4 聖女は貧乏暮らしとおさらばするのか
魔獣騒ぎの後、イアンに家まで送ってもらう道すがらはすっかり暗くなっていた。
「イアン様は、これまでも魔獣と戦ったことがあるんですか?」
「いいえ……追い払ったことくらいしかありませんよ。あんなに獰猛なのを見たのも、初めてです」
「そうなんですね。全然危うげなくて、すごかったです」
「今回は、動きを予測しやすかったのと、地の理がありましたからね」
イアンはどこか上の空だった。ぼんやりしながらも、今日の魔獣の生態について話す。
「……あの魔獣は、本来怖がりで、滅多に人を襲うことはありません。知らない足音がしたら逃げるような、そんな魔獣で……主食も普段は山菜とかなんです」
「そうなんですか……」
あの凶悪な姿を思い返すと、とても信じられない。
「……あなたを連れて行ったのは軽率でした。危険にさらして、申し訳ありません」
「私は大丈夫でしたよ? それに、イアン様が私を連れて行ってくれたから、助かった人もいたと思います。きっとこれが最善でしたよ。……無事帰れてよかったじゃないですか。あ、イアン様はどこか怪我してませんか? もし怪我してたら、見せてください。ね……イアン様」
「もし、あと1匹、魔獣がいたら危なかった」
「……イアン様」
「戻ったら、木の上にいたはずのあなたが、地面にうずくまっていて、泣いていて……怖かった……とても」
「……ごめんなさい」
「いえ、あなたは悪くないんです。馬車の中の人達は動かせなかったし……助ける為にそうするしかなかったと、頭では理解しているんです。でも……例えば私だけ先に行って危険を潰して、エレンさんには救援の人達と後から来てもらうとか……そんな方法もあったはずだと、今さら思いつく」
そう言って、つらそうに微笑むイアンに、エレンは何も言えなかった。
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「ええ!? 私が『聖女』!?」
どっひゃー!
翌日、王宮から使者が来て、お偉いさんが来たぞ大変だーと、とりあえず八百屋の大将に休みの連絡をして家に帰りお茶を出し……。
そうしてようやく話を聞く体制になったらそう告げられて、どっひゃー! となる私と新お父様。
「はい、昨日のエレン様の奇跡の力。あれほどの治癒魔法を短時間に複数回使用されて、魔力が枯渇した様子もない。正式に魔力量を調べるまで断定はできませんが……状況証拠と魔力の発現時期から、ほぼ確実視されています」
「これは父さん鼻が高いなあ」
「もーお父様ったら! まだ断言はできませんわよっ」
「つきましては、これから王宮に赴いていただき、検査を受けていただけますか?」
「もちのろんです!」
「……?」
「こほん……慎んでお受けいたしますわ」
使者の戸惑った表情を見て、エレンは言い直し、にこっと微笑んだ。
そっかあ、もちのろんですは、やんごとなき方には通じないのね。貧乏暮らしが長すぎて、まともな敬語が出てこない。これは男爵令嬢エレンを召喚するしかないわね!
おお、男爵令嬢時代のエレンよ……再び我の前に姿を現すのじゃ……きええええい!!
脳内でわっさわっさと、神力のありそうな葉っぱをぶんぶん振り回す。ただの思い込みだが、そうするとエレンは本当に男爵令嬢モードになるのだ。
「聖女に認定されると……なにかいいことってあるのかしら。例えば我が家は借金があるのですが……」
言葉を取り繕ったところで、内容が情けないのはご愛嬌。全ては貧しさのせいである。貧~しさに~負けた~いいえ~世間に~負~けた~。
使者はそんな質問にも生真面目に答える。
「聖女認定されますと、国の為にその力を使っていただくこととなります。同時に国の保護下に入ります。充分な報酬とセキュリティの高い住居を保証いたします」
エレンは新お父様と目線で会話した。
『ふおお!』
『わおわお!』
「ただし、今後の外出は制限されることをあらかじめご承知おきください。国の要請による外出の際も、常に護衛をつける形となります」
「……そうなんですか? 貴族でも自由に街を歩いたりできるのに……?」
「貴族は基本的に四元素いずれかの魔法を扱えるので、危険遭遇率も少ないのです。あなたは身を守れるような攻撃魔法が扱えません。治癒魔法を使えることが周りに広まるほどに、誘拐等にあうリスクが高まります。……通常の治癒魔法士も、同様の理由により保護対象ですが、こちらの場合はある程度本人の希望が尊重されます」
知らなかった……無知って怖いのね。
わりと気軽に治癒魔法をバンバン使ってたエレンは恐れおののいた。たぶんご近所さん達は普通に知ってる。ああ、平和な国でよかったなあ。でも、これからはそうも言っていられなくなるのかな。今まで通りにはもう暮らせないの?
「ま、ままままあでも、今だって別に家と八百屋の往復だし!? いいお家に住めて借金も返せていい暮らしができて、私の魔力が役に立つなら……いいこと、なんだよね……お父ちゃん?」
色んな人にも、もう会えなくなるのかな。これまでみたいに、気軽に周りに魔法を使うのはいけないことなの?
エレンは新お父様を見る。するとエレンの頭にぽんと手を乗せて、新お父様が使者にゆったりとした口調で話した。
「突然のことで、この子にはまだ受け入れる余裕がありません。今の生活にも馴染んでいて、お世話になった人々もいます。今日のところは、どうかお引き取りを」
「そのような訳には参りません」
「それでは、もっといいお話をいただきたい。例え広い屋敷でも、閉じ込められたらこの子の心が死んでしまう。この国は人一人の自由な言動すら守れないのですか? それすら制限させながら、死ぬまで国の役に立てと?
人をつけるにしても、それをこの子に感じさせない程度の距離を保つなどはできませんか? ……あなたは、過去に寿命を全うできなかった聖女の死因をご存知でしょうか?」
いつになく頼もしい様子に、エレンは呆然とする。結局新お父様は使者を丸め込んだ。
使者は、自分には決める権限がない為一旦持ち帰ると言って帰っていった。