JK探偵成島亜矢子は探偵Hの夢を見る
「怪しい……」
学び舎に相応しくない程の妖艶といった雰囲気を醸し出し黒いスーツに身を包んだブロンドの美女がバッグ片手に悠々と歩く。
焦げ茶と白の格子模様のハンチング帽に同じく格子模様の外套を制服の上から羽織った人影が物陰に隠れながらそれを追う。
「ねえ……もうやめようよお……こんなの良くないよ……アヤシー先生多分悪い人じゃないよお……」
そのハンチング帽の女子の後を恐る恐るといった感じでついていくのは下縁の赤い眼鏡をかけたショートヘアの女の子だ。
夕暮れの校舎は光源が薄く暗い。
人も少なくなった校内で黒いスーツに白衣を羽織った美人教師が何やら自分の受け持ちではないあさっての方向を目指して歩いているようだ。
怪しい……そう断定したとある女生徒によって彼女は後をつけられることになった。
成島亜矢子は探偵志望の高校2年生だ。
熱狂的な探偵フリークの彼女は探偵部というものを非公式に立ち上げ目安箱を校内に設置し教師や生徒会に叱られては排除されることを繰り返している。
もちろん今までの依頼者は0だ。
仕方ないので彼女自ら事件を探し求めてはいるのだが今まで碌な結果になったことはない。
今日も傍らに助手(亜矢子曰く)の田中彩を無理やり引っ張りながら怪しい、と見做した事件を追っている。
今追っているのは……
「アヤシー・クリスオー。23歳独身女性。カナダ出身の保険医。3ヶ月前にこの奇原高校に赴任。抜群のプロポーションと美貌で男子生徒のハートを盗みまくっている、と。もう有罪だな、こりゃ」
「亜矢子ちゃーん……今の情報でアヤシー先生、なにもしてないよお……」
アヤシー先生を追いながら亜矢子は手帳を開き調べた先生の経歴を読み上げ何故か有罪と決めつける。
田中彩は呆れたように咎めるが彼女の意見が通ったことはない。
亜矢子は首を振りながらやや紅潮した顔で推理を述べる。
「見てみなよ、あのプロポーション。あの体型を保つのは並大抵の努力では出来ないわ。彼女はきっと某国の特殊エージェント。この学校に逃げ込んだ組織の裏切り者を消しに来たのよ。そうに違いないわ!」
──なに言ってんだこいつ
田中彩はそう思いながらも諦めたようにため息をつく。
アヤシー先生は3ヶ月ほど前に赴任してきた保険医で熱心な先生だ。
部活の怪我人が出ては大変と生徒がほとんど帰る時間まで校内に残ってくれる。
私たちはいい人に向かって本当に失礼なことをしている、そう思いながら田中彩は大きなため息をつく。
亜矢子の妄想癖に掛かれば生徒会長は偽札作りの犯人に仕立てあげられ担任は脱税犯に仕立てあげられそうになったこともある。
その度に大目玉を食らってきたわけだが、しかし今までよく訴えられなかったものだ。
半ばハイライトを失った瞳になりながら田中彩は今までの苦労を振り返る。
今回の着地点はどこだろう?
