4話
「15年ぶりの街はどうですか、シン様」
「実質二週間しか経ってないし流石に変わってないけれど……懐かしいよ」
「シン様の生まれ故郷、お話してくださったとおりで……私もなんだか見知ったような気さえしてきますわ」
「ありがとう。イザナギは優しいな」
「シン様……♡」
後ろを連れ立って歩く二人の別に聞きたくもない会話を聞きつつ、メグルはげんなりした顔で歩いていた。
何が悲しくて弟夫婦(メグルとしてはカップルと呼ぶべきか未だ決めあぐねている)と街を散策しなければいけないんだろう。
正直早く帰りたい。
◆
遡ること数時間前。
イザナギがやってきた翌日。
起き抜けに家族で朝食を摂っていると、おもむろに要望を挙げた(ちなみに、こちらの世界の食事を見て多少驚いた様子だったが「まあ!こんなもの食べた事ありませんわ!」という声は貰えなかったし普通に完食した。父ノゾムの嬉しさ半分がっかり半分といった顔が印象的だった)。
自分の夫の生まれ育った街を見てみたい。
流石愛のために世界を超えてくる彼女だ、行動原理もやはり愛のためであった。
「そうか、なら散歩にでも行くといい。しっかりエスコートしろよ、シンタロー」
「ああ、分かってるよ母さん」
「二人並んで歩くとどっちがエスコートされてるか分からんけどな」
「母さん……」
にししと意地悪げに笑う母と軽いショックを受けたような様子の弟の会話を聞きながら、我関せずとメグルはもそもそと朝食を食べる。早速不可思議な状態の息子をイジる母の神経はどれほど図太いのだろうか。
「これから住む街を案内して欲しいってのはとてもいいことだね。メグルちゃん」
「――ぅえ、私!?」
噛んでいたご飯を飲み込み、理解するまでに一瞬。
笑顔で案内を命じてきた父をメグルは恨めしげに睨む。
が、返されたのは爽やかな笑みとともに、やれ、という瞳だった。
こうなってしまえば拒否権がない。普段にこやかで尊重してくれる父だが、極稀に母より強権を発動させることがある……今がそれだ。
「まあ、お義姉様にこの街を案内していただけるんですの? とても素敵な提案ですわ」
「え、いや――」
「それはいい。一応シンタローは病み上がりだし、戻ってきたばかりとなると土地勘も薄い。案内してやれ、メグル」
「いやぁ~うーん…………分かった、案内する、から……」
ちらりとシンタロウを見ると、ごめんねとでも伝えたいかのようなアイコンタクトを送ってくる。メグルはそっぽを向いて気づかないふりをした。弟のくせに大人ぶっちゃって。
「皆様ありがとうございます。私今からとても楽しみですわ!」
……そんなこんなで3人連れ立って街を散歩しているのである。
メグルはこの時点で忘れていたが、自室の窓ガラスの張替え作業でどう足掻いても結局部屋を追い出されていただろう。
「整備されていて歩きやすいですが、似た家々が並んでいて迷ってしまいそうですわ。お義姉様が道案内してくださってとても助かりました」
メグルの気持ちを知ってか知らずか、のんきに話しかけてくるイザナギ。肩越しに彼女を見て、その無邪気で素直な目線に毒気が抜かれる。メグルより少しだけ背が高いので少し振り返っただけでも姿を確認できる。
「……この街はそんなに都会ってわけでもないし、歩いてれば慣れるよ」
「そうなんですの?」
「うん。イザナギさん、ここ住宅街だし入り組んでるから最初は分かりづらいとは思うけど、周りの施設までの道を覚えちゃえばすぐだから。真っすぐ歩けばどこかしら大通りに出るし」
「僕も小学生までだけど土地勘はあるから、迷っても呼んでくれればすぐに行くからね」「はい……♡」
すぐに惚気けるのさえなければここまで気が重たくならないのに。二人に気づかれないよう小さくため息を吐く。
「そうですわ! シン様の通われている学校、私見てみたいです」
「小学校のこと?」
「はい! お義姉様、今から案内お願いできますかっ?」
シンタロウの言葉で思いついたのだろう、嬉しそうに提案する。ここからそう遠くないし寄ってもいいか、とシンタロウへ目線を投げる。だが、返ってきたのは、
