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堅牢すぎた金庫  作者: 若庭葉
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問題編②

 事件が発覚したのは、昨日(さくじつ)──十一月二日の十六時頃。この日、四限目の授業を終えた境木は大学を後にし、下宿先のアパートの向かいに建つ、次村(つぎむら)家の邸宅を訪れていた。この家のお婆さんから、お茶に招待されたのだ。

 彼は今年の初夏の頃から、度々次村家に招かれるようになっていた。元々そのお婆さん──次村サキエは境木にとっては下宿先の大家だったのだが、ある時彼女の荷物を運ぶのを手伝ったことをキッカケに、本格的な交流が始まったのだとか。

 ブロック塀に囲まれた立派な庭に入ると、見覚えのあるワンボックスカーとスクーターが停まっていた。どちらもサキエの家族の物だ。

 今日は彼らも来ているのか。そんな風に思いつつ、玄関の前に立って呼び鈴を鳴らす。すると待ち構えていたのか、すぐに家政婦の倉持梓が出迎えてくれた。梓は天王寺にある専門学校の生徒で、週に三日ほど次村家に通い、主に家事やサキエの身の回りの世話をしていた。ショートヘアの似合う小ざっぱりとした人物で、女性にしては背が高い方だろう。手脚も長く、ロング丈のシャツにジーンズと言ったシンプルな服装がよく似合っていた。猫背で常に目の下にクマを拵えている境木と比べると、余計に健康的な印象が際立つ。

「いらっしゃいませ。タイミングバッチリですね。サキエさん、ちょうど今起きたところなんですよ」

 この頃、サキエはよく昼寝をするようになったと言う。年齢の為か体力が衰えて来ているのだろう。体調を崩すことも増えたようで、境木が訪ねると寝込んでおり、お見舞いすらできずに帰ることもしばしばあった。

 今日もあまり体調が思わしくないのかと心配し、様子を訊いてみると、

「大丈夫だと思いますよ。ここのところ安定しとるみたいやし、むしろ、いつも以上にお元気ですから。それだけ境木さんと会えるのを楽しみにしてはったんでしょうね」

 ひとまず胸を撫で下ろした。それから梓に案内され、スッカリ通い慣れてしまった客間へと向かう。

「今日は彰さんと誠二さんがお見えになっているんですよ。由美さんもお帰りになったので、いつもより賑やかです」

 道すがら、彼女はそう教えてくれた。

 名前の挙がった人物について軽く説明しておくと、まず彰はサキエの孫で、大学を出てからは一人暮らしをしていた。実家には頻繁に帰って来ているようで、次村家の者の中ではサキエたちの次に顔を合わせる機会が多かった。仕事は派遣社員をしているとだけ聞いていたが、サキエから小遣いを受け取っている場面を見ることが何度かあり、あまり金回りはよくないらしい。

 続いて誠二はサキエの息子の一人で彰の叔父──すなわち彰の父の弟に当たる。こちらは数度顔を合わせた程度で、境木もそこまで言葉を交わしたことはなかった。前回招かれた際に梓から聞いた話によると、最近職を失い、再就職先を探して難儀していると言う。ちなみに、結婚はまだのようだ。

 最後の由美は彰の母であり、普段、平日のこの時間はまだパートに出ていた。境木がお暇する際に帰宅したところに出くわすのが常なのだが、この日は休みだったのだろう。

 この三人とサキエと梓に、サキエの息子であり彰の父でもある忠雄を加えた五人が、境木の知る限りの次村家の家族である。

 ほどなくして、彼らは和室の客間に到着した。

 そこにはサキエと共に、先ほど述べたうちの二人──彰と誠二がテーブルを囲んでいた。

「いらっしゃい、境木さん。今日もよう来てくれたなぁ。ちょうど今お茶を淹れてもらっとるところやから、先に座って待っとってください」

「あれ、もしかして由美さんが淹れてくれとるんですか? やばっ、手伝わんと」

 梓が慌ただしく台所へと向かう。その様子を見て、境木以外の三人はおかしそうに笑った──おそらく彼はいつもどおり、少しも表情を変えなかったのだろう。境木は並大抵の出来事では眉一つ動かさないほどの能面ヅラをしている。