アヤシー先生は優しいから怒られるだけで済むといいな……
「あっ……!彩、見て!先生音楽室に入るわよ。何の用だろう。ますます怪しい!」
「先生だって音楽室に何か用あるでしょうよお……」
嫌々ながら彩も亜矢子に促されるまま窓の端からアヤシー先生の行動を観察する。
先生はピアノの周りを屈みながら何かを探しているようだった。
「……何やってんだろう」
「……うーん」
確かに何やらごそごそと探るような怪しい動きをしているがそこからは何も大きな動きはない。
数分観察している内に飽きたのか亜矢子も集中力を欠き欠伸をし始めた。
見つからないうちに帰ろう、と彩が亜矢子にそう提案しようとしたその時だった。
「ハーイ。どうしたのかな?君たち。もう下校時間だよ?」
「「うっわあぁぁぁぁぁ‼︎」」
2人は肩に手をかけられおまけに後ろから突然挨拶されて絶叫を発した。
ひっくり返るように尻餅をつき恐る恐る後ろを見ると件のアヤシー先生が口に手を当ててくすくす、と笑っていた。
「ごめん、ごめん。驚かせちゃったね。でも君たちも悪いんだよ?私の後をつけるなんてひどいじゃない」
「ふえぇ……知ってたんですかあ」
尾行はとっくにバレていたらしい。
バツが悪いのと先生の態度で気が抜けたのか彩はふぇぇ、と炭酸の抜けたような声を漏らす。
「それより、アヤシー先生!さっきは音楽室で何をやってたんですか?如何にも怪しいですよ!やっぱり某国のエージェントなんですか?うちの校長でも◯しにきたんですか⁉︎」
「ふえぇ……ダメだよ!亜矢子ちゃん!もうなんかムチャクチャだよ!」
余りにも突拍子もない、失礼な推理を先生にぶつける亜矢子を彩は慌てて宥める。
しかしアヤシー先生は目をぱちくりとさせるといかにも可笑しいといった様子でお腹を抱えて笑い始めた。
「あははははは!面白いなあ亜矢子ちゃん。そうだよ?私は子どもを使って犯罪を企むわるーい奴を捕まえにきたんだ。ようし、せっかくだから君にも手伝って貰おうかな?その格好はホームズだね。私も子どもの頃は憧れたものさ」
「わかります⁈そうなんですよ!私、ちょっとでも彼に追いつきたくて探偵部を作ったんです!何かわからないけど手伝いますから私もエージェントの養成機関に入れてください!」
亜矢子のノリに合わせてくれてるんだろう。
本当にアヤシー先生はいい人だ。
それなのに亜矢子ったら……
田中彩は悪いなあ、と思いながら先生を横目で追う。
「亜矢子ちゃ〜〜ん……」
いい加減に先生に悪いので止めようとする彩に先生はパチリ、とウインクする。
大丈夫、ということだろうか。
しかし先生本当に美人だなあ、と彩はそのウインクに思わずうっとりと見とれる。
「わかった、わかった。じゃあテストね。さっきさあ、ピアノの裏に貼ってあったのを見つけたんだ。これ何かわかる?」
アヤシーの取り出したその紙には一小節の楽譜と『Mozart』とだけ書かれていた。
いったい何を意味しているのか……
亜矢子は暫く腕を組み顎に指を当てて考え込むと口を開いた。
「春への憧れ……この場合は曲名は問題では無くてケッヘル番号ですかね。K596……生徒の学籍番号ですね」
そんなバカな……
しかし楽譜を見ただけで何の曲か当てケッヘル番号まで覚えていたことは凄い。
この努力の半分でも学業の方にも注力してもらいたいものだ。
無駄な知識だけは多彩に持ってるなこいつ、と思いながら彩が先生のほうをみると彼女は驚いたような表情をしていた。
えっまじかよ……
「……やるわね、亜矢子ちゃん。これに在籍する13期生から15期生までの生徒にはそれぞれ頭にその期の番号が付くからこの番号が表している生徒は一気に3人まで絞れる……
この学籍番号はね、ある怪しいおクスリの次の受け子を表してるのよ亜矢子ちゃん。
複数の受け子を介して売り子や受け子の間で薬や金銭のやり取りをする。
このやり方なら元締めが顔を晒す必要がないわ。考えたわね」
うーん……
遊びや冗談にしては年季が入ってるなあ……
彩が先生の真意を測りかね、そろそろ帰りたいなあ、と思い始めた時、その怪しい足音は聞こえてきた。
「誰かくる……」
コツコツ、とその足音は夕暮れの校舎に怪しく響く。
何故かこの時はただのその足音が2人には不吉なものに聞こえた。
「あーあ、来ちゃったか。危ないから下がっててね。アヤコンビ」
徐々に近づいてくる足音と影。
やがて廊下の影から姿を現したのは2人も見知った科学の教師だった。
「須藤先生……?」
「須藤先生。いや、奴の本名はストラ・サスペション。彼は世界的な麻薬組織の元締めよ。気をつけてアヤコンビ。もっと下がって」
「「えっ」」
須藤楠雄。
