79《22》悪役令嬢は王子と話した
エレンとイアンが席を外して、パタンと扉が閉まった。マーリンは扉近くから声をかける。
「ウィリアム様……?」
ウィリアムは相変わらず静かな寝息を立てている。こんな遠くから呼びかけても、やっぱりダメみたいだ。もっと近づかなくては。
マーリンは、ウィリアムに近づいて、少しかがんでもう一度名前を呼ぶけれど、それでも反応はなくて、困ってしまった。
エレンさんなら、こんな時どうするのかしら?
例えば、イアンが眠っていて起こしたい時。
肩を叩いて『イアン様起きて』と言うかもしれない。肩を揺するのかもしれない。耳元で『わ!』と言うのかもしれないし、マーリンが考えもつかないようなやり方をするのかもしれない。
でも、たぶんエレンなら、相手が起きたらにっこりと笑って、起こされるほうも笑顔になるのだろう。でも、マーリンは、ウィリアムの肩に触れるのもためらってしまう。
だから、もう一度名前を呼んだ。でも起きない。
マーリンは少し悩んでから、ウィリアムの肩をトントンと叩いた。
「……ウィリアム様、起きてください」
「ん……マーリン……? わ!?」
「ウィリアム様!」
肩を叩いてウィリアムが目覚めたら、頬杖ついていたほうの腕がガクンと落ちてバランスを崩した。マーリンはとっさにウィリアムの肩を支えて、抱きしめて、固まった。
マーリンの心臓の音が、たぶん今ウィリアムに、未だかつてない大音量で聞こえているはずだ。
「……えっと、これ、どういう状況……?」
寝起きのウィリアムが混乱している。
マーリンも混乱している。「──っ!?」と、声にならない声で叫んでいる。
ウィリアムの頭を胸に埋めるように抱きしめてしまったマーリンは、かといって落とすわけにもいかず、とりあえずイスの背もたれまで、そっと持ち上げてから解放した。
ウィリアムもその頃には状況を理解して、お互いに赤い顔で見つめ合い、非常に気まずい雰囲気の中で、長いようで短い沈黙の時間。
「……仕切り直そう!」
「ええ、それがいいですわ!」
2人は先ほどの一連の出来事をなかったことにした。
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「もう来たんだ。早かったね」
「はい。イアン様とエレンさんに協力してもらいました。それに、夜を待たずに来られたんです」
「うん。確かにその3人なら、ここまで来られるだろうね。迷宮に入る条件はなんだったの?」
「……王妃様の肖像画でした。なぜ、私達が選ばれたのかは分かりませんけれど」
「そっか」
2人掛けソファーに場所を移して話をする。
「なぜ、寝ていたのですか?」
「脳を休める為、かな。夢は浅い眠りの時に見るらしいから。実際、寝てみたらすっきりしたよ」
「そうなんですね」
もっと話したいことは沢山あったのに。いざ、ウィリアムを目の前にすると、なにから話したらいいのかわからなくなってしまう。
マーリンが考えあぐねていると、ウィリアムが質問した。
「どうして来たの、マーリン」
「……お1人で、行ってしまったからですわ。なぜ、一緒に連れて行ってくれなかったのですか、ウィリアム様」
そんな質問を返したら、ウィリアムがこちらのほうを向いて口元だけで笑う。
「『マーリン達を巻き込むつもりはない』って言ったはずだけど、聞いてなかった?」
「私だって『ウィリアム様と一緒に行きます』と言ったはずですが、聞き入れてくれないのですね?」
「連れて行くメリットがないからね」
ウィリアムが静かにマーリンを見つめた。
「……エレンさん達まで巻き込んで、ここが危険だとは思わなかったの? 眠り続けているぼくを見たのなら、追いかけることで君やみんなの家族までが悲しむと、想像できなかった?」
ウィリアムが続ける。
「いざという時に命をかける覚悟や、家族を捨てる覚悟はあった? そこまでして、挑むほどの目的が、マーリン達にはないよね? 軽い気持ちで追いかけられるのは迷惑だ」
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しかし、ウィリアムはすぐにいつもの雰囲気に戻ると、苦笑して肩をすくめた。
「……まあ、来てしまったものは仕方ないし、イアンやエレンさんも共犯だけどさ」
発言力の強い立場であるがゆえに、ウィリアムは相手を必要以上に追い込まない。必要な際は非情に徹する場面もあるものの、基本的にはとるに足らないことは相手に譲り、相手を批判する時は逃げ道を与える。
エレン達と出会ってから、少しずつ彼本来の人間らしさや、素の感情を表に出すようになってきているけれど、こんな時はいつも、ウィリアムは優しい王子として周りに接している。
