5話
「おいシンタロー、美人の彼女とイチャイチャ抱き合ってたって近所で評判になってたぞ」
「――ッ!」
喉を詰まらせ咽るシンタロウを、すかさずイザナギが介抱する。
土曜の散歩から甲斐甲斐しさが更に増したように思えた。
いたずらっ子のような笑みを浮かべて、二人の様子を眺める母。
平日でも土日でもいつもと変わらず元気である。
「しかも年上の彼女だとさ」
「……母さん、分かってて言ってるでしょ」
「モチロン」
いつものようにメグルは我関せずと、ダイニングテーブルに並ぶ昼食を黙々と食べる。ここ2週間近くはドタバタしていたり悶々としていたのもあり、いつも食べていた味だと感じるご飯が新鮮で美味しい。彼女は気付いていないが、ここ数日の出来事でかなり険が取れ表情が柔らかくなっていた。日曜の昼下がりということもあって非常にゆるやかな雰囲気である。
そんな娘の様子をノゾムは嬉しそうに眺めつつ、娘の茶碗にご飯のおかわりを盛る。
「お替りするって言ってないんだけど」
「美味しそうに食べてたから。駄目?」
「……食べる」
少し家族のカタチは変わったけれど、やっといつもの風景が戻ってきたんだとメグルは実感しつつ、お替りのご飯を口に運んだ。
◆
「シン様は明日から学校に行かれるんですよね」
昼食も終わり、リビングのソファに寝転んでダラダラとスマホをいじっていると、イザナギが正座で詰め寄ってきた。メグルは慌ててスマホを仕舞い、釣られて姿勢を正す。
彼女がやってきて3日目だろうか、メグルは未だにこの独特の距離感に馴染めなかった。
「そ、そうだって聞いてるけど。どうしたわけ?」
「実は――お義父様からお聞きしたんですが! 小学生がランドセルという鞄を背負う姿は大層可愛らしいとか!」
「へぇえ…?」
思わず間の抜けた声で返答し、次いでダイニングテーブルで静かに食後の珈琲を飲んでいる両親を見た。
メグルの胡乱な視線を受けてにっこりと微笑む父。どうもノゾムはイザナギを気に入っていて、あれこれ教えたりしているようだった。
しかしなんでまた急にランドセルなんて……
「私、シン様がランドセルを背負っている姿をぜひ一度拝みたいんですの!」
「拝むて」
なにを言い出すのかと思えば――何を言っているんだろう……?
当のシンタロウは昼食を食べるとすぐに自室へ向かってしまったので、リビングにはいない。
「いや、明日学校行くしその時にでも見ればいいんじゃ」
「勿論その時もじっくり眺めるつもりですわ。けれどもその前に、今日、もっと見たいと思いましたの!」
先程からテーブルの方で両親とイザナギが話しているのは把握していたが、まさかこんなしょうもない事だったとは。
「それならシンタロウに頼めばいいんじゃ」
「アイツが頼まれてやると思うか?」
「それはまあ……そうだけど。尚更明日まで待ってればいいんじゃん」
「私は待てません!」
母の指摘を受けてちょっと考える。
以前のシンタロウならおだてれば背負った姿を見せびらかしてくれただろうが、彼はいま中身が25歳、みたいだし。私も背負った姿を見せてくれって言われたら恥ずかしくてやらないだろうなあ。なんだかコスプレみたいだし。
――そこまで考えた上での見たい!というわけか。
メグルは事態を理解してなるほどと頷いた。なかなか手強そうである。
「じゃあそのままイザナギさんが頼めば? 頼みこめば断らないでしょ」
「そうしたいのは山々なんですが。妻として! 夫の嫌がることは出来ないですわ! でも見たい!」
「イザナギちゃんらしいジレンマだねえ」
「お父さん面白がってないで焚き付けた責任とってよ……」
コーヒーを一口。落ち着いた様子で肩をすくめるノゾム。
なんという放り投げ具合だ。
「とは言え、ここでうだうだ話し合っても事態は好転しないぞ」
「お義姉様~!」
「……もう明日まで待てばいいじゃん」
ため息を一つ吐いてから、立ち上がる。