目立たない科学教師だが特に悪い噂もなくアヤ達にはとてもそんな悪いことをする人間には見えなかった。
しかし須藤は普段は見せない冷たい視線を3人に向けるとまるで感情のこもっていない声で言い放った。
「対麻薬特殊捜査チーム班長アヤシー・ヤツダ!こんなところまで追ってくるとはね。やれやれ……」
須藤は顎に手をやるとバリバリと精巧なマスクを剥がす。
その仮面の下からは精悍な白人男性の顔が現れた。
「「えええええ⁉︎」」
亜矢子と彩は驚愕する。
須藤の素顔や正体、それにアヤシー先生の素性など、もはや一介の女子高生の頭では情報を処理し切れなかった。
しかし2人がフリーズしてようが状況はお構いなしに動く。
アヤシーとストラは窓から漏れる夕陽に照らされ睨み合った。
「ストラ。あなたはここの教師の肩書きを利用して麻薬を密売し、更には一部生徒を誑かし受け子や売人として悪の道へと引きずりこんだ。絶対に許せない犯罪よ。今回の受け子はこの番号が表す学籍番号の生徒。このやり方ならあなた自身の顔を晒さずに組織を回していけるわね。本当にあなたらしい卑劣なやり方。ここで逮捕します」
言い放つアヤシーに肩をすくめストラは一歩前に出る。
「この国は本当に穏やかで気候も良くて、そして何より平和ボケしたアホどもばかりで隠れ蓑には最適でした……でもそれも今日までですね。やれやれ……お前のせいだ!アヤシー・ヤツダ!」
──バシュッ
短く鋭い音が橙色の廊下に響く。
やがて呻き声をあげストラが何か黒いものを手からとり落とし膝をついた。
その手からは赤い血が滲んでいた。
「残念。早撃ちにはちょっと自信があるのよ。動かないで」
そういうアヤシーの手にはいつの間にか銃が握られその銃口からは小さな硝煙が立ち昇っている。
よく見るとストラの足元にも銃が落ちている。アヤシーに撃たれてとり落としたものだろう。
「普通に発砲しとるぅぅぅ⁉︎」
「ヤベェ!やべえよこれ‼︎」
流石の亜矢子も狼狽え2人は抱き合いながら後ずさる。
まさかこの学校で銃撃戦が展開されるとは思ってはいなかった。
いや、もっと言えば2人とも目の前で一生のうちで銃撃戦を見る機会なんてあるとは考えてもみなかったのだ。
「くそ!くそ!私の計画は完璧だったのに!」
アヤシーに手錠を嵌められながら須藤改めストラは負け惜しみと怨嗟を吐く。
そんなストラをアヤシーは冷ややかに見つめる。
「……いいえ、ガバガバよ。作者のプロット並みにね。さあ観念なさいストラ・サスペション」
「……わかった、殺されたくはないからな。だが覚えていろ、私を捕まえたとしても第二、第三の私が……」
「ああ、もう。そういうありがちな御託はいいから。ほら話は基地で聴くから行きましょうか」
アヤシーは軽くストラのケツを蹴飛ばし立ち上がるとまだフリーズしている2人に笑顔を見せる。
「じゃあね、亜矢子ちゃんと彩ちゃん。みんなにはよろしく」
2人はストラ・サスペションを引きずっていくアヤシー先生を呆気に取られその後ろ姿を見守るが気づいた時には彼女を追っても影も形も発見できなかった。
◇
その嵐の放課後以来、アヤシー先生はこの奇原学校から姿を消した。
彼女のファンだった男子生徒たちは阿鼻叫喚の大騒ぎをし、彼らの涙でプールが一つ出来るほどの地獄絵図だったとか。
また須藤は秘密裏に逮捕されそれと連座して麻薬売買に携わった数人の生徒たちも逮捕された。
そんな大きな事件だったにも関わらず一切報道はされずこの事件は地方新聞の3面に載っただけで終わった。
あれから2人で銃痕や銃撃の痕も探し回ったが綺麗さっぱりとその痕跡は消えていた。
また驚くべきことにアヤシーが失踪することと前後して、以前亜矢子がヘッポコ推理で偽札偽造犯と断罪した生徒会長と脱税犯と喚き立てた担任も彼女が指摘した通りの罪で逮捕されることになった。
アヤシーが何かしたのだろうか。
しかし亜矢子の推理が当たっていたことは青天の霹靂だ。
アヤシーは本当に彼女の名乗った通り、また亜矢子の言う通り特殊捜査官だったらしい。
田中彩は呆気に取られてその日の夕食は手につかなかった。というかまだ心理的ダメージは回復していない。
亜矢子は、というと……
「みてみて、彩!アヤシー先生からの手紙よ!」
あれから3日経って亜矢子の元に先生からの手紙が届いた。
本物のエージェントを目の前にして亜矢子はますます探偵への想いを強くしテンションが上がったりアヤシー先生が約束を守らなかったことに拗ねたりする日々を過ごしていた。
「……へえ、正直忘れたいんだけど一応聞いとこうか……内容は?」
「ほれ!」
そう言ってドヤ顔で亜矢子が差し出してきた手紙の文面は以下のようなものだった。
『ハロー。可愛い探偵さんたち。元気してるかしら?