マーリンは、ウィリアムがせっかく許そうとしているのに、話を戻した。
「ウィリアム様は、覚悟を持って、この迷宮に挑んでいたのですか?」
「もちろん。まあ、死ぬつもりはないけれど……危険は覚悟していたよ」
「……なら、こんなやり方は金輪際止めてください。ウィリアム様こそ、考えなしですわ!」
「え?」
マーリンはウィリアムの戸惑う瞳をまっすぐ見つめた。イアンやエレンを想いながら、ウィリアムがいなくなってからの様々な気持ちをぶつけようとした。
「だってあんなっ、あんな別れ方したら、みんな傷つきます! イアン様は、自分のせいだとご自身を責めて、1人でウィリアム様を追おうとしていましたわ! エレンさんは、ここで助ける為に動けなければ、聖女の力が消えると言いましたわ! そして、私は……」
「待って待ってマーリン! え、なにそれ、なんでそうなるの? どういうこと?」
ウィリアムがマーリンの発言に目をみはっている。でも、マーリンは、自分の言葉を伝えようとするだけで精一杯だ。
だって、マーリンだって、心を表に出せるようになってから、それほど月日が経っていないのだ。
エレンみたいになりたいと思った。
元々エレンと関わるようになったきっかけは、ウィリアムが八百屋に足を運んでいるのを追いかけて、のぞき見た表情が、当時のマーリンには見せなくなっていた楽しそうな笑顔だったからだ。
それがショックで、エレンに小言の1つでも言おうと話しかけたらお客さんと勘違いされて、自分のほうが非礼だと気づいた。
そうしてなにも言えなくて黙りこんだら、エレンのほうから軽い世間話をしてくれて、そのままあっという間にマーリンの心もつかんでしまったのだ。
一緒にいて、気楽でいられる人だった。
素直に心を表に出すところが素敵だと思った。
逆境の中でも、楽しく過ごすところに憧れた。
エレンは元から可愛らしい外見だけど、時折、マーリンが思わず息を止めるほどに、美しく輝く瞬間がある。
マーリンはそんなエレンを見て、人が人の為に怒ったり泣いたりする姿は、人が持つ根源的な美しさだと知ったし、人は他者の未熟な一面に強く惹かれるのだということに気づいた。
未熟さは、欠点でも、隠すものでも、克服するものでもなかったんだ、と気づいた時の衝撃をマーリンは今も覚えている。
そしてなによりも……周りから、ありのままに認めてもらえるエレンが、眩しくて、羨ましかった。
だからマーリンは、エレンの素敵だと思うところの中で、マーリンにもできそうな部分から、少しずつ少しずつ言動を変えていったのだ。
「私は……!」
でも、心を言葉にしようとするのは、とても難しかった。
特に、好きな人の前で心を出すことが、これほどの勇気を必要とするものだなんて、マーリンはずっと知らなかった。
だから、今回も、結局言えない。
「こ、婚約者として……文句を言いに来たんです」
「命をかけて?」
ウィリアムの返しに言葉が詰まり、マーリンは話をそらした。
「……王様も悲しんでいましたわ」
なんとか、苦し紛れに言葉をつむぐと、なぜかウィリアムはとても楽しそうな顔をしている。
「そうだろうね、いつも怒られてる。マーリンも傷ついた? あの別れ方で」
「……当た、り前です」
「そっか、ごめんね」
マーリンの手の上にウィリアムの手が重なって、ウィリアムの顔がマーリンに近づいた。
目を閉じると目の表面を包んでいた涙が一粒落ちて、その涙に口づけされた。まぶたを開けて見つめると、ウィリアムは「夢の中でも涙に味があるか気になった」と言って笑った。
唇にキスされると思っていたマーリンは、顔が赤くなりうろたえた。すると、ウィリアムがマーリンの髪に指を通しながら、甘い声で質問する。
「ぼくにどうしてほしい? マーリン」
「一緒に帰ってください」
「ああ……うん」
「……なぜガッカリされているのですか?」
質問されたから答えたのに、答えたらなぜかしょんぼりされて、マーリンは先ほどの動揺が引っ込んだ。
「いや、今日こそはマーリンにキスをねだられるかもと思ったから……」
「ねだ……っ!? そ、そんな目的でここまで来たわけではありませんわ!?」
「はあ……ぼくの婚約者様は、一体いつになればデレてくれるんだ……」
ウィリアムは少し遠い目をした。
しかしわりと早く立ち直って、マーリンが先ほど言った『帰ってほしい』への返事をする。
「そうだね……帰りたいのは山々だけど……マーリンは中庭の棺の中を見た?」
マーリンが戸惑いながら「いいえ」と言うと、ウィリアムは「そっか」と言った。
「多くの花に、包まれていた。穏やかに時が止まっていて、眠っているようだった。父上も会いたいだろうし、連れて帰りたいんだ……母上を」




