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1 聖女は騎士とのフラグを立てた

 薄暗い路地で、小さく音を立てながら何度目かのキスを交わす。

 柔らかく熱い唇に朦朧とする頭の片隅で、エレンは、早く言わなくてはと焦っていた。


「……待って……」


 何度目かの静止の言葉を口にして、イアンの引き締まった上半身を押したらようやく体が離れた。イアンの熱い瞳と扇情的な吐息に、ちょっともうかなり手遅れな感じがそこはかとなくするけれど……言う。


「あの……えっと……誤解なんです」



****


「おはよーエレンちゃん、今日もよろしくね」

「大将おはようございます、よろしくお願いします!」


 海坊主のような強面(こわもて)の大将に笑顔で挨拶を返して、エレンは八百屋の黒いエプロンを身につけた。


 ポニーテールにしたピンクブロンドの髪とアメジスト色の瞳が、ハツラツとした明るい表情にとてもよく似合っている。


 エレンこと、エレン・マーシャル元男爵令嬢は、八百屋の看板娘だ。


 治癒魔法を持っていて年齢もまだ16歳……普通なら魔法学園に通う年頃なのにここにいるのは、エレンが『元』男爵令嬢だからだ。ちなみに元々は平民なので、平民→男爵令嬢→貧乏(今ここ)である。


 でも、エレン的には、無理して学園に通ったりせずに、八百屋勤めを選んでよかったと思っている。


 だってそもそも学園入学資金を用意できなかったし、生きていくお金を稼がないといけない。


 そう考えると、余った野菜をもらえる八百屋勤めはとてもおいしいし、エレンが養父と2人で貧乏暮らししていることを知っている常連のマダム達も、旦那さんや娘さんのお古とかをくれるのだ。


「あれ? 大将ー、なんか段ボールの中身大根ばかりですよ?」

「え! しまった、業者さんが積み荷を間違って置いていっちゃったのかな」

「えええー!?」


「まあ、エレンちゃんなら売れる!」

「なんとまあ丸投げ!? 仕方ないなあ……やってみましょう!」

「おお、それでこそエレンちゃん!」


 大将は強面ゆえに子どもに泣かれたりするので、接客はエレンや旧弟の仕事なのだ。


「さーらっしゃいらっしゃい! 今日の目玉はとっても大きくて甘ーい大根! しかも葉っぱ付きだよー」

「なんか大根多くない?」

「さすがマダム、ナイスツッコミ……! 今日はドドーンと大根尽くしの大根大感謝祭です!」


 八百屋と言うより大根屋なのでエレンは開き直った。そんな真っ白な店内は逆に人目を集めて「なになにー? イベント?」と人が集まってくる。


「葉っぱ付きってお得なの? いつも捨ててたけど」


「えー! 大根の葉っぱおいしいですよ? 食べやすい葉っぱなので結構なににでも使えますよっ。食べたことがないなら是非1度お試しをば!」


「じゃあ1本いただこうかしら」

「ありがとうございますー」


「大根って大きくて買いづらいのよね」


「え、そうですか? 半分に切り売りすることもできますけど……大根は部位ごとに味が違うから、工夫するの楽しいですよ。そして今ならなんと! 大根レシピをプレゼント!」


「いただくわ!」

「まいど!」

「私も買うわ! エレンちゃんの創作料理、家族に評判いいのよー」

「そうなんですね、わーい、嬉しいです」


 意外とさくさく売れるので大将はレジでにっこにこだ。


 ちなみにエレンの料理は、本当は創作ではない。実はエレンは日本人として過ごした前世の記憶を持っているから、肉じゃがとか味噌汁とかの作り方を知っているのだ。……味噌汁を食べない国なのに、なぜ味噌が普通に売ってるのかについては、エレンは知らない。


 新お父様と借金苦で夜逃げした日もあったし、借金もまだまだ残っているけれど……最近は旧弟も一緒に働いているし、借金の利息は止めてもらえたし、エレンが男爵令嬢だった頃からの友人である騎士家のイアンとも再会して、学園帰りに八百屋に立ち寄ってくれるようになった。


 王子様っぽい雰囲気のウィリアムや、悪役令嬢っぽい見た目のマーリンといった友達もできたし、新お父様の病気も治ったし、最近運が上向いてる気がするエレンである。


 そして大根をさばきにさばいてあっという間に夕方になると、エレンはギラついたマダム達に囲まれて冷や汗を流していた。


 運が上向いてると思ってたのに……!


****


「エレンちゃんみたいな子がフリーだなんて! うちの息子のお嫁さんにならない?」

「抜け駆けはズルいわ! うちにおいでー」


「あらだめよ! エレンちゃんはいい人いるものねえ」

「そうなの!?」

「いやー……へへっ」


「どんな子、どんな子~?」


 大根をあらかたさばいて気を抜いていたら、マダムに『彼氏はいないの?』と聞かれて普通にうなずいてしまった。


 そうしてあれよあれよといつの間にやら、エレンの恋ばなに発展している。彼氏いない歴16年×2のエレンには、語れる恋ばななどないと言うのに!


