同級生たちのお気に入り。
日本からやってきた女性職員は美人でやり手そう。
クラスに新しく入ってきた彼は、あっと言う間に馴染みそう。
由良は自分から愛子を自宅へ送っていくことを提案した。
「ほら、まだ来てから日も浅いんだし。ボディガード代わりに私が送っていくよ。」
昼頃にやってきた愛子はなんだかんだ長居してしまい、結局閉店時間までセイラの店に居座ってしまったのだ。
「それはいいかもしれないね。暗くなると危ないし。・・・持っているね?」
遠慮する愛子に軽く手を振って、セイラは由良に同意した。最後の確認は、通信端末と武器の所持だ。万が一の事があっても、由良は剣を持っていれば誰にも負けない。
「うん!だから大丈夫!」
由良は日本人の同年代の女の子の出現が嬉しくて仕方が無いのだ。はしゃいでしまって、いつまでも一緒に話していたい気持ちがよくわかるセイラは、気を利かせる意味でも彼女の言葉に頷く。
「そんな、いいですよ、悪いですから。お忙しいでしょうし。」
愛子は遠慮した。
恋敵に送ってもらうなんて。借りはこれ以上作りたくなかった。昨日の礼すらまだ言えていないのだ。
やっと会えた憧れのセイラには恋人がいた。まあ、予測しないでもなかった。これだけの美丈夫なのだから、周囲が放っておかないだろうと思ったからだ。
しかし、その恋人が、余りにも地味というかなんというか。田舎の高校生みたいな少女であることにさらにショックを受けてしまったのだ。
明るくて元気で働き者だし、昨日助けてもらった恩があるけれど、セイラのような美貌の男性の恋人にはとても思えない。英語もひどいものだし、いまだに語学学校に通っていると言う事は成績の方も思わしくないのだろう。美女でもなければ、特別な才があるようにも見えなかった。
一方でセイラは、日本でかつての指導者の実の弟であることは公然の秘密、もはや周知の事実だった。日本を出るまで、指導者がやり残したたくさんの事後処理を一手に引き受けて現在の国内の制度のほとんどを整えたというのは、姉の廉子から聞いた話である。今はおとなしく英国でカフェの店長などに甘んじているが、その気になればいつでも帰国して再びその手腕を振るうことも出来るだろうと言われているのだ。
・・・彼は、今バカンスなのよね、きっと。お姉さんをなくした事も辛かったと思うし。
だから、その疲労と悲しみが癒えたら日本に戻ってきてくれるのだろうと思っていたのだが、ちっとも戻ってきてくれない。待ちきれなかった愛子は自分が会いに言って説得して日本へ連れ戻すことが出来たら、などと考えてさえいたのだった。勿論、いい仲になってしまって、である。
「私、もう少し愛子さんと話したいからさ。ね、いいでしょう?」
余りにも無邪気というか、人の好い笑顔で擦り寄ってくる恋敵は、女性としての魅力はともかく。友人としては悪くない部類なのだろうと判断できた。
「ね、愛子。そうしたら?」
天使のような笑顔でセイラにまでそう言われては、もう断れなかった。
「ハイ、じゃあお言葉に甘えて。・・・お願いします。」
店の出入り口から手を振ってくれたセイラに頭を下げて、愛子と由良は帰途に着いた。
「ここまでどうやって来たの?」
「あ、地下鉄です。最寄り駅から歩きました。」
「この時間ならまだバスの方が近いし危なくないよ。ちょっとした観光気分にも浸れて楽しいから、バスで帰ろうよ。」
「由良さんが、そう仰るなら・・・。」
「ヤダなぁ、呼び捨てでいいよ。私愛子さんより年下だよ?まだ18だもん。」
ズキン、と胸が痛んでしまった。恋敵には自分には無い大きな長所があったのだ。若さ、という、絶対に手に入らないものだった。
「18ですか?・・・じゃあ、まだ高校生って言ってもおかしくないんですね。」
「うん。そうなの。」
「セイラとはちょっと年の離れたカップル、というか・・・。」
「ははは。カップルねー。どっちかっていうと、保護者かなー。身元保証人でもあるからさ。」
通りのバス停で足を止めると、程なくして赤いバスがやってくるのが見えた。由良が手を上げてバスを止める。観光ガイドにも載っている二階建てのバスで、座席の半分ほどは埋まっていた。迷うことなく二階へと進んでいく由良に続く。一番前の席に座った。
二階席からの景色は中々のものだ。市内の夜景が楽しめるし、地理を覚えるのにも最適だった。地下鉄ではこうはいかない。
「あの、先ほどの話なのですけど。カップルじゃなくて、保護者っていうのは本当ですか?」
