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わがまま侯爵様のお気に入り。  作者: ちわみろく
9/24

年若き侯爵のお気に入り。

そうでなくても脆弱だった二人の関係に、すこしずつ亀裂が生じたりなんかして。

 パブの営業が終わるのは午前零時。人通りもすっかり耐えた路上に由良達は立っていた。

 店の外の通りにリムジンを待たせている若き領主は、腹違いの兄の厳しい視線に睨まれている。

「なんですか、その格好。それに、なんだってこんな時間にこんなところにいらっしゃるのです。」

責める口調のセイラに、弟の方はどこ吹く風だ。

「・・・俺がどんな格好でどこで何してようと、家を出て行ったあんたに関係があるのかよ?」

「ええ、関係ありませんよ。僕の目に入らない場所でしたら、ね。」

 セイラの台詞にカチン、と来て怒りを募らせたのが侯爵様の表情でわかる。黒い目を半眼にして睨み付けた。

 傍らでピーターと並んでその様子を見ている由良はハラハラしている。今にも喧嘩が起こりそうな、一触即発の気配に冷や汗が出そうだった。

「なんだよ、その言い方。・・・俺が何をしようが気にはならないが、あんたに関わることだけはやめろって、そう言いたいのかよ。」

「そうは聞こえませんか。」

 由良や愛子に対するのとは正反対に思えるほど、セイラは弟に対して容赦が無かった。本当はこんなにも辛辣なことが言える人なのだと改めて思い知る。

 日頃はどんなに穏やかでも、激しさを秘めている。柔らかな物腰の裏に牙を隠している。

 ・・・流河さんが、セイラの顔に騙されるなって、言ってたっけ。

 あんな厳しいことを言っているくせに、店の中で一緒に演奏しているときは凄く楽しそうだった。

 セイラはユーフューズの登場に驚きはしたが、由良の傍らにピーターがいることを確認すると何も言わず演奏を続けて、弟との合奏を楽しんでいるようにさえ思えた。いつもの彼の演奏と同様に、興奮気味の笑顔が見られたのは嘘ではない。セイラがそうやって楽しそうに演奏するのを見て、彼に合わせている侯爵様の方も楽しそうだった。確執のある兄弟とは思えない素晴らしい演奏だったと思う。

 それなのにどうしてこんなふうにきついことを口にしてしまうのだろう。セイラは何故そこまでユーフューズに厳しいのだろうか。

 なんだかユーフューズが気の毒に思えて、一瞬だけ口を挟みそうになるが、軽く手で押さえたピーターの目線に抑えられ、引き下がる。兄弟の事は、他人の由良が口を出すべきではない。わかっている、わかっているけれども。

「どうして仲良く出来ないのでしょうか。ただ一人の兄弟なんでしょう。」

 小さく、傍のお守り役にしか聞こえないような声で呟く。

「お嬢さん。」

「せっかくの兄弟なのに。どうして・・・。」

 由良にはいない、たった一人の存在なのに。

 侯爵家とか、そんなことどうでもいいではないか。離れて暮らしていても兄弟には違いないだろう。

 少なくとも、由良が身近に知っていた兄弟はそうだった。育ちが違っていた次男のことを、長男は不憫に思って大切にしていたし三男は不器用な二番目の兄を黙って見守っていた。衝突することなどほとんどなかった。次男はそんな兄弟の思いにちゃんと気が付いていたのだ。死ぬ間際にもそれに感謝していたのだから。安西兄弟は三人がそれぞれに自分の出来る範囲で互いを思いやっていたのだ。どうしてそれがセイラとユーフューズには出来ないのだろう。

「求めすぎているからです。」

「え・・・?」

 ピーターの、短い応えに思わず視線を彼に向ける。

「そんなにも俺がうっとおしいって言うのかよ。・・・それならそれでかまわないぜ。あんたが俺を無視できないように、思い知らせてやるだけだ。ピーター、戻るぞ!」

 悔しさの余り声が震えている若き侯爵は、そのまま踵を返して車に乗り込んだ。

「侯爵様!」

 それを追うように車に吸い込まれていったピーターの言葉が、なんとなく気になる。

 走り去る車を見送って、セイラが大きく溜め息をついた。その表情には、うんざり、という言葉がぴったりと来る。

「セイラ。あの・・・。」

「ああ、由良ちゃん。ごめんね、気まずい思いをさせてしまったね。」

 そう言って無理して笑っているのがとても苦しい。セイラは、どうしてそんなに弟には厳しいのか。そうやって辛くあたることが、彼自身も辛くて仕方が無いように見えるのだ。本当は、セイラだってユーフューズに優しくしてあげたいのではないだろうか。だって、由良の知っている彼は優しい人なのだから。

