カフェ店長さんのお気に入り。
セイラの過去、生い立ちを話してくれます。
まかないというには手の込んだ食事を平らげると、自ら立ち上がって食器を片付ける。そのまま、食後の紅茶を入れるのがいつしか慣例になっていた。昼間ずっと立ちっぱなしで仕事をするセイラを少しは休ませて上げたいという思いやりと、自分もコーヒーや紅茶などのドリンクくらいは作れるようになりたい、という向上心からだった。
「コーヒーはとても上手に入れられるようになったね。・・・彼が君に手ほどきでもしてたの?」
カウンターテーブルで、デザートのクリームブリュレをスプーンで突っつくセイラが、何気なく褒める。
「彼って?」
由良は手を止めないまま尋ね返した。
「秀、さ。コーヒーだけは上手に入れてくれてたでしょう。」
亡くなってから一年以上経つ安西秀は、かつてはセイラの友人であり、由良の恋人であり、仲間だった。以前日本にいた頃、他の仲間と共にずっと一つ屋根の下に暮らしていたのだ。その時には、この時代に一緒にやってきた由良の親友の高野美夜子もいた。今はもう、どちらもこの世界にはいない。美夜子は由良だけを残して過去の世界へ戻っていってしまった。
「そうだね。でも、作るところを見てただけで教えてもらったことはなかったな。」
「そうか。・・・ありがとう、頂きます。」
彼女が運んできた紅茶を受け取って、そっとテーブルに置いた。隣りに腰を下ろした由良も、自分のカップをテーブルに置く。
「今、ここにいてくれたらなって思ってるの?」
「・・・由良ちゃん。」
少し困ったような表情でセイラの青い目を見上げた彼女は何かを言いたげだ。
「先週も泊まったよね?・・・その前も。以前はこんなに引き止めたりしなかったと思うの。私の気のせいかな?セイラは週末には私を部屋に帰らせたくないみたい。どうして?」
もっとはっきり言ってしまえば彼が過保護になりだしたのはひと月ほど前の、由良の誕生日頃からだった。
「週末どころか、毎日だって泊まって欲しいと思ってるよ?」
とぼけているのかいないのか、相変わらず愛想のいい彼の表情からは何も読み取れなかった。
「じゃあ、どうして?」
「決まってるじゃない。君が大好きだから、ずっと一緒にいたいんだ。それのどこがおかしいの?」
「おかしいと思うのは一緒にいたいと思うことじゃなくて、このひと月くらい急に言い出したことだからだよ。・・・そりゃ、私は鈍感な方だけどさ、一応気付いたこともあるんだよ。ここ、ていうかセイラ自身かもしれないけど、監視されてる気がする。」
セイラが頭を抱え込んでしまった。
うまく行かないことがあると長い金髪をぐしゃぐしゃと指でかき回す癖がある彼は、鳥の巣みたいな頭になっている。
「あー・・・、やっぱり由良ちゃんだとわかっちゃってたか。」
「あのね?監視されてることは別に変じゃないんだよ。だって、このお店を立ち上げた時からそんな気配はしてたんだ。でも、こんなに毎日じゃなかった。だから、セイラは私を泊めようとするんでしょ?何か心当たりがあるんなら教えて欲しいな。私だって、このお店のスタッフなんだよ?」
何も答えようとしないまま、セイラは今度は髪を手櫛で整え始めた。
「・・・セイラ。」
「・・・やだね。」
「え?」
「君がそんな言い方をするうちは、何も話したくない。」
「そんな言い方?」
「店のスタッフだからじゃなくて、僕の恋人だから心配なんだって言って欲しいのに。」
今度は由良の方が頭をかきむしりたくなった。
由良よりもずっと年上のクセに、何を言い出しているんだ、この青年は。
「真面目な話じゃない。監視されてるなんて物騒な話だよ。どうして茶化すの?」」
「茶化してない。本気で言ってる。君が僕の恋人だって自覚するまでは何も話せない。」
