17 聖女は見た
お湯を沸かしてポットに入れて庭に出ると、若干の名残惜しさを感じながら繋いでいた手を離す。
エレンは、手を離すと寂しくなって、いつかみたいなキスがしたいな、とか考える。強く強く抱きしめられて、体がもうそれ以上は近づけないくらい密着して。自分を見つめるサファイアの瞳がとても綺麗で……。そして、気を失いそうなくらい熱いキス。
でもイアンをちらりと見ると目があって、イアンが「ん?」と首をかしげたら、キスはだめ危険! と思い直した。
エレンは慌てて「なんでもない」と首を横に振る。
ひええ、なんていう妄想を……! 恥ずかCー!
それに、そもそもキス自体が危険なんだったそういえば!
なんでかわからないけれど、キスするような甘い雰囲気になると、いつもいつもいっつも毎回必ず絶対に邪魔が入ってしまうのだ。
どんな時も絶対誰かがそばにいる。ほら、きっと今もすぐそばに……きゃああ。
エレンはそんな謎の強制力の前になすすべがなく、もう何度となく赤面していた。だから、もう、それがしは同じ轍は踏まぬ。踏まぬぞ……!
そうしてウィリアム達のところに戻ったら、ウィリアムとマーリンが今まで見た中で一番、甘い雰囲気で顔が近い……ように見えたような気がしたような?
でもちょうど目にまつげが入って、目をこすって開けると、2人はものすごく遠いところにいた。短時間でそんなところまで行けるわけないし……なんか妄想パート2が見えちゃったのかな? エレンは首をかしげた。
美男美女のすんどめチッスシーンはたとえ妄想でも幸せでしゅ。
「びっくりした! え、いつ来たの?」
「ああああのあの、な、なにか見ました?」
ここでなにも言わなかったら、エレンは妄想パート2だと思ったのに、ウィリアムとマーリンが庭のはじっことはじっこで墓穴を掘った。
「いえなにも? 今来たところですよ」
「見たってなにをですか?」
「い、いえ、なんでもないですわ!」
「うん、まったくさっぱりなんにもなかった! 正直あってほしかった……!」
そうか、ありそうでなかったのね。おお心の友よ。君たちもか。
エレンとイアンがイスに座ると、ウィリアムとマーリンも戻ってきたけれど、マーリンはイスをおもむろにずらしてウィリアムとの物理的距離を離して座った。それを見てどことなくしょんぼりしているウィリアム。
エレンは心の中で手を合わせる。どんまい邪魔してごみんに。次からは弱火でお湯を沸かすね。
「あれ? なんか外が騒がしいですね?」
「え? そうですか?」
イアンがいつものごとく最初に気づいて、残り3人も屋敷の敷地外に意識を向けた。その直後に、カンカンカンカンと小刻みな鐘の音が鳴り響く。これってあれかな? 非常事態に鳴るやつ?
「え、なになに? どうしたんでしょう?」
「ちょっと見てきます。みなさんは屋敷内に」
イアンがそう言って席を立った時、エレンの護衛がスタンと軽い着地音を立ててエレン達の前に落ちてきた。
普段は姿を見せず、一刻を争う怪我人がいる時など、緊急の時だけ現れる。何人かでローテーションしてるっぽいけど、今日は男の人だ。
「魔獣が街に現れました。屋敷内にお入りください」
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鐘の音は今も鳴り続けている。これってもしかしたら、鳴らすのも結構命がけなんじゃないだろうか。鳴らしてる人大丈夫かな。
新旧両親も「どうしたの?」「なにかあった?」と言ってとたとたとリビングに集まってくる。みんなそろったところで、王宮から配属されている護衛が状況説明をする。
「今、魔獣達に異変が起きています。門は閉じましたが……人と共生しているネズミ型の小型魔獣が、街中で次々に凶暴化しています。また、空からも、今のところは小型だけですが……凶暴化した魔鳥が街に集まり始めています」
「もしかして、あれですか? あの空の黒い塊……」
「ええ、今見える魔鳥だけで、数百はいるでしょうね」
王宮護衛って、実はサイボーグだったりするのかしらん。わりと大変な状況なのに、淡々としている。
遠くの空にいた黒い塊は徐々に大きくなって、空を覆い隠す。酷く不気味な光景だった。そして、烏合の激しい金切り声が、鐘の音を打ち消すほどに大きくなる。
でも、不思議なことにエレンは、そんな絶望的な状況で、恐怖よりも物悲しさを感じていた。
烏合の金切り声はなんだか苦しそうで、エレンは前世で珍しく読んだ、今なお心に残っている小鳥の童話を思い出す。
人間に恋した小鳥が、死ぬまで歌いながら心臓に薔薇のトゲを刺す話……なんか、全然救われなかった。
あと、鐘を鳴らしてる人はもう家に帰っていいと思う。




