お買い得なハズのお気に入り。
浴室の中で語らいは、びしょびしょですね。
水音が狭い浴室に響いている。これならば、まずわからないだろう。
「シャワーを、・・・勿体無いけど、出しておいて。」
「ん。わかった。ソープを、どうぞ。」
反響する声は、水音に紛れてお互い以外には殆ど何を言っているかわからない。勿論、それが狙いだったのだ。
浴室には盗聴器や監視カメラなどの電子機器を一切持ち込めない。持ち込むのならば完全防水を施していなくてはならない。そして、全裸となっている状態ならば、衣服に何かを付けられていたとしても脱いでしまうのだから意味が無い。
セイラにばれたらすぐにわかる。
その言葉の意味が、由良にはどうにも解せなかった。だから、これは賭けと言ってもよかったのだ。
セイラ自身が水色メイドと何か関わりがあるのか。あるいは監視状態の完璧さからああいっているのか。由良の意図を察して黙って言う通りにしてくれたセイラだから、恐らくは後者なのだろうと思うけれど。
「いいよ・・・話して、由良ちゃん。浴室全体に全部水をかけたから。大丈夫。」
当然ながら、お互いに全裸なので恥ずかしいけれど、そんなこと言っていられない。この状況を作り出すために、一緒に風呂に入ろうなどと頼んだのだ。
セイラはそれを敏感に察してくれた。彼も監視されていることはわかっているのだから。
「貴方と別れて国外へ出ろって言われた。・・・その場ではわかった、と言っておいたけど。」
「相手はどんな人?」
「水色の制服を着たメイドさん。エリア・ギルフォードって名乗った。侯爵邸で私を見張っていた女の子だったよ。」
スポンジにソープを馴染ませて悪戯に泡立てては身体に塗りつける。塗る傍からシャワーで流されていくけれど、かまわなかった。
「水色の・・・。他には?」
「地上車ナンバーを控えた。愛子に頼んだの。大使館からはヤードのハッキングが簡単なんだって、静流さんが教えてくれたでしょう。」
「彼女を巻き込んじゃ駄目じゃないか。」
「だって・・・。」
びしょびしょに濡れた金髪が顔にかかる。髪の房から雨のように雫が落ちていく。
「それで、君はそう言われて・・・どうするの。」
青い瞳が射るように覗き込む。わかっっていた。必ずセイラが結論として自分に求めてくることを。
彼は絶対に強制はしない。彼自身の希望を口にはしても、絶対にああしろこうしろと、命令はしないのだ。あくまで、由良の意思を尊重する。
・・・こうして傍にいられるのも、キスも何もかも、最後になる。別れたら、終わりなのだ。
例え自分の中に彼の分身が宿っているとわかっていても、セイラ自身と触れ合えるのは本当に最後になってしまう。
考えることが嫌いな自分に選択を迫るセイラは、そうやっていつも由良が結論を先延ばしにしないようにしているのだ。
わかっている。
わかっているけれど、自分で決めるのはとても難しかった。
別れたくはないけれどこのままセイラと一緒にいると言う事は彼にもたくさんの迷惑をかけるし、侯爵とは完全に縁を切られることになるだろう。やっと再会した兄弟を再び離す事になってしまう。第一、無事にセイラの子供を産めるのだろうか。まさかとは思うが、彼と自分との血筋を絶やそうと命を狙われることまでも想定出来る。
考えていたほど侯爵家は甘いものではなかった。日本にいるときに、情報の恐ろしさを思い知ったけれど、それはこの国でも同じなのだ。箪笥の奥に隠しておいた下着の色までも暴き立てるような侯爵家のやり方がとても怖い。
そして、侯爵家そのものも一枚岩ではない。ユーフューズを若き侯爵として彼に従う部分と、どうもそれとは違う機関があるように思える。
「わかんない・・・。」
シャワーのお湯とは違う水が、由良の目から溢れ出る。
「どうしたらいいのか、わからないよ・・・。」
もう複雑すぎて由良の頭の中はパンクしそうだった。
元々頭がいいほうではない。難しいことを考えることには向いていないのだ。それでもこの数ヶ月、一生懸命にセイラの事情についていこうといっぱいいっぱいになりながら考えてがんばってきた。本来は、黙って頷いて従うだけのほうがはるかに楽だって思っている、そういう由良なのだ。
・・・どうしたらいいんだろう、ねぇ、教えてくれないかな、美夜子だったら、こんなときなんて言うのかな。
気丈だった由良の親友が脳裏に浮かぶ。綺麗で可愛らしくて、頭が良くて負けず嫌いだった彼女。もう二度と会えない所へ行ってしまった大切な大切な親友。
ふわふわの髪に薄茶色の大きな瞳をいつもキラキラと輝かせていた。真面目で責任感と正義感がが強くてとっても素敵だった。大好きだった。本当に大好きだった彼女。彼女を守ることが自分の唯一つの誇りだったのだ。
・・・ばっかじゃないの。だからあんたはバカだって言うのよ!どうしたらいいかじゃないの。重要なのは、あんた自身がどうしたいのか、なのよ。
まるで、耳元でそう喚かれているような気がして、振り返ってしまった。
「由良ちゃん・・・?」
挙動不審な彼女を、不思議そうにセイラが尋ねる。
「美夜子が、まるですぐ傍にいるみたいに・・・。そんな、そんなわけないのに。」
ふと、思い出す。日本にいた頃いつも傍にいた親友の声が、すぐ傍で聞こえたように気がした。
