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61《4》聖女とひよこ

 観たい演劇が始まるまで、まだ少し余裕があったから、劇場近くを散策する。

 劇場前には噴水のある大きな公園があって、木々がさわさわと揺れ、色とりどりの花が咲いていた。


「私ここに来たの初めてです。綺麗な所ですね」


 ずっとこの国で暮らしてるのに、行ったことない場所ってたくさんあるんだなあ。

 エレンはきょろきょろと珍しそうに周りを見た。

 公園では、家族連れやカップル、ランニングをする人など、様々な人達が思い思いに過ごしている。


「私も入ったのは初めてです。こういう場所に、これからはもっと行きたいですね。2人で」


 イアンがそんな風に言うから、エレンも「そうですね」と言って笑った。

 そして綺麗な景色に興味を向けるような感じで、さりげなくイアンから視線をそらした。

 そんな演技派エレンの心の中は大変騒がしい。


 も、ももももう次のデートのお誘いですよ!?

 イアン様ったらー、気が早いんだ、か、ら☆

 きゃー! わっちょーい。


 鎮まれ! 鎮まりたまえ! 我が心の臓よ、なぜそのように荒ぶるのか!?


 いつもよりおめかししているエレンは、同じようにカジュアルとフォーマルをブレンディしたイアンに見惚れている。2人きりになってすぐに、お互いに今日の格好を誉めあったけれども……実は5秒以上見つめることができない。かっこよすぎて……!


 隣国で一緒に過ごしたことで、イアンのことを更に好きになってしまったエレンは、自分自身の感情に内心とても戸惑っていた。

 もしこの世界がギャルゲーなら、すっかりイアンに攻略されてしまっている。


 でも、エレンが骨抜きになっていることにイアンが気づいたら、たぶん確実に乙女のピンチなので、この心についてはトップシークレットだと危機感を募らせるエレンだ。


 ん? 男性向け恋愛シミュレーションゲームは『ギャルゲー』なのに、女性向けは『乙女ゲー』?


 ふと湧いた素朴な疑問に、エレンの頭の上にはてなが3個くらい浮かんだけれど、考えても答えは出そうにないので、まあいいやと思った。

 代わりに別の疑問を口にする。


「そういえばイアン様、お休みの日忙しそうなのに、私とこれからも遊んで大丈夫なんですか?」


 イアンとはあんまり休日に会えないイメージのエレンである。


「ええ。達成目標は隣国だったので」

「アルバイトの目標?」

「んー……アルバイトや、訓練の目標?」

「ほう?」


「まあ、腕がなまらないようにどちらも続けますけれど……今後はペースを落とそうと思っています」

「あ、なるほど……!」


 隣国をいつか救う為に、イアン様は日々、剣や魔法を実戦できる場で頑張ってたんですね!


 するとイアンが歩みを止めたので、エレンもワンテンポ遅れて立ち止まり振り返る。イアンは真剣な顔をしている。


「イアン様……?」


 エレンの声にすぐには応えず、イアンは姫の手を取る騎士のように、エレンの手をうやうやしく持ち上げ、エレンの瞳を真摯に見つめた。


「隣国を救っていただき、ありがとうございます。……危険なことに巻き込み、申し訳ありません」


「いえ。よかったです。みんなが……イアン様も……無事で……」


 思い返してみると、あの時は結構かなり危なかったんじゃないかしらん。よくもまあみんな無事でいられたものだ。人の縁と色んな偶然と、その他もろもろが全部そろって、なんとかなった。


