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わがまま侯爵様のお気に入り。  作者: ちわみろく
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腕利き書記官のお気に入り。

色々と状況に変化が起こります。

新しいキャラクターも出ます。

 ヒースロー空港からピカデリー・サーカスへは地下鉄に乗換えて行く。

 日本で英語はみっちりと勉強してきたし、留学経験もある。まず仕事でもたつくこともない程度にはスキルアップしてきた。その語学力で、大きな荷物は空港から直接宿泊先へ輸送してもらうようにトランスポート・システムを利用する。このシステムは余り外国人には知られておらず、観光用ではないために外国語の説明がないのだ。もっとも、英語の表記があれば大抵の外国人も理解できるのだが、システムの存在そのものを知らないことが多い。イギリス国内で労働することを正式に認可された者を優先して利用させてくれる。

 まずは新しい職場へ顔を出さなくてはならない。それから二日間の猶予の後に正式な職員となって働くことが決まっている。黒髪にストレートパーマをあてて来たのは勿論、この髪型がエキゾチックだと評判がいいからだ。化粧も余り濃くないほうが好まれる。服装ばかりはスーツしか選択肢が無いのでその範囲内で綺麗に見せようと厳選して持ち込んだ。

 萩原愛子はぎわらあいこは大き目のショルダーバッグに貴重品を入れて二重のロックをかけていた。自分でも用心深い方だと思っている。渡英はこれで三度目だが、今回はついに正式な職員として就職することが決まっているし、何より、ずっと憧れていた人に会いに行くことが出来るのだ。

 ピカデリーの駅を出ると、大きな黒人男性にぶつかってしまった。ちゃんと前を見ていて、よけて歩いたつもりだったのに、男の方が寄ってきて、わざわざぶつかってきたのだ。

「失礼。」

と小さく言って立ち去ろうとするが、その男が愛子のバッグから手を離さない。

 ・・・ひったくりか。

 黒い巨体を睨みつけるが、どうがんばっても力では勝てそうに無かった。駅の出入り口のそばを行き交う人は多くても、足を止める人はいない。観光客が、この程度の被害にあうことはそう珍しくないのだ。

 男は何も言わずバッグを無理矢理に引っ張った。愛子も負けじと離さないが、どうしても力で負け、思い切り揺さぶられる。地面に叩きつけられそうな勢いだった。両手でバッグを持っているから手を付くこともできない。悲鳴を上げてひきずられそうになった愛子の背中を、誰かががしっと捕まえた。おかげで転ばずに済んだ。

「大丈夫?」

 若い女性の声だった。それも、日本語だ。振り返ると、愛子よりやや背が高いくらいの女の子がしっかりと自分を支えている。つり上がった目が、気丈そうだ。

『鞄を彼女に返しなさい。』

 その女の子が、目の前の巨漢に向かってはっきりと言った。

 黒人の男は何も答えずさらにバッグを引っ張ったので、またも愛子がひっぱられる。そのベルトの部分を、後ろの女の子がつかんで勢いを止めた。

『離せ。鞄だけで済むのならまだマシだろう。』

 野太い声で脅すように威嚇する。

 その時にはもう、女の子は愛子の背後にはいない。一歩、二歩、三歩、と一瞬で駆けて黒人の男の腕に剣を打ち込んでいた。引っ張られていた力が解放され、ショルダーバッグが愛子の方へ戻ってくる。その瞬間には、腕を引かれて駆け出していた。なんて足が速いのだろう。駅をでて目の前の交差点をあっという間に横切り、腕の痛みに吠えて怒りを露わにする巨漢が見えなくなる。向こうもすぐに見失ったことだろう。3ブロック程走ったコーナーにある古びた大きなビルの中へ駆け込む。