「なんでよ?意味がわからないよ。秀さんのことを持ち出したりしたのは、彼がいたらなにか有効な手立てを教えてくれるだろうって思ったからでしょ?諜報活動にも詳しい人だったから、誰が監視してるのか、理由とか調べてもらえるかなって、そう思ったからでしょ?」
秀は元軍人で、兵器の扱いから軍事作戦のことまで詳しかった。諜報の方面にも明るく、様々な手段を知っていただろう。
「それもあるし、違う理由でもある。ね、由良ちゃん。」
セイラは何を考えているのかを全く明かさないまま、彼女の方を向いた。
「婚約しちゃおうか。」
「はああ!?」
どうしてそうなるのだろうか。
はぐらかしたくて、関係ないことを由良に言っているだけなのだろうか。
「・・・話すと長くなるんだよね。でも、もう仕方が無いか。あのね、先月君が18歳になったでしょ?だから、もう婚約してもいい年齢じゃない?」
「だから、それと何が関係あるの?」
誕生日の日、由良はセイラの叔父であるサワタリ夫妻と、その子供達を呼んで盛大にパーティをしてもらった。
セイラの作ったご馳走をたくさん食べて、夫妻の子供である五つ子と楽しく遊んで、素晴らしい一日だった。
「だってさ、僕の弟も18歳になったんだ。彼の誕生日は偶然にも君と二日違い。成人っていい年齢だし、結婚できるし、相続もできるようになる。」
「・・・弟?セイラ、弟がいるの?」
「爵位も継げる。・・・つまり、現在の侯爵は僕の弟だ。名前はアーサー・ユーフューズ・ティル。君もどこかで見かけたことがあるだろう。僕によく似た若い青年が、一時期マスコミを騒がせていたからね。僕の腹違いの弟で・・・そして、恐らく僕の事をとても恨んでいる。」
唐突に彼の本当の生家の話を聞かされて、由良は莫迦みたいに口をあんぐりと開けた。
お勉強が大嫌いな由良は、正直に言ってイギリスの歴史など全く知らない。
だから、この国に貴族階級などというものが存在することさえ知らなかった。王室があることは一応知っていたが。
だが、中世の時代の貴族のようなものはもはや残っていない。残っていてもほとんどが取り潰され、落ちぶれて、血筋だけはご立派だけれど済んでいるのは郊外のマンションの一室、とか。一介の教師です、とか。そんな程度なのだった。
例外的に今も昔のような権勢を誇っているのは、爵位を持つ10ほどの貴族だけなのだそうだ。広大な領地と、多くの会社を持つ複合企業を経営するその貴族は、さながら昔の日本の財閥と言ってもいいのかもしれない。
そのうちの一つである侯爵家の御曹司は、かつて外国人の女性と恋に落ちて、駆け落ちまでしてしまった。子供までこさえてしまったのだから、もはや後にはひけないと思ったのか、その女性の国へ一緒に逃れて行った。ところが血筋や家柄を重要視する侯爵家は、御曹司とその子供を強引に連れ戻してしまったのだ。
駆け落ちした女性は娘を連れて逃げ侯爵家へ入ることは無く、連れ戻された御曹司と息子は侯爵家を継がせるために半分軟禁状態。
御曹司はやがて他の貴族の家から政略のために輿入れしてきた娘と結婚し、子供が出来た。
「まあ、それが、僕の弟なんだけどね。」
「なんか、凄く難しくてわかりにくいんだけど、とにかく、セイラには弟がいた、と。それが貴族とかいう特権階級の人だった、と。」
「そんな感じ。」
「ちょっと、待って。じゃ、セイラも貴族の人なんじゃないの・・・?侯爵様のお兄さんになるわけでしょ?」
「僕はとっくに侯爵家を出ている。父親が亡くなった時にね。貴族でもなんでもない。」
「・・・ドラマだねぇ。」
「はた迷惑な、ね。」
「で、どうしてその弟さんがセイラを恨んでいるの?ていうか、せっかく帰国したのになんで会わないの?」
セイラは人の恨みを買うようなタイプではない。
