鼓動
明月院で紫陽花を愛でた後、僕らは小町通を歩き、八幡宮の本宮にたどり着いた。
勿論、人の目があるので、裏手から中に入る。
さき程の部屋に通されると、僕らはお茶をご馳走になった。
「三十郎さん、大変楽しい時間を過ごす事が出来ましたよ。ありがとう。」
決して長い時間ではなかったが、自分が納める周辺を見てまわれた事、今の世の姿をその目に出来た事で、皇后様のお気持ちを満たす事が出来たようだ。
「大した所にお連れ出来ずにすみませんでした。ただ皇后様達が見守ってくださっているおかげで、今の世は太平です。若輩者ではございますが、人の世を代表致しまして、お礼申し上げます。」
僕は皇后様に一礼する。
「先程渡したお守りは持っていますね?もしも自分ひとりで対処できない様な事が起きたら、迷わずそれに願いなさい。必ず三十郎さんの助けとなるでしょう。」
そう言って優しく微笑む。
「姫、あなたに一つ言っておきたい事があります。時間は無限ではありません。その事だけは努々忘れぬように。」
とても真剣な顔で向き合う二人。
さっきまでのふざけたやり取りはそこには無い。
「さ、いい若者がこんなところで油売ってないで、さっさと行きなさい。生まれてから死ぬまで。その限りある時間の中で、少しでも多く今を楽しみなさい!三十郎さん、姫、またお会いしましょう。楽しい時間をありがとう!」
皇后様に背中を押され、僕たち二人は本宮を後にした。
「なんだか、噂とは全然かけ離れた人って印象だよ。」
そう言って姫を見ると、姫は本宮に向かって一礼している所だった。
「まぁ、生きていた時はどうか知らないけど、神様として祀れている訳だからね。基本的には神様を敬い、信じる心を忘れない純粋な人に対しては、どの神様も比較的優しいわよ。皇后様に至っては子を産んでるしね。母性と言うか、三十郎の事を我が子の様に思ったんじゃないのかな。」
僕らは再び歩き出した。
来た道を通り、鎌倉駅へ。
「ねぇ、姫も江の島に送って行く?」
そう尋ねると、姫は首を横に振る。
「何よ!アンタもう私を帰らせようっての?私は帰らないわよ!っか、しばらく三十郎の所でお世話になるつもりだから、しっかり私のお世話するのよ!いい?分かった?」
まぁね、これだけの美人にまだ帰らないとか言われたらさ、そりゃ男なら嬉しいよ。嬉しいけどさ、しばらく世話になるとか、しっかり世話しろとかさ。それはそれで重かったりする訳。
しかし、弁財天様と一緒に生活するなんて、普通の人生じゃまずない事だから、貴重な経験だと思ってしっかりお世話しようかな。
そんな事を考えながら、僕らは江ノ電に乗り、藤沢で下車。そこから東海道本線に乗り換え、国府津で降りた。
「ちょっと、アンタ!また随分遠くから江の島神社に来たのね。正直ビックリしたわよ!」
姫が恨めしそうに僕を見る。
「仕方ないだろ、折角お願い事するんなら有名な神様が祀られてる神社がいいじゃんか。パワースポットでもある訳だし。それにさ、僕はわざわざ美人の神様を選んだって言うのにさ、その言い草はないんじゃないの?」
美人と言われた事が嬉しかったのか、急に姫の機嫌が良くなる。
「まぁ~アレだ!三十郎は決してイケメンじゃないけど、神様を、いや、女を見る目はありそうだな。その辺は将来有望だな。私が美人だって言うのは紛れもない事実だし、そんな事いつも言われ馴れてるからちっとも嬉しくなんかないけど、初めての三十郎の褒め言葉だから、喜んでおいてあげる。」
顔を真っ赤にしながら、そう言う姫だが、満更でもない様子。
そんな様子が少し可笑しくて、でも可愛く見えて。
言放った自分も少しばかり恥ずかしかったが、悪い気分じゃない。
嬉しい様な、恥ずかしい様な。
うまく言えないけど、なんだか少しこそばゆい。
もしも彼女が出来たら、こんなやり取りが当たり前になるのだろうか?
そのまんまだけど、俗に言う嬉し恥ずかしってやつだ。
これが恋愛ってやつなのか?
でも待てよ。
一つだけ疑問が浮かぶ。
僕と姫は恋人ではない。
なのにこんな気持ちになっている自分がいる。
これがもし姫以外の女の子でも、同じ様な気持ちになるのだろうか?
先にも言った通り、僕には恋愛経験がないからよくわからない。
今僕が姫に感じた思いが、他の女の子にも同じ様に感じてしまうのだとすれば、この思いは一体何なのだろうか?
どこにでもあるような、一過性の感情なのか?それはそれでなんだか少し悲しい。
一抹の切なさを感じながら、姫を見た。
「ん?どうした三十郎?」
僕の少し前を歩いていた姫が、少し嬉しそうに、立ち止まって僕の顔を覗き込む。
その曇りのない笑顔に、僕の鼓動が少し早くなった。
そんな顔をされたら、まともに顔を見れないじゃないか!
「何でもない!さ、取り敢えず僕の家に行こう。」
心の内を見透かされない為にも、僕は先を急ぐ事にする。
何とかこの場をやり過ごさねば。
しかしそんな思いとは裏腹に、僕の右腕に左腕を絡めてくる姫。
「よし!そんじゃ、三十郎の家に行きましょう!」
何の屈託もないその横顔に、僕の胸の鼓動は益々速さを増すのであった。