「はあ、はあ・・・あの、ありがとう、ございました。」

 息が切れて中々声が出ない。礼を言う言葉も途切れてしまいそうだった。愛子をここまで連れてきてくれた女の子は、ジーンズのポケットに手を入れながら、にっこりと笑う。

「ここの二階から日本大使館だから大丈夫。まだ怖かったら、暫くそっちで事情を話して休ませて貰うといいですよ。日本語通じるし。」

「は、はい。どうも・・・。」

彼女は殆ど息切れしていない。あんな距離をあんな速度で走ったというのに。

「バッグにダブルロックをかけているのは用心深くて感心だけど、バレバレなのは返って駄目。貴重品を持ち歩いてますよって宣伝してるのと一緒だからね。もってかれて鍵ごとこわされちゃうよ。」

「・・・あ、わかりやすいほうが、狙われにくいかと思ったんです。」

 きつい目つきの女の子だがはきはきと喋る。化粧っけのない、健康的な肌色の娘は左手首の通信端末を見て、それから顔を上げた。

「じゃあ、気をつけてね。」

「あ、待って、お礼を・・・」

追いすがる言葉も届いたかどうか。彼女はさっさと駆け足でビルを出て、通りを駆け去ってしまった。

 偶然とは言え、娘が送り届けてくれたこの場所は愛子の新しい職場であり目的地だ。二階に上がるエレベーターを見つけてボタンを押した。

 ・・・勇ましい女の子が、外国にもいるのねぇ。

 ようやく呼吸が整ってきた愛子は、ショルダーバッグを肩にかけなおす。ようやく下りてきた無人のエレベーターに乗り込んで溜め息をついた。


 月曜日がやってくると由良は語学学校へ出かける。一年以上も通ってようやく中級に上がれたので彼女の学力のレベルが知れよう。会話では不自由がない程に上達しているのだが、問題は読み書きの方だった。基礎学力が無い上に、学習が大嫌いときている。

 教室に入ると、緑の瞳の友人が笑って手を上げた。

「おはよう、ジュディス。」

 顔を見られて安心した。彼女の事を心配していたのだ。まさか代わりに浚ったりはしないと思ってはいたけれど。

「由良おはよう。課題やってきた?」

「・・・終わらなかった。半分まで、どうにか書いたけど。」

 色々あった週末、由良が宿題に取り組めたのは結局日曜日の夜、つまり昨夜である。課題として出されていた論文は半分しか出来上がらなかった。持ってきたバッグから宿題を入力したメディアを取り出し、机のディスプレイにセットして中身を映し出す。

 隣りの席のジュディスの論文をついじろじろ見てしまう。欧州の学生は優秀だ。・・・というより、由良が余りに劣等生なだけか。

「輸出入のバランスにおける国民総生産の意義について。・・・こんなん難しすぎるよ。」

 べそをかきそうな顔になった由良を見てジュディスがくすくすと笑う。

「由良は政治経済は本当に嫌いだもんね。よかったらわたしの論文見る?写しちゃ駄目よ?」

「うん、ありがとう。参考にさせてもらうね。」

 ハンガリーからの留学生はとても親切だ。他の学生達も次々にやってきて席に着く。一年以上も在籍している由良は顔見知りが多いので、挨拶する留学生も少なくなかった。

「ハイ。聞いたか?今日からまた新しく学生が入るらしいぜ。」

 バンコクからやってきた留学生のプオン・パチオンがスキンヘッドを撫でつつ後ろの席に着席した。彼も由良と同じく長期間在籍している上に、学力も彼女と同程度なのでクサレ縁だ。年齢は3つほど上だが、由良と同じくアジア人は割りと若く見える。敬虔なブッディストなのだそうだ。

「ふーん。まあ、入れ替わりが激しいのはしょうがないよね、語学学校は短期の子ばっかりだし。」

古株となりつつある由良が溜め息をついてそう呟く。

 一クラスは最大15人ほど。教室のサイズもそのくらいに設定されている。中級クラスの生徒はそれほど英語が上手ではないので、一人の教師が面倒見るのにこのくらいがちょうどいいのだそうだ。現在は12人なので、一人や二人転入生がいても珍しいことではない。

