問題編①
二〇一八年十一月三日。まだ昼過ぎだと言うのにやけに暗ぼったい《喫茶&バー えんとつそうじ》の店内で、僕と緋村はある人物と向き合っていた。
彼──境木は、隈を拵えた昏い目で、僕たちを等分に見据えている。漫画創作学科に所属する彼は、ただでさえ小柄な上に酷く猫背で、ついでに撫で肩だった。一見すると上目遣いに睨んでいるような形だが、そんなつもりは少しもないのだろう。特に機嫌が悪いと言うわけではなく、彼は普段からよくこんな表情をしていた。見た目だけで言えば陰湿そうな雰囲気であることは否めないが、実際はそれほど悪い奴じゃい──どころか、大学の友人の中では最も純朴な性格の持ち主だと、僕は思う。
それも単に人がいいと言うだけではなく、日頃から人助けやボランティア活動への参加も積極的に行っているような人間だ。僕や、今僕の隣に腰掛けている男とは、比較にならない。
「今日は最悪の日だな。せっかくの休みだってのに、こんな辛気臭い面を二つも拝まなきゃならないなんて。マジで何の嫌がらせだよ。お前ら、まさか結託して俺の休息を奪おうってつもりじゃねえだろうな」
ペラペラと嫌味を口にしつつ、呼吸するように煙草を喫む。悪かったな、辛気臭い顔で。
「僕は、緋村くんのお休みをお邪魔するつもりはないのです。それに、若庭くんとも、たまたまそこで会っただけです」
まともに取り合うことはないのに、境木は律儀にそう返す。
ちなみに、彼は何故か同学年──今ここにいる三人は、全員二回生だ──に対しても、独特の敬語で接していた。
「すでに邪魔してんだよ。しかもお前、さっき何て言った? 俺の聞き間違いじゃなければ、『解決してほしい事件がある』だって? まるでカエサルの気分だな。お前まで俺を面倒ごとに巻き込むつもりか?」
酷い言い草だが、そんな風に言いたくなる気持ちもわからなくもない。彼はつい最近も、別の友人や自身のゼミの教授などから変わった相談を受け、それぞれ解決したばかりだった。今年の夏に凄惨な殺人事件に遭遇して以来、何かと推理する機会が多いのである。
まるで、呪われているかのように。
と言っても、どれも喫茶店や居酒屋の店内で話を聴いただけで解決している──推理小説のジャンルで言えば安楽椅子探偵か──為、大した苦労でもない気もする。ロクに知恵を貸すこともできずに傍観してばかりいる僕が言えたことではないが、少なくとも、そこまで邪険に扱う必要はないはずだ。
「ですが、安藤くんは『なんだかんだ言いつつノリノリで推理しとった』と」
「あの恩知らずめ。あんなチャラい奴の言うことなんか、真に受けるんじゃねえよ」
顔をしかめた彼は、短くなった煙草を消した──そしてすぐさま、新しい物を取り出す。
「お前のボランティア精神が本物だってことは知ってるさ。今年も豪雨の被災地に行って来たんだろ? 実際に現地に出向いて復興の手伝いをするなんて、素直に立派だと思うぜ。──が、その高尚な趣味に人を巻き込むのはやめろ。勝手に一人でやれよ。あるいは、事件の真相だとか犯人の正体だとかは、俺の隣にいる変人にでも考えてもらうんだな」
片頬を歪め、指に挟んだ煙草の先で、こちらを指し示す。
「こいつは推理小説なんて言う非生産的なシロモノが好きな暇人でな。きっとこのド変態なら、喜んでお前の体験談を聴いてくれるだろう。何せ、『精神の安定の為』とか言う意味不明な理由で、事件に遭遇する度にしこしこ記録を残してるくらいだ。マトモな神経じゃねえだろ?」
どうしてそうスラスラと罵言が出て来るのか。何か特別のトレーニングでもしているのか?
ド変態こと僕──若庭葉は、憤るのを通り越して呆れていた。と言うか、いい加減もう彼の言動には慣れ始めていたので、敢えて言い返すような真似はしなかった。
そんなことよりも、境木の言う「事件」とやらが気になる。
「僕でよかったら、話を聴くけど?」
「お願いしたいです」
抑揚のない声で言い、境木は首を窄めるようにして頭を下げる。
それからまた昏い目を上げた彼は、さっそく彼の体験した不思議な事件について、語り始めた。