どうして由良はセイラをすぐに浴室へ誘ったのだろう。それが秘密を話すのに一番間違いない方法だと知っていたのは、・・・過去に、秀という青年に教わっていたからだ。盗聴の心配がある場合、どこで密談をしたらいいのか。浴室が一番情報が流れにくいのだと、彼が教えてくれたのだ。
「泣いているの・・・。」
心配そうに呟くセイラに、軽く手を振って違う、と伝える。
泣いているけれど、それは辛いからではなく。
記憶と言う形で自分の中に生きている親友となくした恋人を意識して、嬉しくなってしまったのだった。
・・・美夜子も、秀さんも、もう傍にはいてくれないけどちゃんと私の中で生きている。私が生きている限り、意識していなくてもここにいるんだね。
精神的な不安はまだ拭えない。暴走しないとは言い切れないけれど、こうやって何かに迷ったときに、記憶の中の彼らが由良を助けてくれる。あの頃の事の一分一秒が、何一つ無駄ではなかったことを思い知るのだ。
これからも思い悩むことはたくさんあるだろう。自分などでは到底太刀打ちできないような難題も起こるだろう。
シャワーでびっしょり濡れた目の前の青年を見上げる。浴室の温度のせいで、かすかに上気した肌が美しかった。その青い瞳が心配そうに自分を見つめている。
この記憶も、この人とならば共有して生きていけるのだ。
「セイラ、私別れるのなんかイヤだよ。・・・貴方の傍にいたいよ。どこへも行きたくない。どんなに大変でも、セイラと一緒に生きて行きたいよ。別れるのなんてイヤ。二度とセイラにキスしてもらえないのもイヤ。抱いてもらえないのもイヤ。触れてもらえないなんてイヤ。貴方の紅茶を飲めなくなるなんて絶対イヤ。・・・貴方と離れるなんてイヤだよ。」
「由良ちゃん・・・!」
ぎゅっと彼の腕が由良の肩を抱きしめた。由良の手からソープとスポンジが落ちる。
「ずっと傍にいて。何度でもキスしてあげる。思うさま抱いてあげる。君が望むなら、いくらでも」
「身の程知らずだってわかってる。私なんかセイラにちっとも相応しくないって、知ってる。私なんて頭悪いし、美人じゃないし、学歴も無い。仕事もろくに出来ない上に、トラウマまで持っていて、貴族じゃなくたって、お姫様で無くたって、私なんか絶対駄目だってわかってる。わかってるよ。それでも、それでも私・・・。」
「僕の奥さんになって。毎日だって、君の好きなタルトを焼くよ。君が望むのなら、和食もがんばってもっと覚えるから。フットボールチームの観戦にもつきあうし。必ずお買い得だったねって言われるようなハズになって見せるから。結婚して。ずっと傍にいて。お願いだから。」
文字通りの、裸のプロポーズになってしまったけれど。
水音の中で、他の誰にも聞こえないような、そんな求婚になってしまったけれど。
「うん。・・・私、セイラのお嫁さんになるよ。」
二人だけにしか聞き取れない声で約束する。
「白いドレスと、指輪を買おうね。・・・秀との約束も果たせる。君に必ず送りたいって、言ってたんだ。君に似合う素敵なのを買おう・・・僕に選ばせてくれる?」
「あ・・・うん。」
そんなことまでも、覚えていてくれたのだ。
あの頃、秀は中々彼を受け入れようとしない由良に、指輪やドレスをプレゼントすればいいのか、とそう言っていた。不器用すぎる彼は、どうやって由良の機嫌を取っていいのかわからず彼の兄弟がやっていたことをただ真似しようとしていたのだけれど。秀の死に際に立ち会ったセイラは、その時に秀から言われていた。
優しくてしてやってくれ。傍にいてやってくれ。白いドレスと、指輪を贈ってやってくれ。
秀の遺言はそれだった。彼は死ぬときも由良の事だけを気にして。セイラにそれを託していたのだった。
「秀さんのこと、忘れてないよ。今も・・・彼に申し訳ないと思ってても、それでも、貴方と一緒にいたい。こんな私でごめんね、セイラ。」
由良は強くしがみついて、その瞳から溢れる涙がセイラの裸の胸を濡らした。
一生消えないような酷いトラウマを残したのも秀だったけれど、こうして時を経て彼女を喜ばせてあげられるのも彼だった。
そう思うと秀はやはり誠実に彼女を思っていたのだろうし、最後まで彼女を愛していたのだろうと思う。酷い奴だと恨んだこともあったけれど。
形のいい金色の眉毛を少しひそめてから、彼女の顔を両手で優しく持ち上げる。涙とお湯とでぐっしょりと濡れたその顔を。
「そんな君が好きなんだ。・・・キスさせて。」
「うん。」
シャワーのお湯と涙で濡れそぼった由良の顔に何度も何度もキスをする。
やっと婚約してくれたことが嬉しくてたまらなくて、このままではふやけてしまうとわかっていても、中々浴室を出る気になれなかった。
これでもう、彼女はセイラのものだ。
正式な婚約者となった彼女を誰にでも紹介することが出来る。正式な婚約者がいる自分に、侯爵家ももはや縁談など持ってくるわけには行かなくなる。
誰にも文句は言わせない。
彼女を唆した相手には悪いが、逆に絆を深めた事を確信したセイラは、雨のように振る温かいシャワーの下で何度も彼女に頬ずりした。
どんなプロポーズが理想ですか?
ちなみにハズはハズバンドの略で旦那様のことですねぇ。