エリート官僚さんのお気に入り。
言われるままお別れしちゃうのでしょうか。
セイラ様にはくれぐれも御内密に、とその水色の制服を着たメイドさんはを押して言った。
「彼にばれたことは、すぐに私どもにわかります。もしそうなれば、即刻外務省に通報し国外退去及び強制送還いたします。勿論、身元保証人であるセイラ様もただではすみませんよ。罪に問われることは間違いありません。貴方の連絡先を頂きます。」
「待って。・・・セイラにバレて困るのならそれは駄目だよ。彼は私の端末の内容を全て把握してる。学校へ来てくれないかな。学校の事には割りと無関心なんだ、彼。」
「わかりました。ではそのように。学校でしたらユーフューズ様もおられるので不自然ではありませんね。」
必要なことを短く告げて、彼女は黒塗りの地上車に戻って行った。ドアが閉まると同時に走り出す。由良は見送ってそのナンバーを覚えた。
気を取り直したように自分の仕事場へ足を向ける。
彼のまかないが楽しみだ。最近セイラはランチメニューの開発にとても熱心なので、何かしら新しいものが考え出されている。
それを愛子と一緒に喋りながら食べるのはとても楽しい時間なのだ。
閉店準備をして、愛子を送ってくると店を出た後、由良は忘れ物、と言ってもう一度店に戻る。店内で経理を続けていたセイラが振り返った。その頬に軽くキスをする。
「忘れ物。・・・あのね、今日、泊まってもいい?」
少しだけ照れたように頭を掻いてから、こそっと店長に尋ねた。
青い目を丸くして、セイラは少し驚いたようだったが、すぐに微笑んだ。
「珍しいね、平日に君が僕のところに泊まりたいなんて・・・勿論、いいよ。明日の用意をしておいで。」
お返しに由良の額にキスをすると、ハイタッチ。カウンターの裏にある小さなメモ書きを手にして、由良がそのまま店の外へ飛び出していく。
外で待っていた愛子が、
「何を忘れたんですか?」
他意はなく聞く。
「・・・うん。あのね、愛子さんに、頼みたいことがあってね。」
「わたしに、ですか?」
小さなメモ書きを素早く愛子の手に握らせた。
「すぐにしまって。・・・その車のナンバー、調べられるかな。大使館のコンピューターからなら、スコットランドヤードの内部にも入れるはずなの。裏にはIDとパス。」
慌ててそれをバッグの中に入れた愛子は、声を低くして尋ねる。
「わたしに大使館からハッキングしろって言うんですか?」
眉根を寄せて、明らかに反感の色を見せる愛子に、由良はすぐに伝家の宝刀を使う。
「お願い、愛子さん。このままだとセイラまでが罪に問われてしまうかもしれないの。手伝って。」
「どういうことなんですか。説明してください。・・・これ、いつまでに調べればいいんですか。」
愛子はそれほど動揺も見せず、そう言った。
セイラが関わっている、と匂わせただけで彼女は絶対に協力してくれる。確信していた。それくらい、彼女はセイラにまいっているはずだった。
「明日連絡します。それまでは何もしないで持ってるだけにしていてください。OKが出たら出来るだけ早く調べて下さい。」
「・・・何かあるんですね。」
人差し指を立てて口元を軽く撫でると、愛子は意味ありげに笑い、それから軽くストレートの髪をかきあげた。
察しのいい聡明な女性で助かる。そうだろうと思っていたので由良も思いきって声をかけたのだけれど。
「愛子さんはセイラが大好きなんだよね。」
気軽く相手の本音を暴いた彼女に、さすがの愛子も目を白黒させる。なんの他意も無く言っているように見えるのが性質が悪い。時には、由良の無邪気さは相手を不愉快にさせる。
「わかってるよ。・・・私だって大好きだもん。同じ人を見ているんだって思えばいやでもわかる。そうでなくたってセイラは滅茶苦茶もてる。誰が彼を好きになったって何の不思議もない。」
