りんご……あれ? これかも?
エレンは、王妃のお腹の中にある異物が口から外に出るようにイメージして光魔法を使った。すると『コトンッ、カラカラ』と意外と大きな物音を立てて、りんごの欠片が王妃の口から出てきた。
王妃の体の中にあった、黒い停滞感も消える。
「なんの音ですか?」
「あの、りんごのせいかもと思って、取り出せたら生き返るかもと思って……」
少し離れた場所で話し込んでいたイアンとウィリアムが、物音に気づいて近づいて来る。エレンは自分で言いながら、支離滅裂なことを言っているなと思う。
でも、全員が棺の前に集まって中を見つめたことで、全員がその瞬間を目撃した。
あ……ありのまま、今、起こった事を話すぜ!
「……う……ん」
王妃の唇から、声が漏れた。
指がゆるやかに動いて、ファサファサと、棺の中にある柔らかい花びらをつかんだ。そして、まつ毛が震えると、緩慢にまぶたが動いて、目を開けた。




