7話-2
怒鳴り声が聞こえて気にはなるが、かと言って小学生達の中に入っていけるほど図々しくもなれないし。どうしたもんかと部屋の前でイザナギと二人、成り行きをこっそり聞いていた。
部屋の中が静かになったと思ったら、メグルが静止する間もなく、イザナギが部屋をノックする。
慌ててその手を取ったが、後の祭りだ。
「ちょ、ちょっと駄目だってイザナギさん……!」
「シン様が苦しんでいる時に、待つなんでできませんわ……! 止めないでください……!」
イザナギの手をギュッと握って引っ張り、留まるよう制する。
いや、ノックした以上留まってはいけない。退散しなければ。ちなみに、バレないよう二人共声を押し殺している。
押し問答をしていると、シンタロウの部屋の扉が開かれた。
「……何してるの、二人とも」
落ち着き払った声音で、こちらを見るシンタロウ。
後手で扉を締める。チラリと部屋に座る小学生が見えた。
――あれはレンジ君とハチコちゃんだ。
何度か家に遊びに来たし、この前お見舞いにも来てくれた。弟は友達をあまり家には連れて来なかったから(メグルが家に居たため恥ずかしがっていた)、特に仲の良かった2人はメグルもていた。
気が逸れたメグルが握る手を振り払って、イザナギがシンタロウの顔に両手で触れる。
「…………乱暴されたんですの?」
心の底から怨嗟と忿怒が吹き出したようなイザナギの声音に、メグルは瞬間肌が粟立つのを感じた。
理力のある向こうの世界なら、黒いモヤの様なものがゾワゾワとイザナギを中心に溢れ出していた事だろう(余談だが、本来可視化出来るほど濃く放出されるものではない)。
メグルが聞いたことのないくらい、感情がマイナスに振り切れた声だった。
「――イザナギ。落ち着いて」
「ッ! ですが!」
「いい。……また僕のせいだ」
彼女を落ち着かせるべく、顔に触れるイザナギの手を取るシンタロウ。
「また、ってどういうこと?」
部屋の二人に聞こえないよう少し抑え気味に聞き返すと、彼は自嘲するような笑みを浮かべた。
この顔は見覚えがあった。イザナギがこちらにやってくる直前、ずっと家族に向けられていた笑顔。自分は周りと違いますとでも言いたいような、馴染む気のない上辺だけの笑顔だ。
――ああ、またこの笑顔だ。コイツ友達相手にもやったな。
部屋の外でも聞こえた声とでメグルは状況をストンと理解できた。
それと同時に、今のシンタロウは表情が随分柔らかくなっていたんだなと気付かされる。
「そういうこと、ね。イザナギさん、ここは我慢して」
「お義姉様までなにを」
「いいから。ほら。私の部屋行くよ」「うう……」
イザナギの手を取り、今度は離されまいと強く握り、引く。メグルなりの笑顔を浮かべて彼女を落ち着かせる。このままでは部屋に突撃しかねない。
夫と義姉に不可侵を言い渡され、イザナギは渋々頷いた。
自分の部屋に引っ張っていく(シンタロウの部屋の隣だが)途中で振り向き、姉は弟を見た。
「ねえ、シンタロウ。アンタが壁作ってる限りずっとそうだと思う。まだこっち来たばかりで戸惑ってるのは分かるけど、さ」
「姉さん……?」
「――あんまり遅くなるようなら二人、送ってくから。じゃ」
メグルの部屋が閉められ、シンタロウは一人廊下に取り残された。
閉じられてる直前に「シン様頑張ってくださいまし!」とイザナギに言われ、シンタロウは額に手を当てた。
――今、僕は姉に諭されたのか。
姉はイザナギと歳が同じだから――今16才だろうか。9ないし10も下の女の子に自分が見透かされたと分かり、シンタロウは愕然とした。
小さく息を吐いて、ぽつねんと立ち尽くす。静かな廊下だと嫌に響いた。
素直じゃない姉から、素直になれと言われるとは思いもよらなかった。