「さあ、座って座って」再びサキエに促され、境木は空いていた座布団に正座して腰下ろした。と言っても畏まっているのではなく、なんとなく和室では正座するようにしているのだ。

「いつもながら、お招きくださりありがとうございます」

 開口一番礼を述べる。毎回この挨拶をするのがお決まりらしい。

「気になさらんでください。私が境木さんとお話しがしたくて来てもろてるんですから。むしろ、こっちがお礼を言いたいくらいやわ」

 すると、皮肉っぽい笑みを浮かべた彰が大袈裟に頷いた。

「ホンマにな。年寄りの相手なんてつまらんやらうに、嫌な顔一つせんと付き()うてくれるんやから偉いわ。けど境木くん、迷惑やったらちゃんと言ってくれてええねんで?」

「迷惑だとは、思っていないです。僕も楽しんでいます」

 素直な気持ちを口にする。実際のところ、サキエの話を聴くのも、また自分の話をするのも、彼にとって大切な趣味の一つになりつつあった。

「ほら、見なさい。境木さんは誰かさんたちとは(ちご)うて、年寄りを労わる気持ちをちゃんと持ってはんねん。だいたい、あんたたちが普段ロクに構ってくれへんから、婆ちゃんも人恋しなるんやないか」

「倉持さんに散々相手してもろてるやろ」

「それはそうやけど……やっぱり色んな人の話を聞けた方が楽しいやろ? 働いとった時は職場の人やらお客さんやらと交流できとったけど、隠居してからはなかなか難しいからなぁ」

「そんなもんなんかねぇ。まあ確かに、婆ちゃんみたいに仕事一筋やった人って、いざ退職してみると、急に暇になるもんやから、何してええんかわからんくなるって聞いたことあるわ。それまで趣味らしい趣味もなかった人は特にそうらしいで。自分の時間ができてもやりたいことがないから、場合によっては無気力な状態になってまうんやと。まるで人間の抜け殻やな」

「相変わらず失礼なことばかりよう喋りよるわ。そんなこと知っとるんやったら、たまには私をどこかに連れて行ってくれてもええやないの。抜け殻相手に小遣いをせびりに来るなんて、ええ大人のすることやないで」

「しゃあないやろ。俺、婆ちゃんと違うてビンボーやねんから。それに、趣味のない婆ちゃんの為に、たまにお土産買って来とるやん」

「あんな物、もう飽きてもうたわ」

 そう言って彼女が目を向けた先には、完成されたジグソーパズルが数点、額縁に飾られていた。どれも風景写真を元にした物で、湖と富士山と言ったお決まりの構図の物から、幻想的な海外の夜景に、色取り取りの熱帯魚が舞い踊る海中の景色など、数は多くはないが、それなりにバラエティに富んでいる。

 と、そこで、それまで黙って胡座をかいていた誠二が、卑屈そうな表情で口を開く。

「俺はお袋が羨ましいけどな。何をしていいのかわからないほど時間があるなんて、贅沢なことやないか。曲がりなりにも自立した孫がいて、財産もあって、あとはノンビリと余生を過ごすだけ。いや、ホンマに理想的な老後やで」

「私も昔はそう思っとったんやけどねぇ。いざ婆さんになってみると退屈で仕方ないわ。……それから言うとくけど、私の金なんて、この家にはもうあらへんで? みんな忠雄に差し押さえられてもうたから」

