悪魔はダンスも出来る
ザヴァノアシアは、魔法使いの国と隣接していることから、常に侵略の危機に晒されていた。
しかし魔法使いが一人としていない国は、とある方法で侵攻に抵抗してきた。
異界にいるとされる悪魔の召喚及び、悪魔との契約である。
数が限られる悪魔契約者が、国内の要所に配置され、国を守っている。
イウリアの両親は共に悪魔契約者だ。
父と契約している悪魔が「アゼル」、母が契約している悪魔を「リリデア」と言う。
イウリアは、幼い頃から悪魔が当たり前にいる環境で育ち、もう年頃。
「あなた、イウリアにはもうお話はされました?」
夕食の席で、母がそう父に話しかけた。
「何の話だ?」
「まあ、あなた。社交界デビューのお話ですわ」
ゴッホッと、どうしてか父がむせた。
「あら、大丈夫?」
「も、問題ない」
「それなら良いですけれど……イウリアにお話はされたのですか?」
「……」
何のことだろう。
つられて食事の手を止めたイウリアだったが、自分の名前が出てきているのに、一向に話が読めない。
しかし父も母もイウリアを見ていないので、イウリアは何となく後方を見上げてみる。
すると、父の近くではなくイウリアの近くにいるアゼルが椅子の背もたれにもたれていて、視線に気がついて下のイウリアを見た。
アゼルも話は知らないようで、首をかしげている。
「ご主人サマ、イウリアの話とは何だ?」
イウリアも抱く疑問。悪魔の問いに、父がこちらを向き、口を開いた。
「イウリアの、社交界デビューの話だ」
重い声音だった。
社交界デビュー、というイウリアの復唱は、アゼルの声と重なった。
「わたし、社交界に出るの?」
今度はイウリアが首を傾げる。初耳だったのだ。
貴族の子女は、年頃になると社交界デビューし、大人の女性として認められることになる。
それはイウリアも知っており、様々な勉強と共に、社交界に出るためのマナーや身のこなしのレッスンも受けてきた。
けれど、今年、王都に貴族が集う時期はもうそろそろ。そんな話は出されていなかったこともあって、まだ先のことだと思っていた。
「お父さま、本当?」
「……本当だ」
完全に食事の手を止めた父は、神妙な様子で頷いた。
「でも、もう一ヶ月もないでしょう?」
「……う、うん……」
父は青い目をうろうろとさ迷わせた。目が合わなくなった。どうしたの?
「あらあら、あなた、だから出来る限り早くなさってくださいねと言いましたのに」
「……それは……その……」
「やはり、私が言えば良かったですわね。イウリア、あなたの社交界デビューは今年なの」
歯切れの悪い父から、イウリアへ目を移した母も肯定の言葉を述べた。
では、本当なのだ。
「ドレスももう出来上がるわ。この前採寸したり、好みを聞かれたでしょう?」
「あれがそうだったの?」
しょっちゅう父が仕立て屋に衣服を頼むときは、体に合うドレスを仕立てるために毎回採寸するから、先日もそうだと思っていた。
イウリアは目を丸くして、それから、社交界デビューに当たっての懸念事項を見つけてしまった。
「……わたし、まだダンスに自信がないのだけれど……」
「そうねぇ。イウリアはダンスが苦手で、先生が来ると隠れてしまうものね」
そう、教養の類いのレッスンは受けてきた。が、一部例外があり、イウリアはダンスへの苦手意識からダンスのレッスンを避けていた。
話し方や、歩き方、そういったものまでは良かったのに、音楽に乗って回ったりする行動は何やら向いていないようだった。
踊れないことはないけれど、とてもではないが完璧でうっとりするほど優雅とは言えないことは間違いない。
話が出ないから、きっとまだ先で、ダンスばかりは言われてから真剣にすればいいと思っていたら……こうである。
「イウリアは社交界に出るのが嫌なのか?」
「嫌、ではないわ」
上からの声に、見上げて答える。
嫌ではない。
生まれてこのかた、父が王都に行く際も連れて行ってくれたことはないから、この領地から出たことがない。
だから、華やかなイメージのある場所への興味がある。
