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悪魔はままらない





 さらに二日経つと、すごく長い間アゼルに会っていない気がしてならなかった。

 だから、イウリアはちょっとアゼルに会ってみることにした。

 母が「会いたがっているのに会えないのは寂しいものよ」と言っていたからではなくて、ずっと避け続けているのはどうかと思ったのだ。

 それに、会わなければ分からないことだってある。


「お父さま」


 父の執務室に行って、恐る恐るノックして恐る恐る入ってみたけれど、室内に探す姿はない。

 執務机に近づいていき、父に尋ねる。


「アゼルは?」

「今は用がないから、ここにはいない。どこにいるかは……、どうしたんだ」

「しばらくアゼルに会ってないから……会おうと思って」


 曖昧に言うと、父は驚いた顔をした。


「会う、のはいいが、大丈夫か? いいのか?」

「うん。ここにいる可能性が高いかもって来たのだけれど、いないのなら別の場所を探すわ。仕事の邪魔をしてごめんなさい」


 時刻は昼間になる頃で、この部屋にいることからも父は仕事の途中だ。


「いや、イウリアが来るのは歓迎だ。だがな、アゼルがあんなことを言い始めたし、何よりイウリアにあんなに触れるとは今までは見過ごしていたがもう見過ご──いや、イウリアが止めてほしいなら近づかせない方がいいと思うが」

「ううん、そろそろ、いいかなって……」


 心配そうにする父の部屋を出て、イウリアは廊下を歩く。


 アゼルは、どこにいるだろう。

 そもそも、用事がなければ邸にいない可能性もあるのでは。

 リリデアは、母から言いつけられる用がないときは、あまり姿が見えない。

 けれど、アゼルは気がつけばいつも見えるところにいて、会っていた。

 それは、思い出してみると、アゼルがイウリアの元に来てくれていたからだ。

 だからイウリアが探そうと思うと、アゼルがどこにいるのか見当もつかない。


 イウリアはとぼとぼと歩く。

 ……自業自得だ。アゼルを避けていたのは自分。寂しく思ったって、どこを探せばいいのか分からなくて困っても──寂しく?


「イウリア……?」


 はた、と止まりかけるのと、声が聞こえたタイミングはほぼ同じだったろう。

 今まで考えていたことが吹き飛んで、イウリアははっと顔を上げた。

 この声。父の声でもなくて、執事の声とも異なる低さの声。


 前方に、悪魔がいた。

 その距離、イウリアの足で十歩ほどか。気がつくには遅かったかもしれない。

 でも、イウリアには足音が聞こえなかった。


 気がつくには遅かったというのは悪魔にも言えることで、普段どこにいてもイウリアの元に来るアゼルも、その距離で初めて気がついたかのようだった。

 少し乱れているように見える髪の間から覗いた赤い瞳が、イウリアを映し、止まっていたアゼルが動いた。


「イウリア……」


 一歩、二歩、三歩……と、あっという間に距離を縮めたアゼルが手を伸ばし、イウリアの頬に触れる。手のひらで包むようにして、撫でる。


「会いたかった」


 吐息を溢すような微かな声は、焦がれた声音でイウリアの鼓膜を擦った。


「アゼル、ご、ごめんなさい、ずっと会わないようにしてて」

「ああ、俺はこれまでにない狂おしい感覚に、これ以上続くなら、どうしようかと思っていた」


 深く息を吐いたアゼルは、頬を撫でていた手を離して、イウリアの体の後ろに回した。

 引き寄せられる。


「もう会っていいのか? ご主人サマの余計な命令は入らないか? 会ってくれるのか?」


 近い! と思ってのけ反りかけたイウリアであったが、上から真っ直ぐに見下ろしてくる目と、背に回された腕があって身動きできなくなった。


「う、うん、もうお父さまにもいいって言っておくわ。ごめんなさい、わたし、驚いちゃって」

「──イウリア、どうして俺を見てくれない」


 ビクリッと肩が跳ねた。

 指摘の通り、イウリアの視線は定まらず、どうしようもないほどうろうろとさ迷っていたのだ。

 駄目だ、見ないと。

 そう思うのに、見られない。

 だって、距離が近すぎて、近くから注がれる眼差しに耐えられない。

 顔が熱くなってくるし、抱きしめられているのと同じ体勢に、周りを囲う腕が気になる。


「イウリア」


 顎に触れられ、ぐいっと上向けられた。

 反射的に前を見て、至近距離に寄せられた顔と顔を合わせることになった。鼻先が、触れそうで、


「イウリア、俺を見て、答えてくれ」

「──」

「また毎日会えるか? 側にいていいか? 俺を、好きになってくれるか?」


 間近で届いた声に、あ、駄目だ、と思った。

 後ろには下がれない。前は言うまでもない。上? いや、それこそあり得ない。

 では、残る道は。


「ごめんなさい!!」


 イウリアは下にしゃがみこんで、するりっとアゼルの腕から抜け出した。そのまま、自分が来た方にはしたなく走り出す。

 無理、無理、無理。何が無理かなんて分からないけれど、まだ早かった。それとも慣れない期間会っていなかったのが悪いのだろうか。とにかくまだアゼルには会えない!


