6 聖女のアパート生活最終日
「いらっしゃーい」
エレンはアパートのドアを全開にして笑顔でお出迎えした。
ドアの向こうにいるのは、いつものメンバー。旧弟と、ウィリアムとマーリンと……イアンだ。
6畳1間のアパートは、上のメンバーに加えて、エレンと新お父様も座るからさすがにぎゅうぎゅうになった。
「弟くん、そこのソース取って」
「はいどうぞ」
「あ、使ったあと次こっち下さい」
「へえ、これジャガイモなんですね」
「うん、お味はどうですか?」
「今日もおいしいですよ」
「それはよかったです」
「ほらほら、マーリン、好き嫌いはいけないよ?」
「た、食べますから! 自分で食べますから!」
「あ、この平べったいやつ味違うな」
「ハムチーズも揚げてみたの。こういうのもいいよね」
なんて言いながらご飯を食べて、このアパートでよく集まって色んなことして過ごしたね、なんて、思い出話をする。
ご飯食べたり、一緒になにか作ったり、勉強したり。
外でバーベキューしたこともあったし、魔法を見せてもらった日もあった。
「歴代の聖女の扱いについて……恥ずかしながら知りませんでした。先日は使者が大変失礼しました」
などとウィリアムが言うから『なぜウィリアム様が謝るのかしら』と思ったら、実は王子様だった。エレンも新お父様も旧弟もあんぐりと口を開けて、その口が塞がらない。ついでにマーリンはウィリアムの婚約者だった。
これらはこの日最も衝撃的だった事件である。
「聖女は王城に往き来自由なんですよ」
「え、そうなんですか?」
「ええ、立場としては王族と同等の扱いです。今後なにか困った時は相談して下さいね」
「ありがとうございます。そうだ、歴代聖女の使えた魔法とかが分かるような資料とかありますか?」
「そうですね、国が管理してたからあるはずです。確認しておきますね」
「なんで歴代の聖女調べるの?」
「んー光魔法って治癒魔法だけなのかな? って思って。頑張ったらバリアとかもできそうじゃない?」
旧弟の何気ない質問にのほほんと答えたら、他のみんなが驚いていた。そもそもそんな発想がなかったらしい。ってことはないのかしらん? まあ調べるのはただだし、明日から暇だし。
某RPGだと光魔法で攻撃系もあるよね。でもなんか、今覚えるのはバリアとかその辺が正解な気がする。
エレンは以前マーリンが言っていた、伝承になってる聖女のことも気になっている。
そんな感じに時に真剣な話をしつつも、楽しい時間はあっという間に過ぎていった。そして「新居にもこれまで通り気軽に遊びにきてくださいね」と約束して、お開きだ。
「それでは、夜分遅くまでお邪魔しました」
「いえいえ、いつもエレンと仲良くしてくださってありがとう。またいつでも遊びに来てください」
「はいぜひ」
エレンも外に出る準備をする。
「私もちょっと出てくるね」
「うん、いってらっしゃい」
「あまり遅くならないようにな」
「はあい、いってきまーす」
さて、この違和感にお気づきだろうか。
「ってあれ? 弟くんは帰らないの?」
さすが気配り上手なウィリアム様、よくお気づきで……!
ちなみにエレンの中ではもはや日常と化している。
「最近物騒なので、夜遅い日はこのまま寝泊まりしてもらうことにしたんですよ」
「ああ、そっか。普通の人は魔力がないんだったね。周りが使えるから忘れてしまうな……」
「学園に通う人はみんな魔力持ちですもんね」
最近、魔獣が凶暴化してきていた。
今のところ街中に魔獣が現れることはないけれど、日常は少しずつ変わり始めている。例えば、八百屋では置いてる果物の種類が減った。国外の移動が危険すぎて、隣国から取り寄せていたような品物を店頭に置けなくなってしまったのだ。
営業時間を短縮しているところも多いし、魔力のない人は夜間の出歩きを自粛している。エレンが聖女として重傷者の治療に呼ばれるのも、魔獣関係がほとんどだった。
「私も攻撃系の魔法は使えないので、玄関先でのお見送りですが……お二人とも気をつけて帰ってくださいね」
「充分ですよ。またね、エレンさん」
「今日はありがとうございます。おやすみなさい」
「はい、また。おやすみなさい」
エレンがにこやかに手を振ってウィリアムとマーリンを見送る横で、エレンにがっちりと手を掴まれてるイアンは戸惑いを隠せない。
「あの、エレンさん……?」
「はい、なんですかイアン様」
「帰れないんですが……」
「帰さないですもん。言いたいことはそれだけですか?」
エレンは珍しく激おこモードである。
え? 死語? 今はなんて言うんですか?
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「えっと……とりあえず立ち話もなんですし、少し歩きませんか?」
「いいですね、喜んで」
イアンからの提案に同意したエレンは、イアンと手を繋いだままのんびりと歩く。出逢ってから1年半ほどになるけれど手を繋ぐことは未だかつてなく……イアンが若干ギクシャクしている。
「あの、逃げないので、もう手を離しても大丈夫ですよ?」
「ふうん? いい心掛けですね。だが断る!」
エレンは逆にイアンの手を両手で包み込んだ。なぜかさらに強化されて困惑するイアン。そしてそんなイアンを見れてエレンは大変ご満悦である。
ふはははは、戸惑え! もっとだ!
だがなんやかんやでエレン耐性のあるイアンは、まあいいかと早々に諦めてエレンの手を握り返した。そんな切り返しに今度はエレンがびっくりして、大人しくなる。
そうしてなんとなくお互い、なにを話すでもなく、無人の街を歩く。
最初に口を開けたのはイアンだった。
「八百屋、辞めちゃったんですね。もうエレンさんのエプロン姿が見れないなんて残念です」
「イアン様が、ずっと来ないのが悪いんですよ? もう、会いに来ないのかと思いました」
口を尖らせるエレンを見て、イアンが笑う。
「なんか、まるでエレンさんが、寂しがってくれてるみたいですね」
普段のエレンなら冗談で「べ、別に寂しがってなんかないんだからね!?」とか返すようなそんなフリに、らしくない返事をしてしまったのは、なぜだろう。
「……私が寂しがるの、変ですか? 寂しがってましたよ、ずっと。イアン様が、今日も来ない、今日も来ないって。もう来てくれないのかなって。今だって……この手を離したら、次に会えるのはいつだろう……って思ってますよ……」
「これ……エレンさんからの愛の告白だと受け取ったら、また、誤解とか勘違いって言われるパターンですか?」
「……言います」
「うわ……もうなにも信じられない……」
イアンはそう言うと苦笑して、それでも。
泣いてるエレンを優しく抱きしめた。
「すみません、寂しがらせるつもりはなくて……。最近、兵士の訓練に混ぜてもらっているんです。だから、訓練場に来てくれたらいつでも会えますよ」
「訓練場……? 行ってもいいんですか?」
「はい、いつでも。会えたらとても嬉しいです」
「じゃあ見学に行きます……今度」
そう言って、エレンもイアンの背中にためらいながら手を伸ばす。
そうして、しばらくそのまま二人は、お互いに抱きしめ合っていた。