問題編⑦
サキエさんを除いた僕たちは、彰さんの先導で玄関へ向かう。
そこには誠二さんと、五十代半ばほどと思われる小柄な女性がいた。彼女が由美さんなのだろう。明るく染めた髪に緩く当てたパーマや、少し厚めの化粧などから、なんとなくベテランのショップ店員を想起する。
彼女は呆然と玄関に佇んでいたが、僕と緋村の姿を認めると、反射的に会釈をした。
「お金が戻って来たと言うのは、本当なのでしょうか?」
自己紹介をすっ飛ばし、緋村は彼女らに尋ねた。
「は、はい。私、たった今帰宅したんですけど、郵便受けから見覚えのあるケースがはみ出しているのに気付いたんです。まさかと思って取り出してみたら、案の定お金をしまっていた入れ物でした。中身もちゃんと入っとって、慌てて主人に報告したんです」
「金額は? 幾らか抜き取らていたましたか?」
「今主人が数えてますけど……見た感じ、減ってへんかったかと」
もし全額無事だとすれば──犯人の目的は金を得ることではなかったのか? だからこそ、盗んだ物を返して来た?
予想外の展開に、僕は混乱していた。次村家の人々や、境木も同様だっただろう。
ただ一人、緋村だけが余裕を失わずに佇んでいる。それどころか、まるでこうなることを想定していたかのように、薄っすらと笑みを浮かべていた。
そこへ、廊下の先から忠男さんが現れる。
彼は困惑したような表情で、結果を告げた。
「金は全く手を付けられてへんかったわ。札の内訳も完全に同じやった」
つまり、犯人は本当に手付かずのまま、盗んだ物を戻したことになる。
しかし、それならば何故金を盗み出したのか──犯行の動機が少しもわからない。
「……みなさんに、確認させていただきたいことがあります」
至って静かな声音が発っせられる。無論、緋村の物だ。
「僕が到着した時、ポストにはまだ何も入っていませんでした。表札のお名前を確認した際目に入ったので、これは確かです。であれば、犯人が金を戻したのは、それ以降と言うことになります。僕がこちらにお邪魔してから、奥様が帰宅されるまでの間、みなさんはどこで何をされていましたか?」
金をポストに入れる機会があったのは誰か、確かめるつもりなのだろう。
しかし、この質問にはあまり意味がなかった。男性陣三人は全員別々の場所に一人でいたのだ。つまり、忠雄さんは書斎、誠二さんはリビング、そして彰さんは二階の自室に。
今し方帰宅したばかりの由美さんにアリバイがないのは言わずもがな。
唯一、倉持さんだけはずっと他の人間と行動を共にしていた──ように思われたが、実は彼女にもケースを投函する機会があった。すなわち、緋村を客間に通してから、書斎にいた僕たちを呼びに行くまでの間だ。非常にわずかな時間だが、しかし少し庭に出て戻って来るだけのことだから、十分に可能だろう。
「なるほど、よくわかりました」
彼らの回答を聞いた緋村は、何故か満足げな様子だった。
それから倉持さんに向き直り、こんなことを尋ねる。
「若庭から聞いた話ですと、倉持さんはスーパーへの買い出しから帰宅された後、見落としていた汚れに気付き、玄関の掃除をし直したそうですね。それはどんな汚れでしたか?」
「えっ? ええっと、玄関の床のところに、少しだけ砂が落ちていたんです。自分でもなんで気付かんかったのか、不思議なんですけど……」
「そうですか……」
彼は口許を手で隠す。刹那、その死んだ魚じみた瞳が怜悧な輝きが放つのを感じた。
「少し、実験したいことがあります。みなさんにもご協力いただきたいので、一緒に書斎へ来てくださいますか?」
「実験? 何をする気だね」
訝るような忠雄さんの問いに、緋村は一同を見渡しながら、
「とても簡単なことですよ。そして、おそらくそれで全てがわかります。犯行の手口も、そして、犯人の正体も」
探偵は、早くも解答編を始めるつもりらしい。