侯爵家お仕えメイドのお気に入り。
再会するのは簡単でした。
由良が帰っていってからもう1時間以上経つのに連絡が無い。
帰宅したら連絡するように伝えておいたはずだった。待ちきれなくなったセイラは、こちらから彼女の端末へ連絡をつける。
だが、応答が無い。
探知機能を使って端末の場所を調べると、移動中であることがわかった。そのスピードから考えて、徒歩ではないだろう。いくら彼女の足が速くても。
長い金髪を首の後ろで一つにまとめた。動きやすいソフトジーンズに着替えて身につけられる端末を腕に装着する。寝室の部屋のクローゼットに押し込んである棚から、予備に置いておいたサーベルを布に包んで取り出す。自分が使うのではなく、由良のためだった。
セイラ自身も腕に覚えが無いではない。侯爵家に暮らしていた頃、指南役と呼ばれるお守りに幼い頃からしごかれていたのだ。自分の身を守る術くらいはある。ただそれを披露するのが嫌なだけだった。特に、由良の前ではそれをしたくはない。
・・・彼女は、僕を守ることにもプライドを持ってるから。僕が誰の助けも要らないのだと思うと拗ねてしまいそうだし。
実際に一対一で戦えば彼女の方が強いだろうと思っている。力だけなら男である自分の方が勝っていても、反射神経や動体視力で全く彼女には敵わない。特に、周囲や相手の行動を先読みして動く反応の良さは、類を見ない凄さだと思う。アスリートとして活躍していたら、世界を狙えたのではないだろうか。
だから少々の事でどうにかされてしまうような子ではないことはわかっている。銃も恐れないし、余程の事でなければ相手の意のままになるような娘ではなかった。
彼女の武器には必ず居場所がわかるように発信機を内蔵させている。鉄砲玉のように戻ってこないことがあっては困るからだ。
紺色の上着を着てその内ポケットに彼女の武器をしまった。走りやすい方のスニーカーを選んで、店の裏口から出る。
入念に鍵をチェックしていると、店舗の玄関側に数人の足音が聞こえた。足音からして、5人くらいだろうか。顔を上げて、そちらを見る。
金髪の若い青年を先頭に、こちらへ悠然と歩み寄ってきた。先頭の青年以外は皆黒かグレーの地味なスーツ姿だ。青年もスーツだが、一目でわかるほど仕立てが違う。国内屈指のデザイナーが彼のために誂えた逸品だ。しわを寄せるのも勿体無いと思えるような服のまま、その青年はセイラの前に片膝を付いた。他の四人も倣う。
「お迎えに上がりました。セイラ・ジョアンカ・ミア・ティル様。・・・兄上。」
青年以外の四人は頭を下げる。一人は片手で腰を押さえている。一人は頭に額にガーゼを付けていた。
鏡を見ているかのように自分とよく似たその青年を凝視したあと、セイラは深く、深く溜め息をつく。
「・・・相変わらず、そういう芝居がかったことがお好きなのですね、侯爵様は。」
「ああ、大好きさ。気分的にも盛り上がるだろう。さあ、戻ってきてくれ、セイラ。」
「彼女をどうしたのですか。」
「わが屋敷にて丁重におもてなししているよ。中々舌の肥えたお嬢さんだな。一口で紅茶の中に薬が入ってることを看破してた。」
「いいもの食べさせてますからね。・・・わかりました、引き取りにうかがいましょう。」
立ち上がった青年は、両手をセイラに伸ばした。
「久しぶりの兄弟の再会なんだから、ハグの一つくらいしてくれてもいいんじゃないか。」
にやりと笑ってそう告げる彼に、セイラの方は素っ気無い。
「由良が無事でいるとこの手で確認してからなら、ハグだろうがキスだろうがしてあげますよ。」
青年の背後の一人がクスクスと笑い声を立てた。
「久しぶりですね、ピーター。相変わらず彼のお守りですか。」
セイラが視線を向けた小柄な中年男が、笑いながら立ち上がった。
「もう年なんで、いいかげんに引退させてくれ、と言ってるんですがねぇ。お急ぎでしたら、エアカーをご用意しますよ、セイラ様。」
この国では、空を飛ぶ車両、エアカーやエアバイクは、限られた特殊車両と特権階級にしか許されていない。