「ごめん姉さん。来週から僕も学校に行かなきゃならないし、あとで家から一人で行かせてもらえないかな」
「? まあいいけど」
シンタロウの拒否で、目に見えてシュンとうなだれるイザナギ。慌ててメグルは自分の学校へ案内することにした。高校を見せたところで彼女にとってあまり意味はないだろうが、目的地を決めて歩いたほうがメグルにとって気まずいこの散歩も少しは気楽になる。道中ぽつぽつと3人で会話しながら15分ほど。
「ほら、ここが高校」
さっと指差し振り返って、後ろの二人に紹介する。そろそろ通い慣れた、普通の高校だ。校庭では土日返上で部活動に勤しむ生徒の姿があった。
「すごく大きな学び舎ですわ。小中高大…ここがシン様が3番目に通う学校なんですね」
「そーだね。イザナギさんも私と歳あんまり変わらないみたいだし、なんか手続きすれば通えるんじゃない?」
「それは楽しそうですわね」
口元に手を当てて小さく笑うイザナギ。言動や行動はぶっ飛んだところがあるものの、やはり端々で気品を感じる。今まで出会ったことのないタイプの彼女に、メグルは不思議と興味を惹かれていた。
「――メグルじゃん。土日にこんなとこいるなんて珍しーね」
ふと、校庭から声をかけられて振り返る。
「リサ。おつかれ」
「おつ~」
メグルの友人、リサだった。
学校指定の芋ジャージを着て、額から汗を流している。陸上部である彼女は、今日も部活で校庭を走っていたようだ。
「今日はどしたん? 忘れ物?」
「いや……ちょっと散歩……」
言い淀むメグルを見た後、後ろの二人に気付くと、リサはにひひと笑った。
バレた。
「そっかそっか君がウワサの弟くんか~。アタシ大知リサね。よろしく~」
「姉がお世話なっています。弟の進太郎です」
フェンス越しにひらひらと手をふるリサに、シンタロウは全く動じず柔和な笑みを浮かべて頭を下げる。 その様子にほぉーと感心したように頷き「こりゃメグルも悩むわけだわ」とつぶやいた。「ちょ、リサ!」「ごめんて」
「んで、そっちの子は?」
「私はイザナギと申します。シン様の妻ですわ」
「おお~?」
しっかり伝わったイザナギの牽制に思わず笑ってしまうリサは、恥ずかしそうにしているシンタロウの方へ視線をやり、「マジ?」「はい……」面白いものを見たと言わんばかりに楽しそうににやける。メグルだけ気付いていないのもまた、面白い。
「大知~!そろそろ戻ってこ~い」
遠くでリサを呼ぶ声が聞こえた。リサが振り返って声のした方を確認し、おざなりに返事をするリサ。
おそらく部活の顧問だろう。メグルは帰宅部なのでいまいち疎い。
「ああ、それじゃね。二人共よろしく~」
さっと手をふると、リサはそのまま部員たちの元へ駆けていった。
あとには、呆気にとられた3人だけが残される。
「……なんかごめん」
ぽつりとメグルはつぶやいた。
◆
その後はなんとなく帰宅する流れになった。
先程のことでどっと疲れたというわけでは、ない。リサの引っ掻き回しのお陰で3人に漂う雰囲気がなぜか明るくなったのは不思議である。終始軽い印象だが、会えばこっちも元気になる彼女の事をメグルはとても好きだった。いい友人である。
そんなこんなで自宅近所の公園に差し掛かった時、シンタロウは少し休憩したいと申し出た。
正確には、先に帰っていて欲しいと。
「疲れたの?」
「いや、その、この公園。よく遊んでたからちょっと懐かしくて。すこし見て回りたいんだ」
「ふうん? 待っててもいいよ」
「いや、それは。――姉に付き添われて遊んでるみたいで恥ずかしい、から……」
「ああ、なるほど……」
よく考えたら今日の散歩も姉二人に弟一人の様に見えてメグル以上に恥ずかしがっていたのかも知れない。おまけにイザナギとずっっっと手を握っていたし。……うざ。
「そういうことなら、私とイザナギさんで先帰って「私は、シン様と、離れません」
「……ハイ分かりました、私一人で帰るから。まあこの公園ならシンタロウも道覚えてると思うし」