愛子に取っては重要な案件だ。きちんと確認しなければ。
追求してくる彼女の真剣な表情に由良の方はちょっと引いてしまう。
「あ、ま、まあ。保護者でも有り、彼氏と言えばまあ、そう、なん、だけど・・・。」
もぞもぞと言い難そうに赤くなってしまった。そんなにはっきりと尋ねられると照れてしまうし恥ずかしい。それに由良自身もちゃんと自覚しているのだ。誰が見ても自分とセイラは不釣合いであることを。しかしそんなことを言い出せばセイラが悲しい顔をする。恋人だと認めてくれないのか、と拗ねてしまうのだ。
由良の言い難そうな様子を見て、愛子は心の中でほくそ笑んだ。
彼女の反応をうかがう意味もあって尋ねたのだが、どうも、彼女の方はまだセイラの彼女である自覚が薄いらしい。
・・・そこまで固まってしまった関係ではないのかしら。それなら、まだつけ入る隙があるかもしれないわ。
「とっても素敵な彼氏で羨ましいです。お付き合いはいつ頃から?」
「・・・いや、そんなのいいじゃん。照れるからそう言う話はよそうよ。」
「そんなこと言わないで。知りたいです、馴れ初めとか。あんな素敵な人をどうやって彼氏にしたのか教えてくださいよ。」
短い髪を盛んに掻いて照れまくる少女が、ちょっぴり可愛い、と思えてしまった。さすがに、若さがあるというのは違う。恋敵にさえそんな気持ちにさせてしまうのだから。
それにいつの時代も、いくつになっても、女の子は恋愛話が大好きだ。それは愛子だって同じである。ましてや思い人の情報収集にもなるのだから。
「それから、・・・昨日のお礼も言わせて。」
思い切ったように、告げる。
「助けてくれたの、貴方だったわよね?」
彼女は、にっと笑った。
「うん・・・でも、セイラには内緒にしてね。怒られるから。」
「どうして?人助けでしょう。褒めるならわかるけど、どうして怒られるの?」
彼女にしてはほんの少し、笑うのを躊躇うような笑い方で。
「ちょっと、今、セイラはピリピリしてるから、さ。目立つことしないでって、言われてるの。」
愛子には今日会ったあの美貌の青年がピリピリしているなんて、到底思えなかった。穏やかで優しい、余裕のある微笑を浮かべていたではないか。
「だから、愛子さんを送っていくのも了承してくれたんだと思う。・・・まさか、大使館職員の人にまでどうのってことはさすがにないと思うんだけど。ガイコウカントッケンとか言うのがあるんでしょ?だから、多分大丈夫だと思う、ってセイラは言ってたけど、念のためね・・・。」
外交官特権、と言ってるのだろうか。
確かに大使館には特殊な権利があるにはあるが。それが由良にどういう意味のなのかわかっているようには見えない。
しかし、彼が何に対して神経を尖らせているのかを彼女に尋ねると、外国人は狙われやすいからだよ、と当たり障りの無い答えを言う。それも嘘ではないのだろうが。
「もし、よかったら、また遊びに来てね、愛子さん。待ってるから。」
そんなにもいい笑顔で、というくらいに彼女は嬉しそうにそう言った。
勿論愛子は、それに同意しない理由などない。
「喜んで。・・・連絡先、交換しませんか、由良さん。」
「いいの!?わあ、嬉しい。」
無邪気に喜ぶ彼女に、なんだか罪悪感さえ覚えてしまう。
彼女と親しくなれば、いやでもセイラとも親しくなれるはず。
そんな野望も知らずに、由良は腕の通信端末を愛子にはずして見せた。
ランチタイムは大概遅れずに来てくれるのが由良の日課だった。何故今日は遅れたのだろう、と少しだけ疑問に思ったが、今日は尋ねる暇もなかった。日本からの客に大はしゃぎの彼女に、何かを聞けるような余裕はなかったからだ。日頃ズボラな由良だが時間は守る方で、学校で何かあったのかと気になってしまう。
午前の授業を終えてすぐに店に顔を出し、セイラの作ったお昼を仕事の合間に食べる。時間が無いので大概簡単なものしか食べさせてやれない。今日はそのお昼さえろくろく口にしないまま愛子を送って帰ってしまったのだ。ちゃんと夕食も食べているだろうか。
土曜日の夜はホテルに宿泊し翌朝帰ってきたセイラは店の裏口に置いてあった箱に気がついた。小さな箱だが、大体中身と差出人の検討はついている。静かに近寄って、中身を確認するとやはりそうだった。小ぶりの立体映像投影装置と、そして、封蝋を施した招待状が入っていた。ティル家の紋章の入った大仰なものである。正式文書となるので無視するわけにもいかない。