英国に着たばかりの頃に、由良が不思議にそれを思って質問した事があったのだ。日本では、自分達は使用していたはずだよね?と。
「・・・新しい侯爵様の御意に。」
掠れた声で呟いたセイラの方を見て、彼の弟は満足そうに頷いた。
侯爵邸の広い屋敷の客間で長い脚をのんびりと伸ばした由良は、テーブルの上の、アフタヌーンティーのスィーツに目が釘付けだった。二段、三段、と色取り取りのお菓子が並べられたその台が、白いレースのテーブルクロスの上に置いてある。周囲には誰もいない。だから、ついつい目だけはそちらに行ってしまう。涎が垂れそうだ。
手を出しそうになるのをかろうじて我慢している。
しかし、サーベルも通信端末も奪われてしまったのは痛い。セイラにどうやって連絡をつけよう。きっと心配しているに違いない。
到着したときにメイドさんが持ってきてくれた紅茶には異物が入っていた。一口でそれに気がついたので、この館で出される飲食物には信用を置けないと判断した。
・・・遠慮しないで、セイラとランチもしちゃうんだった。
朝、お昼も一緒にと引き止められたのだが、さすがに悪いと思ったので部屋に帰ることにしたのだが、判断を誤ったと深く後悔する。お泊りしてしまうと、夕食も朝食も作らせてしまうからだ。この上昼までなんて、仕事でもないのに申し訳ない、とそう思って、大概昼前には一端部屋に引き上げる習慣だった。たとえ、その後にまた会う約束をしていたとしても。
どうして、彼の弟は自分を屋敷に連れてきたのだろうか。それが不思議でならない。
兄に会いたいのなら直接訪ねればいい話だし、まして彼は外食産業なのだから、訪ねやすいはずだ。
もしもセイラの言ったとおり恨んでいるのなら、こんな関わり方をするのがよくわからない。
男の兄弟というものがどういうものかを、おぼろげながら知っているつもりでいた由良は、自分の身近にいた兄弟の事を思い出す。彼らは割と仲が良かったし、さっぱりとした付き合いに見えた。喧嘩くらいはするだろうが、根に持つようなものも無かった気がする。恨むとか憎むとかそう言う言葉とは無縁な気がした。
巨大な屋敷に連れて来られたときには、あんぐりと口を開けずにいられなかった。日本とそれほど国土の差はないはずなのに、一つの家がこれほどの敷地を占めているという事実にショックを受けずにいられない。
もっともここまで目隠しすることも無く普通に連れてきたと言う事は、彼らは由良に居場所を知られてもかまわない、ということになる。居場所を知られても手出しを出来ないような相手である、ということか。あるいは、由良を二度とここから帰す気がないのか。希望的な観測を言わせてもらえれば、前者であることを祈っている。
水色の制服を着たメイドが、ノックの音と共に入室し、丁寧に挨拶をする。それにどう返していいかもわからず、由良は苦笑するだけだった。彼女がまったく手をつけていないアフタヌーンティーのスイーツを、うやうやしくワゴンに乗せて下げて行ってしまった。
・・・あ~、やっぱ食べたかったかも。
年齢的には自分とそれほど変わらない、と思えたメイドは金色に近い赤毛をひっつめていた。緑の瞳がとても綺麗で学校のクラスメートを思い出させた。彼女が無事に家に帰った事を祈るばかりだった。
その彼女と入れ替わるように、むさ苦しい男性が二人入室してくる。由良に投げ飛ばされて腰を押さえている大男と、サーベルで転ばされて頭を打った運転手だった。両開きの、大きな扉の両側に立つ。ということは、この館の主が帰宅したという事だろう。
程なく、彼らの主人である侯爵が背後にセイラを連れて入室してくる。
「・・・!由良ちゃん!」
すぐに彼女を見つけたセイラは、駆け寄ろうとすると腕を弟に引かれて止められる。
由良も立ち上がったが、注意深くその場でじっとしていた。侯爵のボディーガードたちを警戒しているのだ。
「なんだよ、駆け寄ってハグすんじゃないのか。」
笑いながら侯爵が由良の座っていたソファの上に腰を下ろした。再会しても慎重な二人を嘲笑っているかようだ。
「端末と武器を返してください。」
