14 聖女の決断と癒しの魔力
◇前回のハイライト◇
イアンは微笑んでいるけど、少しだけ真面目な顔をしていた。
「……ずっと好きでした。出逢ったばかりの頃から。
ある日から会えなくなってからも、ずっと……。
また再会してからは、それまで以上に……」
イアンの気持ちは、さすがに知っている。
具体的に言うとエレンは1話目で気づいていた。
でも、気づかないふりをして過ごす日々が楽しかったし、関係性が変わってしまうのも怖かったから、考えないようにしていただけだ。
イアンは真っ直ぐにエレンだけを見つめている。
イアンの精悍で整った顔立ちは、真剣な表情がとてもよく似合っていた。サファイアのように青い瞳は、光が届く青い海の底みたいに、深く綺麗だ。
「会えなかった頃を思えば、こうして側にいて、手を触れ合える今は充分幸せですが……。
私はあなたと……友達以上になりたい。
もっと近づきたいし、触れたいし、好かれたい。
……あなたを抱きしめて、キスをしたい……」
そう言うイアンを見つめながら、エレンは内心、はわわわわとなって忙しい。
つ、ついにキター! はわわわわ、どうしよう。
エレンの顔は真っ赤である。さらに言うと手汗もやばい。ちょっと一旦拭かせてほしい。
でもそこで、イアンのエレンに触れている手がゆるゆるなことに気づく。全然力が入っていない。
簡単に振りほどけるどころか、エレンの手がぴくりとでも動けば、イアンのほうからすぐに離されてしまうような、不安定さ。
そして、一度離れてしまえばもう、イアンから手を触れてくることは今後二度とないのだろう。エレンはそんな予感がした。
「イアン様……」
エレンが現状維持を選択し続ける間も募らせてくれた想いを想う。イアンはどれくらい悩んで今、告白をしてくれているんだろう。
エレンが夜逃げした日のことは、トラウマだと言っていた。
でも婚約話があったなんて話を一切しないまま、友達として側にいて、旧母さんが『今から婚約したら?』と気軽に言った時も苦笑しながら辞退する。エレン側に、もう婚約するメリットがないからと。
手違いでキスされた日には、全力で謝ってくれて、それ以降は勘違いしないように、エレンの気持ちを必ず確かめる。
外堀を埋めずに、強引に来ることもなく、ニュートラルな態度のまま。それでもエレンが不安な日には『もしその時は、一緒に逃げましょうか』と、本気のような冗談のような軽口を言うのだ。
エレンは迷って、そして、決断した。
イアンと触れていた手が離れた。
イアンは一瞬だけとても傷ついた顔をして……微笑んですぐに取り繕う。
「……今なら少しは、と、自惚れていました」
「いいえ」
エレンが微笑む。目を潤ませて、緊張で頬を上気させながら。そしてこっそり手汗を拭いた。ふきふき。
乙女ゲームのヒロインが、悪役令嬢から王子様を奪う時に向ける視線とたぶんそこはかとなく似ているけれど、エレンがそんな目を向ける対象は目の前にしかいない。
「……エレンさん?」
フラれたと思っていたイアンは、エレンがそんな表情で見つめてくる意味が分からず、呆然と、見とれた。
エレンの温かい両手が、大切なものを包み込むように、イアンの両頬に触れる。そしてエレンも愛を囁く。
「私も好きです……イアン様が好き……大好き」
「エレンさん……」
「好き。ちゃんと、好きですよ……」
甘く甘く囁いて、照れながら微笑み……。
エレンの手がゆるゆるとイアンの顔の表面を優しくなでる。そうしてイアンの耳を通り過ぎてゆっくりと後頭部へ移る。
明確に言葉にすると、エレンの心にすとんと落ちた。イアン以外の誰に対しても感じない、彼だけへの特別な感情を自覚する。
エレンが両手でイアンの頭を引き寄せようとしていて、イアンもあらがわないから、2人は体も顔も触れ合いそうなほどに近づいて、間近で見つめ合う。
はあ、とエレンからこぼれた緊張によるため息が熱い。でもそこから先が、なかなか進めない。
イアンはされるがままだ。自分から近づく気はなさそうで、エレンの様子をいとおし気に見つめる。
少しだけ唇が近づいて、ためらって離れては、熱いため息。
「ふふ……緊張、しますね」
「待ってるほうも、やばいですよ」