イザナギの懇願を無下に断る勇気も無いし、ならシンタロウに我慢してもらおう。
要はランドセルを背負って立たせるだけだ。難しいことではない。
「私から頼めばいいんでしょ。……駄目だったら諦めてよね」
「お義姉様! 期待してますわ!」「がんばれ~」
父と義妹の声援を受けながら、メグルは2階の弟の部屋へ向かう。
のんきにスマホをいじらずとっとと部屋に引き篭もってしまえばよかったと少し後悔する。だがこうなってしまった以上シンタロウ一人逃げているのも癪だ。
さてどうやって引きずり出してやろうかと考えながら、ノックしつつ扉を開ける。
「……姉さんそれノック意味ないから」
「え?」
シンタロウは机に座って学校のプリント用紙を眺めていた。
2週間前のシンタロウの乱雑さが伺える落書きもあるしクシャクシャにシワも付いているようなものと、折り目のない真新しいプリント用紙。
「何読んでんの?」
「これ? 明日から学校に行くから、当時何をやっていたかなって整理してる」
「整理?」
「……もう覚えてないから、学校のこと」
2週間前学校からもらったプリント、休んだる間に届けられたプリント、それ以前の勉強机の中などにメチャクチャに仕舞い込まれたプリント……シンタロウは明日の登校までに一つ一つ読んで事前に準備していた。
今日、自室に籠りがちだったのはこの為だったのか。
メグルにとっては2週間前だが、シンタロウにとっては15年前。自分の年齢とほど時間が経ったことなど、覚えていようはずもない。
だが、メグルは2週間前のシンタロウを憶えている。アイツはそもそも……
「……アンタ元から学校の事なんてまともに聞いてないでしょ。読んだところで思い出せないんじゃないの」
「その通りだよ。だからそもそも思い出せない」
「なにそれ。意味無いじゃん」
「意味無いね」
吹き出し、二人小さく笑う。
笑い声こそ控え目だったが、メグルは自分が心から笑えているのを感じた。
「ねえ、ならちょっとしてほしい事あるんだけど。ランドセル背負ってる姿が見たいって――お父さんが」
本題を切り出す。
部屋に入る時は頼むのも気が重かったが、不思議と今は素直に伝えられた。イザナギのジレンマも理解はしていたので、名前は伏せる。これが義姉なりの気遣いというやつだ。
そして、帰ってきた答えは予想通りだった。
「いや……それはちょっと……」
「そう言うと思った」
中身25歳らしいが、変なところでプライドが高いのは変わっていないようだ。
目論見通りに事が進みメグルは安堵した。
もしかしたら、根っこの部分はあまり変わっていないのかもしれない。
「ねえ、代わりに勉強教えたげる」
「姉さんが?」
「私だってただ帰宅部してる訳じゃないし、好きなラジオただ聴いてるのも手持ち無沙汰だしね。そこそこ勉強してんの」
「う、うう~ん」
まだ悩んでいる。そんなに嫌か。
「何葛藤してんのか知らないけど。シンタロウ、アンタ元々ろくすっぽ勉強してないし。大人のつもりでそのまんま授業受けたら痛い目見るよ」
「うっ」
「進太郎君はバカだしって周りから思われたままで……アンタ耐えられんの?」
「ううっ」
「ランドセルちょっと背負って立つだけで、挽回できるチャンスが手に入るんだけどなあ」
「……………………やるよ」
シンタロウは負けたと言わんばかりにガクッと項垂れると、勉強机に引っ掛けてあったランドセルを勢いよく背負う。
小学生がランドセルを背負っている姿は特別面白くも無いが、ことシンタロウが背負っているとなるとメグルも少し笑いそうになってしまった。
「その代わり、これが終わったら勉強教えてよね。これは契約だよ姉さん」
「分かってるって。下でイザナ――お父さんが待ってるから早く行ってきなよ」
「やっぱりイザナギのお願いだったか。……はあ」
つい口が滑り、メグルは慌てて訂正する。
が、遅かったらしい。というより事態の主犯はおおよそ分かっていたようだ。
