問題編⑤
「サキエさんの仰ったおり、私は九時くらいにここに到着しました。昨日は専門の授業がなかったんですけど、そう言う日はいつもそれくらいの時間に伺うことになってます。
由美さんが出かけはった後は、お掃除やお洗濯などの家事をして過ごしました。そうしているうちに、お昼前に彰さんさんがお見えになったので、慌ててご飯の支度をしようとしたんです。そしたら、サキエさんが今日は出前を取ろうと言ってくださって、だいぶ楽させてもらいました」
「彰さんが来ることは、聞かされていなかったんですか?」
「はい。誠二さんに関しては、朝由美さんにお会いした時に、お金を借りる為に午後お見えになると伺っていたんですけど……。てっきり私とサキエさんのぶんのご飯を用意すればええと思って、油断してました」
「すまんな、倉持さん。昨日うちに寄ったのはただの気まぐれやったから、誰にも言ってへんかったんや」
それまで黙って僕たちのやり取りを眺めていた彰さんが、茶髪の頭を掻きながら言う。
「えっと、それで三人でご飯を食べた後は、洗濯物を取り込んだり午前中にやり残したことの続きをしたりしてました。その後、サキエさんがお昼寝をなさりたいとのことだったので、お布団を敷いて差し上げて、それがだいたい、十四時頃やったと思います。
粗方やることが終わった後は、しばらくリビングで持って来た本を読んだり、テレビを観たりして過ごしてました。それから誠二さんがお見えになったので、サキエさんはお昼寝なさっているとお伝えして、お茶を出そうとしたらところで、お茶受けを切らしていたのを思い出したんです。すぐに近くのスーパーに買い出しに行って、たぶん二、三十分くらいで戻って来たんかな。誠二さんは彰さんと一緒に、リビングでテレビゲームをしてはりました」
改めて二人にお茶を淹れてやった彼女は、改めて玄関の掃除をし直したと言う。どうも見落としていた汚れがあったらしい。
しかしそれもほんの数分で片付いた為、リビングに戻り、彼らの死闘を観戦していたそうだ。
「それから十六時前くらいに由美さんが帰宅されて、もうそろそろ境木さんがお見えになる頃だったのもあって、みんなで客間へ移動したって感じです」
今のところ彼女の証言に気になる点はなかった。ひとまず鍵のことを訊いておくべきか。
「金庫の鍵は、ずっと携帯されていたんですよね?」
「はい。肌身離さず、です。家にも持ち帰ってますし、落とさないよう気を付けてますから」
大袈裟なほど力強く首肯した彼女は、徐に立ち上がり、ジーンズのポケットからキーケースを取り出した。
「いつもこのキーケースに入れとるんですけど、シッカリとフックで留まってるので、勝手に外れるようなことはありません。それに、キーケース自体にストラップが付いとって、こんな風にズボンのベルト通しのところに引っかけとけば、失くす心配もないんです」
まるで通信販売の商品紹介のような口調である。
いずれにせよ、これなら確かに、彼女に気付かれずに盗むのは難しそうだ。
ついでに鍵も見せてもらったが、別段おかしなところはなかった──と言うか、よくわからなかった。聞いていたとおりのサイズで、一見して自転車の鍵のようだ。
倉持さんが再び座ったところで、今度はそのまま彰さんに順番を回す。
「俺も大して話せることはないけどな。──昨日実家に寄ったんは、婆ちゃんの顔を見るついでに、部屋に残して来たもんを整理する為やった。で、婆ちゃんに挨拶した後、昼飯を食うまでは自分の部屋で過ごしとったし、食い終わってからもしばらく一人でおったわ。それから十五時前くらいに、小腹が空いたんで、台所を漁ろ思って下に下りたら、いつの間にかリビングに叔父さんがおって、ゲームやらんかって誘われたんや。叔父さん割とゲーマーで、昔からよう遊んでもらっとってな。対戦し始めて少ししたところで、倉持さんが帰って来たわ」
そこから先は今しがた倉持さんから聴いたとおりだった。
あまりにも短い内容だったが、前の二人と重複する部分が多くなる為仕方あるまい。
ここまでの三人の証言をまとめてみると、昨日次村家にいた人間は、みなどこかしらの時間で一人になる機会があったことになる。
サキエさんは基本的に一人で自室にいたし、彰さんもほぼ同様である。
倉持さんは午前中と、昼食後から誠二さんが訪ねて来た十五時前までの間、明確なアリバイがない。一応途中でサキエさんの布団を敷いてはいるが、その前後はやはり曖昧だ。