押さえ込んだような低い声で由良が言う。
「やだね。サムを這いつくばらせるような女に武器を返せるかっての。まあ、座りなよ、あんたも、セイラも。」
「まだ何か御用が?」
素っ気無く言うセイラは、言われるまま侯爵の向側に座る。
「せっかく英国に戻ったってのに、俺に音沙汰が無いなんてあんまり冷たいんじゃないか、兄上様。」
「それは失礼しました。僕の方から貴方個人に直接挨拶に上がるツテを持っておりませんので。」
「侯爵家に来てくれれば済むことだろう。散々案内は出したいたはずだ。侯爵家はあんたの帰還を待っていたと、なんども申し送っておいたそうだが?」
勿論、セイラ自身に心当たりはあった。
「記憶にありません。」
いけしゃあしゃあと答える。いっそ気持ちいいほどの嘘のつき方に、ピーターと呼ばれた中年男が小さく吹き出す。
「まあ、いいや。俺ってば寛大だからさ、そんなことではいちいち怒らないぜ。ピーター、アレをセイラに。」
軽く指で指図すると、ピーターはわずかな間、セイラではなく、侯爵でもなく、由良の方を見つめた。それから、たたずまいを直して、
「かしこまりました。」
一端部屋を出て行ったお守り役の方を、セイラは不審そうに見ていた。彼はセイラでもなく、侯爵でもなく、由良を見つめていたことが少し気になる。
「なあ、兄上。ご自慢の紅茶を振舞ってくれないか。厨房の連中にここへセットを持ってこさせる。」
「・・・ご来店いただければ喜んで。」
「そんなこと言わないでさ。」
「お断りします。」
甘えるような弟の言い方に、兄の方はにべもない。
同じ金髪で同じ碧眼でも、そして、同じ顔なのに、随分と印象に差がある兄弟だ。
弟の方はめいいっぱい甘えて、そして歩み寄ろうとしているのに、兄の方は全くの無関心だった。弟の彼が冷たい、と非難するのも無理ないことだった。
そんな兄弟を見ていると、少し悲しくなる。由良はセイラの弟に会ったのは初めてだし、初対面から拉致するのなんのと言う横柄な奴だと思ったが、たった二人の兄弟ならもう少し仲良くしてもいいんじゃないかと思えてくる。
彼にそっくりだから区別が付くようにと長髪にしたままだという長い金髪。案外ズボラなところのあるセイラだから、手をかけるのがイヤなのかと思っていたのに、そんな理由があったとは思わなかった。
硬い表情を崩さず弟から視線を動かさないセイラが、再び入室してきたお守り役の方を見る。
彼が手にしていたのは、簡易型の立体映像投影装置だ。さっきまで由良が食べたいのを我慢していたスイーツのあった辺りに、そっと置く。
現れたのは、白髪に近いような金髪の少女だった。金色の瞳の、愛らしいお姫様である。淡いピンクのドレスは膝丈までで、華奢な脚がベルベットのブーツに包まれている。
「わあっ・・・可愛い!」
まるで人形のように美しいその少女の立体映像を見て興奮の声を上げたのは由良だ。
にやにやと笑っている侯爵は、黙って兄を見上げている。
セイラは厳しい表情でそのホログラムを見つめていた。やがて、装置の中からアナウンスのような声が流れる。
「ウィンスターズ伯爵家令嬢、アメリア・ルイス・ヘレナ様。爵位を得てから800年の歴史を持つレッドフォード家の末裔・・・」
セイラが慌てて装置のスイッチを切った。音声と共にホログラムも消える。
「御用が無いなら帰らせていただきます。由良ちゃん、行こう。」
テーブルの向こうの彼女の手を引いた彼が弟に背を向けた。その声が信じられないほどに掠れている。動揺しているのだろうか。
「ちょっと待ってよ、お兄さん。大事な縁談のお話、最後まで聞いていただかないと困るんだけどな?」
縁談、と聞いた途端に由良のつりあがった目が大きく見開く。
ワゴンに乗せたスイーツを厨房に戻したメイドが、ピンクのチェリーを一つつまんだ。
「コラっ駄目でしょエリア!」
「いいじゃあーん、別に。毒が入ってるわけじゃないし、お客様は結局一口も召し上がらなかったのよ。」
アフタヌーンティー、食べたかったですねぇ。
侯爵家あたりなら、かなりの本格派?