――変わるでもなく、折れるでもなく。素直になる。
シンタロウにとって、それは怖かった。
すぐに受け入れてくれた家族の方が稀なのだ。突拍子もないことを言っても、拒絶されるだけだ。
第一、メグルだってイザナギが転移しなければ信じてくれなかったではないか。
じわりと頬が痛んだ。
レンジに殴られたのは、この卑屈な姿勢に苛立ったからなのだろうか。
全て投げ出して、元の世界に戻れたらどんなに楽だろうか。
考えたところで、それができないことは分かっている。
◆
シンタロウが部屋の扉を開けると、二人とも入り口に座り込んでいた――どうやら聞き耳を立てていたらしい。
何事もなかったようにさっと離れるハチコ、特に悪びれた様子もないレンジ。
外も内も常に聞かれているようであまりいい気はしない。
「……おう」
「おう、じゃないよ全く」
苦笑して、手近なところに座り二人を見る。
一度だけ息を吸って吐く。
あとは話すだけ。
「――気付いたら異世界で、そこで15年も暮らしていたらある日魂だけが元の世界に移されたと言ったら、信じられる?」
瞬間、固まる二人。
予想できた反応だったので、構わず話す。
「僕は君達と見た目は変わらないけれど、精神――魂はその異世界で大人になるまで暮らした記憶がある。二人の歳よりも更に長い時間向こうで生きてきたんだ」
なるべく分かりやすいように。
短く説明するにはかなりややこしいが、二人に伝えるべく話す。
メグル、イザナギと話したことで気持ちの整理がついた。
――受け入れてもらおうとか、考えが変わったとか、そんなものではない。
「だから忘れてました、って?」
シンタロウの言葉の意味がわからず狼狽えているハチコと違って、レンジはシンタロウをさっきと変わらずまっすぐに見据えていた。
先程はこの強い視線がなにを期待しているのか分からなかったが、落ち着いた今ようやく分かった。
――シンタロウはそれに応えようと思っただけだ。
「そうだよ」
「……そうか」
どこまでも真っ直ぐな、信頼。
――無条件に注がれるそれが、僕は怖かったんだ。
シンタロウは、やっと理解できた。
自分が彼らの知るシンタロウではないことを、信頼を裏切って、しかしどうしようもないことを。彼らに突き付けるのが怖かった。
シンタロウが変わったことをすぐに気付いて、それでも気味悪がらなかった昔の友達に応えられないことが嫌で、自分が異物であればいいと逃げていただけだった。
分かってしまえば、随分と女々しい悩みである。
25歳にもなって、センチメンタルな悩みを抱えていたとは、かなり恥ずかしい。
「コロコロの話――じゃないよな。まあ難しいことは俺もわかんね―が」
一度考える様に俯き、すぐに頭を上げるレンジ。
納得がいったらしく随分と晴れやかな顔をしていた。
「忘れちゃうくらい長い時間じゃしょうがねえな。俺も宿題忘れるし」
「え? なにそれレンジ、アンタあれで分かったの?」
姿勢を崩した隣のレンジを見て、ハチコが呆れたように驚く。
納得はいっていないようだが否定する訳でもないあたり、彼女も相当に信頼してくれていると感じ取れた。
なにを怖がっていたんだろうか。
シンタロウは昔の自分を褒めてやりたい気持ちになった。
「俺なりに考えてな、あの時お前を疑ったから。だからお前が正直に話してくれたらなんでも信じるって決めたんだ」
「馬鹿だな、レンジは」
「でも良い考えだろ?」
「……そうだね」
笑い合うシンタロウとレンジの脇腹をハチコが無言で小突いた。
「なに二人で完結してんの。アタシも居るんだけど」
「これは男の世界ってやつだ。ハチコもコロコロ読もうぜ」
「意味分かんない。シンタローも笑ってないで分かりやすく説明して!」