誠二さんにしてみても、この家に到着してから、彰さんがリビングに下りて来るまで、ごく短い間とはいえ一人きりだった。
そして由美さんに関しては、ほとんど家にいなかった為、一見して犯行の機会はなさそうだが、朝食後から倉持さんが出勤しするまでの間、短いながらも一人でいる時間があった。後片付けを買って出たのも、サキエさんを部屋に追い払い、その隙を突いて金を盗み出す為だったのかも知れないし、何なら彼女が朝食を摂っている間に、犯行に及んだと言う可能性もある。
──要するに、現段階では的を絞ることは難しいわけか。
僕はひとまず思考を打ち切った。
「誠二さんは、今日もいらしているんですか?」
庭に停車まっていたワンボックスカーは彼の車だと、境木から聞いていた。
「ああ、リビングにおるわ。叔父さんにも話聞いて来るつもりなん?」
「そうさせてもらうつもりです。それと、できれば由美さんにも……」
「お袋は今出かけとるで。整体に行っとるんや。三年くらい前にギックリ腰をやってから、癖になってもうたみたいで、以来ちょくちょく通って腰をほぐしてもろてるらしいわ」
そう言うことなら、由美さんに話を聴くのは帰宅してからにしよう。
「ちなみに、由美さんがお金を借りる理由は何なのでしょう? ご夫婦で働いてらっしゃるんですし、生活に困っていると言うこともないはずですが」
少々踏み込んだ質問だったが、彼女の息子は躊躇うことなく答えてくれる。
「それはちょっとした浪費癖と言うか……まあ、要するに見栄なんやろな。さっき話に出た大学の頃の友達ってのが二人おるんやが、どっちも相当羽振りのええ暮らしをしとるみたいでな。お袋はその二人と見劣りしてまうんが嫌みたいで、昔から意味もなくブランド品を身に付けたり流行っとる服を買うたりしとったわ」
それで頻繁に家庭内銀行の世話になっていた、と言うことか。彰さんや誠二さんほど困窮した状態ではないが、金を盗む動機としては十分だろう。
「いい気なもんやろ? 息子は爪に火を灯すような暮らしをしとるってのに。さすがにこの歳にもなって仕送りしてくれとまでは言わんけど、せめてもう少しマシな使い方してほしいわ」
「ちょっと、お客さんの前でそんな愚痴言うたらあかんで。お二人とも困っとるやないの」
「しゃあないやろ、事実なんやから。それに、俺は境木くんたちに協力してあげとるだけや。今夜までに犯人を突き止めてもらう為にも、ちゃんと情報提供したらな。──そう言うわけやから、他にも訊きたいことがあったら遠慮なく言うてくれ」
捜査に協力的なのはありがたいが、安易に他人の家の秘密を教えられるのも、あまりいい気がしない。今更ながら迷いが生じた結果、僕は当たり障りのない事実確認に逃げることにした。
「では、改めて確認させていただきたいのですが……金庫の鍵は二つしかなく、それぞれ忠雄さんと倉持さんが管理されていた、と言うことで間違いないですね?」
三人は同時に首肯する。
「誰かがコピーの鍵を作ったと言うことは、考え辛いのでしょうか?」
「難しいんやないかな。よう知らんけど、そこそこ高い金庫やったから。ついでに言うと、同じ型の金庫をどうにかして用意してその鍵を使うのも不可能らしい。この金庫は個体ごとに鍵が決まっていて、種類が同じでも対応してへん金庫を開けることはできんそうや。ま、防犯性能を考えたら、そうでないと困るわな」
何故そんなに詳しいのかと問うと、金庫を買った際にこの家におり、説明書を読んだから、とのことだ。
「そもそも、鍵だけあっても、暗証番号がわからんかったらどうしようもないわ」
「それもそうですね」
「後で見てもろたらわかるけど、かなり頑丈な作りやから、無理矢理こじ開けることもできひん。耐火性にも優れとるみたいやし、重いから一人で持ち出すんはまず不可能やろう」
「そう言えば、金庫を買った時も、忠雄さんと彰さんお二人で、苦労して運んでおられましたもんね」
二人がかりでなければ、運ぶのは困難と言うことか。であれば、余計に金庫その物に細工を施したとは考え難い。もっとも、事件発覚後に境木たちが確かめたところ、そう言った痕跡は見受けられなかったと聞いていたので、わかってはいたことだが。
となると、犯人は正攻法で金庫を突破し、現金を持ち去ったことになる。しかし、今のところどのようなトリックが用いられたのか、見当も付かなかった。