「・・・新侯爵様の婚約披露パーティね。どうして僕がこんなものに・・・。」
苦虫を噛み潰したような表情で箱を手に裏口から入る。
由良とはあえてホテルで別れて帰途についていた。本当は一緒に帰りたかったのだが、二手に分かれて監視の有無を確認したかったからだ。二人同時に監視が付くのか、分かれたらどちらに付くのか、あるいは両方なのか。
予測したとおり、セイラの方への監視は緩んだ。由良の方へ行ってしまったらしく、由良は自分のフラットに到着した後、そのことを知らせてくれた。
閉店の片付けが済んで住居の二階へ上がる途中に、腕の端末が鳴る。
「愛子さんを無事に送り届けました。相変わらず監視は付いてるけど、とくに問題はナシ。彼女ではなく私の方に付いて来てる。」
「そう。お疲れ様。・・・何も変わったことは無い?」
「特には。そうだ、彼女と連絡先を交換しちゃった。」
「おやおや。早速?・・・仲良くしてくれるといいね?」
「うん。日本語を話せる友達が欲しかったから・・・凄く嬉しいんだ。」
「よかったね。匠の紹介状を持ってきたから、身元もしっかりしているし、問題ない人だと思うよ。君の友人としては申し分ないくらいだ。」
「あっは。セイラもそう言ってくれると思ったんだ。美人だし頭も良さそうだし、素敵な人だよね。」
「君も負けてはいないよ。・・・気をつけて帰るんだよ。」
「はい。わかりました。セイラ。」
「お休み。愛してるよ。」
「・・・私も。お休みなさい。」
彼女の照れが伝わってくるような間の後に、通信を切った。
切ってから、学校から店に送れた理由を聞きそびれたことに気が付いたが、また明日でもいいか、と思いなおす。
語学学校の生徒達が、学校の裏手にある大きなグラウンドを借り切って、フットボールに興じていた。午前の授業が終わり、昼休みを使って皆でプレイすることになったのだ。
そのグラウンドは、空いているときは使わせてもらえるのだが予約のあるときは使えない。たまたま今日は、空いていたからだろう、誰かがどこかからボールを調達して来た。由良のクラスからは入ったばかりのルーキーであるテオと、フランス人留学生のエルンスト、ドイツ人留学生のシュテファン、そして勿論由良が率先して参加する。男子の中に入ってもなんの遜色もなくプレイが出来る女子は、学校中の生徒の中でも彼女一人だった。
はじめは手加減していてくれた男子たちだったが、その必要がないとわかるとすぐに由良をマークしてくる。確かにフィジカルでは男子に比べるとパワーで劣るけれども、敏捷性と速さではけっして負けない自信があった。上級クラスの男子や、初級クラスの男子たちも混じってゲームすることになるが、彼らの攻撃を 素早く交わし、けっして上手ではないドリブルをしながらも味方にパスを繋ぐ。
「エリー!こっち!」
マークを呆気なくはずしたテオが両手を振りつつ走る。その逆サイドを由良も走った。ディフェンスをかわし、パスを繋ぎ合う。ゴール前で大きく蹴り上げた由良のパスを、テオは派手なオーバーヘッドキックでシュートした。
「ああ~!!惜しいっ!」
ゴールキーパーに防がれて、ノーカウント。そこで、時間終了のブザーが鳴った。交代である。
大げさなシュートで尻餅をついているテオに、由良が走りよって手を貸した。その手を借りて立ち上がった彼は、
「決まってたら、俺ヒーローだったよな?な?」
にやにやと笑ってまくしたてる。
「あんな無茶なシュートしなくてもゴール出来たのに。テオは派手好きだね。」
ベンチに戻ってタオルとドリンクを手にする。他のメンバーも次々に戻ってきた。グラウンドの外に、数人いる見物客は、ほとんどが同じ学校の女生徒だろう。
「シュテファンもナイスカバーだった。中々ああは入れないよね。シュテファン、お国でやってたの?」
大きなボトルを手にした栗色の髪の青年はかなりの大柄だ。
「ああ。でも、もっぱらキーパーが多かったんだよな。だから、MFとかやるの楽しくって。」
由良の質問に答えたドイツ人青年は、顎を撫でながら嬉しそうに笑った。
「この立派な身体じゃそうなるよな。エリーは?やってたのか?」
ベンチに腰を下ろしたテオが立ったまま汗を拭いているフランス人留学生に尋ねる。
「やってたって言うか、まあ遊びの範囲だけどね。・・・それにしても由良は凄いな。足も速いし、テクニックは今ひとつだけど、センスいい。」
「え、エリー、もちょっとゆっくり喋って。エリーの英語速過ぎるんだよ。」