 でも、ここで『好きな人もいない』と答えてしまうと、本格的にマダム達が息子を紹介してきそうである。


 エレンは苦笑いしながら、バイトが終わるまでのあとわずかな時間をどうにか切り抜けようと経験0の脳ミソをフル回転させていた。


「ほらほら、あの子でしょ? 毎日エレンちゃんに会いにくる男の子!」

「ああ、あのシュッとしたカッコいい子ね!」

「イアン様という方らしいわよ~」

「まあ~! で、その子とは実際どうなの?」


 ひえーん。お友達でしゅ!


 なんて言えるはずもなく。

 

 とりあえず、嘘ではないくらいのぼんやりした言葉をそれっぽいニュアンスで返して逃げようかな!

 もうすぐ今日のお仕事も終わりだし! うふ!


 そんな感じになんとか考えをまとめると、エレンは口もとに手をやって、恥ずかしがりもじもじした感じを演出しつつ、周りに勘違いさせるような感じで言ってみた。


「ええと、そうですね……イアン様がどうお考えかはわかりませんが、私にとっては……毎日でもお会いしたい特別な方です」

「あらまあー」

「あの、でもイアン様にはこのこと言わないでくださいねっ」

「うふふもちろんよー」


 ふふふ、なんて完璧な言い回し。

 嘘はついてないし、イアンにばれなければ大丈夫。


 元々仲良しだから友達なわけだし、イアンはエレンの慎ましい食卓を憐れんで『いつもご相伴に預かっているから』などと言ってはなんやかんやと食材を買ってくれるのだ。


 その食材でエレンがご飯を作って一緒に食べるのが日課なんだけれど、その場合、餌付けしているのはどちらなんだろう。


 なお、新お父様が働けるようになってからは、極貧状態から抜け出せたものの、その日々は続いている。みんなで食べるとおいしいし、浮いた分はイアン家への繰り上げ返済に回している。

 実は一番大きい借金先は由緒正しいイアンの家、スターク家なのだ。


 でもイアンは昔と変わらず接してくれて……というか、心配してくれているせいか男爵令嬢だった頃よりも会う頻度は増えた。もはや家族と言ってもいいくらい、特別な存在な気がする!


 と、そんな風に思っていたら。


 どさり。と物音がした。

 やり取りを聞いたイアンがカバンを落とした音だった。


 マダム達が乙女のように、小さな声で「きゃー」と言っている。ぴしっ。振り返った状態で石化したように固まるエレン。

 イアンは傍らに落ちたカバンをスマートに拾い上げて歩いてくる。


「い、イアン様……」

「エレンさん……」


 確かにシュッとしたカッコいい方です。

 家を継ぐ為に日々鍛練をしているからか、動きに無駄がなく歩き方も美しい。

 学園ではさぞやおモテになるのでしょう。


 というか、え? え?

 イアンの気配からいつもと違う雰囲気を察知して、エレンはオロオロした。


 今から、なんだかとても致命的なことを言われる気がする……!


「身分差や家の事情があったから……この気持ちを打ち明けると、あなたを困らせてしまうと思っていました。だからずっと……この距離を縮めることができませんでした……。エレンさん、私はあなたのことが……むぐっ!?」


 イアンのサファイアのように美しく青い瞳が熱を帯びてエレンを見つめ……そんなイアンをマダム達と大将がガン見している。ので、とりあえずエレンはイアンの口を両手で塞いだ。


「たたた大将、今日はもう仕事終わりですよね!?」

「あ、ああ、そうだな」

「お疲れ様でした! では! ……さあ、イアン様はこちらに……!」


 あわわわわ、えらいこっちゃ!

 どどどどどどうしよう。


 少女漫画みたいな恋にずっと憧れていたし、前世を思い出した時も『この世界が乙女ゲームの世界だったらどうしよう!?』なんて考えたりとかしたけれど(乙女ゲームをする時の名前をいつも『エレン』にしてたのだ)、非現実だと思っていた。


 エレンは急激な変化に目が回りそうだ。

 心臓もドキドキとせわしなく鳴っている。


 でもこれが恋によるドキドキなのか、びっくりしたドキドキなのか心臓疾患的なドキドキなのかをエレンは判断できない!


 まあでもまだなんとかマダム達には誤魔化せる……よね!? 最後まで聞いてないしね!?

 とりあえずなる早でイアンの誤解を解かねば。


 そしたら大丈夫、私なにも聞いてない。私なにも知らない。見てないし聞いてないし言ってない。誤解を解いたら今日のことは全て忘れて明日を生きよう。



 そうしてとりあえず路地裏に入って、イアンの顔を見上げたら、壁に押しやられてゆっくりと顔が近づいて、エレン達は……キスをしていた。

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