そのために社交界での立ち振舞い (ダンス以外) も身につけてきたし、慎ましやかな笑顔にも自信がある。
その世界を覗きに行きたい。
「でも、難しい顔をしている。そんな顔をするのなら、止めればいいんじゃないか?」
イウリアのダンスレッスンからの逃亡に手を貸してくれるアゼルは、すんなり言って首を傾げた。
「アゼルさん、そうはいかないのです」
悪魔の言葉に待ったをかけたのは母。おっとりと、言う。
「陛下直々に招待のお言葉を賜ってしまっています。そのため、イウリアの社交界デビューは城でのパーティーとも決まっていますの」
曰く、今年は娘も、と。陛下が、父に言ったそうだ。
そんな大事なことを、どうしてもっと早く言ってくれなかったのだろう。
城のパーティーだとは。
「それに、今年見送ることが出来たとしても、いずれは社交界に出なければなりませんわ。これはこの国の人間の貴族の決まりですから」
「王の言葉に、決まりか」
それなら仕方がないな、と悪魔は頷いた。
「俺も、俺たちの決まりを守っているから、そういうのは分かる」
「悪魔に決まりなんてあるの?」
母の方を見ていたアゼルが、イウリアを見る。
「あるとも。この人間の世界のように多くの国に分かれているわけじゃないが、俺たちの世界にも『国』と呼べる塊があるからな。一番偉い奴だっているんだぞ」
「その一番偉い悪魔が、決まりを作るの?」
「そうだ」
悪魔にも、王様のような存在がいるらしい。
「でも、必ず社交界に顔を出さなければならないという決まりはないから、人間の世界は細かなところで窮屈だな」
「じゃあ、アゼルは社交界デビューしていないの?」
社交界もあるらしく、人間の世界の作りと似ていてそれが悪魔になった感じだろうかと考えていたイウリアは、尋ねた。
アゼルは一瞬きょとんとして、直後、笑った。よく響く笑い声だ。
「社交界デビューとは。何もしないよりは退屈ではないから、余程嫌な要素がない限り、俺もパーティーの類いには出ることもある。最近は出ていないが」
「ここにいるものね」
「俺の言う最近はそれよりずーっと前も含まれる。イウリア、俺は悪魔の中でも生きている方だから、社交界デビューも何も経験は豊富だぞ」
「ダンスもできる?」
「出来るとも」
好きではないが、と付け加えられた。
アゼルはダンスができるのか。
予想だにしなかった特技を知り、いいなぁという気分にもなる。
理由はもちろん、イウリアがそんなに自信ありげに頷けるほど、ダンスは踊れないからだ。
「あらあら、それならアゼルさんとダンスの練習をしてはどうかしら?」
「アゼルと?」
突然の提案をしてきた母を見ると、母はおっとりと微笑んで、良い案が浮かんだとばかりに手を合わせていた。
「もちろんアゼルさんが良ければですけれど。あなたも、どうですか?」
アゼルと契約している父にも話が振られた。
ずっと黙っていた父は、イウリアを見てゆっくりと言う。
「何か事が起きない限りは構わない。元々ダンスのレッスンから隠れる手伝いをしていたのはアゼルだろうから、ちょうどいいだろう」
「あなたがアゼルさんに命令すれば、そちらが優先されることになるはずですけれど、そうなさいませんでしたわね?」
「…………マリア、怒っているのか」
「いいえ。私もダンスが不得手でしたから、イウリアの気持ちはよく分かります。事実を言っただけです」
母はにっこりと笑い、父はそうかと小さく呟いた。
「アゼル、明日からイウリアのダンスの練習相手になるように」
「承知した、ご主人サマ」
「イウリア、ダンスの練習、明日から頑張るのよ?」
「はい」
明日から、これまで避けていたことのしわ寄せが始まるようだ。
別にこの期に及んで逃げようとは思っていなかったのだけれど、アゼルにも命令が下されれば、イウリアが隠れるのも手伝ってくれないだろう。
「イウリアとダンスなら、悪くないな」
だけど、アゼルが相手ならいい気がする。
座るイウリアを見下ろして、嬉しそうに笑う悪魔を見て、そう思った。