 楽譜を右手に、左手に由良の手を繋ぐ。真夜中の通りを歩き出す彼の足は、なんとなくいつもより早足だ。

 広い背中を彩るように、長い金髪が夜風になびく。生成りの上着を着たその後姿はいつもの彼と同じだけれど。

 何かを告げようとしても、どこか取り付くしまもないないような背中に、由良はまた、言葉を飲み込む。


 ランチタイムに愛子がやってきたので、セイラは少し驚いて青い目を丸くした。

「こんな時間に、どうしたんだい?仕事じゃないのかい?」

濃紺のスーツに白フリルのブラウスが可憐だった。すっかり自分はここに座るものだと決めたように、カウンターの席にバッグを置いて腰を下ろす。

「研修期間に入りましたので、早く終わったんです。二ヶ月ほどはずっと早く終わるんですよ。引継ぎの間、我々がいても邪魔なんです。」

「そうなんだ。公の機関の仕事ってわからないな。少しでも早く仕事を覚えさせるもんじゃないのかな。」

「面倒くさい事務処理やら何やらが滞るんですよ。いつの時代も、お役所仕事というのはハンコと書類が通らなければ何一つ進まないのですから。」

「この電子処理主流の時代に、随分と時代錯誤なことを言うんだね。」

「電子処理にも決済がいるんですよ?面倒くさいったらありません。でも、それを割愛するわけには行かないのが、公的文書って奴ですからね。」

 軽食といつもの紅茶を頼んだ愛子が、ホールを見渡してセイラに尋ねた。

「由良さんは・・・?まだ見えていないのですか?」

「うん。この頃学校でやることがあるらしくて。遅くなってもいいよって、言ってあるんだ。」

 一人でこのカフェを切りもりするセイラは忙しそうだった。繁盛している彼の店舗はランチから昼過ぎまでが一番混み合うのだ。少し前まではランチタイムはそこまで混雑しなかったのだが、近在の大学の食堂で食中毒を出したため営業停止になって以来、急に混むようになってしまったのだった。

「そこのキャンパスの学生や職員が来てくれるようになったみたいでね。」

 厨房に戻っては調理し、またホールへ出る。忙しい中でも、時折カウンターへ戻って愛子の話し相手もしてくれるのだ。慌しくないわけがない。

「セイラ。よかったらわたしにお手伝いをさせてくれませんか。とても忙しそうだし、由良さんがいらっしゃる時間まで。」

 愛子は嬉しそうに思いついた提案を口にした。

 好都合にも暫く大使館での仕事は午前中だけになったのだ。こんなチャンスはないだろう。

 ランチタイムにセイラのガールフレンドはここに来られない。二人きりとは言わないが、一緒に仕事をすれば嫌でも彼との距離は縮まるだろう。

「何を言ってるの。お客さんにそんなことさせられないよ。まして君は大使館務めだろう。公務員は副職を持ってはいけないんだ。」

困ったようにそう言ってエプロンで手を拭う彼がサンドイッチを乗せた皿をカウンターテーブルに乗せた。

「お給料はいりませんよ。それなら問題ないでしょう。代わりに私に食事をご馳走してください。現物支給なら問題ありません。」

「駄目だよ、愛子。そんなことはさせられない。」

頑なに拒もうとするセイラに、愛子は強引なまでに言い募った。

「どうせ二週間ほどしかお手伝い出来ません。その間だけです。また由良さんも早く来られるようになるかもしれません。今とても急がしそうで見ていられませんよ、セイラ。」

 店長の出してくれた軽食を食べ終えた彼女が立ち上がり、カウンターをまわって厨房へ入る。

 由良の仕事ぶりを注意深く見ていたので、愛子は何をやったらいいのかはおおよそ理解していた。彼女のエプロンが厨房のどこにかけてあるのかさえ知っている。ウエイトレスのバイトは経験済みだ。