 この言い方は大袈裟のようで、あながち間違ってはいなかった。聞くところによると早くに夫を亡くしたサキエは、女手一つで二人の子供たちを育てながら、定年を迎えるまで休むことなく働き続け、一財産を成したそうである。が、しかし、彼女がシャカリキになって稼いだ金や年金の大部分は、今は長男である忠雄が管理しているとのことだった。金を持ち出すには忠雄の許可が必要であり、また金庫を自由に開けられるのも、家の中では彼だけだと言う。

 謂わば、忠雄は財政担当であると同時に、他の家族にとっては銀行のような立場を取っているのだ。特に職を失い首の回らない状態の誠二などは、この個人銀行の一番の顧客のようだった。

「でも、親父が金を管理するって言い出した時、婆ちゃん文句一つ言わんかったよな。なんでなん? 俺やったらあんましいい気せんけど」

「そりゃあ、年寄りばっかりお金を持っとっても意味あらへんしな……。あの子はシッカリしとるし、金庫も頑丈やから、自分で持っとるより安心できるわ」

 サキエが静かにそう答えた時、梓たちが急須と人数分の湯呑み、そしてお茶受けを運んで来た。

「いらっしゃい、境木さん。大したもんは出せませんけど、遠慮せんと召し上がってくださいね」

 煎餅やらチョコレートやらの乗った皿をテーブルに置き、由美が言った。万年金欠気味の境木にとっては、十分にありがたいもてなしである。彼はやはり首を窄めるようにして、平板な口調で礼を述べた。

 それから境木と次村家の人々は、他愛のない会話をして時間を過ごす。その間、特に普段と変わった様子はどこにも見当たらず、事件の起こる兆しは微塵も感じられなかった。


 それが発覚するキッカケとなったのは、誠二のある行動だった。一時間ほどが経過したところで、部屋に飾られた時計に目を向けた彼は、

「ほんじゃあ、そろそろ俺はお暇させてもらうわ」

「あら、もう帰るん? せっかくやから、お夕飯食べて行けばええのに」

「できればそうしたいんやけど、ちょっと用事があってな」

 誠二は腰を浮かせると、思い出したかのように、

「あ、それと倉持さん、金庫の鍵開けてくれんか? 少し借りて行きたいんやが」

 どうやらこの日も、銀行から金を引き出して行くようだ。

「ああ、そう言えば、昨日忠雄さんが仰ってましたっけ。じゃあ、一緒に書斎へ行きましょうか」

 梓も立ち上がる。次村家の金庫の鍵は二つあり、スペアの方の管理は梓が任されていた。それほど家族からの信頼が厚いようだ。

「それやったら、俺も立ち会うわ。叔父さんがコッソリ金をガメへんか、監視せんとな」

「そんなことするわけないやろ。兄貴が帰って来たら即刻バレてまうわ。まあ、ついて来たいなら好きにしたらええけど」

「なら、お言葉に甘えて。──そうだ、もしよかったら、境木くんも一緒に来るか? ついでに、また親父漫画借りてったらええやん」

 金庫の置かれている忠雄の書斎には、彼のコレクションである漫画の単行本や雑誌などが、多数所蔵されていた。手塚治虫から池上遼一、ちばてつやに水木しげるなど、蔵書の種類は多岐に亘り、ひととおりのジャンルは網羅しているだろう。境木は時折その中から数冊借りて行くことがあり、こうした古漫画も彼が次村家に足を運ぶ理由の一つとなっていた。

「いいのですか?」

 忠雄の許可も得ずに持ち出していいのか、と尋ねたつもりだ。

「どうせもうすぐ帰って来るんやし、その時言ったら大丈夫やろ。なんなら、叔父さんのぶんも晩御飯食べてくか?」

 これまたありがたい申し出だった。さすがに境木は遠慮しようと考えたのだが、サキエを始め他の家族も賛成した為、ご厚意に甘えることにする。

「じゃ、私たちはお茶を啜って待っとるから、みんなで行って来なさい」

 かくしてサキエと由美を客間に残し、彼らは書斎へと向かった。

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