平凡で幸せでとても平和だった世界
「やべー、寝過ごしたぁ!」
ジリリリ……と、鐘の音が鳴り響く。タイマーをセットしていた、時計だ。耳にうるさく届くそれを止め、時間を確認したその時……俺は、おおいに慌てていた。
現時刻は八時二十分。出勤時刻は八時三十分。家から職場まで歩いて二十分。このままのんびり準備していたのでは、確実に遅刻してしまう。
いつもは余裕を持って一時間前には起きる。それが今回は、どうしてか寝過ごしてしまった。着替えを手短に済ませ、顔を洗う。身だしなみを気にしている暇なんてない。
ゆっくり食べる朝ごはんも、今日ばかりは口に放り込み……そのまま、家を飛び出る。髪もボサボサ、身だしなみも全然なってない。しかし、遅刻には変えられない。
「はぁっ、はぁ、くそっ……あんな夢、見たせいだ……!」
職場へダッシュしながら、今朝見た夢の内容を愚痴る。あんな夢を見てしまったから、寝過ごしてしまったのだと責任転嫁。
ま、責任転嫁したところで事態が解決するわけでもない。そもそも俺の夢だし。やけにリアルな夢だったが……痛かったし、死ぬんじゃないかと思ったり、それに……
夢とはいえ、見たことがないほどにきれいな少女だった。歳は俺よりも下な感じがしたが、彼女の雰囲気が実年齢を上に思わせる。
妙に、リアリティーのある夢だった。起きたら汗かいてたし、それに……
「いやいや、走れ走れ!」
とにかく、今はそれどころじゃない。
寝起きからのダッシュは堪えるが、俺はまだ十七だ! 若さの力ってもんを見せてやる!
ーーーーーー
「ぎ、ギリギリセーフ……!」
なんとか職場に、たどり着く。時間内にたどり着けた俺はその足で、朝の朝礼に。これに間に合わないと、遅刻扱いだ。
朝礼は、朝から目を覚ませるためのものだが……すでに、俺の目は覚めている。あんなにダッシュしてきたのだから。
「よう、今日ギリギリじゃねーか。サボりかと思ったよ」
朝礼が終わり、話しかけてくるのは職場の先輩だ。気さくで話しやすく、フランクなため俺のような若造にはありがたい存在だ。
この職場に配属され、俺がお世話になった人だ。直接、ここで何をしたらいいか、機械の扱い方などを教わり、俺が一通りの手順を覚えるまで教えてくれた人。
「いやー、まさかサボりなんてとんでもない。ちょっといろいろありまして」
「まー、いいけどさ。今日もよろしく頼むぜ、花崎」
遅刻ギリギリの理由を追及せず、先輩は俺の肩を叩いてから自分の担当場所へと向かっていく。俺も、自分の担当作業に向かわないとな。
俺の職場は、いわゆる現場作業ってやつだ。だから、家から直接作業服で出勤して問題ない。車の部品を作る工事で、まあ機械に部品を設置して、時間が来たらまた新しい部品を設置して……それの、繰り返し。
人と関わらないわけではないが、機械の相手が多いため、あまり踏み込んだ話を同僚とすることもない。とにかく体力のいる仕事で経歴はあまり関係ないし、俺のような"訳あり"にとってこんなにいい職場はない。
「あ、花崎くんおはよー」
作業場所につくと、そこにはすでに一人が立っていた。
作業場所がそれぞれに振り分けられているとはいえ、当然一人でその区域を担当するわけではない。一つの区域に複数の機械があり、これを複数人で回していく。
よって、今俺に声をかけてきたのは、同じ担当場所の女性だ。人と関わることは少ないとは言ったが、同じ担当場所の人とは別だ。
「おはようございます。今日もよろしくお願いします」
「はーい。じゃ、今日も張り切っていこうか」
フレンドリーに接してくるこの人は、俺と同い年に見えるが先輩だ。年齢を聞いたことはないが、まあ二十代かそこらなのだろう。
そんな職場は、大変なことも多いが……それなりに、充実している。一人暮らしで、貧相な生活を送り、仕事も大変……だが。
そうだ、ここで俺は、ちゃんと一人で立ち上がるための土台を作るんだ。
このときの俺は、未来への希望に満ちていたと思う。
ーーーーーー
「花崎くん、実は上から異動の辞令が出てね。悪いんだが、すぐに荷物をまとめてくれないか」
「……へ?」
その日の就業時、上司からそんなことを言われるまでは。
この日を境に、俺は自分の運命を、大きく変えていく。そして……今の世界とは百八十度変わった世界に、足を踏み入れていくことになる。