「・・・わかった。申し訳ないけど、お願いするよ。」

 額の汗を袖で拭ったセイラが、承諾した。猫の手も借りたいのだ。


 そんなセイラの苦悩も知らない由良は、ユーフューズにボディガードを申し付けられて街中を歩いていた。

「守ってくれるって言ったもんな。」

「学校でのつもりで言ったんだよ。テオ。ボディガードはちゃんと付いてるんでしょ。どうして私が・・・。」

 ぶつぶつと言いながらも隣を歩く由良を見て、彼はどこか満足そうに頷く。仕方が無いので周囲を警戒しながら彼と繁華街を歩くのだが、人通りが多いので神経を使う。

 ボディガードが付いているのはわかった。数メートル程後ろに尾行の気配がある。

 ・・・ピーターさんだろうか。そこまではわからないな。

「なあ、この間、俺かっこよかった?」

「この間?」

「ホラ、パブでライブやったじゃん、セイラと一緒に。」

「あの時ね。うん。とってもかっこよかった。素敵だったよ。」

「惚れた?惚れた?」

「・・・あのね。ライブやった人いちいち惚れてたらキリが無いじゃない。バンドのメンバーに全員惚れなくちゃならないよ。」

「ちぇ。おっかしいな。俺かなり女にはもてるんだぜ?何でお前は俺になびかないんだろなー。」

 由良はくすりと笑った。

 自意識過剰な言い方が、冗談とも本気とも取れないのがまたおかしくて、彼らしい。セイラなら絶対に言わないような冗談がおかしかった。

 彼がもてるだろうということは嫌でもわかる。同じ顔のセイラがあれだけ人気があるのだ。もてないはずはないだろう。

「惚れないけど。一緒にサッカーやってくれてる時のテオは好きだよ。とても頼りになるチームメイトで、フォワードだから。」

「バスケやってるときも?」

「うん。サイコーにカッコイイ。貴方みたいないい司令塔は中々いないよ。」

 おっしゃあ、と言ってガッツポーズを決める彼はどこかやんちゃな子供のようだ。

 こういうノリが由良は大好きだ。スポーツをやっている人達特有の楽しさが気分を高揚させてくれる。セイラにはこういう所は無い。

「なあ、お前、服とか自分で選んでんの?」

 唐突に服装について尋ねられた由良は、面食らったように目を白黒させる。

 それから、ふと自分の着ているものを指先で触れた。色褪せたストレートジーンズ。少し生地が薄くなってきている白シャツ。履き古したスニーカーは、元の色が不明な程だ。

「え、あ、まあ・・・そうっていうか。頂いたものだから・・・。」

 由良がこの世界に来たばかりの頃に譲ってもらった服は、今はもういない女性のものだった。セイラの姉を守って銃弾に倒れた彼女の事は、今も忘れられない。

 凛とした美しい人で、控えめで、芯の強い女性だった。未熟な由良を、影からそっと見守ってくれていた、優しい女性だったのだ。彼女の婚約者だった人は、現在はアフリカ先進医療チームのメンバーとなっておりずっと会っていない。どうしているのか、知るよしもなかった。

「もっといい服を着て化粧してみろよ。いい女になるぜ。お前よく見ると思ったほど悪くないもんな。」

 どんだけ最初の印象が底辺だったのかはあえて追求したくないが、褒められて悪い気はしない。

「ありがとう。褒めてくれてるんだね。嬉しいよ。」

 でも、今着ている服を脱ぐつもりは無かった。

 セイラもそれを知っていて何も言わないのだ。由良が彼女のお古を好んで着ている事については何も言わない。実際に由良がしゃれっ気などに全く興味が無い、という事実もあるのだが、無理矢理にお仕着せをするつもりもない。いずれ由良自身が自覚して自己を変えようとする気持ちになるまでは黙っているのだろう。

「なあ、ボンドストリートまで出ようぜ。お前に似合う服買ってやる。」

 さっと肩を抱こうとするセイラの弟の手をかわす。

 軽く眉根を寄せて溜め息をついた彼に、由良は説教臭く言い放った。

「馬鹿言わないでよ。そんな寄り道するのならさっさとお屋敷にお帰りください。・・・気持ちは嬉しいけど、私は、このままでいいの。」

「侯爵の兄貴の彼女が、そんなみすぼらしい格好でいいのかよ。奴に恥をかかせる気か。」

 痛いところをついてくる。

 侯爵の兄でなくても、彼とは釣り合わない事にコンプレックスを感じない日はない。

 それでも動揺をどうにか押し隠すように笑いを顔に貼り付ける。

「奴には婚約披露パーティの招待状を送ってある。・・・パーティには必ずカップルで出席するのが常識だ。綺麗に着飾って出席してもらわなくちゃ困るんじゃないのか。」

 由良の顔色が変わる。そんな話は初耳だった。セイラから全く聞いていない。

 さすがに今度は狼狽を隠せなくなった彼女の様子に、若き侯爵は少し焦った。

「・・・セイラから聞いていないのか?」

隠し事があるということは、秘密があるといういうことですものね。

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