6. 幽霊の証明2
(どうして彼がここに? 城で働いているはずなのに)
頭の中に次々と疑問が浮かんでくる。ただ、動揺しきったルイは言葉を発することはできなかった。
「フェリントン家を知っているか?」
茫然と佇んでいると、バーナードの話が聞こえてくる。『フェリントン』という単語にルイはぴくりと反応した。
リンドグレーン家とフェリントン家はたいして親交はないはずなのに、何故バーナードの口からその単語が出てきたのか不思議だった。
「あそこは古くから呪術を扱う唯一の家系だ。この家に呪いが掛かっていないか調査してもらうよう、父さんが頼んだ。だからもう何も怖くない。屋敷の所有権はあいつに渡ってしまったけど、それ以外の財産は一つも譲らないぞ」
「ちょ、ちょっと‼」
バーナードはジェーンの制止を振り切り、無理矢理入り口から屋敷の中へ顔を出すと声を張り上げた。
「おおい、ルイ! いるんだろ? 可愛い女の子をたらしこんで休養とはいいご身分だな!」
「その薄汚れた靴で中に入らないで!! ……て、わっ!」
ジェーンは必死で侵入を阻止しようとした。が、男であるバーナードに力任せに突き飛ばされ、床に尻餅をつく。壁にも背中を打ってしまった。
「やめろ、バーナード!」
ルイは眉を吊り上げると彼に大股で近づいた。
自分に酷いことをしても構わないが、ジェーンに手を出すことは絶対に許せない。
カッとなったルイはバーナードの胸ぐらに掴みかかった。
「は……?」
ルイは目を見開いてバーナードを見た。自分の手はバーナードの胸ぐらを掴むどころか身体の中を通っている。さらにいえば、自分が真正面に立っているのにバーナードとは一向に視線が合わなかった。
「どういうこと……」
自分の両手を隅々まで確かめる。
どこもおかしなところはないのに、何故かバーナードに触れようとすると彼の身体に手が入り込む。肌の感触も体温も感じない。
ジェーンに視線を走らせれば、彼女は顔色を失ってこちらを眺めていた。
しきりに何かを訴えているが、今のルイには全く耳に入ってこなかった。
(そうだ、よく考えてみろ)
どうして、バーナードはジェーンに触れられるのか。
彼女は……彼女は、屋敷の幽霊のはずだ。
そう信じてルイは疑わなかった。けれど今導き出せる答えは一つしかない。
「……私の方が、幽霊なのか?」
「違う! 違う、違う! 幽霊じゃない!!」
ジェーンは首を横に振って必死に否定する。
その態度に顔を青くしたのはバーナードだった。
「お、おい、いったい急にどうしたんだ? 誰に向かって話している? 気でも触れたか?」
バーナードは口もとに手をあて、いかにも困惑した様子だった。
どんなにジェーンが否定しようとも自分が幽霊である証拠は既に揃っていた。
「何も違わない。ジェーン、彼を見ろ。私の存在に気づいていない。そして私は彼にも、君にも触れられない。嘘なんて吐くな。私が幽霊なんだっ!」
ルイは拳を強く握りしめ、声を張り上げる。と、玄関窓のガラスというガラスが次々と割れ、弾け飛んだ。
無数の鋭い破片は辺りに飛び散り、バーナードやジェーンの身体を傷つけていく。
バーナードは咄嗟に床に伏せて頭を手で庇った。上等な服はあちこち切れ、腕や手も切り傷だらけで血が滲む。
「ひぃっ……! や、やっぱりここは呪われている。の、呪いだ。嫌だ、し、しし死にたくない!」
バーナードは恐怖で歯をカチカチと鳴らし、ふらつきながら立ちあがると、屋敷の外へと一目散に逃げていった。
ガラスのなくなった窓からは凍える風が吹きつける。
床に伏せていたジェーンはおもむろに起き上がった。
髪留めが切れたのか、纏めていた長い髪はするすると解けていった。風が屋敷内を通り抜けるたび、その真っ直ぐな髪がさらさらと揺れる。
ルイは惨状を見て震え上がった。もしかして、今まで屋敷で起きていたポルターガイスト現象はすべて自分が無意識に行っていたのではないか。
