6話
日が少し昇り始めた頃。
特に目覚ましも必要なく起きる。隣ですやすやと眠る彼女を起こさないよう静かにベッドから抜け出て、パジャマの上から厚手のカーディガンを羽織り、部屋を出た。
早朝の肌寒さを感じながら階下に降りてキッチンへ向かう。この静まり返った時間も、1時間ほど経てば家族が起きてきて騒がしくなると思えば愛おしい。
椅子にかけてあったエプロンを着けると、さあ家事をしようと気が引き締まる。
家族5人の朝食と、3人分のお弁当を作らねば。
「お義父様、おはようございます」
「っ!? ――おはようイザナギちゃん。今日は早いんだね」
キッチンへ向かう途中に背後から声をかけられ、ノゾムは驚いて振り向く。気配がなさすぎて悲鳴を上げるところだった。
まだまだ侮れない子だ。
「この家の家事を一手に担うお義父様に、お願いしたいことがありまして」
決心の固さを伺わせる意思の強い瞳で、ノゾムをまっすぐに見る。
「私に花嫁修業をさせていただけませんか!」
◆
「……おはよ」
寝起きからそのまま、リビングへ朝食を食べようと降りてみるとイザナギが父とキッチンに立っていた。キッチンカウンターで手元は見えないが、ノゾムの監修の元イザナギは慎重に何か詰めている。よっぽど集中しているのかこちらに気付いた様子はない。
あんなフリフリでピンク色のエプロン、家にあったんだ……。
「おはよう、メグル。今ご飯用意するからね」
注視していたイザナギの手元から顔を上げ、ノゾムはいつもの人懐こい笑みを浮かべると、ささっとよそった朝食をカウンター越しにメグルに手渡す。
聞くべきか聞かざるべきか、ノゾムを見るとウインクしてきた。父のサムいリアクションにうんざりしてメグルはひとまず朝食を食べることにした。
もそもそ食べている内に母と弟も起きてきて、見守るノゾムと集中するイザナギを横目に皆で昼食を食べる。
「――できましたわ!」
「うん。上出来だよイザナギちゃん」
しばらくして、イザナギが手元からガバっと顔を上げる。
堪える作業だったのか、ものすごい喜んでいる。身体をくねらせて、よほど満足の行く出来なのだろう。
「あら、皆様おはようございます。起きてらしたんですね」
「うん、おはようイザナギ」
どうやら本当に気付いていなかったらしい。
メグルも母も着替えてあとは軽く化粧をするくらいには支度が終わっているし、シンタロウは15年ぶりの登校ということでそわそわとリビングや階段を行き来していたのだが、それすら跳ね除ける集中力とは。
「凄く集中していたようだが、何をしてたんだ?」
化粧をしている母が洗面所から顔をのぞかせる。
キッチンへ行って覗き込むのは傍に立つ父が無言で牽制してきたため、何をしているのか皆気になっていた。
「よくぞ聞いてくださいましたお義母様。私、お義父様の元で花嫁修業を致します!」
ドーンという効果音でも付きそうなほど大仰なポーズを取って宣言するイザナギ。
キッチンの作業もその一環らしい。
シンタロウがなるほどと頷いた。特に照れた様子もないのでつまらない。
「それでイザナギはどんな修行をしてたの?」
「愛妻弁当ですわ! シン様を想って思って盛り付けしましたの」
「かなり出来がいいから楽しみにしててよシンタロウ。おかずの半分くらいはイザナギちゃんが作ったよ」
料理には一家言ありの父がお弁当を任せるとは意外だ。
ずっと意識を集中させて盛り付けをしていたし、すごい力作に違いない。
シンタロウも妻特製の弁当と聞いてとても嬉しそうである。
が。
「……あのさ。言いにくいんだけど、シンタロウは給食あるんじゃないの」
『!?』
完全に失念していたと驚愕する父と弟。
シンタロウはともかくノゾムまで、というのは珍しい。
当のイザナギは頭の上に?をマークを浮かべているのを見て、メグルは指摘したことを少し後悔した。どうせすぐ気付くとはいえ、自分の一言で、は気が重い。
「どういうことですの?」
「イザナギ、小学校には昼食が配給されるからお弁当はいらないんだ」
「えっ!?」
「……ごめん、イザナギちゃん。僕も浮かれて気付けなかった」
「そ、そんなあ」
がっくり肩を落とす3人。
丁度支度が完了したユメがリビングに戻ってきたので、メグルはつい藁にもすがる思いで彼女を見つめた。
ユメからは返事としてポンポンと頭を軽く撫でられて、妙に恥ずかしくなった。
いつまでも子供扱いだし。何でもお見通しと言わんばかりだし。
「――メグルが学校で食べればいいだろう」
「!?」
助け舟を出してくれたがUターンしてそのまま突き刺さったような提案。
メグルは声を上げようとして、しかし引っ込めた。
よく考えたらいつも父特製のお弁当だし、それが半分イザナギが作ったおかずになっているだけだ。何も問題はない。
「……イザナギさん、私が食べてもいい?」
「え、ええ! お義姉様になら私も是非食べてほしいですわ」
「ありがと……」
丁寧に包まれた弁当を受け取る。
そっとシンタロウを見て、メグルは何を言えばいいか分からず気付かないふりをして鞄の中に仕舞う。
「解決だな。しっかり味わって食べろよメグル」
「う……」
「お義姉様、食べてくれるだけで私は嬉しいですから」
