悪魔は笑う
地は、血にまみれていた。
多くは、そこら中に転がっている人間の血。
隣国の魔法使いは全て息絶え、立つものはおろか、息をする者はいなかった。
息をしているのは、血に浸りながら伏している女の悪魔。
美しいはずの髪が汚れ、輝きが失せている。
「俺達が『こっち』で力の真価を発揮するには、『こっち』に元から存在する人間との繋がりがいる」
ぱちゃり、と血の海が音を立てた。
「お前がどんな方法を取るにしろ、契約はするだろうとは思っていたが、まさか魔法使いと契約して、他の悪魔にもそうさせるとはな」
ぱちゃり、ぱちゃり、身動き出来ない状態の悪魔を見下ろし歩きながら、ゆったりとそう述べるのもまた悪魔。
「それで? 雑魚ばかり集めて魔法使いと束にさせて、どうするつもりだった。解放だと豪語したからには、命令を受けるだろう俺の隙を突いて、契約者を殺す算段だったのか? いや、相手が俺だと難しいだろ」
ぱちゃり。歩みが重ねられるごとに続いていた、濡れた音が途絶えた。
「カサンドラ、お前、イウリアを殺すことに重点を置いたな」
上からの威圧的な視線を受け、地に伏す悪魔は震えた。唇を噛み締め、振り絞るように声を出す。
「貴方が、貴方が──あのような目を、態度を、人間に取るなんて、あり得ないのですわ」
「覗き見してたよな、お前。まあ、覗き見までは予想済みだった。ただ、邪魔は不愉快だったな」
そのときのことを思い出すと不快だが、もうそれは良くなったアゼルはまあいい、と呟いた。
「カサンドラ、感謝する」
今不愉快だと言った口で、感謝を口にした。笑みさえ浮かべて。
「お前ならこうすると思っていた」
「ア、ゼル、さま」
「名前を呼ぶなよ。誰が許した」
酷薄に笑って突き放しながらも、アゼルは女の悪魔の元にしゃがみこんだ。
「過程はどうあれ、お陰で俺は、イウリアの側にいる未来を得た。繋がりがあれば、好きになってもらうのは後でいい。何より、繋がりがほしかった」
感謝はしなければ。舞台を作ってくれたのはこの悪魔だ。
成されたことを思うと、鬱陶しい限りのこの悪魔にも微笑みかけられる。
──その微笑みに、一瞬目を見開いたカサンドラは、少し前のことを思い出した。人間に、自らが見たことのない甘い顔を向ける愛しい悪魔、自らが触れられたことのないその手で触れられる人間。
人間に、嫉妬させられた、その屈辱。
「人間に入れ込むとは、愚かなことです、わ──」
グシャリ
手が、女の悪魔の腹を貫いた。それで終わらず、かき混ぜる。何度もかき混ぜる。
単にかき混ぜられているだけではなかった。灼熱を帯びた手が肉を焼き、血を沸騰させる。『魔法』に近い力が悪魔の体に苦痛を与える。
「愚か愚か愚か、か。それは俺が自身がか? その行動がか? どっちでもいいか」
手が引き抜かれると、女の悪魔の体が大きく跳ね、血が飛んだ。
手を濡らし、頬が染まった顔をそのままに、アゼルはゆっくりと立ち上がった。
「お前には分からないだろう。分からなくていい、お前に理解を求めることなんて何百年も前に放棄した。大体俺も最近まで分からなかった」
──地に伏す悪魔は、笑う悪魔に、狂気に近いまでの歓びを見た。
「入れ込む相手が人間だった。それだけだろう?」
違うか? と首を傾げながらも、答えを求めていないアゼルは、ちらりと右方を見た。
「そろそろ『ご主人サマ』がここまで来るな。その前に永遠の別れと行こうか、カサンドラ」
「え、いえん?」
悪魔には、永遠とは結構身近な言葉だ。
高貴な者ほど、永遠の生を持つとされるからだ。どこまでも、どこまでも、変わらず時を過ごす。
けれど、死もある。
「これまでお前を消さなかったのは、そうする面倒を塗りつぶすほどの理由が無かったからだ。見なければ視界には映らない。聞かなければ声は耳に入らない。俺の中にお前の存在なんてなかった。この前、思い出したくらいだ」
庭で会って、こいつは確か、鬱陶しい奴だと。
「だが、ここで消えてもらう。これから一度として邪魔をされたくない」
地に伏す悪魔が声を発する暇はなかった。
一切の躊躇なく、悪魔は、悪魔の命を摘み取った。
「ご苦労サマ。最後に役に立ってくれてありがとうな」
礼を言うわりに、アゼルは残骸に目もくれなかった。
「リリデア、お前もご苦労だったな。カサンドラの相手は骨が折れただろう」
今回の二番目の功労者が生きているところを見つけ、アゼルは軽く労った。
「そう、ですね。私ごときには、カサンドラ様を、お止めする力は、ありません、ので」
アゼルが戻って来たときにはカサンドラと戦うはめになっていたリリデアは、殺される寸前だったのだろう。地に倒れていた。
起き上がれないようだが、死んでいないなら時間が経てば怪我も治る。
リリデアから目を離したアゼルは、周囲を見る。
魔法使いは全滅。リリデア以外の悪魔もいない。
自らの契約者と、リリデアの契約者は無事。
イウリアの望みは叶えた。
契約を結ぶ際、イウリアが望んだのは『両親を助ける』こと。解釈によってはこの一度で取引、契約内容は満了したと取ることもできる。
普通、人間は一度で契約満了とならないようにかなり工夫して文言を述べるのだが……。
今回、イウリアとの契約はこと細かに制約がない。
従って、イウリアは知らないが、主導権を握っているのはこちら。元々ほぼ悪魔の力で結ぶ契約だ。
「全ては俺次第」
魂はこの手に。
繋がり、契約により側にいる権利も得た。
ひとまず、満足だった。アゼルは抑えられない笑みを口許に、愛しい人間の元に帰った。