どういう原理で起こるのかは分からないが、自分の存在によってジェーンを危険に晒していたことになる。
「……どうして、こんなことに」
身が竦んで立ち尽くしていると、ジェーンは静かにルイの前に立ち、唇を舐めてから静かに言った。
「ルー、お願いだから落ち着いて。感情が不安定だとまたポルターガイストが起きるから」
深呼吸、と言われてルイは息を深く吸い込んで吐いた。
そのうちジェーンはルイが落ち着いたと分かると視線をちらりと階段へと向ける。
「こんなところで立ち話もなんだし、一先ず私の部屋で話したほうがいいと思う。その方が全てを理解しやすいし、話も早いわ。……行きましょう」
ルイは頷くと大人しくジェーンの後ろについていった。
ジェーンが部屋の前に立つとドアノブを握ってからこちらを一瞥した。
「驚いてポルターガイストを起こさないでね」と何度も釘を刺されてから部屋の中に入れば、そこには異様な光景が広がっていた。
床や壁の至るところに白いチョークのようなもので幾何学模様の陣が描かれ、その中には古代文字が並んでいる。それらはすべて仄かに赤い光を発光し続けていた。
中央にはベッドが置かれ、そこには人が眠っている。それが誰なのか分かった途端、ルイは目を見開き、口元を手で覆った。固く瞼を閉じて眠るのは、ルイ自身だったのだ。
その瞬間、自分の頭の中に忘れていた記憶が堰を切ったように押し寄せてきた。
断片的な情景がいくつも脳裏に浮かんでは消えていく。記憶のすべてはルイがウェリンガルへ来て二日目の内容だった。
ウェリンガルへ来て二日目の午前。
ルイは勇気を奮い立たせ、ジルに謝罪するためにフェリントン伯爵の屋敷へ向かった。
約束もしていないし、十年前に最悪な別れ方をしたのだから取り次いでもらえない可能性が高い。それでも行動だけはちゃんとしておきたいと思った。
この国では貴族の令嬢が社交界デビューするのは十八歳からと定められている。それまでは各領内で大切に育てられ、立派な淑女となるように教育が施される。
よって王都で生活し、社交界に顔を出すのはそれからだ。ジルはルイよりも歳が下だったため、まだウェリンガル領で暮らしている。
どんな風に成長したのだろうか。絶世の美女になっていることは想像に難くない。それに呪術について学んでいるだろうから自分よりも立派な人間になっているはずだ。
会えないかもしれないが、もしかしたら、という淡い期待をルイは抱いた。
ところが、屋敷に到着するとすぐに異変に気づいた。屋敷全体に活気がない、というより人気がなかったのだ。
周辺を見渡して人を探す。漸くルイは厩から出てきた使用人を見つけて声をかけた。
訊けば、今この屋敷にはフェリントン家の者は誰も住んでおらず、管理をする数名の使用人しかいないという内容だった。
ルイは慌てて自分と同じくらいの歳の令嬢がいるはずだと言い張った。しかし、使用人は首を横に振って、自分が仕えるフェリントン家に若い令嬢はいないと言った。
そんなはずはない、嘘を吐かないでくれ! とルイは相手に詰め寄ったが、彼は顔色一つ変えることなく、淡々とした声で先程と同じ言葉を繰り返した。
ルイは目の前が真っ暗になった。ずっと会いたかったジルはどこにもいない。
唯一の希望がなくなってしまったルイは心の中でずっと張り詰めていた糸が、とうとうプツンと切れた。
「そうだ、私はあの時……ジルがいないことに絶望してすべてがどうでも良くなって、死のうとしたんだ」
ルイは額に手を当てて必死に最期の記憶を辿る。最期の記憶に近づくにつれて、脳裏に浮かぶ情景も薄ぼんやりとして頭痛がする。が、薬の瓶を手にしている自分の姿がはっきりと蘇った。
きっと自分はそれを多量摂取したのだろう。
「……そうか。やっぱり私はもう、死んでるんだね」