イアンの目も徐々に熱を帯びながら、片手をエレンの腰に添えて、もう片手は、緩慢に、エレンの耳をなぞったり髪をすいたりしている。少しくすぐったい。
そうして、ようやく、少しずつ近づいた唇が触れ合おうとした瞬間。
ガチャバタン
「ただいまー。疲れたー。あれ? ご飯まだみんな食べてないの? お姉ちゃんは?」
「わ! おかえり!?」
「あ、ダメよ今は……!」
「なにが?」
そしてトタトタと近づいてくる足音。
「お姉ちゃんシチューまだ?」
「できてるできてる! ちょうどできた今っ!」
「遅いよー。ってあれ? イアン様どうしたんですか? そんなところでうなだれて」
「……地獄と天国を味わいかけ……現世に戻ったところだよ……」
「ふーんよくわからないけど……おかえりなさい? お姉ちゃんとりあえずお鍋、持っていくね」
「うん、ありがとうアンドおかえりなさい。じゃ、じゃあ私達も行きましょうか」
「待ってエレンさん、ちなみに今の続きは……」
「なんのことかな!?」
ドッキーン! といった感じで絶対にわかっているエレンがしらばっくれ、イアンが「なにって……き」まで言いかけたところでパンを突っ込んだ。
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あとは特段、特筆すべきことはなく。
『みんなで食べるご飯はおいしいねっ!』といった感じで1日が終わりかけ……。
エレンが旧弟を見て、違和感に気づく。
「あれ? ねえ、もしかして今、具合悪い?」
「……うん、ちょっとだけ」
ちょっと? それにしては、顔が青白い。
ついさっきまで、元気そうに見えたのに。
エレンがそう思ったら、旧弟の体がぐらぐらと揺れた。慌てて支える。
「どうしました?」
「イアン様……弟が」
「……運びます」
「あ……では、案内します。こちらです」
どうしたどうしたと両親達もやってきて、旧弟は「大丈夫」と言うけれど、ぐったりとしている。
イアンに部屋まで旧弟を運んでもらって、家族が医者を呼ぶ。
エレンの治癒魔法は怪我以外を治せない。
医者を待つ間、旧弟が話しかけて、イアンが答える。
「イアン様は、魔獣って詳しい?」
「うん、多少は詳しいよ」
「じゃあ、魔鳥は何時に寝るか知ってる?」
「……この辺のは、もう寝てると思うよ」
「……みんなそうやって曖昧に言う」
旧弟が不機嫌になって、イアンが苦笑する。
「うーん……季節や個体差にもよるからなあ……日が完全に落ちて1時間もしたら寝てるんじゃないかな」
「そっか」
イアンが言い直した答えにはどうやら納得したようだ。
「なんでそんなこと知りたいの?」
とエレンが聞くと「なんとなく」と答えて寝てしまった。
夕飯はいつも通りもりもり食べてたし、眠れるなら、大丈夫かな?
「どうしたんでしょうね、突然」
イアンが不思議そうに言うけれど、エレンも「さあ」としか言いようがない。
お医者さんに見てもらったところ「ただの寝不足ですね。もう眠れているので大丈夫でしょう」といった診断で、すぐに帰ってしまった。
エレンは、ダメ元で旧弟に温かい魔力を注ぐ。
マーリンが前に言っていた言葉を思い出しながら。
『曖昧だと魔力を無駄に消耗するばかりで、力も存分には発揮できない』と言っていたはず。たしかそうだった。
じゃあ、曖昧でも、無駄に消耗しても、多少なら効くかもしれない。
ただの寝不足とは思えなかった。
もっと危険なものだと、感じる。
放っておいたら、危険だ。
ぞわりとする感覚がエレンの背中を通りすぎ、魔力を注ぐほど、その感覚が強くなる。
体が気だるくなるほどの魔力を使った頃、旧弟の顔色がようやく良くなって、エレンはへなへなとその場に座り込んだ。
「エレンさん、どうしたんですか?」
「……どうって?」
「……いつになく緊迫しているように見えましたよ」
「そうでした? なんか……どうしてでしょうね……」
でもなんか、今日は大丈夫そうだ。
イアンの手を取ってエレンは立ち上がった。よっこいしょーいち。
旧弟の部屋の灯りを消して出る時に、そっと囁く。
「おやすみ……『』」
…………?
はてな? 今なにかぼんやりした違和感があったような。
でも今日は疲れたから、エレンは考えるのを止めた。