「どうかな。レンジより下げるとなると平仮名でお手紙書かないと」
「~~!」
バシバシ。シンタロウの肩を、顔を真っ赤にしたハチコが叩く。
その様子をヤレヤレと肩をすくめて見るレンジ。
シンタロウは心地よさとおかしさで、つい吹き出す。
釣られて2人も笑う。
やっと、友達が訪ねてきたようなにぎやかな部屋になった。
◆
「……なんか笑ってる」
「シン様……良かったですわ……」
シンタロウの部屋の扉の前に座り、メグルとイザナギはまたも耳をそばだてていた。
一時はどうなることかと思ったが、丸く収まったらしくほっと胸をなでおろす。
メグルの部屋に一旦退避した二人だが、シンタロウが部屋に入ったのを見計らってからそそくさと扉の前に座って聞いていた。
しかし、自称精神年齢25歳が小学5年生と談笑とは。
後で夕飯の時に両親にも話してやろう。ノゾムもユメも悠然と構えているが、きっと心配している。
扉の向こうの談笑を聞きながら、メグルは微笑む。
もう心配はいらないだろう。
静かに泣いているイザナギの肩を揺すって声をかける。
「ね、イザナギさん。シンタロウの友達にお茶とお菓子出すの忘れてたし、1階行こ」
「まあ、素敵な提案ですわお義姉様。是非」
彼女の悪い笑顔に小さく吹き出す。
お茶請け片手に部屋に乱入するのは異世界でも有効らしい。
音を立てないよう静かに台所へ移動する。
「よかったね。イザナギさん」
「はい」
メグルがテキトーなお菓子を選んでいる内に、イザナギがいつのまにかお茶をコップに注ぎお盆を用意していた。すっかりこの家にも慣れた彼女を横目で見ながら、メグルはそっと微笑んだ。
「……あのさ、お弁当の事なんだけど」
手ごろなお菓子を戸棚から出し、お盆に載せ、何気ない様子で。
自分から話題を切り出すのはまだ少し緊張する。
イザナギは一呼吸分くらいの間を空けた後、ずいっと身を乗り出すように感想をせがんだ。シンタロウの事で頭がいっぱいで忘れていたようだ。
「――いかがでしたか? お口に合いましたか?」
「うん――美味しかったよ。それにすごい綺麗でびっくりした」
「お義姉様に褒めて頂けて嬉しいですわ。私、お義父様の下で修業して必ずや家の味を習得してみせます!」
「すごいやる気だ」
内側から溢れ出るやる気が、イザナギの背後でめらめらと炎となって燃えている気さえする。
彼女の本気は今日見た弁当の盛り付けや味で十分伝わった。
「はい! ですが肝心のシン様にお弁当を食べて頂けないのは寂しいですわ」
彼女はしゅんと項垂れる。
きっとそう反応するだろうなと、予想していたので慌てない。
むしろ、メグルはらしくない提案をしようと帰り道歩きながら決めていた。
「じゃあさ――私にお弁当、作って練習すればいいんじゃない」
言ってから、つい、とそっぽを向いて赤い顔を隠す。
弁当を強請っているように聞こえないか、余計なお世話だったか、弁当以外でも料理は練習できるんじゃないか。言った後に限っていろいろと思いついて無性に恥ずかしくなってくる。顔が熱い。
――でも、彼女はきっとそんなこと微塵も考えていないだろうと、期待もしていた。
「――素晴らしい提案ですわお義姉様! お義姉様さえよければ喜んで毎日作りますわ」
「うん。うん、ありがとうイザナギさん」
メグルの手を取り喜んで提案に乗ってくれたイザナギを見て、メグルも嬉しくなった。
握られた手が熱くて自分の顔もさぞ赤くなっていることだろう。
「あ、でもご飯にハートは止めてね」
「……お義姉様、盛り付けも練習させてくださいまし」
「う。それ言うのはズルい……」
「お義姉様への愛情をうんと込めて盛り付けますから」
「う、うーん……」