 始業のベルが鳴り、担任教師が教室へやってくる。中年のイギリス人女性が、一人の新入生を連れて入ってきた。一旦静まった室内が再びざわつきだす。

 顔立ちは完全な西欧人で、黒い髪に黒い目だった。まだ若い青年だ。教師に紹介されたその新しい生徒はやんちゃそうな表情でにかっと笑った。

「テオ・ゴンザレス。スイスから来ました。よろしく。」

 キングス・イングリッシュの見事な発音。どうしてこの青年に語学の勉強が必要なんだかわからない。クラスの生徒達が拍手を送る。由良だけだが、呆然として手を動かすこともできなかった。新入生は、軽く手を振って一番前の席に座る。窓際席の由良の方を、ちらっと見て、思わせぶりにウィンクをした。

 ・・・!!・・・この人、侯爵様だ!髪と目の色は違うけど、この声、発音、あの顔はどうみても・・・!!

 土曜日に初めて会ったセイラにそっくりな弟をどうして見間違うというのだろう。

 何故彼が、語学学校なんかにやってきたのか。何故変装しているのか。・・・由良の方に合図を送ったのか。

 まったく予想もつかなかった事態に、由良は血の気が引くような思いだった。


 開店して間もなく、ランチにやってくるお客さんを三組ほど迎えたセイラの店に、一人の東洋人の女性が訪ねてきた。

「いらっしゃいませ。お一人ですか?」

 愛想よく対応するセイラは、一目で日本人だと見抜いて日本語で迎えた。

 その女性は、その柔らかな物腰と優しい美貌に圧倒され一瞬硬直する。バッグを持っていない左手で軽く頬を押さえて、小さく嘆息すると、いそいそとバッグから小さなカードを取り出した。店長はそれを丁寧に受け取ると、エプロンのポケットから取り出した小型カードリーダーへ入れる。カードの種類を見て、クレジットやキャッシュカードでないことは明らかだったのだ。

 リーダーの小さな画面に映し出される情報を素早く読み取った彼は、青い目を大きく見開いて目の前の日本人女性を凝視する。

「萩原愛子さん?・・・神戸支部長だった廉子れんこさんの、妹さんですか。コレは、たくみからの紹介状ですね。僕は、セイラ・ティルと言います。はじめまして、どうぞよろしく。」

 優しく微笑んで、そっと右手を差し出した。

「はじめまして。愛子と呼んでください。」

「英国へようこそ。よかったら、カウンターへどうぞ、愛子さん。」

 優しく微笑まれうっすらと頬を染めた彼女は、そっと手を出し、握手を交わす。導かれるままに、店内へ入った。

 ・・・この人が、セイラ・ティル・・・!やっと会えた・・・!!

 心の中で密かにガッツポーズを決める。

 彼に会いたくて、この一年猛勉強して外務省へ入ったのだ。やっと合格し、英国大使館の職員になることが決まって、昨日渡英したばかりだった。

 愛子が最初にセイラに会ったのは二年近く前のことで、会った、というよりは見かけただけである。当時の組織の指導者が彼を連れて神戸へやってきたのをちらっと見かけただけなのだが、遠目からでもわかるその美貌に心を奪われてしまったのだ。彼は、年齢不詳の指導者とそのボディガードにしか見えない背の高い女性と連れ立って慌しくやってきて去っていったのだが、そのわずかな時間だけでも、愛子が恋に落ちるには充分だったらしい。