少々腹黒いところがあったとしても、遺恨を残すようなヘマはやらないはずだ。
「見捨てられたと思っているんだ。彼は。」
「え、どうして・・・?」
「父親が亡くなって、弟という後継者がいる。その時侯爵家にもう僕の居場所はどこにもなかった。だから、僕は家を出て、日本の鈴奈ちゃんの所へ行ったんだ。他にどうしようもなかったし、僕はそれをずっと望んでいたからね。だってさ、正式な跡取りがいるのに、婚外子がいるなんて針のムシロもいいとこでしょ?侯爵家にいてもいい事は何もなかったし、僕ずっと母や姉に会いたかったからさ。僕は、母が亡くなった時には死に顔も見れなかった。侯爵家から一歩も出してもらえなかったから。だから侯爵家には何の未練もなかったんだ。だけど、その時まだ幼かったユーフューズにとっては、父親がなくなってすぐに実の兄だと思ってた僕が家を出たことはショックだったらしくて。」
平凡な家庭に育った由良に取ってはまさにメロドラマが現実になった感覚だ。どんなにがんばっても想像がつかない彼の家庭環境に同情することも出来なかった。
「そうなんだ。なんか、凄く、複雑なんだね。・・・でも、いつか仲直り出来る時がくるよ。だって、兄弟なんでしょ。」
「そうかなぁ・・・。」
「私には兄弟いなかったから、凄く羨ましいな。」
そんな単純な問題ではない気がするが、余りにも実感がわかないので、余計に気休めにもならないことを言ってしまう。
それに、兄を恨んでいるからと言って、兄の家を監視する弟というのは何か妙な気がする。
・・・恨んでいるのなら、関わらなければいいのに。
セイラは弟のことを思い出すたびにそう考えてしまう。
もういない姉が『あそこんち、面倒くさいのよ』とぼやいていたのを思い出す。
本当にそう思う。
侯爵の実子でありながら認知もしない。それなら放っておいてくれればいいのに、何かと監視下に置きたがるあの家風がどうにもかなわない。日本にいるときひたすら身を隠していたのは、侯爵家にバレたくなかったからだ。日本にいることはわかっていても、完全に雲隠れしてしまっていたセイラをみつけることは相当困難だったことだろう。侯爵家の跡取り候補の一人であると同時に、沢渡家の後継者でもあった複雑な立場だった彼は、その複雑さから女性の名前を付けられてしまったのだ。
セイラという名前は侯爵家が便宜上名付けたもの。母親の恵が付けた名前が日本語の『青嵐』であったために語呂もよかったのだろう。おかげですっかり定着してしまった。
侯爵家の、後継者候補でありながら、後継者ではない。誰もいなかった場合の埋め合わせのためにいなければならなかった子供。だから男の名前でなく女性名を名付けた。万が一、他に後継者が生まれなかった場合は、侯爵としてもっと相応しい正式名称を与えるつもりだったのだ。
だから、弟はセイラを恨んでいるらしいと知っても、セイラの方はむしろ感謝している。ユーフューズが生まれたおかげで、あの面倒くさい家から出られたのだから。
弟は恨む余りに何をするかわからない、というのが少し怖かった。性格はどちらかと言うと直情型だった気がする。
セイラは、隣りで紅茶をすすっている由良を見た。優しくその肩を抱く。
「セイラ・・・?」
「そろそろ、上に上がって休もうよ。疲れたでしょ。」
二階の彼の住居へ行くよう促す。
やっと手に入れた穏やかな日常。
片思いしていた彼女との生活。
これを誰にも奪われたくはない。
軽く頷いてカップを片付け始める由良。それを目で追っている自分の幸福に酔ってしまう。
こんな風に、毎日過ごせたらいいなとおもっていた日々を。
たとえ弟であっても壊されたくはなかった。
あくまで、フィクションですから、実際のものとはかんけいありません。近未来のお話です。