7. 幽霊の証明3
戻った記憶のおかげで、この状況が腑に落ちる。
ジルがあれからどうなってしまったのか。その後が知れなくて心残りだが、手がかりはないし、自分はこの世の者ではないので諦めるしかない。
この広い世界のどこかで、幸せに生きてくれていたらもうそれで良かった。
「これ以上ここに留まる理由はない。……私は黄泉の国へ行く」
(だけど黄泉の国ってどうやって行くんだろう。どんなところなんだろう。行けば、母さんに会えるかな?)
ルイが行く方法を考えていると、ジェーンが口を開いた。
「早まらないで。正確に言うとルーはまだ完全には死んでない。瀕死の状態だけど生きてる」
彼女は黒ドレスのスカートを摘まむと、部屋の中へ足を踏み入れた。中央で眠るルイに近づいて手首を手に取る。
「ね、私が握っているところは温もりを感じない?」
尋ねられてルイはジェーンに握られている自分の手首を眺める。意識しなければ感じ取れないが、彼女の体温が確かに伝わってきた。
日光浴をしているような心地の良い温かさに包まれて、ルイは次第に身体が感知できるようになった。それでやっと自分の身体が冷え切っていることに気がついた。
「……君の温もりも、私の身体が冷たいことも分かる」
人肌が恋しくなって、ルイは縋るようにジェーンと同じ場所を触れる。
ジェーンはルイの手に指を絡め、自身の額につける。
「私はあなたの魂の糸を黄泉の国へ結ばないように繋ぎとめている。でも器である身体は生物だからいずれは朽ちてしまう。身体が朽ちれば糸の太さは細くなって切れ、今度こそ完全に黄泉の国と繋がってしまう。その前にあなたの魂を身体に戻したい。それには、あなたの生きる力が必要だから……」
「それは無理だよ」
考えるよりも先に口が動いた。これが今のルイの本音だった。
ルイにはもう生きる希望がない。母は死に、ジルもいない。大切な人がいない世界で、生きていく意味はあるだろうか。
仮にもし生き返ったとして、新しく人生の意味を見出そうと努力したとしても、その後幸せになれる保証はどこにもない。
精根尽き果てているルイは再び頑張れそうになかった。
ルイは震える唇を引き結ぶと俯いた。拳は白くなるほど強く握り締めていると、白い手が伸びてきて、優しく包み込んでくれた。
ジェーンはルイの身体から離れ、魂だけのルイに寄り添ってくれていた。
(何故だろう。ジェーンは触れられないはずなのに、私の手に触れている)
驚いて顔を上げれば、ジェーンが瞳を潤ませて唇を噛みしめていた。今にも涙が零れ落ちそうだった。
「無理だなんて言わないで。私のこれまでの努力を無駄にしないでよ。私があなたと一緒に生きていくっていう人生計画を台無しにする気? たとえ姿形が変わっても、私はあなたの側にずっといたいのに!」
「えーっと……。ジェーン、君は誰? どうしてそこまでしてくれるんだい?」
「ルー、だって私、私がっ――……っ!?」
ジェーンが何かを言おうとして、口を閉ざした。代わりに鋭い視線を部屋の入り口へと向けて眉を顰める。
不思議に思ってルイも入口へ視線を向けると、黒煙が怪しく這うような動きをしながら入ってきた。
二人で顔を見合わせて慌てて部屋を出ると、階段下から激しく燃え上がる真っ赤な火の海が視界に飛び込んできた。
ルイは顔を強張らせた。
「もしかして、私のポルターガイストで?」
「ううん、違う。油の臭いがするからこれは人的なものだと思う」
ジェーンの予想は的確だった。何故なら、玄関ホールから高笑いする声が響いたからだ。
「どうだ幽霊! おまえの呪いのせいで僕は城でうだつが上がらない。どうして孫の僕まで不幸にならなきゃいけないんだ? そんなのおかしい、おかしいんだ! これできっと呪いは浄化される! さっさと曰くつき屋敷もろとも燃えてしまえ!!」
火を放った犯人はバーナードだった。先ほどルイが起こしたポルターガイスト現象のせいで、正気を失っているようだった。まだジェーンがこの屋敷にいるということを忘れている。
炎は廊下や壁、調度品などを次々と飲み込むようにして燃えていき、階段を下りようにも壁となって行く手を塞いでいる。急いで使用人階段の方へ移動しても状況は同じだ。
ルイの身体は部屋で眠っているのであまり体感していないが、隣にいるジェーンは燃え上がる炎の熱気や立ちのぼる黒煙で身体は悲鳴を上げているはずだ。
しかし、彼女は顔色一つ変えずに、くるりと踵を返して部屋に戻っていく。
部屋の両開きの窓を開け、カーテンの布を掴むとその場でジャンプして全体重を掛けてカーテンポールを破壊する。次にベッドシーツの端とカーテンの端を固く結び、それをバルコニーの欄干にくくりつけた。
冷静な判断力にルイが眉を上げて感心していると、彼女の次の行動に目を疑った。
ジェーンはベッドに近づくとルイの身体を背負ってバルコニーへ移動しようとする。
ルイは慌てて止めに入った。
「ジェーン、何をしているんだ? 私の身体なんか構わずに早くここから脱出するんだ!」
「断る‼︎」
ジェーンはこちらに顔を向けず、か弱そうな腕で必死にルイを運んでいく。火は部屋の中まで、刻一刻と迫っている。
このままではジェーンが死んでしまう。ルイは彼女の腕を掴んで止めようとした。けれど、手はするりと通り抜けてしまう。
(どうしてだ? さっき、ジェーンは私に触れたのに!)
ルイは自分の無力な手を見つめて唇を噛み締める。
「もういい。もういいから。幽霊になって、ほんの少しだけどジェーンと過ごせた日々は幸せだったよ。一人でひっそり死んでいくよりも、誰かに自分が死んだことを知ってもらえただけでも十分だから。私の身体は置いて早く逃げて!」
「全っ然良くない! さっきからそうだけどルーは自分のことばっかり! 私の気持ちはどうなるの? 私は、私はルーと一緒じゃなきゃ嫌だ!! ……嫌だよ」
顔を上げたジェーンを見て、ルイは言葉を失った。
彼女の瞳は青色から燃えるような鮮やかな赤色に変わっている。変化はそれだけではなかった。
低かった鼻は高くなり、まん丸な瞳はアーモンドの形に変わる。長い金色の髪はするすると縮んでいき、襟足ほどの長さになった。
さらに背も伸びてルイの身長を優に追い越し、線の細い身体からがしっかりとした体躯になっていく。
ジェーンの身体は女から男へと変化していった。途中でジェーンが口の中でもごもごと何かを呟くと身に纏っている服がドレスから紳士服へと変化する。
ルイは目の前に立っている人物にどう反応していいか分からない。
(嘘、嘘嘘。だって……そんなはずはない)
ルイは躊躇いがちに口を開いた。
「君はジル……なのか?」
「そうだよルー。私が会いたくてたまらなかったジル。――そしてずっと訂正したかったけど、私はもとから男だよ」
今まで聞いたこともない低い声でジルは応えた。