34《10》聖女は明日からのループに臨む
「じゃあ……お兄様は、もしループがなかったら……亡くなっていたはずなんですね」
エレンがそう言うと、イアンは曖昧に微笑んだ。
ループがあったから今も生きている。
ループによって、今も尚、死に続けている。
「兄とは……兄が家に居た頃は、不仲でした。
そもそも私が一方的に嫌っていたし、兄にはどうせ敵わないからと……なにも学ばず……反抗ばかりしていました。
隣国の不運を知ったばかりの頃も……家族は嘆きましたが……私にはどうでもよくて」
イアンはエレンが知らない頃の、イアンと家族の話をする。
「でも、どうせ記憶に残らないならと、私は隣国に行って……兄になついたふりをして、3日間付きまとってみることにしました。すると、兄はそんな私を受け入れて……喜んで……。
仕事の合間に、稽古をつけてくれたり、さっき食べた屋台のやつとかを『旨いから食べろ』と奢ってくれたり……したんです。
……遠い昔に、消えた出来事ですが……」
イアンが、好きな屋台メニューだと言っていた。
イアンの中にしかない記憶でも、イアンにとっては忘れがたい、大切な思い出なのだろう。
「……おいしかったですね」
エレンは一生懸命考えたけれど、そんなことしか言えなかった。
「うん、何度食べても、あの時の味がします」
そう言ってイアンが笑う。
エレンとイアンの間には、テーブルが邪魔をしていて、そもそも手が届かないところにいて、手を触れることもできない。
というか、そもそも『触らないでほしい』とイアンに言われたばかりだ。
「3日目……私は兄が殺されることを知りませんでした。私は当時、風魔法をろくに使えず、剣の心得もなくて……なにもできませんでした。
助けることはもちろん……時間稼ぎすら……。
むしろ、兄に死ぬ間際まで、心配させた……」
エレンは結局近づいてしまう。2人を阻むテーブルの横を通って、イアンの隣に行って、地べたに座る。
「だから、今のイアン様は、努力家なんですね」
「……ふふ、人より劣っているから……努力くらいは人並み以上にしないとと……気づいただけですよ」
「……そんなこと、ないですよ」
エレンは立て膝をついて、体に巻き付けていた毛布を広げると、イアンを後ろから包むように抱きしめた。
なんだか、精一杯背伸びしているまだ小さな男の子が、泣いてるように見えるから。
すると、さっきエレンが心配してた通り、やっぱりイアンの体が冷たいから、いじらしくて可愛くて、放っておけない。
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「……こんなに冷たくしてたら、風邪引きますよ」
「大丈夫です、鍛えているので」
そんな返答に、エレンは思わず笑ってしまう。
「もー……ばか」
そう言うとエレンは、イアンの体の中に、きらきらした温かい魔力を流した。温かくなりますように、元気になりますようにと思いながら。
エレンの魔力で温かくなってきたイアンが、尚も軽口を叩く。
「……なんか今なら、エレンさんを押し倒してもいけた気がします……タイミングしくじりました」
エレンも正直、このタイミングだったらほだされてた気がしないこともなかった。否定しとくけども。
「だ、ダメですよ! 邪な考えは止めてくださいね」
「はい。もうしません。……エレンさん、さっきは本当にすみませんでした」
「ううん、私のほうこそ。……なんだかこういうやり取り、懐かしいですね」
「はい本当にもう……以前の失敗から学ばずにとんだご無礼を」
あ、懐かしがって言っただけのつもりが、イアン様を恐縮させてしまった。
ちなみに誤解がないように一応言っておくと、
《小説家になろう》は全年齢対象の健全なサイトなので、イアンの「いけた気がする」も、エレンの『ほだされたかも』も、どちらも気のせいである。
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すっかり元サヤに収まったエレンとイアンは、明日からのループに向けて、作戦会議をすることにした。
エレンが素朴な質問をする。
「マーリン様に国別システムについて聞きました。
ある国が災厄に見舞われても、他国は影響を受けないって。お兄様や令嬢を、私達の国に連れて行ったらどうなるんでしょう?」
イアンはもうすでに試したことがあるようだ。
「出られないって言っていました。
門までは行けたのですが……どうしてもこれ以上進めないそうです。……手を引っ張ってみてもダメでした。
見えないなにかが思考や行動を阻害していて、この国の人達は国から出ることができないようです」
イアンが2人分のお茶を入れ、片方をエレンに渡す。
エレンはソファーに座ったまま、肩にかけている毛布の片方を広げて微笑んで『この中においで』とイアンを誘う。
「そうですか……脱出はできないんですね……」
イアンと肩を寄せあって温かいお茶を飲みながら、エレンは他にどんなことができるだろうと一生懸命考えた。うむ、なんも浮かばない。
「この3年間……多くの人達が知恵を出して、時を動かす方法を模索しました。実現可能なものもあれば、不可能なものもあって。
ウィリアム様の考えた案なんかは……今でもかなりいい線だと思うのですが……実現できませんでしたね」
「ウィリアム様が? どんな案だったんですか?」
「国を乗っ取る」
「うわ」
エレンは驚きのあまり絶句して、その様子にイアンが笑った。
「あはは、でももし隣国が自国に吸収されて消えれば……隣国のバグも消滅するかもしれませんよ?
まあ、大人達に怒られたって言ってましたけどね」
「だって過激派発言ですからね?」
エレンは自国の王様が、オロオロする様子を容易に想像することができた。
「あ、そういえばイアン様、手紙に書いてた『確認したいこと』は確認できたんですか?」
「……半分だけ、確認できましたよ」
「半分? どんなことですか?」
イアンは空になったカップをゆらゆら揺らしながら、話した。
「これは想定ですし不明点も多いのですが……たぶんループは、同じ3日間の巻き戻しではありません。
この国では、兄の生死が交互に訪れるループが発生しているのだと、思います」
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「もう遅いし、そろそろ寝ましょう」
エレンは尚も質問しようと思ったけれど、イアンがそう言って打ち切った。
確かに眠いので、エレンは「そうですね」と言った。
「エレンさん、ソファーベッドの切り替え方法わかりますか?」
「ううん、わからないです」
「じゃあ、説明しますね。ソファーの横のこの部分にレバーがあって……」
「ほうほう」
イアンがソファーの横にひざまづいて、ベッドにするやり方と、ソファーにするやり方を教えてくれた。エレンの力でもちゃんとできた。
イアンは、その様子を見守ってから、エレンに手の届かない位置まで下がり、微笑んで言う。
「ではおやすみなさい、エレンさん。良い夢を」
「はい、イアン様も素敵な夢を。おやすみなさい」
エレンは、普通のベッドに向かうイアンを見送ってからソファーをベッドに切り替えて、横になる。
イアンは一声かけてから、部屋の灯りを消した。
暗くなった部屋で、エレンは毛布の中に頭まですっぽりと入った。そして、日中にひらめいたことを試してみることにする。
手のひらを合わせて、少しだけ隙間を開けて、魔力を流してみた。
きらきらした魔力が、ほのかに輝いて、毛布の中を淡く照らした。光量も調整できそうだった。
寝て起きたら、1日目が始まる。




