3 聖女は初めて魔獣を見る
※前半にやや残虐な表現があります
「なにがありました?」
「イアン様……」
エレンを降ろして門番にイアンが声をかけると、門番がほっとした顔をする。
「近隣に中型魔獣2匹が現れ、外にいた商人が襲われました。今兵士2名が助けに向かっており、1名が救援を呼んでいます」
「魔獣の系統は?」
「遠目からの判断ですが、猪と思われます」
「ありがとう、陸地型でよかった。取り急ぎ私も向かいます」
「助かります。……あの、そちらの女性は?」
代々騎士家系のイアンは、まだ学生にも関わらず兵士達に顔を覚えられていて、信頼もされているようだ。けれどエレンは街娘以外の何者にも見えず、門番が戸惑いながらエレンを見ている。
「この方は治癒魔法が使えるのです」
「そうですか……! お願いします、どうか彼らを救ってください」
「……はい、力を尽くします」
門番が、希望にすがるように目を向けた。
エレンは微笑んで応えたけれど、まだ目にしていない怪我を自分が本当に治せるのか、不安に思う。
魔獣が襲う? そんな物騒な話今までなかった。
エレンが知らないだけなのかもしれないけれど。
もちろん、そんな怪我を治したこともない。
そうして門を抜けると再びイアンに抱えられて、魔獣の目撃地点へと向かった。
街の外に出たことのないエレンは、魔獣を見るのも初めてだった。大きくグロテスクな見た目に驚き震える。
確かに猪のような魔獣だ。縦横1.5畳くらいで、身長は150cm程度。たぶん本物の猪も同じくらいの大きさなのかもと思うけれど……見た目は魔獣のほうが明らかに凶悪だった。
充血して飛び出している眼球がギョロギョロと、それぞれが違う生き物のように個々に動いている。
口に収まらない大きな牙には布切れや血肉がついていて、口の端からはボコボコと赤い泡を吹いていた。
それが2匹。
引きずったような血が馬車の中に続いていて、その前で2人の兵士が1匹を相手に戦っている。
もう1匹の魔獣は、既に絶命している馬と御者の肉を食んでいた。
兵士2人はとても重傷に見えた。手足を一部食いちぎられた状態で、お互いに庇い合うことで辛うじて生き永らえている。
「エレンさん、大丈夫ですか?」
「……はい」
「では……あなたは木の上に降ろします」
そう言うイアンに「ではあの木に」とエレンが震えながら指をさす。
馬車に一番近くて、被害を見渡せる。
イアンは、タタンッと軽い音で地を蹴り木に登り、希望通りの場所にエレンを降ろした。
2人に気づいた魔獣が木の下で待ち構える。
「イアン様、気をつけて」
「はい、あなたも」
短く言葉を交わして、イアンが幹から手を離す。
そして木の側面を蹴り魔獣を飛び越えた。
「私が引き付けるので、その間に手当てを!」
「はい!」
イアンがカマイタチのような風の刃を放ち、魔獣を傷つけ血飛沫が舞うと、2匹の魔獣が空気を震わせる雄叫びを上げた。そしてイアンに向かっていく。
追い詰められたらイアン様も木に登るはず。
私は私にできることを。
まずは、兵士の人達を。
そう考えたエレンは感情に蓋をした。余計なことは考えないようにして、やるべきことだけに集中する。
手前の兵士は腹と左腕、奥の兵士は太もも……。
エレンは体の中を巡る温かさを手に集中させて、2人の兵士の損傷箇所に治癒魔法を注いだ。
エレンのきらきらした魔力が兵士達に向かい傷を覆う。内側の部分から修復していき皮が張るまで、エレンは慎重に意識を傾ける。
注がれる魔力量に比例して、えぐれた肉が盛り上がり再生していった。肉が元通りになると、再生した外皮が張り巡らされていく。そうして傷痕が綺麗に消えると兵士達が驚いて、体を動かし怪我していた部分を確かめて、エレンに話しかけた。
「あなたが、治してくださったのですか?」
「はい。痛みは消えましたか?」
「ええ、嘘みたいに……これが、治癒魔法……」
「ありがとう、ございます」
よかった、上手くいって。ほっとして微笑む。
