5 聖女、八百屋やめるってよ
「お父ちゃんすごい! 過去の聖女の話とかよく知ってたね」
「はっはっは、知ってるわけないじゃないか! 想像力とその場のノリだよ」
「な、なんだってー!?」
ずこー!
エレンは盛大にこけた。
まあでも確かに、国の政策で聖女が自殺、みたいなことがもし過去にあったとしたら……国は全力で闇に葬るだろうし、一般人が知り得るはずがない。
「まあこれまで当たり前のようにできていたことくらい、向こうもなんとかするだろう。これからも今まで通り、エレンの生きたいように生きたらいいさ。人の幸せは、自分の犠牲の上には成り立たないものだ……」
「お父ちゃん……」
「……と、最近妻に三行半を突き付けられた惨めな私は思うのだった」
「お父ちゃーん」
「エレンエレン、もし聖女のお役目につくことになってお屋敷暮らしになったら、奥さんを呼び戻しに行ってもいい?」
「いいよいいよ、お父ちゃんの生きたいように生きたらいいよ!」
「うう、ありがとうエレン、なんていい子なんだ」
「お父ちゃんお父ちゃん、私ももし聖女のお役目につくことになってお屋敷暮らしになったら、旧家族も一緒に住めたらいいなあと思うんだけどどうかな?」
エレンは実はもらわれっ子で、旧家族もなかなかの貧乏なのだ。
「うむ。弟くんももう息子みたいな気分だし、エレンのご両親も親戚な気分だしな。みんなで住むかー」
「わー、私なんか楽しくなってきた!」
聖女になるのも、悪くないかもね?
そして翌日にまた使者が来て『聖女になっても街中を自由に出歩いていい』『これまでと近い生活が送れるよう約束する』と言った。全面降伏である。
えー、やろうと思えばできるんじゃないすかー。
むう……逆に解せぬ。
まあでも『あらかじめ危険と分かる場所に行く時だけはどうか事前にご連絡を』と言われて、まあそれはさすがに『わかりました』と返事した。
そして、王宮で魔力量を測定した結果、エレンは《聖女》と国に認定されたのだった。
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「大将……長い間、お世話になりました。最後のほう、休んでばっかりですみませんでした」
「まあこればかりは仕方ないさ。エレンちゃんが聖女かあ。いやあそうかもしれないなあと思ってたんだよ。でも寂しくなるなあ」
エレンは八百屋を辞めることにした。今日はその挨拶に来ている。
聖女のお役目についてからのエレンは、緊急を要する治療が必要な時に呼ばれるようになっていて、日によっては1~2回呼ばれる時もある。
治癒魔法を使い過ぎるとくたくたになって、立っているのがしんどくて、八百屋に戻っても全然仕事にならなかった。
そんな時、大将は『エレンちゃんだって体が資本なんだから、今日はもう帰ってお休み』と言って、今までみたいに、余った野菜を包んで渡してくれていた。見た目で損してる、優しい店主なのだ。
とてもいい職場で楽しかったけれど、エレンが辞めたら他の人を雇えるかもしれない。
治癒魔法は使う度に慣れてきて、体力も消耗しづらくなっているけれど、忙しい時間帯に抜けたりするのが申し訳ないと思っていた。
もう、金銭的にはアルバイトする必要もなくなるし、明日はお屋敷に引っ越しだからちょうどいいタイミングかなと思って、エレンは思いきって辞めることにした。
「大将、これからは、お客さんとして野菜買いに来ますね」
「ああ、ぜひ頼むよ。聖女ご用達の八百屋ってね」
「おー縁起良さそうですね。今日さっそく買っていきますよ! ジャガイモ12個と玉ねぎ2個とキャベツ1玉ください。あ、あとトマト3個」
「あいよー」
これからご贔屓にしーよう。
そうしたらきっと、今までの恩も返せるし、仲良くなったマダム達ともお話できる。
大将との話が一段落したら、八百屋で働いてる旧弟が、今日の晩御飯について質問してきた。
「お姉ちゃん今日のご飯なに?」
「今日はねえ、コロッケだよ。イアン様達、連れてきてね。今日はあのアパートで過ごす最後の日だから」
「うん、ちゃんと伝えてるから大丈夫だよ」
「さっすが我が弟! たくさん作って待ってるね」
旧弟はお屋敷に住んでからもこの八百屋で仕事を続けるって言っていた。そんな旧弟は私がいつも日本料理を作るので、料理名を聞いたらどんなものかわかる程度に日本通になっている。
「あ、大将! 重いのでちょっと台車借りていいですか?」
「うん、いいよー」
「ありがとうございますー」
るふるんるん。このまま、お米とかミンチとかも買って帰ーろ。あ、ハムやチーズもいいなあ。
はう、こんな贅沢三昧でいいのかしら……。
いつも見切り品をちまちま買ったり、八百屋のおつとめ品をただでもらっていたエレンにとって、こんなに大きなお買い物ができる日がくるなんて夢みたいだ。
この前の魔獣退治の時の治癒魔法が、臨時収入になってラッキー。って、ラッキーはよくないか。亡くなった方もいるもんね。
ふと、エレンは立ち止まった。
魔獣退治で、自然とイアンを思い出して暗い気持ちになる。あの日以来、エレンはイアンに一度も会えていなかった。それまでは毎日のように八百屋に来てたのに、ぱったりと来なくなってしまったのだ。
マダム達が『私達が茶化したせいかしら……ごめんね、エレンちゃん』って気にしてて。『違いますよ。私がやらかしちゃったんです』なんて言ったりして。
旧弟に『今日はイアン様来た?』と聞いては『来なかったよ』と言われてしょんぼりして。
ウィリアムやマーリンと会った時に、学園にいる時のイアンの様子を聞いてみたりして。『ぼんやりしてることが多くなってる』とか言われては心配になって。
別に、毎日会う約束をしていたわけじゃない。
恋人でもない。
だから、イアンがもうエレンに会うつもりがないのなら、こんな終わりになることもあるのかもしれない、けれど。
「八百屋、辞めちゃったから……本当にもう、気軽に会えなくなるのに」
エレンはあの日の唇の感触を、まだ覚えている。
熱く見つめるサファイアのような瞳も。
甘い吐息も。抱きしめた腕の力強さも。
あの日に交わした言葉達も。
今までで一番近づいた日が、最後の日なんて。
別れる時の会話やイアンの表情が、苦い記憶となって、エレンの心をズキリとさせた。
あの時、別の言葉を言っていたら、もう少しなにかが、変わっていたのかな?
エレンは頭を振ってまた歩き出す。
今夜は、たくさん思い出のあるアパートで、みんなで過ごせる最後の日だよ、イアン様。
だからお願い、会いに来て。
そしていつもみたいに笑ってよ。