じゃあ、と二人と別れ、メグルは自宅へ向けて歩き出した。
私だと恥ずかしくて、イザナギさんとは恥ずかしくないらしい。
拒絶され寂しいがればいいのか、まあ夫婦だしなと納得すればいいのか。
釈然としない気持ちのまま。
◆
「本当に体調が優れないんですの?」
公園のベンチに座る愛してやまない夫の顔を覗き込みながら、イザナギは彼の右手を握る手に神経を尖らせた。
こちらの世界へ帰ってきた当初シンタロウは2週間も臥せっていたと今朝方義父のノゾムから聞き、案内兼リハビリがてらの散歩を提案したのだが、無理をさせてしまっただろうか。
こちらの世界では濃い靄がかかったように理力が使えない。そのせいで、本来なら空間を繋ぎ安定した門を作るはずの転移も一か八かの一方通行になってしまった。今だって、彼女の得意とする治癒の力を使って一刻も早く夫の疲れた体を癒やしてあげたかった。
「大丈夫だよ、イザナギ」
そんな彼女の心模様を心配させまいと、シンタロウは直ぐに笑顔を浮かべて見つめる。
「姉さんにはああ言ったけど。僕は別に疲れていないよ」
「でも、長く臥せっていたとお義父様が」
「2週間、とは言え元々の僕はかなりやんちゃ坊主だったしそんなに体力は落ちてないよ。多分ね」
「――わかりました。でも、この手は離しませんから」
「ありがとう。すごく嬉しい」
まっすぐに見つめて感謝され、イザナギは文字通りキューンと胸が締め付けられるほど嬉しくなる。
頭の中がピンクでいっぱいになり、慌てて頭を振って冷静になった。
「………」
ふと、遠くを見つめるシンタロウに気づき、イザナギは視線の先を追った。
そんなに大きな公園ではないが、芝生があり、少ないながらも遊具もある。気持ちよく晴れた土曜の午前中ということもあって、シンタロウとよく似た背格好の子どもたちが無邪気に遊んでいる。とても平和な光景だった。
しばらく、二人並んで静かに眺める。
「……僕にはまだ、夢を見ているような気分なんだ」
何度目かの爽やかな風が吹いたころ、ポツリとシンタロウはつぶやいた。
「いつかは帰りたいと願っていた世界に来たのに、記憶の中と変わらない家族に会えたのに。――僕はあちらに飛ばされた当時のままの、身体」
「シン様……」
ぎゅ、と手を少し強く握った。夫のこの顔は、何度か見たことがある。12歳で結婚し、幼いながらもずっと憧れ慕い続けたからこそ、この顔を見ると寂しくてもどかしくてどうしようもなく感情を揺さぶられる。まるで彼の魂ごと遠くへ行ってしまいそうな悲しみに満ちた顔。
強くなった手の感触で妻が不安になったのだと慮ったのだろう、シンタロウは安心させるような笑顔を向ける。出会った時の自分よりも幼くなってしまった夫の笑顔はしかし、少しも変わっていない。
「突然行方不明になって、心配させてごめんね。僕も正直、どうやって帰ってきたのか分からない」
「いいえ、私は貴方様が無事であれば、それだけで良いのです……!」
たまらなくなり、両手で彼の右手を強く包み込む。
彼の心の苦しみが、少しでも和らぎますように。
「ふふ。ありがとう。君が傍にいてくれるから僕は取り乱さずに居られる」
それきり、シンタロウはまた遠くを見つめる。
「僕にとってどちらの世界が本当なんだろう。ここで過ごした時間よりも、向こうで過ごした時間のほうが長くなってしまった」
遠くを見つめたまま。笑顔なんてすっかり消えた顔で。
「思い出の中の、懐かしい街に帰ってきたのに。―――僕の居場所は、もうどこにも無いように感じるんだ」
「シン様!」
瞬間。イザナギはシンタロウの頭をかき抱いた。強く強く抱きしめた。
「シン様……私が、イザナギが傍におります。もう離れません」
ゆっくり語りかける。包み込んで、彼から全部を預けてもらえるよう。
「シン様には私が居ります。二人で、この世界に根を張りましょう。お義姉様もお義父様もお義母様も見守ってくださいます。だから……」
「……ありがとう、僕の愛する人」
シンタロウは声を押し殺して静かに泣いた。
風すら通さない二人の抱擁は、しばらく続いた。