4 フュージョン
4)
いつもより早く目が覚めた。母が朝食を作る音が階下から聞こえてくる。何も変らないいつもの朝だった。妙子はベットから上半身を起こし、両手を組んで思いきり伸びをした。気分は悪くは無い。
机の上に目を向けると、白いスマホのストラップに付けたあの黒い楕円の石の中心が薄赤く明滅していた。妙子にはそれが何を意味するか理解できた。
ベッドから起き出し、両方の手のひらにそっと包み込んでみた。
『おかあさん…』
そうつぶやいて見て、急にあたりを見まわしてみたが、何も変化はなかった。ただ、いつもなら充電しなければいけない、そのスマホのパワーインジケーターはフルパワーを示していた。もうこの機械には充電の必要がないのだろうと妙子は思った。
いつものように食卓に付くと姉の麻里は一瞬顔を新聞から上げたがすぐにまた戻した。「おはよ、麻里姉ぇ」「あんた、大丈夫なの、今日は休んだら?」
「うん…、そうしようかな。麻里姉ぇはゼミ?」
「午後からだけど」
「だったら一緒に連れてって」
「うん~…って、何言いだすの妙子!」
「固いこと言わないで、いいでしょ」
「あんたねー、昨日から変だよ。もっとも今に始まったことじゃないけど」
「だったらいいでしょ、決まり。それと今日は株、下がるよ」
「え、なんでそんなこと妙子に分るの?」
「なんとなくそんな気がする」
「あんた勘が鋭いときあるからね~。一応参考にしとく」
麻里の今週のゼミは教授の都合で午後になっていた。キャンパスの中を妙子と連れ立って歩くと普段着のせいか特段違和感はなかった。
「あんまりあっちこっち行かないで」と経済学部の入り口で分れた。
一応、麻里からキャンパスの案内図はもらっていたが、広い敷地内には学生がそちらこちらに固まっているのが見えた。
妙子は案内図を一瞥すると小さくたたみジーンズのポケットに入れた。そしてすでに決まっているかのように南側へ向けて歩き出した。
キャンパスの敷地の中央に位置する建物、カフェテリアや売店が二階にあり、学生や教授たちのグループがにぎやかに談笑している。妙子はコーヒーを注文しプレートにのせ窓際に向かった。
そこには資料を山積みにしノートに向かっている一人の少し汚れた白衣を着た青年が座っていた。
ガチャリとプレートをテーブルに置くと、ようやく眼を上げた。
見なれない顔だった。何処で会ったか記憶が無い。そんな風に反応し、また視線をノートに落とした。
「ここ、いいですか?」
「あ、いいけど君誰だっけ」
「今日が初めてです、北郷先生」
「私を知っている、君は僕の学生じゃないし…」
「すみません突然。私、速水妙子。高校3年、成績C。姉が経済学の3年です」
「その妙子君がいったい何の用かな」
そこまで言って、理論物理学助教授の北郷健輔は興味なさそうに視線をノートに戻した。
妙子はそれに答えず、山積みされた資料の一番上のレポートを手に取った。
「先生、ここのところ少し解釈が違っています」
「えっ、君それが何か解るの!?」
「多分、低温核融合の可能性についてのメモじゃないかなーと…」
確かにそれは北郷が捨てきれずに暖めているテーマのメモであった。
「君、高校生って言ったよね。で君の解釈は?」
「たぶんここのところがこうじゃないかと…」
テーブルの上にあった鉛筆を取ると、レポートの数式の空白に直接書きこんでいった。
北郷はノートから目を話すと妙子の書きこみを見つめた。
「あ、そーか…。しかしだな、次の解にはどうつながるか…。そこが疑問なんだ」
「そこはこう考えると矛盾しないです」
さらさらと書きだす数式に北郷は妙子が高校生であることを忘れて見とれていた。
行き詰まっていたテーマに光がさした。
「君、時間あるよね、僕の部屋に来てくれないか」
と言いながらすでに北郷は資料をまとめ立ちあがった。