「エレンさんは、私達の命の恩人ですね」

「いえ、私だけの力じゃないし……というか、もう命を粗末にしないでくださいね?」

「はい、誓います。……命にかけて?」

「だーかーら、そうやって気軽に命をかけるんじゃありません!」


 結局最後は冗談になって、つっこんで笑う。

 そうしてまた手を繋ぎ直して歩く。


「でも、しんどい時とか、もっと頼ってくれていいんですよ? だって、今回のとか、みんなで頑張ったから、うまくいったわけだし」


「はい。こんな結末、想像もできませんでした。

エレンさんがいてくれてよかった……本当に、ありがとうございます」


「ふふ、どういたしまして」


「そうだエレンさん。さっき話してたやつ、今見ます? ルカくんと連絡するやつ」


「あ、はい! 見たいです!」

「じゃあ、あのベンチに座りましょうか」

「はあい」


 そうして2人でベンチに座ると、イアンはレシートくらいの小さな紙片を取り出してさらさらと文字を書いた。エレンはその様子を隣でのぞきこむ。


 紙片には『ルカくんお土産なにがいい?』と書いてある。


「やっぱりイアン様、ルカと仲良し……私にはそんなこと聞いたことないのにっ」

「えーと……今のはエレンさんに見せる用に用事作っただけですよ。あと、お礼?」


 むう、という顔でエレンが不満を口にして、苦笑するイアン。でもエレンも本気で怒ってるわけではないので、イアンの言葉にきょとんとした。


「お礼? ルカがなにかしたんですか?」

「うん、エレンさんが風邪引いてた時に教えてくれたので」

「あ、なるほど。この前は、お見舞いに来てくれて嬉しかったです、ありがとうございますイアン様」

「いえいえ。あんな感じなら何度でも行きたいくらいですよ」


 イアンはそう言ってエレンと向き合うと、艶やかに微笑む。エレンはなにやら急激に雲行きが怪しくなったことを察知して、激しい心音を感じながらもイアンに質問する。


「ええと、そ、それはなにゆえ、でしょう?」

「ふふ、なぜって?」


 イアンの手が、ゆっくりとエレンの頬に触れて、耳をなで、髪に指を通していく。

 それだけでエレンは体中の血が熱く巡ってドクドクとするのに、イアンは唇をエレンの耳に近づけて甘く妖しく囁いた。


「エレンさんの部屋に入って……ベッドの上で誰にも邪魔されず……唇以外の場所にキスできるから」


 ひゃああああ!?


「……という表現をすると、色々と誤解を招いて妖しげですよね。ってあれ? エレンさん?」


 イアンはエレンから顔を離すと、そう言って一連の冗談を締めくくったが、冗談の途中でエレンは色々と限界になってノックダウンだ。きゅう。


 ……ちなみに、エレンの名誉の為に言っておくと、以前されたのは、でこチューだ。


****


「紙片持ち歩いてるんですね」

「ええ、緊急時用に。準備ができたら次はこれです」

「……笛?」


 復活したエレンの質問にイアンは微笑んで、取り出した小さな木細工を唇にあてがう。そして「ピー!」という音を鳴らした。すると……。


 とてとてとてとて……


 そんな頼りない羽ばたきが近づいて来る。

 そしてその姿を見たエレンは、あまりの可愛さに息が止まりそうになった。


 そ、空飛ぶひよこだーー!


 ひよこはイアンの人差し指に止まった。目もくちばしも羽根もちまっとしていて、とても可愛い。

 そして、小さなバッグを斜め掛けしている。


 きゃ、きゃわっ……きゃわわっ!

 なんかもう、生きてるだけで可愛いやつである。

 エレンは両手で口を押さえてぷるぷるしている。


 イアンは紙片を折り畳むと、ひよこの小さなバッグに入れた。そうしてひよこの頭をなでながら優しく語りかける。


「ルカくんに届けてね?」

「ぴよ!」


 うなずくひよこ。エレンはこの感動を表す言葉を知らない。先ほどからずっと、声にならない叫びを上げながら身悶えている。


「エレンさん、エサあげてみます?」


 イアンがそう言ってポケットから小さな巾着を取り出した。エレンがうなずくと、エレンの手のひらに、しゃりしゃりとお米を出してくれる。


 するとエレンの手のひらに、温かくてふわっふわなひよこがぴょこんと飛び乗った。

 人への危機感0である。


 そして小さきものは、ちっちゃなくちばしで、一生懸命お米をついばみ全部食べて、とてとてと飛んで行くのだった。


「魔鳥の中でも元々賢くて気性の優しい種を、長い年月をかけて少しずつ伝書用に育てた品種だそうですよ。見た目も愛らしいですよね」


「はい……可愛い……黄色い天使……」

「エレンさん?」


 やっと人の言葉を話したエレンは、先ほどまでひよこが乗ってたほうの手をそっと胸に抱いてうっとりしている。


 エレンの、イアンへの好感度を100とするのなら、小さきものは推定好感度130を叩き出してしまった。


「ルカの返事がくるタイミングで、今日もう一回会えるんですよね……ふふ、早く返事来ないかなあ。ねえイアン様、手紙をあの小さなバッグから取り出すの、今回は私がしてもいいですか?」


 イアンの手を両手で包んで可愛くおねだりする。

 5秒以上余裕。もはやイアンを普通に見つめられるエレンである。


「あ、はい。いいです……よ?」

「嬉しい! ありがとうございます、イアン様」

「なんか嫉妬するんですけど……」


 イアンはまさか、ひよこが最大のライバルになるとは思わなかった。

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