あなた達を怖い目に遭わせちゃったわね。ごめんなさい。
他の生徒たちも元気かしらね。
別れの挨拶を出来なかったことは寂しいわ。
ここでの3ヶ月悪くなかった。
教師に転職してもいいと思えるほどにね。
でも私はエージェント。
より多くの犯罪を裁き苦しんでいる人たちを助けるのが仕事よ。
自分の幸せを優先させるわけにはいかないわ。
ところで亜矢子ちゃん。
先日の修羅場を見てもまだ探偵になる気があるのならまずは私の課題をクリアしなさい。
貴女には才能があるわ。
課題は一つ。
私を見つけること。
世界を飛び回り影のようにあちこちに潜入する私を見つけてごらんなさい。
話はそれからね。
じゃあね、亜矢子ちゃん、彩ちゃん。
また会える日を楽しみに待ってるわ』
要するに自分を見つけたら亜矢子をエージェントとやらにしてくれるという話だ。
亜矢子は瞳を輝かせて彩を見る。
「ねっ⁉︎俄然燃えるっしょ⁈」
「……えぇ……私もういいよぉ」
彩は嫌そうに眉をひそめるが、実は彼女自身でも気づいていない心理があった。
本当に嫌ならば亜矢子から離れればいいだけなのだ。
亜矢子は目をそらす彩の視線を追いかけながらじっと親友の瞳を見つめる。
「ねえ、彩。私知ってるよ。アンタの家の本棚にホームズ全集全巻揃ってること。本当は毒づきながらもアンタも楽しんでるんでしょ?」
「……そ、それは」
彩は亜矢子を羨ましく思っていた。
人に言えば笑われるような夢を、実際に嘲られ痛い目に遭いながらも追い続ける彼女を。
亜矢子は戸惑う彩の手を両手で包むように掴んだ。
彩は顔を背けながらもその温かさに抗えない。
「大丈夫。なれるよ!私たちなら。世界一の探偵に!」
ほんの一瞬だったがその瞬間彩には亜矢子があの憧れの探偵に見えた。
いつものあの外套は着用していなかったのに。
「……はあ、強引だなあ亜矢子は。あんた1人じゃ危なっかしいからついてってあげる。でも高校は卒業するのよ!」
本当は犯罪を暴いていたのは事実だしね、ちょっとは才能あるのかも。
そう思い彩がデレ気味の返事をすると亜矢子が満面の笑みで飛びついてきた。
「やった!」
「……わっ、ちょっ」
彩は態勢を崩し2人は地面に倒れる。
彩の顔は紅潮するがそんなことはお構いなしに亜矢子は燦然と瞳を輝かせまくし立てる。
「だから好き!彩!絶対なろうね!探偵!」
亜矢子に他意はなかった。
ただ親友に対する友愛を素直に表現しただけだったが彩は顔を真っ赤にさせるとぷしゅう、と音を立て恥ずかしさの余り気絶した。
「彩?彩?」
──てぇてぇ……てぇてぇって何?
気絶する一瞬蚊の鳴くような声で囁くと彩の意識は亜矢子の心配する表情を彼方に映しながら微睡みへと落ちていった。