「ん……ちゃんと食べるから。あとで感想も言うから」
母と入れ替わる形で洗面所へ、逃げるように移動する。
月曜の朝から憂鬱だ。
「それとノゾムくん。アタシのお弁当は?」
「あ」
「す、すぐ盛り付けますわお義母様!」
◆
そんなわけで、昼。
シンタロウは久しぶりの登校で間違いなく戸惑っているだろうなあと少し気がかりだったが、観に行くことも出来ないのでどうしようもない。
日曜にした勉強の成果が出ていることを願った。
「メグル~ご飯食べよ~」
「あ、うん。食べよ食べよ」
リサを含む数人の友人が椅子を持ち寄り、メグルの机で各々昼食を広げる。
メグルも鞄から弁当を出す。
ダラダラと取り留めのないことを話しながら、ほぼ無意識に弁当の包みを解いて蓋を開ける。
瞬間、その場の全員が固まる。
「……メグル、アンタそれ」
綺麗に盛り付けられた特大のハートマーク。
そのまま蓋を閉じる。
考えれば分かることだった。そもそもこの弁当はシンタロウの為に作っていた。
盛り付けがあのイザナギともなれば、さもありなんと言ったところか。
笑顔のまま固まっているメグルを見て、リサがやれやれと言ったように笑った。
「メグルんとこのパパママはラブラブじゃんね~」
「あ~、なるほど。取り違えたってこと?」
「そうっぽい。びっくりした~」
慌てて、誤魔化すように笑う。
確かに、これがまさか弟への愛が詰まりに詰まった弁当だとは誰も思うまい。
リサはなにか感づいたようにニヤニヤしているが。
気にしないよう、努めて冷静を装って再び弁当を開けた、
やはりピンクのハートが真っ先に目に飛び込んでくる。
「しっかしすごいね。レシピ本の写真みたいにキレー」
友達の一言に思わず頷く。
ご飯の上に描かれたピンク色の特大ハートマークはもちろんのこと、おかずの一つ一つも入念に仕上げられたのが分かる艶・色だ。
箸をつけるのが躊躇われる、まるでケーキのような弁当。
これは確かに、時間をかけただけはある。
今朝見たイザナギの一生懸命な顔が思い浮かんで、メグルは思わず微笑んだ。
「ね、写真撮っていい?」
「えぇっ? ……いいけど」
「あ、じゃあアタシも撮る。ウケるし」
「私も~」
リサがスマホ片手に身を乗り出して弁当を撮影すると、周りの友人達もこぞって撮りだす。
ものすごく恥ずかしいし、段々クラスの視線がこちらを見ているような気がしてくる。
何のために為かよく分からない写真を撮り終えたのを確認して、メグルはさっさと食べることにした。
◆
「ね、アレさ、イザナギちゃん特製でしょ?」
「……なんで分かったの」
帰り際、ノート類を仕舞っているとリサがニヤニヤしながら話しかけてくる。
目ざとい彼女にはやはりバレていたらしい。
ため息を一つついて白状する。軽いイメージが先行しがちだが、リサは以外にも口が堅い。つい何でも話してしまいそうになってしまう。
「いや~メグパパは朝食と皆の分作るんでしょ? メグママのためだけにあんな豪華にしないかなって。当たってる?」
「ご明察。今朝ずっと盛り付けてた」
「アハハ。すんごいキレーだったもんねえ。愛しの弟くんのためにってか」
「そんなとこ……ホントびっくりしたし」
このこの、といった調子でリサが肘で小突いてくる。
「しっかり味わってたみたいだし? ちゃーんと感想言わないとね――メグルお義姉ちゃん?」
「もー……他人事だと思って面白がらないでよ」
「だってメグルん家今めっちゃ楽しそうじゃん」
「どーだか。当人にしか分かんない苦労ってのがあんの」
「おー、オトナの回答」
「なにそれ」
しばらく駄弁った後リサは部活へ、メグルは帰宅すべく別れた。
帰り道、イザナギになんて伝えようか、頭を悩ませるメグルであった。
◆
「ただいま」
帰宅して、メグルは玄関に並ぶ靴に目を留めた。
小学校が終わりシンタロウが帰ってきているのは分かっていたが、そこに2つほど、似たサイズの靴が並んでいる。
男の子と女の子向けのスニーカー。
誰か他に来ている……?
疑問符を浮かべながらリビングに入ると、イザナギがやや小走りで2階から降りてきた。
「お義姉様、おかえりなさいませ」
「あ、うん。ただいま」
律儀にペコリと頭を下げられたので、メグルも慌てて会釈する。
丁度いいので、玄関の靴を聞こうと、
「お義姉様、今シン様のご学友が来ておりまして」
「ああ、あの靴そうなんだ」
「はい、そうなんです。それで……」
「どうしたの? なにか不味い?」
少し焦った様子のイザナギに、メグルは驚く。
思わず、落ち着かせるために近寄る。
さっとイザナギはメグルの手を取った。
「とにかく、早に来ていただけませんか」
「え? ――う、うん分かった」
手を引かれて、2階に上がる。
と、少年が荒げる声が聞こえて、メグルは思わず足を止めた。
振り返ったイザナギと目が合う。
なるほど、これか。
イザナギはこくんと頷いて、メグルも分かったと目で応える。
足音を立てないようそっとシンタロウの部屋の前まで来る。
扉越しに会話を聞くべく耳を澄ましたところで、
「お前ホントにシンタローなのかよ!?」
ギクリとメグルは身体が強張った。
シンタロウが、友達に不審がられ――いや確実に疑われている。
登校一日目で早速バレたらしい……