 外務省に入省する試験は実力だったが、英国大使館への就職は姉のツテを頼んだ。支部長だった姉は多少なり中央政府の人事に顔が利く。

 新淡路島が沈んだ後、少し国内が落ち着いた頃に、セイラは英国へ行ってしまった。それを知った愛子はどうにかして追いかけようと考え、大使館に勤める事を思いついた。

 その思い人が今、カウンターの向こうで自分のために紅茶をいれてくれている。感無量と言ってもいい。

 煌めく長い金髪、冬の空のような青い瞳、彫りの深すぎない目元はいっそ女性的と言っていいほどに優しく、高い鼻筋も柔らかなラインを描く。穏やかな微笑を湛える唇は赤く、シュッと尖った顎が美しかった。こうやって間近で見ると一層その美貌を意識することが出来る。

「ロンドンへはいつ頃到着したの?」

 白い手が紅茶をそっとカウンターテーブルへ置いた。なんていい香りなんだろう。

「昨日です。一応、昨日の内に大使館ヘは顔を出しました。」

「そう。匠からはサポートをするように指示があった。何か出来ることがあったらなんでも言ってね。・・・もっとも、外務省のエリートさんには、そんな必要はないかな?」

「エリートなんてとんでもない。まだろくに仕事も出来ないヒヨっ子ですよ。色々教えてください。」

ストレートの黒髪を耳の後ろへかけて、紅茶のカップを口元へ運ぶ。なんて美味なんだろう。絶妙な甘さ加減と、紅茶とミルクとの割合。

「あの、一つだけまず、質問していいでしょうか?」

「なんだい?」

カウンターへ、上半身を乗せて彼を凝視した。

「セイラさんは、独身ですか?」

 ぐっと身を乗り出して尋ねてくる質問がそれなのか、と思うと、セイラも笑ってしまったようだ。苦笑混じりに答える。

「うん。そうだよ。・・・呼び方は、セイラでいいよ。僕は日本でもこっちでもさん付けって好きじゃないんだ。」

 ・・・ひゃっほう!やっぱり独身だった。だって指輪してないもんね!

 小躍りしたくなるのをどうにか押さえ、愛子は出来るだけ余裕のある表情を作った。

「では、わたしの事も愛子、と呼び捨てでお願いします。」

「わかった。愛子、僕は独身だけど、ガールフレンドはいるよ。」

「あ・・・いらっしゃるんですか。そう、そうですよね。」

 まるで先んじて警告するように言われてしまって、少しへこんでしまう。

 仕方が無いといえば仕方が無い。こんな綺麗な人を、周囲が放っておくはずがないのだ。そりゃそうだ。ハリウッド女優も顔負けのようなすっごいセクシー系美女とか、もしくはお姫様のような清純派美人とか?こんな素敵な人のガールフレンドならば、当然、愛子などが手が届かないような凄い女性でなくてはなるまい。

 すこしがっかりして、つい顔を下に向けてしまった。カップの紅茶をじっと見つめていると、セイラがカウンターを出た。

 ドアの音がして、また一人入店してきたようだった。

「遅くなってごめんなさい。すぐに、ホールへ入るね。」

 聞きなれた日本語に、ドアの方を思わず振り返った。

「待ってたよ。・・・そうだ、ちょうどよかった。」

 セイラがその女の子の手を引いてこちらへつれてくる。すらっとしたその女の子は、見覚えがあった。短くカットした髪に、色褪せたジーンズ、つり上がった瞳と、元気のいい声。

「僕のガールフレンドを紹介するね。庄司由良さんだ。・・・由良ちゃん、こちら、日本から来た大使館書記官の萩原愛子さんだよ。」

 愛子は彼女を見て驚き、昨日のお礼を言わなくてはと思う間もなく衝撃を受けた。

「大使館の!?わあ、凄い、優秀なんだね。こんにちは、はじめまして!」

 そっと彼女の肩を抱いて紹介してくれたセイラがにっこりと笑う。

 動揺している場合じゃなかった。

「あ、どうも。はじめまして。どうぞ、よろしく。」

うきうきした表情で握手を求めてくる彼女は随分と無邪気そうだ。昨日のことを覚えていないのだろうか、ピカデリー・サーカスで愛子を助けてくれたことを。



恋のライバルが・・・。

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