何にせよ、これ以上彼らに聴けることはなさそうだ。僕たちは三人に礼を言い、倉持さんに案内してもらって、リビングへと移動した。誠二さんと会う為に。
僕たちがリビングにお邪魔すると、誠二さんは昨日と同じように、テレビゲームをしていた。テレビ画面に映し出されているのはレトロな格闘ゲームの戦闘風景であり、僕も小学生の頃に友人の家で遊んだ記憶のある物だった。懐かしみつつ、簡単に自己紹介をして、事件の調査を手伝っている旨を伝える。
戦闘画面を一時停止した彼は、昏い黒眼で僕たちを見上げた。こちらを値踏みするかのような眼差しである。人の家の問題に首を突っ込むどころか土足で乗り込んで来た暇な学生を、あまり歓迎していないようだ。
「俺に何を訊きたいんや」
すぐに戦闘を再開した彼は、忙しなくコントローラーの上で指を動かし始めた。
「昨日、こちらのお宅に着いてからのことをみなさんに伺っているんです。境木が来るまでの間、どう過ごされていたのか、できるだけ詳しく教えてください」
「昨日は兄貴から金を借りる為に来た。着いたんは十五時ちょい前くらいかな。お袋の顔を見よ思たら昼寝しとるって言われたから、取り敢えず起きるまでリビングでゲームして待つことにした。で、倉持さんが出かけて行った後、少しして彰が下りて来たから、久々に対戦せんかと誘って、一緒に遊んどったわ。三ラウンドくらい終わったところで倉持さんと義姉さんが順番に帰って来て、それからはずっと、四人一緒におったで」
わかってはいたことだが、これまでの話をなぞる程度の証言だ。
僕はひとまず、最も重要な点について確認する。
「リビングでゲームを始めてから、彰さんが下りて来られるまで、どれくらいの時間がありましたか?」
「そうやなぁ……だいたい十分、十五分くらいとちゃうか」
あくまでも自己申告ではあるが、実際の時間とかけ離れた嘘を言うとも思えないし、本当にそんな物なのだろう。問題は、彼が犯人だった場合その短時間でどうやって金庫の金を盗み出し、隠したのかだが……。
いや、誠二さんにはもう一つ、犯行が可能なタイミングがあった。鍵を受け取り、金庫を開けた時だ。本当はあの時何かトリックを用いて、金を盗み出したのではあるまいか。
少し探りを入れてみることにする。
「倉持さんから鍵を受け取って金庫を開けた際、何か気になったことはありませんでしたか?」
「いや、何も。いつもどおりやった」
「鍵を受けてから、すぐに金庫を開けたんですよね? そして、お金が消えていることが発覚した。その間は、どれくらいの時間だったか覚えていますか?」
「そんなもん、いちいち計ったったわけやないからなぁ。まあでも、ほんの一、二分やろ」それからこちらに不審げな瞳を向け、「君、俺を疑ってるんとちゃうやろな? 金庫を開けると共に、早業で金をどこかに隠したとか? ──あり得へんわ。そんなことする時間はなかったし、服の中に隠してへんことは、彰と境木くんが確認しとる。あの時、俺の動きに不審なところはなかったやろ?」
境木は首をすぼめるようにして頷いた。
「はい、なかったです。金庫を開ける瞬間を見ていたわけではないですが、少なくとも誠二さんに、不自然な様子はありませんでした」
となると、やはり誠二さんが鍵を開けた時点ですでに金は盗まれていたのだろうか? 無論、何らかの方法で、彼が素早く金庫の中身を隠すことができたとしたら、話は変わって来るのだが……。
だめだ、犯人の手口が少しもわからない。そもそも、一度も現場を見ずにトリックを暴こうとするのは無理がある。
書斎へ移動することに決めた僕は、最後に気になっていたことを尋ねた。
「昨日は用事があったそうですが、大丈夫だったんですか? 予定より相当遅く帰宅されたと思いますが」
「まあ、大した用でもなかったからな。ホンマは居心地が悪いから早よ帰りたかっただけや」
にべもない返答だ。それに、捉えようによっては境木がいたから居心地が悪かった、と言っているようでもある。
「今日かて、できることなら来たなかったわ。けど、兄貴が『容疑者は俺の目の届くところにいろ』って言うから、仕方なくおるんや。ま、義姉さんは無視して出かけてもうたけど」
「そう言えば、忠雄さんはどちらにいらっしゃるんですか?」
「書斎や。何か手がかりがないか、朝からずっと探しとるらしい。ご苦労なこった」
そう言うことなら、金庫を見るついでに、彼にも話を聞かせてもらおう。僕たちは礼を述べ、リビングを出た。