エレンは以前、女友達のマーリンが教えてくれた魔法の知識を思い返していた。
『魔法で重要なのは、より詳細なイメージですわ。曖昧だと魔力を無駄に消耗するばかりで、力も存分には発揮できません。
エレンさん、あなたの治癒魔法が、怪我の治癒の時に最も大きく力を発揮できるのは……たぶん、目に見えるから。
だからきっと、呪いも病気も治すイメージをつかめたなら、あなたなら治せるかもしれません。
……ずっと昔、どんな傷も病も呪いすらも、治した聖女がいたという、伝承がありますわ』
エレンが金銭的な理由で学園に通えないことをとても残念がったマーリンは、エレンの分も学ぶと言って、重要と思う部分を綺麗にルーズリーフにまとめては、教えにきてくれるようになった。もう、小冊子くらいの厚みになっている。
遺伝で継承される火水風土の四元素の魔力と異なり、治癒魔法を使える光の魔力を持つものは、おおよそ2~3年に1人の割合で家系・遺伝に関わらず突然変異のように生まれるらしい。
そして、50年に1人だけは必ず、光魔法を扱えてかつ潜在魔力量の多い人間が生まれるそうで、その人だけは特別に《聖女》と呼ばれる。
ただ、聖女でも寿命を全うせず亡くなる場合もあり、通常の光の魔力の保持者も絶対数として少ない。だから、医療や薬学は比較的に発展している。とも、マーリンが言っていた。
ありがとうマーリン様。出会ったばかりの頃、悪役令嬢みたいとか思ってごみんに。
出会ったばかりの頃、マーリンに話しかけられたエレンは『ふおお、悪役令嬢だ!』と思った。
でも、エレンは別にいじめられていない。
礼節を重んじプライドが高くて、自分にも他人にも厳しそうな感じなのに、間違えた時は素直に認めて、気を許した人には優しい……そんな感じが、《主役になる系溺愛されがち悪役令嬢》という感じなのだ。悪役とはなんぞや。
たぶんもしエレンが普通に学園に通えていたら……授業中ほぼ確実に寝ていたと思うので、要点をまとめて、エレンにとってどう大事なのかを噛み砕いて教えてくれるマーリンは、とても親切でありがたく、どちらかというと天使である。
ちなみにエレンには、もう1人、ウィリアムという貴族のお友達がいる。
王子様っぽい雰囲気の優しいイケメンだ。
見た目通りに優しいけれど、それ以上に好奇心が強くて、新しいものや知らない世界が好き。
エレンと友達になったきっかけも《治癒魔法を使える同い年の子が八百屋にいる》と言う噂を聞いて、わざわざ会いに来てくれたからだ。
ちなみにウィリアムはマーリンに夢中なご様子で『マーリン魔法教室の日は絶対に自分も誘って』と、お願いされているエレンである。学園では見れない色んな表情が見れて面白いらしい。
とまあ、そんな話は置いといて。
「馬車の中にもいますよね? 怪我してる方。出てきてもらうことはできますか? もしくは……私を降ろしてほしいんですけれど……」
と、兵士に話しかけながら下を向いたら、安心感でゆるんでいた感情の蓋が開いてしまった。
不安定な足元に広がる遠い地面!
ジャングルジムでさえ、登ったら一人で降りれない高所恐怖症なエレンは、幹にしがみついてガクブルになった。ひええ、高いよう!
「いやー! いやー! 降ろして、降ろしてええ! うわわわわ、やだ怖い無理こあい! おり、降りれない、む、無理、無理無理無理無理」
「だ、大丈夫ですから、信じて、しがみついて」
あばばばばこんな高さに気づいたらもうここから治療は出来なひいい。ああでも兵士の人に片手で降ろされるのも怖いいい!
イアン様たーしけてー! へ、へるぷみー!
魔獣も怖いけど、人が死ぬのも怖いけど、それはそれでこれはこれなのである。
でもそうも言ってられないので、ぼろ泣きしながら兵士の人に必死にしがみついて降ろしてもらって、馬車の中の人達も治療した。
戻ってきたイアンが「何事だ」と兵士に詰めよる一幕があったりしつつも、馬車の中にいた人達は無事全員助かったのだった。