扉を開けて部屋を出る前にもう一度ため息を吐くと、シンタロウは階下のリビングへ向かった。
「~~! シン様可愛い~~!」
階下からイザナギの嬌声が聞こえてきた。死んだ魚のような目で彼女の前に立つシンタロウの姿が思い浮かぶ。
メグルは一人笑った。
◆
「ねえ、アンタは向こうの世界?でなにやってたの? 勉強してない事だけは分かったけど」
メグルは、あれから自室に戻ってきたシンタロウに付きっ切りで勉強を教えていた。
案の定というか、なかなかに酷い。
中身が満足いくような点数を取れるようになるには時間がかかりそうだ。
同時に、弟に勉強を教えるのはこんなに楽しいものだったのかとメグルは思った。頼られることが、単純に嬉しい。
「僕は向こうでは、なんて言ったらいいかな、警察みたいなことをしてた」
「みたいな?」
「シン様は理術の使用された事件を捜査する官吏でしたわ」
「ははぁ……? 刑事ってわけ?」
シンタロウのベッドに腰かけ勉強の様子を静かに見ていたイザナギが補足してくれたが、余計混乱した。
「まあ、そんなとこ」
「シンタロウが刑事って想像できないんだけど」
「いいえそんなことありませんお義姉様! シン様はそれそれは優秀な捜査官でしたわ!」
鼻息荒く身を乗り出してシンタロウの魅力を伝えようとするイザナギを宥める。ことシンタロウのことになると義妹は本当に見境がなくなるようだ。
「僕達のいた世界ではこの世界にはない力――理力が強く作用していて……簡単に言えば、つまり魔法が生活に組み込まれている世界なんだ」
「あーイザナギさんがワープしてきたのもその理力ってやつを使ったから?」
「そうですわ。シン様も私も日常的に使っておりました」
「ふーん……」
なんだかすごく異世界っぽい。力が見られないのは残念だが――いや、直接見てるか。
部屋を吹き飛ばしかけた閃光と爆発。アレは確か禁術と言っていたような。
ああいった力が日常的だと、こちらの世界の勉強はもどかしくて堪らないだろう。
「お前たち、夕飯の時間だ」
メグルはもう少し向こうの様子を聞きたかったが、夕飯ができたと呼びに母が来た(ノックなしにいきなり部屋の扉を開けた)ので、そこまでとなった。
興味を持ったところで、行けるわけでもない。
◆
夜。
明日は月曜日という事もあってラジオを聴くのも切り上げ(ラジオ自体も日曜は早めに放送が終わる)、メグルはベッドに潜り込む。
ベッドの足元には、敷布団でイザナギが寝ている。父がいつの間にやら買ってきていたマットレスを敷いているので寝心地はそこまで悪くないはずだ。
現在空いている部屋が無いので、一先ずイザナギと同室で寝起きしている。
手元のリモコンで照明を落とす。小さな電子音と共に部屋が真っ暗になった。
「……お義姉様。学校ってどなたでも入学できるんですか?」
暗い部屋の中、静かに寝ていると思っていたイザナギは、横になったままメグルに問いかける。
「ん? そうだよ」
「お義姉様がシン様に勉強を教えてあげられるのが……羨ましいですわ」
「そんな大したことじゃ無いんだけど」
「私も何か、シン様のお役に立ちたいんです……」
何か思いつめたようなイザナギの声音にメグルは一瞬虚を突かれる。
だが、思い返してみても何に悩んでいるのか分からず、メグルは取り繕わず素直に返すことにした。
「……もう出来てると思うよ。十分すぎるくらい」
「ふふっ……お義姉様は本当にお優しい方ですね」
「そんなんじゃないし……」
褒められて悪い気はしない。
が、それ以上にイザナギの素直さの方が自分よりよっぽど魅力的に思えた。
出会った日もこんな会話をしながら寝落ちしたことを思い出す。
自分はそんなに優しいのだろうか。メグルにはよく分からなかった。
「私なりに出来る事、考えてみますわ。……おやすみなさい、お義姉様」
「うん。おやすみ、イザナギさん」
今度こそ目を閉じる。
睡魔はすぐにやってきて、メグルは眠りに落ちた。