聞き取れなかった由良は慌てて聞き返した。エルンストは中級の割には英語が流暢だ。
「センスがいいってさ。褒めてるんだ。」
テオがまるで通訳するように言い直す。
「うん、エリーは早口過ぎる。母国語でもそんなに早口なのか?」
「・・・俺、お喋りだってよく言われる。」
ベンチの全員がどっと笑った。巻き毛の少年は、実はまだ15歳なのだそうだ。見た目は立派な青年だが、性格は意外に幼く、とても素直だった。だから由良とも気が合っていて、お昼休みにフットボールをするだの、バスケットやテニスをするだの、などという話が出ると必ず一緒になる。いつもスポーツのゲームになると顔を出してくれる由良に好感を持ってくれているようだ。15歳という若さでイギリス人さえ舌を巻くような英語を話す彼は英語に不自由は殆どない。語学学校へ来るのは、彼の母親が住むロンドンへ来るついでなのだという。英仏のハーフで、現在ご両親が離婚調停中。それで行ったり来たりを繰り返しているのだという。
腕の端末を見た由良は立ち上がった。もう行かないと、セイラの店を手伝う時間である。
「あれ、もう一試合やらないの、由良。」
「バイトの時間だから帰るね。楽しかった、またやろうねー。バイバイ。」
ベンチを出て行った彼女を、テオがすぐに追いかけた。その様子を、二人のクラスメートはくすりと笑って見送った。
「由良!、待てよ!」
「・・・テオ?どしたの。何か用?」
「もう少し遊んでいこうぜ。まだ試合あるんだし。」
「仕事は休めないよ。貴方も・・・ちゃんとボディガードを潜ませているんでしょう。大丈夫だよ。」
「・・・!!」
テオが黒い目を見開いた。由良の指摘が図星だったからだ。
「あんまり無茶言って困らせたら駄目だよ、侯爵様。貴方有名人なんでしょ。狙われるよ。」
ばつの悪そうな顔で眉をひそめると、変装した侯爵様は少しの間うつむく。
第一印象から、いつも威張っていて横柄な態度しか見ていない由良には、その姿がほんのすこし、しおらしく思えた。
「セイラには、・・・兄貴には黙っててくれないか。俺、実は家庭教師ばっかりで、学校に行ったことが無いんだ。こういうの憧れてたんだよ。」
ぼそぼそとまるで言い訳をするようなセイラの弟が少しだけ可哀想に見える。
貴族のお坊ちゃん育ちの彼は学校に通ったことがないのだ。そのことはセイラにも聞いたことがある。セイラ自身も学校には行っていなかったそうだ。
「留学生ばかりの語学学校に来ても仕方ないでしょうに。」
「国内の普通の大学や高校だったら、すぐばれちまうじゃねーか。」
やんちゃな表情で赤い舌を出した若き侯爵は、上目遣いで、頼むよと念押しした。
わずかに嘆息した由良は、いかにも仕方が無い、と言う表情で肩を竦める。
「何かあったら、すぐに私にも言ってね?出来るだけ貴方を守るようにするから。隠し事したら、すぐにセイラに報告するよ。」
彼女の言葉に青い瞳を丸くした侯爵は、真剣な表情になって頷いた。
「約束する。絶対になんでも由良に相談するから。」
拝むように見つめる彼に、軽く手を振って承諾の意を示すと、彼は由良に飛びついてきた。
「ありがと!!助かるよっ!!」
いきなり抱きつかれて顔にキスまでされそうになった由良は、侯爵が予想もしなかったスピードと腕力で彼を引き剥がし、さっと身を翻す。
・・・すっげぇ、力・・・!なんだ、この娘!?
訝しく思った瞬間に、彼女が初対面の時に自分の屈強で大柄なボディガードを投げ飛ばしたことを思い出した。
「悪いけど、そういうボディランゲージは遠慮してもらってるんだ。日本人はそういうの苦手なんだよ。感謝の気持ちは言葉だけで結構。」
強い口調でそう言い放つと、彼女はそのまま駆け去った。
その様子を見ていたベンチのクラスメート達がゲラゲラと笑う。
「テオ。彼女は、あんまり触ると怒るんだよ。国の習慣とかで色々あるんだろうな。ベタベタしないほうがいいぜ。」
「・・・そうなのか。」
「一定の距離を取ってりゃ、中々いい奴なんだ、彼女。」
「エリーも、最初ああやって抱きついてどつかれたんだよな。」
「フランスじゃ、あのくらいの挨拶が礼儀だってのに。」
「欧州とは大分流儀が違うみたいだぜ。」
再びブザーの音が聞こえた。グラウンドが空く合図に、再び生徒達がボールを持って立ち上がる。
「一人抜けたけど、まだまだイケるよ。」
エリーとシュテファンはタオルとドリンクをベンチに置いた。テオもそれにならう。
人のいい由良に付けこむように、様々なことを色々と画策しますが。