33《9》聖女は騎士と一夜を明かす
「じゃあ、私もシャワー浴びてきます。
エレンさんは先に食べててください」
なんて、イアンが相変わらず気を使うから、エレンは首を横に振った。
「ううん、待ってます。お風呂上がってから一緒に食べましょう?」
「じゃあなるべく早く上がりますね」
「えー? イアン様もゆっくり入ってきてください。私はまったりしてますので」
そう言うとエレンは、気を配り過ぎてるイアンのお腹をこちょこちょしてみた。イアンが笑って、腹筋が揺れる。
「え、ちょっと待ってあはは、なになに」
「ふふふ、もっと気を抜いてっていうこちょこちょです。こちょこちょこちょこちょー」
「あはは、わかりました! わかりましたから!」
「えー? 本当ですか?」
イアンはすぐ降参したものの、意外な弱点を見つけたエレンは楽しくなって、獲物を狙う猫のように、ソファーの範囲で逃げるイアンを追いかけた。
そうこうしていると、イアンの上にエレンが覆い被さる形になる。
「ふふふ……ってあ、すみません」
途端に恥じらって、エレンが退こうとすると、ソファーにつっぱっていた腕をイアンに取られてしまって、エレンは重力に逆らえないまま、イアンに密着した。
「わ!? もー、イアン様、危ないですよ」
「支えてるから大丈夫ですよ。エレンさん、それよりもう少しこっちに来て?」
「ん? こうですか?」
「うん、ちょうどいいです」
そんなイアンの言葉にエレンが素直に従うと、イアンは寝転びながら手を伸ばして、エレンの頬をなでて、唇を奪う。
そのままイアンの上で、ついばむようなキスを繰り返す。
「んっ……は……あ、ん……ふふっ」
聞こえるのは、エレンの甘い吐息とキスの音。
「あ……待って……イアン様」
「……ん? どうしました……?」
エレンは、イアンの離れがたそうな腕をゆるりとほどいてそっと体を離した。そして、イアンの頬をくすぐっていたエレンの髪を、邪魔にならないよう1つにまとめて甘く微笑む。
そうして、再び近づいて、イアンの顔を優しく撫でながら心を込めたキスをする。2人のキスは次第に舌を絡めたものへと変わっていく。
ソファーの背もたれがなにかの衝撃で倒れてフラットになり、転がる。
そうしていつの間にか、先ほどとは逆転して、イアンがエレンの上に覆い被さっていた。
「……はあ……エレン、さん……」
イアンが熱に浮かされたようにエレンの名を呼ぶ。
エレンの首筋から肩にかけてをイアンの右手がなぞり、エレンの首筋にキスをした。
エレンの上にイアンの体がのしかかってくる。
そして、イアンの左手がエレンの太ももに触れた。
でも、そこまでだった。
「……嫌」
エレンがそう言って拒絶したから。
イアンはすぐに手と体を離した。
そこでようやくエレンの表情を見たイアンの目に、後悔の色が浮かぶ。
「……すみません。やっぱり、少し長く入って……頭を冷やして来ます」
そう言ってイアンは部屋から出て行った。
****
エレンは毛布にくるまって、ベランダに出た。
外がこの時間になると結構肌寒い。
女性の護衛が現れて、エレンに質問する。
「念の為、他のホテルを確保しています。
……移りますか?」
「……ううん、大丈夫です。ありがとう。
心配かけてごめんなさい」
「いえ、エレン様をお守りするのが、我々の役目ですから。……我々はどんな時も、側におります。
困った時は、どうかそれを思い出してください」
「はい、わかりました。……ありがとう」
護衛は笑顔を残して、ベランダから飛び降りた。
そして、どこに行ったかわからなくなる。
エレンは彼らの名前も知らない。以前聞いたら、仕事上、教えることができないと言っていた。
そんな彼らには、今日、色んな心配をかけたのかもしれなかった。
突然、隣国に行くと言い出して早朝から早速向かったし。着いたら着いたで、宿も取らずにとっぷり日が暮れるまで、のんきに人探しなんてしてる。
しまいには、イアンをあおって乙女のピンチだ。
イアンはそれまでずっと、紳士的だったのに。
エレンの思考は、護衛からイアンに移る。
身動きができなくて、怖かった。
でもすぐに離してくれたし、自分にも悪いところがあったから、それはもういい。
だから、イアンが『頭を冷やす』と言っていたけれど……本当に冷水をかぶっていたらどうしよう。そんなことを思う。今夜はこんなにも肌寒いから。
ベランダから、街を眺めた。
沢山のオレンジ色の光が夜を照らして、多くの人が行き交い、朗らかで楽しく過ごしている。
とても優しく気のいい人達。とても素敵な街。
たった1日過ごすだけでも、愛着が湧いてしまうのに……3日経てば、この国の人達は忘れてしまう。
そうして、何度も出会い直すんだ。
笑いかけて、親切にしてくれるんだ。
彼らにとっては見ず知らずの旅行客にも関わらず。
真綿で首を絞めるような。優しくて、残酷な国。
「なにを見ているんですか?」
イアンがそう言って、エレンと少し離れた位置で手すりに寄りかかり、エレンに話しかけた。
エレンもなにごともなかったかのように会話する。
本当はこの距離が……寂しいけれど。
「街の灯りと人達を。にぎやかで素敵な国ですね」
「ええ、とても気のいい人達ですよ」
「今日は……この国にとって何日目なんですか?」
「……3日目です」
「そう……じゃあ受付のお姉さんとも、明日が初対面なんですね」
なんだ、そっか。残念だなあ。
「あ、イアン様、寒くないですか? 私の毛布、半分入ります?」
「いえ、大丈夫です。……すみません、今夜はエレンさんに触れないようにしたくて。
エレンさんからも、なるべくそうしてもらえると、助かるのですが……」
「……わかりました。……じゃあそろそろ部屋に戻りましょっか。イアン様、夕飯どんなのを買って来てくれたんですか?」
そんなエレンの態度に、イアンはほっとしたような顔になる。
「昔から好きな屋台メニューがあって。お土産に持ち帰るには難しいようなやつで。……いつかエレンさんと食べたいな、と思っていたんです」
****
部屋に戻るとソファーベッドはソファーに戻っていて、イアンはテーブルを挟んだソファーの向かいにクッションを置いて座った。
エレンはソファーに座る。
イアンが色んな食べ物を出す。串焼きとかケバブみたいなやつとか。お湯も沸いてて、温かいお茶を入れてくれる。
「んーおいしい! 異国の味がします!」
「気に入ってもらえてよかったです。
エレンさん、これ敷いたほうがいいですよ。
結構中身落ちやすいから」
「はあい、このお茶もおいしいですね」
「うん、土産物屋にもあるので、帰る日に寄ってみましょうか」
距離以外はいつも通りになって、和やかに話をする。エレンは隣国でイアンに会ったら聞こうと思っていた質問をする。
「イアン様が、この国に来るのは……お兄様の為ですか?」
「……ええ。そうです」
「どんな人?」
「すごい人ですよ」
そう言うと、口元を笑みの形にしたまま……イアンは少し悩んで……より詳細に兄の話をする。
「……兄のアレンは……優秀で、私はなに一つ勝てなくて。……この国の不幸に見舞われなければ、我が家も今頃は、兄が跡を継いでいたはずでした。
ですが兄はこの国で、3年前にある令嬢を護衛して……18歳の頃のまま、時が止まっています」
イアンの独白は続く。
「3日目に令嬢が断罪され、兄も殺されます。
……そんなループを、3年間、繰り返しています。
だから私は……兄が生きたまま、このループを終わらせたい……」