「きゃ」


 どんっと、何かと正面衝突した。

 周りが見えていなかったイウリアは思わぬ衝撃に体勢を崩し、倒れかける。


「イウリア──すまない、怪我は!?」


 ぶつかったものの正体は、父であった。

 イウリアはここに来る前に父の執務室に行ったので、来た道を戻れば父が来ても不思議ではない。


「大丈夫、怪我はないわ、ごめんなさいお父さま」

「それならいいのだが……。あ、そういえばイウリア、アゼルを探しているだろう? 探すくらいなら、アゼルをさっき呼んだんだが……イウリア!?」

「ごめんなさいお父さま!」


 父が支えてくれたお陰で倒れずにすんだイウリアは、その横を通り過ぎた。

 ごめんなさい、それどころではないの!


「イウリア──アゼル? お前、さっさと来ないと思ったらこんなところに──」

「『来い』とだけしか言われていない! 真っ直ぐ来いなんて言わなかったご主人サマが悪い! 嫌がらせだ!」

「嫌がらせ!?」

「大体、イウリアに合わせてくれないのが悪いんだ」

「待て、止まれアゼル!」

「……っ! どうして止める!」


 父とアゼルのやり取りが聞こえた気がしたが、中身までは頭に入って来なかった。

 とにかくイウリアは走って走って、走り去ったのである。








 スカートの裾を揺らして消えた姿。

 契約により、契約者の命令に従わざるを得ず、見送ることになった悪魔は唇を噛み締めた。


「どうして、俺を見てくれないんだ……?」


 哀しげに、廊下に響いた振り絞るかのような声は、イウリアには届かなかった。








 一方、ようやく立ち止まったイウリアは懸命に息を整えていた。

 自分の呼吸音がうるさい中、前後の廊下を確かめてみるが、誰もいない。

 ふぅ、と大きく息をつくと、呼吸は穏やかになり、落ち着いてきた。


「……逃げてきちゃった……」


 落ち着くにつれ、罪悪感が芽生えてきた。

 あれは誰が見ても逃げた、だ。逃げてしまった。

 アゼルは、どう思っただろう。

 けれど、今すぐ引き返す勇気は出てこない。

 思い出してしまうのだ。自分の心臓でないような鼓動の激しさ、顔の熱さ。まともに顔を見られない感覚。


 今度は来た道を戻れない足で、イウリアは自室に戻る気にもなれなくて、母の部屋に行った。

 母は、優しく迎い入れてくれた。


「……今日、アゼルに会いに行ったの」

「アゼルさんとは会えた?」

「うん。廊下を歩いていたら、アゼルが向こうから歩いて来ていて……」

「あら、偶然。それなら良かったわね、会えたのでしょう?」

「……でも、逃げてきちゃった」

「あら」


 母が目を丸くした。

 イウリアはばつが悪くなる。


「どうして?」

「……アゼル、アゼルが、急に抱き締めてきたり、したから……」

「それは前からでしょう?」

「…………」


 そうなのである。


「……お母さま、わたし、前はこんなことなかったのに、アゼルが近くにいると落ち着かなくなる。心臓が熱のときみたいに打つし、顔も見られないし……」


 イウリアは『それ』に関して無知ではない。

 母が父とのことを話してくれることは昔からで、王都で流行ったというロマンチックな物語を読んだこともある。

 だから、どんどん声が小さくなっていく。

 これでは、まるで、そう、自分は。


「だからこの前言ったじゃない。イウリアは、アゼルさんのことが好きなのねって」


 そのときは単に、アゼルが言ってきたことに対して狼狽うろたえているだけだと思っていた。

 悪魔と人間で、異性という関係と捉えたことはないのに、急にそんなことを言われても困る。言われたことがないから、余計に振り回されているだけだと。


「初恋ね」


 でも、日を空けて会って、ようやく気がついた。

 イウリアは、アゼルのことが好きなようだ。








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