「わかってて、それで、わたしに?」
「うん、そう。ずるいでしょ?私って最低だよね、愛子さんの気持ちを利用してさ。・・・でもね、それでも貴方はしてくれるって私は思うの。」
本音を簡単にさらけ出してくる。
そんなに簡単に、愛子を信用する、と言ってくる。
怒る気にもなれなくなってしまう。わずかな間表情を強張らせていた愛子は、なんだか可笑しくなってしまった。
「なんで、そう思うんですか。」
「・・・なんでかな。勘?・・・大体ね、セイラを好きになる人に悪い人はいないんだよ。恨まれたり憎まれたりするようなヘマはやらないもの。」
セイラはそう言うことにとても長けている。人間関係をうまく構築することがとてもうまいのだろうと思う。
普段からニコニコして愛想がいいことも当然だが、細かい配慮なども忘れない人だ。彼を悪く言う人はそうそういない。彼は他人を陥れたり利用すると言った野心がないからだ。
だから、ユーフューズも、本当はセイラが好きなのだろうと思う。
アレは素直になれないだけの、ツンデレだ。セイラに傍にいて欲しいから、構って欲しいから、わざわざあんなことをして関心をかおうとしているだけなのだ。
ひどい事をしているように見えて、その実そこまで人間的にえげつない真似は出来ない。やっぱりお育ちがいいのだろう。なんだかんだ言っても由良が体調を悪くすれば病院へ運んでくれたし、クラスメートに危害を加えるという脅しはしても、実際には何もしていない。屋敷に連れて行って薬の入った紅茶を出したりしたが、ただ眠らせようとしたくらいのものだったのかもしれない。
だからと言って許せるかと言えばそうではないが。特にセイラの立場から言えば到底許しがたいだろう。彼のやったことは法律に照らせば裁判でも100パーセント有罪に出来る。ユーフューズの立場を考慮して、そうしないだけのことである。まあ、仮に訴えたとしても侯爵家にもみ消されるのは目に見えていたが。
愛子だってお金にならない労働をしてくれているのだ。セイラが好きだから、せっかくの仕事休みを彼のために使って店を手伝ってくれている。国家公務員は副業をもてないからお金を受け取るわけには行かない。そんな愛子が進んで店を手伝ってくれているのは、セイラが好きだという下心のみではないだろう。結局彼女も人が好いのだ。
その人の好さにつけこんでこんな頼みごとをしてしまう自分が嫌だな、と思わないでもないけれど。
きっとセイラはそれに報いてくれるだろうし、自分も彼女の困ったときにはきっと手助けする。ピカデリー・サーカスで一度助けているし。
「わかりました。・・・一つ、貸しですよ。」
その後は何気ない世間話に花を咲かせながら帰途に着いた。由良は彼女が自宅に入るのを見届けると、来た道を戻り、自分の部屋へ帰って明日の用意をするために足を速めた。
裏口から入ると、施錠を暗号ではずしてドアが開く。
・・・セイラと別れちゃったら、こんな風に彼を訪ねることもなくなるんだ。
「お帰り。さ、入って。」
出迎えてくれた彼が、たっぷりしたセーターとジーンズ姿になっている。寛いだ格好に、なんとなく安堵する。長い金髪が、夜の闇に映えていた。
靴を脱いで荷物を置いて、彼の背中に飛びつくように抱きついた。
大きくて温かい背中。それを覆う長い金髪。この柔らかな毛先に自分の顔が当たって、なんだか哺乳類の毛皮のようで心地よい。
けして小柄とはいえない由良だけれど、長身のセイラの背中にくっついているときは子供になったかのように思えるのだ。
「ね、セイラ。ちゅーして?」
振り返った彼は何の躊躇も無く彼女の望みを叶えてくれる。
甘くて蕩けるようなキスが大好きだ。照れ屋で恥ずかしがりやの由良は人前では絶対に拒むけれど、他人のいないところでは自分の欲求に素直だった。
「もっと。」
一度唇を離すと、まだまだ足りない、とでも言うようにもう一度お願いする。少し赤くなっているのは、蕩けているからか、照れているからなのか。
・・・このキスともお別れになっちゃう。二度と、してもらえなくなる。セイラのキス、好きだったな。
由良はセイラが侯爵達に言ったとおり、他の異性にはとても恋愛感情を持てなかった。
元々そう言った感情には疎く、一度乱暴されたという過去が拍車をかけてますます異性に対して強い警戒心を持つようになってしまっていた。セイラにそっくりな外見を持つユーフューズに対してさえあれ程の拒否反応を示すのだ。とても無理だった。語学学校にいると様々な国の学生がやってくるので、その中には女性に対して積極的なエルンストのような学生もいるし、中には東洋人が珍しいが故に由良に粉をかける異性もいたけれど、由良は完全に無視していた。
勿論友人としての礼は尽くしているし、学友として申し分の無い相手とはそれなりに友情を育むけれど、それが恋愛関係にシフトすることは無い。
由良にはセイラ一人で充分過ぎた。そして、彼以外の誰も受け入れなかった。それはこれからも変わることは無いだろう。
あの水色メイドの言う通り、このまま彼と別れて日本へ帰ったら、死ぬまで他の異性と付き合うことはない。キスも抱擁も、セイラとする以外に選択肢など無い。それを思うと、今現在の彼とのふれあいがたまらなく名残惜しいと思えてしまうのだ。
顔をゆっくりと離して、彼がどこか怪訝そうに由良の顔を見る。言葉ではなく視線で、どうしたの、と尋ねている。宝石のような青い目。夜になると少し緑色がかかって益々ミステリアスだった。綺麗で、優しくて、とても自分を大切にしてくれている彼が大好きだ。
・・・どうして、別れなくちゃいけいないの。私が、カウンセリングを受けているというそれだけの理由で。
不釣合いなのは重々承知している。だから、彼が婚約しようと言ってくれても二の足を踏んで即答出来ずにいた。彼には勿論、彼の身内に当たる人達への体面もあるだろうと思っていて、そんな簡単にはうん、とは言えなかったのだ。そうやってずっと由良は気を使っていたのに。ユーフューズの無体な行動にも目を瞑ってきたというのに。
『彼にばれたらすぐにこちらにはわかりますよ』
どうやらそうらしい。由良の精神疾患のことも、そして妊娠のことまでもこの短い期間で彼女は調べ上げていたのだ。あのエリアという水色メイドが何者なのかは知らないが、由良の情報の殆どが完全に筒抜けらしいことはよくわかった。恐らくは日本語もわかるのだろう。
恥ずかしさを堪えて、出来るだけ甘えたような声を出す。
「一緒に、お風呂入ろ・・・?」
そんなこと今まで一度も言ったことは無い。セイラの方から冗談で入浴を誘ったことはあっても、由良から言ったことなどなかった。だから、とても恥ずかしかった。
「・・・嬉しいね。お湯を張って来るよ。少し待ってて?着替えは持って来てる?」
通常とは違う由良の言葉や行動に疑問を抱きながらも、一切何も聞かずにいてくれるセイラが頼もしかった。
セイラに対して、由良がそうであったように、彼もそうしてくれている。何か理由があるのだろうと考えて、それを追求しないまま黙って従ってくれる。それが有り難かった。
ここまで、普通の恋人として何一つおかしな言動はないはずだ。キスや入浴を相手に強請ることは何も異常ではない。
色々な意味で胸の鼓動が高まる。
「持ってきた。」
どうやってバレずに、これからの行動を起こしたらいいのか。そのために緊張する思いと。
何度肌を重ねても、彼を目の前にすれば鼓動が速くなる思いと。その両方で、由良は顔を強張らせる。
今しばらく続きます。
お付き合いください。